動乱の行く先 -光を纏う-

 『ジョーロン』で療養していたクレイスは思っていた以上に傷の治りが早かったので驚いていた。

だがイルフォシアに聞いても自分は何もしていないとの事らしく、ルルーの力を借りた訳でもないらしい。

(ってことは元々大した傷じゃなかったのか。なのに僕は・・・)

大きな怪我であれば治癒にも時間が掛かるのは当然だ。しかし今の自分は1か月も経たずにほぼ全快した事を考えると結論がそちらに行き着くのも仕方がないのだろう。

「もっと強くならなくちゃ・・・・・」

「またそんな事を仰ってるんですか?!」

「クレイス様は十分お強いです!あの男を屠ったのですから!」

朝食時につい口から決意が漏れると2人が別の角度でこちらを諫めてくる。

あの戦いから二日後にはイルフォシアの傷は完治し、ルサナも血液不足だったらしいのだがクレイスの傷からほんのすこし血を分けてあげるとすっかり元気を取り戻していた。

ただ元気になりすぎたせいか、その後は包帯塗れのクレイスを誰が看護するかでずーっと揉めていた。


「ほらほら。3人とも早く食べてお仕事しないとなの!」


そんな犬猿の2人を止めてくれたのがウンディーネだ。彼女は看護を交代制にして残りは崩れた瓦礫撤去や復興作業に手を貸すよう提案してくれたのだ。

お蔭で療養に専念出来たクレイスは2週間後には起き上がって動くまでに回復出来ていた。そこには感謝しかない。

「さぁさぁ。クレイスも強さを目指すのなら力仕事は率先して行わないとなの!」

ただその看護の枠にウンディーネ自身も入って来たのが少し気になっていた。いや、人間を嫌う彼女もクレイスには恩を感じているのか。手厚い看護は心も癒してくれたのだが最近やたらと距離が近い気もするのだ。

今も食事が終えたクレイスの腕に腕を絡めてくる。彼女は魔族なので年齢での判断は難しいのだが3人の中でも一番大人な体型をしているのは間違いない。

結果その柔らかさと温かさが二の腕に伝わって来るのでどう反応すればいいのか困ってしまう。

「ウンディーネ!貴女はまたそうやって・・・っクレイス様も振りほどいて下さい!!」

最後にイルフォシアが妬くような言動で収まるのがここ最近の流れだ。因みにルサナは羨ましそうに眺めている場合が多い。


『七神』マーレッグとの戦いに勝利したとはいえ決して納得のいく内容ではなかった。


むしろよく生き残れたと今でも不思議で仕方がない。金髪の青年が来てくれたから今こうやって彼女達と戯れていられるのだ。

それを考えるとまたも自身の中で落胆と後悔が溢れ出す。あの戦いは運が良かっただけなのだと。いい加減に誰かの力を借りる事なく敵を打ち倒せるようにならなくてはと心が逸るのだ。

「・・・やっぱりもっと強くならなくちゃ!!」

鼻息を荒くしたクレイスは何度目かわからない決意を新たにするとウンディーネの腕を振りほどいて部屋を後にした。






 「君達は『ラムハット』の脅威を追い払ってくれた大切な客人なんだ。いい加減大工の真似事をするのは止めにしないか?」

クレイスらが外に出ると待ち構えていたかのようにキールガリも姿を現して苦言を呈してくる。

彼は『ジョーロン』で西の領土を任されており今回の戦いでは大きな恩を感じている1人だ。更にクレイスは『アデルハイド』の王子であり国王クスィーヴと懇意の仲でもある。

つまりあらゆる理由からその扱いを蔑ろにする訳にはいかないのだ。

「はい!この建物が再建出来ればゆっくり休ませてもらいますから!」

しかし中性的な外見とは裏腹にクレイスの芯は太く硬い。分かりやすくいうと頑固な為遠回しであろうと直接的であろうと説得は難しい。なのでキールガリも仕方なく奥の手を使ってきた。


「・・・実はシャルア王妃が是非クレイス君達をお茶に招きたいと仰っておられてね。急ぎではないのだが・・・」


「えっ?!シャルアさんが?!」

彼女には『フォンディーナ』砂漠の縦断時にとてもお世話になった。気さくで明るいお姉さんといった印象だがクスィーヴに見初められた後『ジョーロン』の王妃としてこの地で暮らしている。

「王妃様直々の御招きとあれば待たせるのも無作法というもの。ささ、復興作業は後にしてまずはお顔を見せに参りましょう!」

元々この作業に反対気味だったイルフォシアは笑顔でそう促してくる。影ではキールガリに『よくやった!』といった表情を見せていたらしいがクレイスは気付けなかった。

「ですね!私もシャルア様の赤ちゃんが見たいです!それにクレイス様との旅のお話とかも・・・」

普段は喧々囂々な2人だがルサナもクレイスが泥まみれになって作業する事には反対気味だった。つまり利害の一致でイルフォシアの提案に乗っかって来た訳だ。

「・・・そうね。私も人間の赤ちゃんをゆっくり見たいかもなの。クレイス、行こう?」

ウンディーネだけは何か別の思惑があるのか真剣な表情で懇願してくる。となるとここはクレイスの我儘を無理に圧し通す事もないだろう。

「うーん。そうだね。折角だしお招きに預かろうかな。」

この発言時にイルフォシアとキールガリが裏で大いに喜んでいたのもクレイスは知らなかった。ただ彼女が領主に何かこっそり耳打ちらしきものをしていたのは視界で捉えていた。

(・・・何だろ?まぁ後で聞けばいいかな。)

それから衣服を着替えた4人は気が変わらに内にと慌ただしく見送られる。




「・・・急げ!!!クレイス君が戻る前に作業を完遂させるのだ!!!」

彼らを見送った後キールガリは怒号を発する。本人の強い希望とはいえ領土をしっかりと護ってくれた人物にいつまでも泥だらけの作業をさせておくわけにはいかない。

更に先ほどイルフォシアからも強く釘を刺されていた。戻ってくるまでに全てを終わらせておくようにと。

「良いか?!3日だ!!!3日で基礎工事を終わらせるのだ!!!外装内装は職人の腕が必要になるからクレイス君も手出し出来ないだろう!!」

この日領内から全て作業員を集めて莫大な報酬を約束した敏腕の領主は『ラムハット』の侵攻時よりも焦りを見せつつ自らが現場にたって檄を飛ばし続けていた。






 ルサナを誰が担いで飛ぶか、という問題は常に付いて回っていたのだが今日はすんなりとイルフォシアが抱きかかえてくれたのでクレイスは内心ほっとする。

(いつもこうだといいのに・・・)

その原因が自分にあるとは露知らず。シャルアとその赤子との再会に心を躍らせていると前方には大きな城下町が見えて来た。

王城の真上まで飛んできた4人はそのまま城門前に降り立つ。急な来客に衛兵達がびくりと反応して驚いていたがこちらの顔を見てすぐに笑みが零れた。

「これはこれはクレイス様!ささ、国王様も王妃様もお待ちかねでございます!」

『ラムハット』の侵攻をほぼクレイスが1人で跳ね除けたという話は『ジョーロン』国内に広まっている。

しかしその後『七神』のマーレッグに成す術もなくやられたので周囲がいくら賞賛してくれてもいまいち実感が湧かなかった。

「流石はクレイス様!ほら見て下さい!!皆がクレイス様に敬意ある眼差しを送られていますよ!!」

「敬意・・・だけだといいんですが。」

廊下を歩きながらルサナはクレイスの分まで喜んでいたがイルフォシアは思う所があるのか冷静に周囲を見定めているような感じだ。

「んふふー?イルフォシアは少し妬きもちが過ぎるの。王女様なんだしもう少し余裕をもっていひゃいいひゃい!」

ウンディーネがまたいらない事を口走ったせいでイルフォシアの左手で柔らかい頬を摘ままれていた。

いつの間にかこの光景も、いや、この4人で行動する事にも当たり前のように感じている。


(これも皆が生き残れたからなんだよね・・・)


出来ればずっとこうして笑い合っていたい。二度と誰かを失いたくない。バルバロッサが死んでからはその気持ちをより強く持つようになっていた。

その解決策として更なる強さを身につける事だと自己完結したのだがイルフォシアなどはこちらが毎回大怪我を負う事に言及してきて反対するのだ。

これにはぐうの音も出ない。ただ誰だって最初から強い訳ではないはずだ。そう、特別な種族を除けば。

クレイスは人間であり誰よりも弱かった。なので自分が思い描く強さを手に入れるにはまだまだ修業が必要なのだ。

(いつかイルフォシアが安心してくれるくらい強くなれればいいな・・・)

隣で時折鋭い視線を周囲に向けている彼女に目をやりながら4人が王妃の部屋までやってくるとこちらが戸を叩く前に扉が開く。


「遅いっ!!やっと来てくれたわね?!」


王妃となっても変わらず元気いっぱいなジェリアが飛び出て来てクレイスに抱きついた。

「やぁ。待っていたよ。ささ、中に入って入って。」

その後ろから静かに現れたクスィーヴが妻の行動を咎める事なく招き入れてくるので4人は目を丸くしながらそれに従った。




「しかしまさか君が『ラムハット』の軍勢を退けるなんて・・・人とは成長するものだな。」

美味しい紅茶とお菓子が用意される中、クレイスから直接戦線の話を聞いたクスィーヴは感嘆の声を上げる。

「い、いえ。僕はただ魔術を多少使っただけで、怯んだ『ラムハット』軍勢を退けたのはキールガリ様率いる『ジョーロン』軍です。」

「ほほー!手柄を自慢しないで謙遜する所はクレイス君のままって感じね?!お姉さん安心したわ!」

綺麗な衣装に身を包んでいる王妃も根本は昔と変わっていないらしい。これまでの積もる話に花を咲かせていると不意に隣の部屋から赤子の泣く声が聞こえてきた。

すると速やかに立ち上がったジェリアはすぐにそちらへ向かう。しばらくして戻って来た時には母親の両腕の中で花のような笑顔を咲かせた赤ん坊が楽しそうに笑っていた。

「紹介がまだだったわね。私たちの新しい家族、ラヴナよ。」

とても嬉しそうな表情で優しく赤ん坊を抱きかかえたジェリアを4人も喜んで囲み込む。

「こ、これが赤ちゃん・・・可愛いの!」

「ああ・・・私もいつかクレイス様の赤ちゃんが・・・」

意外な事にウンディーネが一番感動を覚えたらしい。誰よりも先に頬を緩めて感極まった声を上げている。ルサナに関しては危険な妄想を口にしつつこちらに妖しい視線を送って来たので思わず目を逸らす。

だがいつもならすぐに反応しそうなイルフォシアがやけに大人しい。気になったクレイスは赤ん坊の無垢な顔を眺めつつそっと様子を伺うと何とも言えない硬い表情を浮かべている。

「・・・赤ちゃん、可愛いね?」


「・・・はっ?!は、はい!とても可愛くて・・・その、とても弱い・・・です、ね。」


最初はルサナの余計な一言で怒り心頭なのだと思ったがそうではないようだ。話しかけてみるとイルフォシアは困惑した様子を見せてきた。

更に弱いという感想が出てくるとは。内心驚きながらもクレイスは改めて赤子を覗き込んでみる。

(・・・確かに弱い・・・のかもしれないけど・・・これが種族の差なのかな?)

人間に限らず赤ん坊とは基本的に成育するまでは親の庇護下にあるものだ。その成長過程で力も知識も経験も全てを学んでいかねばならない。

ただそこに疑いを持ったことは無かった。どんな生物でも最初は赤子であり弱いはずなのだから。


「そうね。赤ちゃんだもの。弱くて当たり前よ。」


しかし爽やかな笑みを浮かべたジェリアは動揺する事無く椅子に腰かける。そして可愛い我が子をあやしながら語り始めた。

「でも、だからこそ親が必要なんだと思うわ。護ってあげて愛情を注いであげる存在が。そして私は今そんな立場になったの・・・不思議よねぇ。」

クレイスとは別の強さを身につけたのか、今の彼女からは慈愛の力を確かに感じる。その言葉にも妙な重みがあるのは何か術でも使っているのか?

「イルフォシアちゃん。貴女にもきっとわかる時が来るわ。弱さの中にある命の尊さが。」

「・・・はい。」

あまり納得はいっていない様子だったが特に反論する事はなく、この時は他の面々とは違う反応を残したままイルフォシアは遠巻きにその小さな命をずっと眺めていた。






 本当ならその日のうちにキールガリの下へ帰りたかったがクスィーヴとジェリアにどうしてもと引き留められていた。

「クレイス様は此度の戦で最大の功労者なのです。そして『アデルハイド』の王子でもあらせられます。後々の事も考えると今は滞在を選び、少しでも国王様や王妃様との仲を深めておくのが得策ですよ。」

まるでショウのような言い回しをしてくるイルフォシアに思わずぎょっとしたがルサナもウンディーネも彼女の意見に賛同してくる。

というかここの所ルサナとイルフォシアの意見が一致する場面が多い気がする。これはクレイスにとっても大変喜ばしい事なので今回は素直に彼女達の意見に従った。


なのにその夜。


何者かが寝室に忍び込んできた気配を感じてクレイスは警戒態勢を取る。だが夜這いに近い行動を起こしそうな人物といえば1人しかいない。

侵入者に殺意や敵意はなく一直線に寝具へと身を預けてくるがこんな場面をイルフォシアに見られたらまた関係がこじれてしまうだろう。

既に灯りを落としていたので室内には僅かな月明りだけが差し込む中、すぐそばについていた手首を掴んで2人の体を入れ替えるように押し倒す。

それから「ルサナ。僕にはイルフォシアがいるから残念だけど君の気持ちには応えられない。」と何度目かわからない断りを入れようとしたのだが。


「えへへ。びっくりした?」


そこには水色の髪をした魔族がいたずらっ子のような笑顔を浮かべてこちらを見上げていた。

「え?え??なんでウンディーネが?!」

意外過ぎる人物に怒りや疑問よりも困惑が言葉となって現れる。今までの彼女からは考えられない行動だしその真意も全く分からない。

「それより見て欲しいの。私の脚。」

「脚?・・・あっ?!」

押し倒したような状態のまま言われる通りに視線を下に向けるとそこには眩しい程に美しい太腿が伸びている。がその美しさ以上に違和感が凄い。

「あれ?!なんで?!まさか・・・誰かの脚を切り落として繋げたとか?!」

「・・・何て物騒な発想なの?!いくら人間が好きじゃないっていっても私にそんな趣味はないの!」

思考がそれしか浮かばなかった為大いに焦ったクレイスだが杞憂に終わってほっとする。だが折角の美脚をとんでもない難癖で貶されたウンディーネの気持ちは怒り心頭だったらしい。

その鬱憤を晴らすべく今度は彼女がクレイスの手首を掴むところんと体を入れ替える。傍から見ればウンディーネが押し倒しているように見えるが彼女にそんな気持ちはないだろう。そう、ないはずだ。


「私も知ってはいたの。人間に近い姿に変化出来るって。でも今まではそんな気になれなかった・・・」


静かに語る彼女の声色からその感情を読み解く事は出来なかったが理由なら十分知っている。それに対してクレイスはどう答えるべきか。悩んだ時間は僅かなはずだったが先にウンディーネの口が開いた。


「でも今日赤ちゃんを見て私もわかったの。ねぇクレイス。私達も赤ちゃん作らない?」






 「・・・・・いや!!何でそうなるの?!?!」

見た目こそ中性的であり、少し前まではよく女の子に間違われていたクレイスだが同年代の友人と比べると彼の性的な知識は一番高いといってもいい。

つまり子供を作るという行為や方法などは全て網羅しているし、その意味も十分理解していた。故にウンディーネの狂言には期待や高揚感など一切感じず、むしろ恐怖が心を鷲掴みにしたのだ。

「だって私も欲しくなっちゃったの!何故私達魔族が人間と同じ姿に変化出来るのかわからなかったけどこの日の為にバーン様が用意してくださっていたの!!きっとそう!!」

どうやら彼女にもどうすれば子を授かれるかという知識はあるらしい。だがそれも当然だろう。何せ1000年以上生き続けている上にイフリータを探す為に地上をさ迷っていた。いくら人間を嫌おうとその程度の知識は自ずと入ってきていたはずだ。

「駄目だって!!こういうのは愛する人同士じゃないと!!」


「え?私クレイスの事愛してるよ?駄目?」


「・・・・・ぇぇぇぇ・・・・・」

取ってつけたかのような告白に心が喜びを感じる事は無く、むしろ数々の異常な言動から己の貞操が危ういとしか思えない。

「・・・ウンディーネってショウが好きなんじゃないの?」

「え?ショウを好きなのはサーマなの。私じゃないわ。」

とりあえず彼女の気持ちに軌道修正が出来ないか揺さぶりをかけてみたが微塵も揺らがない。まずい。このままでは・・・いや、その気になれば力はクレイスの方が上だろう。何とかその腕を振りほどいて・・・


「・・・ウンディーネ。もしかして僕の魔力を奪ってない?」


「ちっちっち。元々は私が分け与えた魔力なの。それを返してもらっているだけなの。」

体の力がどんどんと抜けていったのでおかしいとは思っていた。一度魔力が枯渇した時にも感じたがこれは体力を失うよりも回復が遅く、そして気怠さを感じるのだ。

「だっ!駄目だって!!僕にはイルフォシアが!!」

「えー?だって全く相手にされてないの?だったら私と一晩くらい付き合ってくれてもいいでしょ?」

真実というのは時に残酷だ。あまりにも的を得た発言を心に受けたクレイスは反論する余地もなく、魔力と共に体中からどんどんと力が抜けていく。

(うぐぐ・・・ど、どうしよう・・・いや?これだけ体に力が入らないんだ。だったら反応もしないんじゃ・・・)

男が行為に入る場合、必ず体力が求められる。それは未だ未経験のクレイスでも理解はしていた。であればもしウンディーネにしこたま魔力を吸わせてしまえば干からびた自身は相手にならず彼女も諦めるのでは、と。


ところが困った事にウンディーネは相当美少女なのだ。


ここに至るまでの経緯は狂気の一言に尽きるが体力と共に思考力も失っていったクレイスに残された部分。つまり本能がその容姿に反応してしまったらしい。

今では月明りに照らされた眩しい生足もちらちらと見え隠れしている。彼女の体は間違いなく人間の男を受け入れられるように整っているのだ。

「はぁ・・・はぁ・・・」

妙に艶めかしい吐息の声が耳に届くとこちらも本能に塗りつぶされていく。僅かに残ったイルフォシアの笑顔だけが脳裏の片隅に追いやられて・・・


「・・・そうかっ?!」


大好きな少女の笑顔で僅かな正気を取り戻したクレイスはそのままウンディーネから魔力を吸い取り始める。思い出したのだ。自分も相手の魔力を何度も吸収してきたじゃないかと。

そして今のウンディーネは決して性欲から息を切らしているのではない。吸っても吸っても枯渇しないクレイスの膨大な魔力に体の吸収がついていかなくなっているのだ。

「全部・・・返してもらうよっ?!」

体に力が入るようになると再度ウンディーネの手首を掴み返して寝具で半回転するとクレイスが押し倒すような姿勢に戻った。

そこから魔力の綱引きをしばらく続けた後、遂に音を上げたウンディーネは抵抗を止めると彼女の野望は魔力と共に消え去っていった。


ばたん!!


「クレイス様っ?!ここにウンディーネが・・・・がが・・・が?!」

「や、やぁイルフォシア。大丈夫。僕なら問題ないよ。」

窮地を脱したクレイスは突然現れたイルフォシアに疲れ切った笑顔で自身の潔白を告げたつもりだった。しかし彼女とその隣にいるルサナは全く別の受け取り方をしたらしい。

「ほ、ほらぁ・・・だから言ったじゃない。最近ウンディーネの様子がおかしいって・・・ああ・・・クレイス様が私以外の誰かに汚されてしまったわ・・・」

この時体力と魔力、そして思考を限界まで使い切っていたクレイスには2人が何を話しているのか、どう受け取ったのかさっぱりわからなかった。

ただ気を失うかのようにぐっすりと眠った翌朝、それらは鮮明に思い返される。




女の上に男が被さるような状態で2人とも汗だくだった。ウンディーネの衣服は乱れ、疲れからか浅く短い呼吸を繰り返してぐったりとしていたのだ。




あの後ふらふらになりながら自室へと戻っていったイルフォシアがとんでもない勘違いをしたのだと理解したクレイスは隣で幸せそうな寝息を立てていたウンディーネに気を配る事なく慌てて跳び起きると急いで彼女の下へ走っていた。






 「ご、誤解だって!!ウンディーネとは何もなかったから!!」

本当に何もなかった。なのに誤魔化しているような罪悪感に囚われるのは何故だろう。

そもそも自身の人生でまさかこんな台詞を使う時が来るとは夢にも思わなかった。そう考えるとこれらが全て夢ならいいのにと逃避したくなる。

「・・・・・いいんですよ。別にクレイス様が誰と一夜を過ごそうとも私には関係ありませんから。」

イルフォシアから返って来る答えも悪夢のようだ。優しい声と笑顔ではあったが目は笑っておらず下瞼にはくっきりとしたくまが見て取れる。

こうなると彼女を説得するのは難しい。まず聞く体勢を整えてもらわないと文字通り話にならないだろう。

(どうしよう・・・どうしよう・・・)

妙案などは全く思い浮かばないがこのままにしておくつもりはさらさらない。イルフォシアが朝食を摂る為に部屋から出ようと立ち上がったのでクレイスは慌ててその腕を掴む。

寝不足のせいか。少しひんやりとした体温に一瞬戸惑ったが彼女も振り払ったりする素振りを見せないのでまずは座ってもらおうと椅子に誘った。

小さな円卓を囲んでお互いが向き合う所まではいけた。しかし自分の中で誤解を解く為の材料が見つからない。

何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうし、かといって彼女に勘違いされたままでは今後の人生に多大な影響が出てしまう。


「「・・・・・」」


2人ともやや俯いたまま無言の時が流れていく。このまま落ち着きを取り戻してくれるのを待つべきか口を開くべきか。

初めての気まずい雰囲気と重圧に呼吸するのすら忘れそうだったが今回はイルフォシアの方からきっかけを投げかけてくれた。

「・・・クレイス様は私の事を大好きで、愛しているとまで仰って下さいました。」

「は、はい!それは間違いありません!!」

以前彼女から慕ってくれているという言葉を貰った時、嬉しくて全ての想いを声に出した。あの時の事を言っているのだろう。

その気持ちは今も変わっていない。むしろあの時以上に好きになってきている。マーレッグと対峙した時は死を覚悟したものだが2人ともこうやって生きて言葉を交わせている。その喜びは何物にも代え難い。

「なのに別の異性と一夜を共に過ごされるというのは、つまり他の方々にも同じような事を仰っている、という事なのですね?」

「・・・・・」

わかっている。何となくそうじゃないかなとは思っている。彼女はすぐにやきもちを焼くのだと。だからこんな事を言ってくるのだと。

それに答えるにはどうすればいいか。静かに立ち上がったクレイスはイルフォシアの前で跪くと軽く頭を垂れてから口を開いた。


「イルフォシア、それは全部誤解だよ。僕が命を賭けて護り通した君にそんな事を言われると少し寂しいよ・・・」


正確にはクレイスもあの青年に助けられた形ではあったが今はその存在も忘れて心の苦悶を吐露する。

すると彼女の顔にはやっと表情が戻って来た。といっても少しの罪悪感を感じたのか、後ろめたさが読み取れる暗い表情だったが。

「で、では・・・昨夜は何もなかったと?」

「うん。何もない。僕が一夜を共にするのなら絶対イルフォシアしか・・・ぇ・・・ぃ」

勢いよく答えていたがその先を想像してつい小声になる。少し前に彼女の裸体を見ていた為それが脳裏に蘇るといらぬ感情が沸き立ってしまうのだ。

(あああもう!今はそんな事考えてる場合じゃないのに!!)

イルフォシアには熱い想いを伝えなければならないが脳内は冷ます必要がある。恋に落ちるというのは何という理不尽を押し付けられるのだろう。


「・・・でしたら・・・私の事を好きだと証明してください。今ここで。」


「今ここで?」

何だろう?何か小説に出てくるような甘い言葉を紡げばよいのか?それともより熱い気持ちを伝えればよいのか?証明と言われると数式みたいなものを想像してしまうがその答えは彼女の方から示してくれた。

椅子に座ったままだがほんの少しだけ緊張した様子で双眸を閉じている。しかし口のあたりには余計な力を入れていない所を見るとそれが答えなのだろうか?

(・・・え?ええ?ほ、本当にそうなの?!ま、間違ってたらどうしよう?!)

だがそうだと考えてしまったせいでそれ以外の答えが思い浮かばない。少しの時間が経ったものの待たせるのも申し訳ないと自分に言い聞かせたクレイスは立ち上がると彼女の座る椅子の背もたれに手を掛ける。

それから顔を近づけていくと甘い香りが嫌でも鼻孔を擽る。そして覚悟を決めてその唇に触れあおうとした次の瞬間。


ばたん!!


「いや~ごめんなの!!昨日はつい欲望が抑えきれなくって・・・あれ?2人とも何してるの?」

突然扉を開けて中に入って来たウンディーネも謝りに来たらしい。こちらも今までで最も速く動けたのでは?と思えるくらいに自身の椅子に座り直して足を組み直す素振りをみせる。

ただそのせいでクレイスは千載一遇の好機を逃し、イルフォシアも証明を得られずじまいで甘い寸劇は幕を閉じた。






 「ウンディーネ。いきなり赤ちゃんが欲しいなんてどういう風の吹き回しですか?」

当事者2人が何もないとしっかり伝えたお蔭か。朝食時にはすっかり機嫌を直していたイルフォシアがウンディーネに尋ねると彼女は少しも悪びれる様子を見せずに答える。

「えへへ。だってラヴナを見てたら私も欲しいって思っちゃったの。」

「それにしたって相手の都合っていうものがあるでしょ!私の気持ちも知っているのに!!」

ルサナの口から相手の都合という言葉が出てきて戸惑ったがここで口を挟むとまたややこしくなりそうだ。クレイスは3人の会話を見守りつつ淡々と朝食を摂り続ける事を選んだのだが。

「うーん。でもクレイスって王子様でしょ?だったら第二第三の奥さんがいてもいいでしょ?ね?」

見守ろうと決めた途端に話題を、しかも何て答えにくい話題を振って来るんだ。昨夜から少しおかしなウンディーネに白い目を向けると他の2人も興味深そうにクレイスの答えを待っている様子だ。


「・・・あのね。僕は今国を追放されている立場だしそんな楽観的な考えは持ってないの!」


「ですよね?本当にウンディーネとルサナはクレイス様を見習ってください。」

何故かイルフォシアが嬉しそうに同意してくれた事でこちらの気持ちも一安心する。これなら先程の蟠りも残っていないだろう。

「そもそも赤ちゃんが欲しいのなら他の人を見つければいいじゃない。何でクレイス様に拘るの?貴女そんなにクレイス様をお慕いしてたっけ?」

今日のルサナは普段の行いからは想像もつかない程冴えている。この意見にはクレイスもイルフォシアも激しく頷きながらウンディーネを見やった。

人間との子作りが可能なら他に男はいくらでもいるのだ。彼女は整った容姿をしているし下半身も人間の脚に変化させられるのでそれこそ引く手あまただろうに何故だ?


「駄目よ!他の男じゃ魔力が全ッ然物足りないもの!やっぱり強い男・・・というか強い魔力を持ってる人じゃないと!」


「・・・・・まるでバラビアみたいですね。」

イルフォシアが呆れるように呟いたがこれにはクレイスも同感だ。確かに強い子を望むのは悪い事ではないだろうがそこだけに注力するというのは如何なものだろう?

「元々クレイスの魔力って私が注いであげたものでしょ?だったら見返りに赤ちゃんを求めてもいいいひゃいいひゃい!!」

ただこれだけは言える。ウンディーネからは好意以上のものを感じない。つまり結果を求めるが為にその過程や行為の意味を全く理解していないのだ。

いつもと違って両脇から頬をみょーんと伸ばされた彼女の顔は山椒魚というものに似ている。今度川で捕まえたら教えてあげよう。


ウンディーネの夜這いからイルフォシアとの仲直りまで解決したこの日。クレイスは平穏を噛みしめつつ今日こそキールガリの下へ帰ろうと考えていた。




「ク、クレイス様!!大変です!!」

もしかしてまたクスィーヴやジェリアに引き留められるかもしれない。その時の言い訳も用意していたのだが必要なかったらしい。

名指しで呼ばれて城門に駆け付けるとキールガリが送って来た伝令が息も絶え絶えに最悪の事態を告げる。


「マ、マーレッグが・・・生き返って・・・あ、暴れ出しています!!今すぐ帰還してあれを・・・もう一度討伐してください!!!どうか!!お願いします!!!」






 その報せを聞いて思い出す。以前戦った『七神』ガハバとやらも人外の、土の巨人となって蘇っていた事を。

「すぐに戻ります!!」

「ク、クレイス様!!危険です!!」

即答したクレイスを即座に止めるイルフォシア。それは重々承知している。だがガハバの例を考えると蘇った『七神』というのは更に強くなっている可能性が高い。

もちろん自分1人で何とかなるとは思えないが空を飛べず、魔術も使えないキールガリとその配下達が剣を交えればその結果はより凄惨たるものになるだろう。

「わかってる!!だから・・・その!イルフォシア、ルサナ、ウンディーネ。僕に力を貸してくれないか?!」

誇り高き将軍も言っていた。自身の力が及ばないのであれば周りに頼って良いのだと。クレイス1人では太刀打ちできない相手でも彼女らの力を借りればあるいは・・・。

「わかりました!!呪われた力ですがクレイス様の為、このルサナは命を賭けて戦いますとも!!」

「・・・いいけど。その代わり私と赤ちゃんを作る約束をしてほしいの。ちょっと!つねるのはやめて!こっちも命懸けになるかもしれないのよ?!」

ルサナは二つ返事で、ウンディーネも条件を付けてきたがそれは他の2人によって阻まれ気味だ。


「・・・これはクレイス様だけに限った話ではありません。約束して欲しいのです。もし命の危険を感じたら速やかに退却すると。」


そしてイルフォシアだけは皆を慮る発言をした事で他の2人は無言で頷き、クレイスはその王女然とした言動に感服する。

(やっぱり僕はまだまだなんだな・・・僕もいつかは彼女のように・・・)

王子として、いや、王子の座に拘る必要はないのかもしれない。仲間や愛する人を護れるようになりたい。そういった意味でも今の発言はとても胸を打たれる。

「うん。そうだね。もし手に負えないようだったらヴァッツに頼もう。『トリスト』への急報をお願いしてもいいですか?」

最も頼りになる友の名を出したのは本能的にカズキでは厳しいと感じたからだ。周囲の衛兵に伝え終わった後4人は短い挨拶だけ残すと西の空へと飛び立った。




無言で飛び続ける事30分。急いでいたお蔭もあるのかあっという間にキールガリの館が見えてくる。

まだ遠景ではあったがきちんと形が残っている所を見るとそれほど派手に暴れている訳ではないらしい。ただ近づいていくと少しの違和感に襲われた。

ルサナを抱きかかえていたクレイスが一番最初に降り立つと周囲は思っていた以上に綺麗なままなのだ。


「クレイスです!!只今戻りました!!皆さんご無事ですか?!」


人影が全く見えなかった為正面入り口で大声を出すと建物の奥から少しずつ顔を覗かせてこちらの様子を伺う衛兵の数がちらほら。

「ク、クレイス君か?!よく戻ってきてくれた!!」

その後元気そうな領主の声が返って来た事でクレイスは一先ず安心する。表には遺体もなかったので被害は最小限に抑えられているという事か。

「いや・・・あれ?でも・・・あの、本当にマーレッグが蘇ったんですか?」

あの男はずば抜けて強かった。それこそ息をするかのように剣を振っては周囲に斬撃を飛ばしていたのだ。あの夜の戦いから考えるに今の館周辺はあまりにも綺麗すぎる。

激しい違和感にもしかしてクレイス達を早急に引き戻す為の虚報かとも疑ったが1つだけそうではないという確信があった。


何故なら館の南に広がる林の木々だけは軒並み粉砕されて荒野と化していたからだ。






 「ああ!奴が蘇ったのは間違いない!!今は突如現れた魔術師達を相手に戦っている・・・はずだ!!」

キールガリが説明してくれるもその言葉には憶測らしきものが混じっている。魔術師達とは?戦っている??

「それは『トリスト』の部隊ですか?」

イルフォシアも気になったのか手短に尋ねるも彼はそれを見たことがない。故にちらりと目にした特徴だけを教えてくれる。

「・・・それって・・・『ネ=ウィン』の魔術師じゃ?」

黒く全体を覆う衣装で空を飛ぶ集団といえばそれしか思い浮かばない。ルサナの発言に3人も深く頷いた。ただ少し考え込んだウンディーネは疑問を呈する。

「ちょっと待って欲しいの。何故この国に『ネ=ウィン』の魔術師がいるの?もしかしてまたクレイスを捕らえに来てるんじゃないの?」

「だったら放っておきましょ!!相打ちとかになってもらえればクレイス様も労せず敵を追い払えますし!!」

降って湧いた策謀に2人が顔を見合わせて喜んでいたがクレイスとイルフォシアは同じ事を考えていたのだろう。その表情は真剣そのものだ。


「だったら彼らと手を組んで戦おう!!あれをもう一度倒すのなら戦力は少しでも多い方がいい!!いくよ!!!」


「はいっ!!」


クレイスが先頭を切って外に飛び出すと続いてイルフォシアも空へ向かった。キールガリを含めた残りの面々を顔を見合わせてはいたが少女2人はすぐに察する。

「・・・確かに『ネ=ウィン』の魔術師如きであれを倒せるとは思えない。だったら盾代わりくらいには使おうじゃない。」

「ルサナも時々物騒なの。でも危険な存在ならここでしっかり仕留めておくの!おじさん達は薬と包帯をいっぱい用意しておいてね!」

そういってルサナを抱きかかえたウンディーネもクレイスらの後を追って南の空へと飛び去った。




蘇ったマーレッグと恐らく『ネ=ウィン』の魔術師達が戦っていると思われる地点はわりとすぐそばだった。

空から激しい火球が打ち落とされているのが見えてくるもその軌道は断じて一定ではない。何故か真横や真上と全方向に放っている。

恐らく敵が縦横無尽に駆け巡っているからだろう。遠目で見ていても残像かかすれ目なのかわからない何かが動いているのだけはクレイスも捉える事が出来た。

「・・・あれだけの動きを・・・クレイス様。本当に無理はなさらないでくださいね?!」

イルフォシアも再度釘を刺してくるがあれを相手に無理をするなというのは不可能だろう。ただ最初に言われた通り下手に命を賭けるつもりはない。

今回の4人には退却という選択肢もある。バルバロッサにはとてもお世話になったのは間違いない。とはいえ他の『ネ=ウィン』兵を護る義理はないのだ。


それにしてもあまりにも早い動きで襲われているはずなのに空にいる魔術師達には大した被害は出ていないらしい。遊ばれているのか?


後方から追い付いた2人と合流したクレイスはその様子を確認後、最初から全力で叩くと方針を定める。

「皆、無理はしないで。」

これは紛れもない本心から出たのだが周囲からは『その言葉はそっくりそのままお返しします』みたいな視線を向けられたので若干俯いてしまう。

「では・・・皆さん、ご武運を!」

結局最後はイルフォシアの言葉で締めくくられると4人は上下東西へと位置取りに走っていった。






 (明らかに遊んでいる・・・気がするな。)

生前のマーレッグはとてつもなく強かった。正直『ネ=ウィン』の魔術師では絶対に太刀打ち出来ないはずだ。なのに彼らは中空で今も火球を放ち続けている。

そもそもどういった理由で彼らが『ジョーロン』にやってきたのか。いや、これはウンディーネの言う通りクレイスが目的なのだろう。でなければわざわざ東の大陸から魔術師達だけでやってくる理由がない。

クレイスは彼らの遥か上空に移動した後、全力の魔術を展開すべく呼吸を全て吐ききった後思い切り吸い込む。


「・・・・・っいくよっ!!!!」


他の3人にも聞こえるよう大声で叫んだ後、両手を伸ばして真下にかざしたクレイスは水竜巻を1本だけ展開する。といっても今までとは全く異質のものだった。

何せほとんど魔力を注ぎ込んだのだ。直径は軽く30間(約55m)を超え、その中央に『ネ=ウィン』の面々を閉じ込めるような形で放つ。するとその周囲で動き回っていたマーレッグに当たるのでは、と踏んだのだ。

だが相手はすぐに異変を察知するとこちらに向かって急上昇、してきたように見えた。残像しか捉えられなかった為ここはクレイスの勘だ。

なので急いで自身の真下に巨大な水球を作って蓋をした。中にいる魔術師達には申し訳ないがこれで下まで伸びた水竜巻の中に閉じ込めた事になる。

そして地上にはルサナが、左右からはイルフォシアとウンディーネが中の様子を伺いつつ刃を向けるという流れだ。もし飛び出てくれば飛沫で位置がわかるだろうしクレイスの魔力を十全に詰め込んだ水竜巻をその身に受ければ多少なりとも傷を与えられるはずだ。

もちろんクレイスも展開後に傍観するつもりはない。ここまででかなりの魔力を消費した為水の剣だけは手にしつつ巨大水球に身を沈めながら降下を始める。

(どこだ?どこに・・・あ、あれ?)

魔術師達の人数が8人と確認出来たと同時にその傍には先程まで激しく動いていたものが停止していた。諦めたのだろうか?不審に思いつつ更に水球ごと降下を続けていくとそれが右腕だというのがやっとわかった。


「き、貴様は・・・クレイスっ?!」


しかし突如聞き覚えのない女性の声で名を呼ばれる。確かマーレッグは男だったはずだが・・・いよいよ混乱して思考が追い付かなくなっていたがその声の主は魔術師達の中からであった。

「ごめん。後にしてくれる?今はマーレッグを倒さないと。」

やっぱりウンディーネの言った通り彼らの目的は自身だったらしい。この戦況でよく僕に意識を向けられるなぁと不思議な感心を覚えつつクレイスはその停止した右腕をじっと睨みつける。

腐敗が進んでいる訳でもなく剣すら持っていない。どうなっているのだろう?いや・・・これはもしかして・・・

「ルサナッ!!」

「はいっ!!!」

真下にいた彼女の元気な声が聞こえるとクレイスも水球から飛び出して斬りかかる。同時にルサナの紅い刃が6本、その腕を貫かんと伸びあがって来た。前後左右は水竜巻の壁、逃げ場は何処にもない。

もし相手がそれなりの強者であればこれで十分仕留められただろう。しかし彼は『七神』最強の男でありその強さは右腕一本でも十分事足りるのだ。


しゃしゃしゃんっ・・・!!!


今回ばかりは30間(約55m)という大きさが仇となってしまったのかもしれない。何故なら相手は腕だけなのだ。であれば体ごと攻撃を躱す必要はなく更にマーレッグらしからぬ動きを見せて来た。

クレイスの剣が当たらないのはまだ仕方がないで済む。だがルサナの刃が届かなかったのはその右腕が魔術師達の体を盾に使っていたからだ。

全ての攻撃が空を斬り、そして止まってしまった後。唖然としたい気持ちを抑えつつその右腕の動きを注視していると。


『・・・やっと現れたか。クレイス。』


どこから声が出ているのか。マーレッグに名前を呼ばれた事でクレイスの中では妙な嫌悪感と危機感が退却への選択肢に火を灯し始めた。






 その結果、まずは水竜巻を収束させる。今のままでは邪魔にしかならない。そう考えての決断だ。

ただし防御のために頭上の水球だけは残しておいた。最悪何かあれば身を沈めるだけでもある程度の攻撃を凌げるはずだ。

「・・・マーレッグ。貴方は一体・・・」

正体を尋ねるべきか?いや、それは明らかだ。『七神』の天人族であり強い男だというのは知っている。

今は問答よりもその右腕が女性の首元に絡みついている点を考慮すべきかもしれない。見た感じ魔術師の中で唯一の女性は大きなとんがり帽子と大きな眼鏡、少し露出の激しい衣装に身を包み、苦しそうにしながらも何故かこちらを睨みつけて来ていた。


『お前に聞きたい事がある。あの日、俺の両腕と自由を奪った男はどこだ?』


水竜巻の壁が消えてイルフォシアとウンディーネも近づいてきたがその異様な光景に思わず息を呑みこんでいた。

「それは・・・僕にも分からない。」

『嘘をつくな。貴様と縁がある人間だろう?名は?今は何処にいる?』

「うっ・・・ぐぐ・・・・」

どうやら奴の目的はあの金髪の青年らしい。その為にあえて魔術師達も殺さずに情報を得ようとしていたのか。

首を絞めつけられている女性がやや苦しそうな声を上げるもこちらには何の情報もないのだ。かといってこのままでは埒が明かない。

「本当なんだ。僕も彼には助けられたから是非会ってお礼をしたい!でも本当に何も知らないし分からないんだ・・・」

そういえば今朝もこんな気持ちで弁明していた気がする。だが今回は多数の命が懸かっているのだ。失敗は許されないだろう。


『ふむ・・・嘘ではないのか・・・』


頭がないのにどうやって判断しているのか。マーレッグの声には若干の諦めを感じたがわかってはもらえたらしい。

「あの・・・だからその人は関係ないでしょ?もう放してあげて。」

後は再びこの右腕に勝てばよいだけだ。尤もそれが一番難しそうではあるが。流石に人質ごと戦うのは忍びないのでまずはクレイスが懇願する。

『よかろう。』

納得したマーレッグも速やかにその腕を体から離すと人差し指で下を指した。それから降下していった所をみると地上で戦おうという話らしい。

クレイスは左右の2人に頷いた後自身も急降下してルサナの横に降り立つ。

「まさか本当にこれがマーレッグ、ですか?」

「みたいだね。話はついたから後は彼をもう1回討ち倒せば・・・いい、はず・・・」

小声でやり取りをしてから気が付く。相手は腕だけだ。腕・・・・・腕を倒すとは一体?心臓や首、脳といった弱点のない腕。これを倒す事など可能なのだろうか?

それからイルフォシアとウンディーネもすぐに降りて来たので一先ず戦う体勢は整った。個人的な問題があるとすればやや魔力を使い過ぎた事くらいか。それでも命懸けで戦えば右腕の一本くらいは・・・


『ふむ。相手は4人か。では丁度いいな。』


最初は何の事かさっぱりわからなかったが彼がそう言った後、林の影から残像を残して3つの塊が飛んでくる。最初は不意をつく攻撃かと身構えたらそうではない。

マーレッグの体は左右の腕と胴を唐竹のように割られて死んでいった。その3つの部位がばらばらに集まって来たのだ。


『では前回と同じ状況を作り出してみよう。全員を瀕死になるよう嬲ってやる。さすればあの男もまた姿を見せるかもしれんしな。』


人間とは違う存在だというのは知っていた。だがルサナですら体を引き裂かれた後はほとんど動けずに苦しむのだ。なのにマーレッグはばらばらに斬り裂かれた体を意のままに操って戦おうとしている。

恐らく4人とも同じ疑問を浮かべていたはずだ。そんな事が可能なのか・・・?と。


その答えは戦いが始まった直後、各々が痛感する事となる。






 ウンディーネには両腕のない上半身が、ルサナには左腕が、そしてイルフォシアには下半身が襲い掛かっている。

そのどれもが速く、攻撃の当たり方を見るに力も相当な物なのだろう。今すぐ助けなければ!!クレイスは誰よりも大切な人の下へ駆けつけようとするも右腕がそれを拒んできた。


ぼぐぅっ・・・!!


「がっはぁっ・・・っ?!」

ただでさえ標的が小さいのに機敏に動かれると対処が難しい。深く鳩尾に刺さった拳は一瞬で痛みと呼吸をむしり取るとクレイスは膝を付いてしまった。

しかしマーレッグがすぐに追撃を放ってくる事は無い。彼の目的はあくまでこちらを嬲る事。クレイスらは撒き餌として扱われているのだ。

『どうした?あの時の輝きを見せてみろ。そうすれば少しは俺の気も晴れる。』

非常に一方的な物言いだが彼は体を切り刻まれて絶命している為その恨みは計り知れない。だが死んでも尚生き返って恨みを晴らそうというのはどういった理屈なのだろう。


ぼしゅんっ!!


それを考えるのは後でいい。まずは目の前の攻撃を凌ぐべく上空に待機させていた水球を落とすと自身の身を沈める。

いくら動き回られても無手での攻撃だ。であれば直径30間(約55m)の中心部に体を留めておけば相当に凌げるだろう。だが今はその方法を許してくれない現状がある。


「ぁはっ・・・!!」


少し離れた場所ではイルフォシアが見事な足技を食らって大きく吹っ飛んでいた。ルサナもクレイスと同じように対応には苦心しているらしくいつの間にか体中が痣だらけになっている。

ウンディーネも頭突きという野蛮な攻撃を全方向から食らっているらしい。そもそも頭蓋というのは人間で考えても固い。マーレッグのそれはどれほど重く苦しい攻撃なのかと想像するだけでも鳥肌が立つ。


しゅぅぅ・・・ぅん


大き過ぎた水球を左手に納まるまで圧縮したクレイスは右手に水の剣を再展開して構える。そうだ。自分だけ安全な場所にいては駄目なのだ。

今から退却は難しいだろう。何せ目で捉えるのさえ難しい程相手は速く動くのだ。であれば取る道など1つしかない。

「・・・1つだけ聞いていい?腕だけの貴方はちゃんと殺せるの?」

『さぁな?俺にもわからん。』

「そっか・・・。」

ならば自らの手でそれを試そうじゃないか。何度目かわからない死地への覚悟を決めたクレイスは少しでも早く他の3人の助力に回るべくその剣を振りかぶった。




何度も経験しているが、やはり格上相手との戦いは文字通り『骨が折れる』。

特に今回の相手は無手であり嬲ると公言してきてるだけあってその攻撃には怨念らしきものが感じられた。


ばきんっ!!


目の前で消えたと思ったら真下から突き上げてくる拳。顎が砕けるのはもちろん首の骨が折れてもおかしくはない攻撃を、意識を失う事なく受け切っているのは手加減されているからか。

地から足が離れた後からも左右からの追撃が叩き込まれると体は柳の穂よりも軽く激しく揺れ動いた後横回転しながら地面に転がり落ちていく。

『どうした?やられっぱなしではないか。ほら、反撃をしてこい。でないと面白くないだろう?』

随分好き勝手に言ってくれるが今は悔しさ以上に体の自由が奪われている。いくら痛みに強いクレイスといえど体を動かすのにはある程度正常な肉体が必要なのだ。

痛覚に逆らいながら立ち上がって何とか水の剣を振ろうとするもまず速すぎて捉えられない。更に腕を振るう能力も奪われつつある。

(くそっ・・・・・もう右腕じゃ無理か・・・・・)

最初からあらゆる能力面で劣るクレイスに勝機などなかったのかもしれない。だがこれもいつもの事だ。いつも格が上過ぎる相手と戦ってきた。

ならば諦める必要も悔しがる必要もない。やれることをやって、細い糸口を見つけてまたも逆転してみせようじゃないか。

冷静さを取り戻せたクレイスは微笑を浮かべると水の剣を収束する。体や目で追うのは難しい。そこから導き出される答えは・・・


ぶふふわわぁっ!!!!


しかしそこにたどり着く前に突如クレイスの体を包み込むような竜巻が発生すると目の前には先程の女性が降り立ってきた。






 「腕だけの気持ち悪い貴方、確かマーレッグ・・・とか言ったわね?」

間に立つ『ネ=ウィン』の女魔術師は随分な物言いで尋ねている。これは挑発する為だろうか?

『気持ちが悪いとは礼を欠く言い方を。まぁ・・・うむ。俺に何か用か?今は楽しんでいる所なんだ。邪魔をしないで・・・』


「クレイスを勝手に嬲るのは止めてもらえる?」


・・・・・一瞬助けに入ってくれたのだと思ったがどうも風向きが怪しい。

『・・・勝手も何も俺はその小僧に殺されたのだ。嬲る理由としては十分だろう?』

「はぁ?何言ってるの?殺されたんでしょ?だったら大人しく土に帰りなさいよ。」

この女性。体もさることながら言葉の圧も凄い。確かにこの上ない正論だが相手も恨みを晴らす為に動いているのだ。これで引きさがるとは到底思えない。


「クレイスを嬲り殺していいのはこの私だけなの。わかったら消えてもらえる?」


・・・・・

この人本当に何だ?見たことも会った覚えもない。絶対に初対面のはずなのに嬲り殺される理由などあるはずがない。

だが今2人の間に降り立ってくれたお蔭で命拾いしているのは間違いない。といっても彼女もクレイスを嬲り殺すと言ってきている。こうなってくると自身の感情も思考もわからなくなる。敵か味方か。どちらで捉えればよいのか。

『ふぅ・・・口の汚い女だ。お前に用はない。』

マーレッグの溜息は本物だ。そしてその言葉の意味も。クレイスは慌てて大き目の水球を女性の前に展開すると手刀の形をしたそれは真っ直ぐに彼女の胸へと飛んできてじゅぼんっという音と共にその中へ収まった。


「ふんんっ!!!」


水球の中に引き込んだクレイスは全力で閉じ込めようと魔力を注ぎ込む。的が小さいのだから閉じ込めてしまえばよい。

先程もそう考えて水球で護りを固めようとしたのだが彼女のお蔭で思いがけない戦果を得た。

『これは・・・これが魔術か・・・』

マーレッグもまさか自分が捕らえられるとは夢にも思わなかったのだろう。口惜しさよりも感嘆の声でそう漏らしている。

「へぇ・・・流石にバルバロッサ様のお命を奪っただけはあるわね?嬲り甲斐がありそう。」

「・・・えぇっ?!な、何で僕がバルバロッサ様を・・・」


ぱぁあああんっ!!!


『ふむ。俺を閉じ込めるには少し力が足りないようだな?』


確かに気は少し緩んでいたのかもしれない。だが魔術はしっかりと展開していた。なのに打ち破られたという事はやはりマーレッグとの力量差は相当な物なのだろう。

『さて、クレイス。続きと行こうか。』

万策尽きたとはまさにこの事だ。攻撃を当てる事も出来ず捕らえる事も出来ない。完全に行き詰まったクレイスは無意識のうちに護りを固めようと両腕を上げていたのだが。


ぶふふぉおおおおん!!!


2人を包み込むような強風が現れた後、女魔術師は蔑むような視線を右腕に向けながら強く言い放った。


「悪いのは耳?頭?クレイスを嬲り殺すのはこの私だって言ってるでしょ?!」






 恐らくこの風も魔術なのだろう。初めて見る展開に思わず胸がときめいていたが今はそれどころではない。

『・・・やれやれ。折角見逃してやっていたというのに自ら死を選ぶのか。』

「いちいち癪に障る物言いね?!貴方の方こそ大人しく死を受け入れたらどうなの?!」

割って入って来た女魔術師はクレイスが自分以外に嬲られるのが許せないようだ。といっても理由はどうあれ今は共闘という形を作れている。

「あ、あの。魔術師さん。あいつに勝てる算段はあるんですか?」

「私はノーヴァラットよ!!覚えておくように!!」

叫びながら名を教えてくれたノーヴァラットだったが風の音と勢いが凄まじい。これならマーレッグの攻撃を凌げるのか、はたまたあの速さに届くのか。

「え?」

ところが不意に彼女の驚いた声が聞こえた。何かと思って顔を覗かせてみると眼前にマーレッグの右腕が静止している。

どうやら風の魔術は防御として機能しないようだ。ただこれは相手が悪すぎるという理由も大きい。

『口の悪い女にはお仕置きが必要だな?』


ばくっ!


かなり軽めの拳だったのだがそれでも格上が放ったのだ。避ける動作も見せなかった為顔面でそれを受けたノーヴァラットは一瞬で鼻血を出しながら後ろに倒れて来た。

背中に護られていたクレイスも慌てて体を受け止めるがその顔はまるで少女のような泣き顔となっている。大きな眼鏡も割れて酷い有様だが何よりその変わり様が凄まじかった。


「い、いちゃいよぅ・・・」


(ぇぇぇぇ・・・・・・)

先程までの威勢は何処へやら。随分としおらしくなってしまったノーヴァラットに戸惑いながらも敵はこちらに追撃を開始した。

ただあくまでお仕置きを加える為なのだろう。クレイスからすればかなり加減をしていると感じる攻撃も彼女からすればとても堪えたらしい。

「痛い痛い痛い痛いーっ!!た、助けて―!!バルバロッサ様ぁぁ!!!」

「ああもう!!ちょっと黙ってて!!」

水球を展開した後その肩を抱いて一緒に身を沈めてみるがマーレッグはこちらの防御を簡単に貫いてはノーヴァラットのみに攻撃を当ててくる。

(駄目か・・・しかしこのままじゃ・・・)

どの道魔力が底を尽きかけているのだ。このままではじり貧だろう。何かないのか・・・何か・・・


「・・・ちょっとごめんね?」


こうなったら手段など選んでいられない。柔らかい肩越しから確かな魔力を感じたクレイスはそのままノーヴァラットの魔力を借り入れる。

「はにゃぁぁぁ?!何々?!何か力が抜けりゅ~~・・・」

念の為空を飛べるくらいは残しておくとクレイスは供給された魔力で水球の強度を少しだけ上げる。それから自分だけ外に飛び出した。


「マーレッグ!!お前の相手は僕がする!!だからノーヴァラットには手を出すな!!!」


これは性格なのだろう。目の前で困っている人間がいれば手を差し伸べる。そこに利益や勝ち目などは関係ないのだ。自身も気がついていない王の資質。

それを全開放したクレイスは前回と同様水の剣を構えると再びその双眸に魂の炎を宿した。






 『・・・良い目だ。楽しませてくれよ?』


こちらに賛辞を送ってはくれたものの手加減する気は微塵もないらしい。いきなり残像だけしか見えない攻撃がクレイスの体に突き刺さる。

「っはぁっ・・・っ!」

相変わらず縦横無尽な敵の攻撃に文字通り手も足も出ない。だが狙ってくる点は意外にも似たような場所が多い。なので自ずとその辺りに水球を移動させていく。

貫通されていても多少は勢いを殺せているのだ。であれば後は・・・・・

「く、くれいすぅ・・・がんばってぇ~・・・」

涙声で応援してくれるノーヴァラットは敵だったような気もするが今はそれが励みにもなる。体が左右に揺さぶられる拳に何度意識を持っていかれそうになったか。

しかしそれももう終わりだろう。


「・・・っここだっ!!」


マーレッグの拳が左の腹部に突き刺さった瞬間をクレイスの左手が掴んで動きを止めた。そこに先程ノーヴァラットから拝借した魔力で水球を展開するとその密度を急激に高める。

もちろんこれだけでは駄目なのだ。それは先程の失敗から学んでいる。


ざしゅんっ!!!ざしゅんっ!!!ざしゅんっ!!!


左手を掴んだまま地面に押し付けると右手の剣を小剣のように再展開したクレイスは水球の上から何度も突き刺す。異物であればお互いが反発しあうだろうがこの魔術は己の力で展開したもの。

つまりその気になれば貫通させて目標に突き立てる事が可能なのだ。

ただし全く影響がない訳ではない。自分の体を自分で殴るのと同義な為クレイスにもその反動は確かに来ていた。それが魔力の激しすぎる消費だ。

(まだかっ?!まだ死んでくれないのか?!)

一刺しする事に水竜巻一本分くらいの消費を感じていたクレイスは3回の攻撃を叩きつけた後意識を失いかける。と、同時に拘束していた左手からマーレッグが逃げてしまった。


『・・・素晴らしい。見事な戦いだったぞ。』


まるで戦いが終わったかのような言い方だったが反論の余地はない。完全に魔力が枯渇し体は骨折と打ち身、内出血も酷くぼろぼろだなのだ。

もはやクレイスに残された道は、あの金髪の青年が今一度助けてくれればと願うくらいか。


「・・・いや。戦いはこれからだよ。」


だが視界の隅で捉えたイルフォシアはまだ戦っていた。なのに自身だけが諦める訳にはいかない。既に指も何本か折れていたが魔力で剣が展開出来ない以上今は物理に頼るしかない。

腰から長剣を抜いたクレイスはゆっくりとだがしっかりと闘気を練り直す。『ネ=ウィン』からの夜襲時、誰かに頼りっきりで何の力も持っていなかった。

しかし今は違う。弱くとも戦う力と戦える力を得ているのだ。ならば最後まで己の力を使い切ろう。


ゆっくりとしか動けない。それでも当たれば相手を倒せる可能性が残っているのだ。


大切な人を思い描いては己を鼓舞し、体を少しずつ動かす。後ろではまるで子供のように泣きじゃくる声も聞こえてくる。

いつの間にこれほど護るべきものが増えたのか。人生とはわからないものだ。




「クレイス!無理し過ぎだって!!!」






 人は気を失っていても強い心があれば体を動かす事が出来る。

それを証明したクレイスであっがその攻撃は緩慢であり不可解な力を得たマーレッグには決して当たる事は無い。


だがその瞬間から三体のマーレッグが攻撃対象を見失う。何故なら『闇を統べる者』の力によってこの場に現れたヴァッツが他の3人も回収してクレイスの傍に集めたからだ。

各々が面を食らったような状態だったが兄のように慕っているイルフォシアだけはその力強い気配と広い背中、そして神々しいまでの光を帯びたヴァッツに羨望の眼差しを送る。


「クレイスをお願い。オレはあいつと話をつけるよ。」


彼が傍にいるだけで一気に空気が変わる。絶対に安全なんだと心の底から安堵したイルフォシアは未だマーレッグの右腕を断ち斬ろうと動いているクレイスを優しく抱きしめてそのまま腕の中で寝かせた。

『・・・お前は・・・ヴァッツだな?』

異変に気付いたマーレッグも4つの体を集めてヴァッツの前に対峙するがどう動こうというのか。この場の誰もがヴァッツの登場と3人が一か所に集められた事を認識出来なかったのだ。

速さだけで考えても誰も追えないだろうし見えていない。もしヴァッツがその気になればマーレッグ如きでは瞬きもさせずに全てを終わらせる事が出来るだろう。

「うん?あれ?会った事あったっけ?」

「ヴァッツ様、その男は『七神』の1人マーレッグと申します。我らの敵です。」

「『七神』・・・・・ああ!!フェレーヴァの組織か!!」

ぽんと手を叩いて思い出した様子は普段の彼らしく明るかったがそれからすぐに感じたことのない冷気が周囲を覆っていく。




「あのさ。オレの大事な友達を酷い目に合わせて何の意味があるの?やめてくれない?」




口調は変わっていないが明らかに怒りらしきものを纏っているようだ。しかしその矛先はマーレッグのはずなのに護られているイルフォシア達も寒気を感じるのは強大すぎる力故か?

『・・・意味はある。俺の体と命を奪った男を探しているのだ。』

「そんなくだらな・・・」




【ふむ。セイラムの事だな。】




ヴァッツの言葉を遮って今度は『闇を統べる者』が口を開くとまたも周囲の空気が一変する。同時に冷気や寒気などは立ち消え、日中だというのに辺りは真っ暗になった。

『・・・セイラム?』

「セイラムって元服の時にやってきたあの金髪の人?」


【うむ。奴が時を止めて横槍を入れたのだ。】


話では聞いていた。元服の義には珍客がいくらかやって来ていた事を。その中の1人がセイラムと言っていたが・・・時を止めるという内容は初耳だ。

『・・・ではその男をここに呼べ。そして俺と戦わせろ。』

彼の言葉に嘘偽りがなければそれでマーレッグの望みは叶うのかもしれない。だがヴァッツと『闇を統べる者』が恐らく顔を見合わせたのだろう。

よく分からない暗黒の虚空を眺めた後彼らは軽い溜息をつくと静かに答えた。


「あのね。おっちゃんじゃセイラムには勝てないよ?」


【そもそも貴様の望みを聞く理由もない。】


きっぱりと断りを入れた2人に今度はマーレッグから溜息が漏れた。

『・・・だったらもうお前らに用はない。この鬱陶しい暗闇を取り払ってくれ。』

正体さえわかれば自らの手で探し出せると思ったのだろうがこの状況で『七神』を逃がす選択は有り得ない。

「ヴァッツ様!『闇を統べる者』様!!奴は『トリスト』だけでなく世界の敵となりうる存在!!ここでしっかりと討ち取るべきです!!」

イルフォシアの力ではそれを成し遂げる事は不可能なのだ。争いを好まないヴァッツに頼るのは少々心苦しいがこれも父が言っている未曽有の危機を回避する為、何としてでも2人を説得せねば。

ところがまたもヴァッツが闇の虚空にいる誰かと顔を見合わせているような表情を浮かべる。


「うーん・・・オレさ、ダクリバンに頼まれたんだよ。『七神』と『モクトウ』をよろしくって。だからあんまりひどい真似はしたくないんだよね。」


意外な名前が出てきた事でその人物を知る面々が唖然としていたがマーレッグのそれとは明らかに質が違った。

『ほう?では俺達の仲間にでもなってくれるのか?』

「それはないかな~。でもその力について調べるくらいは出来るかも?」

少しは期待していたのだろう。ヴァッツにあっけなく断られて見るからに落胆するマーレッグとは裏腹にイルフォシアはほっと胸をなでおろすが1つ気がかりな言葉が出てきた。

「あの、ヴァッツ様。調べるというのは?」


「えっとね。『七神』達って皆変な力を持ってるでしょ?死んでるのに形を変えて生き返ってくるの。それっておかしいよね?」


「は、はい!!確かに!!」

非常に素朴な疑問だったが言われて見ればマーレッグがばらばらの体で動いているのもガハバが土の巨人となっていたのも常軌を逸している。

細かいところを言えば自身も天族だしウンディーネは魔族だ。そしてルサナに関しても正体不明のままである。

いつの間にか自身を含めて人間ではない者達に囲まれていた為思考が麻痺していた。今の状況は明らかにおかしいのだ。

『・・・そんな事はどうでもいい。俺は俺の命を奪った男と戦いたい。邪魔をしないでくれ。』

ただ本人が協力してくれる気配は無かった。当然だ。お互い敵対している立場だし今の彼は復讐に駆られている。己の力についてなど考えられる状態ではないのだろう。

話し合いが無理だと悟ったからかヴァッツが徐に右手をかざして何かをしようとした瞬間。


ぱぁっ・・・!!!


マーレッグの体が眩く光る。暗闇の空間だったせいもありそれは各々の目に強く射し込んだ。

「あっ?!」

【・・・消されたか。】

しかし2人にはその最後が見えていたらしい。気が付けば周囲は先程戦っていた場所へと景色を戻しており、この戦いは不気味な謎を残しつつ幕を閉じた。

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