動乱の行く先 -それは風のように-

 「あ、相変わらず不気味なの!!ヴァッツ!!貴方一体何者なの?!」

脅威は去ったと判断したのだろう。ずっと黙っていたウンディーネが口を開くとルサナも目を紅く輝かせながら敵意をむき出しにしている。

「ちょっと二人とも!!彼は私の甥・・・お兄様ですよ?!」

初対面の時から甥と呼ぶのに抵抗があったイルフォシアはここで本心を叫んだ。というか2人は特に何もされていないはずなのに何故そんなに怯えているのか。


「そ、そうなんですか?あ、あの、私達ってヴァッツ様、に助けられたんですよね?あ、あの!あ、ありがとうございますっ!」


そういえばすっかり忘れていた。恐らく『ネ=ウィン』の魔術師であろう妙に色香を纏う女性の存在を。

クレイスの作った巨大な水球の中から少し響くような声色で謝意を述べてくると2人の意識もそちらに向かったのでとりあえず場は収まりそうだ。

「ううん。オレの方こそ駆けつけるのが遅れてごめんね。・・・ところで君と、君って誰?」

あれだけ敵意を向けられても全く意に介さないヴァッツは指を差しながら尋ねるとルサナはまたこちらの影に隠れた。


【紅い髪の少女はルサナという。『血を求めし者』という生命体がその体に宿っているのだが少し形を変えているな。】


いつもは何かと衝突している彼女だがこういう仕草を見ると少し可愛げを感じてしまう。珍しく震えているのは以前一方的にやられた記憶が蘇っているからか。

「へー。よろしくルサナ!!それとそっちの女の人は?」

「わ、私はノーヴァラットと申しますぅ!」

「ノーヴァラット?!」

イルフォシアは姉の分までしっかりと国務をこなしていた第二王女だ。当然『ネ=ウィン』の新4将に選ばれたその名前を知らないはずがなかった。

彼の国で地位を確立するには相当な強さが必要である。魔術師という話は聞いていたもののまさかこのような豊満な体の持ち主がそうだとは・・・。

いや、今はそんな事を考えている場合ではない。イルフォシアはすぐさま水球の中にいるノーヴァラットに顕現させた長刀を突きつける。

「という事はまた『ネ=ウィン』からの刺客ですね?クレイス様の御身を攫う為の!!」

この発言には隠れていたルサナも反応しようと頑張っていたがすぐ近くにいるであろう『闇を統べる者』が怖くて動けないらしい。


「え?そうなの?でもクレイスが護ってたよね?」


だがヴァッツの一言でイルフォシアも冷静さを取り戻した。確かにそうだ。でなければ彼の作り出した水球の中にノーヴァラットが収まるはずがない。

しかし何故だ?何故自身の敵である彼女を護ろうとしたのか。その正体を知らなかったのか?

「は、はぃ~!ク、クレイス様はその・・・バルバロッサ様の仇を討ちに来た私を助けて下さって・・・もう頭が上がりません~!」

「仇って・・・彼はクレイス様を庇って亡くなられたのですよ?あまり認めたくありませんが関係も何故か良好でしたし。」

「えぇっ?!だ、だってバルバロッサ様の任務はナルサス皇子の顔に泥を塗った少年を死なない程度に痛めつけて『ネ=ウィン』に持って帰る事だったのに?!」

「・・・ほほう?」

この女性。おどおどした様子とは裏腹に結構過激な言葉を選んで使うらしい。そもそも敵国の人間が目の前にいるのに心証などを考えたりしないのだろうか。

「クレイス様を痛めつけるなんて・・・このイヤらしい女は私の刃で斬り裂いてやるっ!!」

流石に看過出来なかったルサナが頑張って闘志を沸き立たせたがその瞬間、水球がぱぁっと消えてノーヴァラットが地面に尻もちをつく。

「ルサナだっけ?駄目だよ。クレイスが護ろうとした人なんだし。よくわかんないけど今はそんなつもりないんでしょ?」

「は、はは、はい!!ク、クレイス様は命の恩人ですから!!」

相変わらず底抜けに優しい。でもそういう所が素晴らしいのだ。ヴァッツは諫めつつ手を差し伸べると彼女は重そうなお尻を持ち上げて立ち上がった。


【まずはクレイスの手当てが最優先だろう。話はそれからだな。】


絶望的な状況から解放された事と絶対的な安心感に包まれて忘れかけていた。今一番ひどい傷を負っているのはクレイスなのだ。

「そうですね!急いでキールガリ様の館へ戻りましょう!!」

ルサナは『闇を統べる者』に怯えておりウンディーネもヴァッツに訝し気な視線を送っている。そして傷ついた彼はイルフォシアの腕の中だ。

決して素直に喜ぶべきではないのだが久しぶりに彼を独り占め出来ている実感を得たイルフォシアは踊り出しそうな心を沈めつつ急いで空を駆け上がった。






 キールガリの館に戻ったイルフォシア達はまずマーレッグの討伐完了を伝えた後すぐにクレイスの治療をお願いする。

幸いな事に嬲られる意味合いが強かった為骨折や打撲は無数にあったものの命に別状はないらしい。

「よかった・・・」

手当の終えたクレイスの傍でほっと胸をなでおろしていると隣に座っていたヴァッツから不思議な視線を注がれていた。

「イルフォシアってクレイスの事好きだよね?」

更に思いがけない言葉を投げかけられたのでイルフォシアは一瞬で固まった。彼はそういう事に興味を持つ性格だっただろうか?

見れば周りの人間も興味深そうに2人の会話を見守っている。どうしよう?どう答えればいい?

「は、はい。その、お慕いしております。」

とりあえず口に出した事のある言葉で受け答えをしてみた。何故なら自身でもよく理解していなかったからだ。

好き・・・好きなのかもしれない。だが好きという感情がどういうものか解らない。家族や友人以外に向ける好きとはまた違う意味を持つはずだ。故にその言葉を使っていいものかどうかわからなかった。

「私もクレイス様をお慕いしています!!だから邪魔しないで下さい!!」

反対側で座っていたルサナも挙手しながら元気よく宣言してくる。しかし邪魔をするなというのはイルフォシアに言っているのか『闇を統べる者』に言っているのか。

「私も最近好きになっちゃったの。でも独り占めしたいとは思わないわよ?」

その隣で大人しく座っていたウンディーネはまるでこちらを挑発するような視線を向けてそう告げる。独り占め・・・別に自分もそんな風に考えてた事は無い。

そもそもクレイスの意思というものもある。周りがどれだけ迫ろうとも彼の意見も尊重されねばなるまい。


「そっかー!オレも初めての友達だから大好き!!」


だがやっぱりヴァッツはヴァッツのままだった。好きというのもそういう意味なのかと安堵していると件の人物がゆっくりと瞼を開け始めた。

「・・・あれ?やっぱりヴァッツがいる。何で?」

「あ!よかったー!!でも酷い怪我らしいからあんまり動いちゃ駄目だよ?」

怪我を負っているとはいえ久しぶりの再会にクレイスの表情も朗らかだ。『七神』の脅威も去り、これでやっと一安心といったところだろう。

「あ、あの!ク、クレイス様!!『七神』との戦いで私を護ってくださり、あ、ありがとうございますぅ!!」

彼の目が覚めると同時にノーヴァラットが寝具に頭を埋めて謝意を述べていた。この時はまだ彼女をどう扱うか未定だったのだがそれを話し合う前にまたも事件は起こってしまう。


【・・・・・そろそろ来るぞ?】


「え?何が?」

一難去ってやっと皆が落ち着きを取り戻していた所に『闇を統べる者』が地の底から聞こえてくる声で突如周囲に警戒を促したのだ。

声色からもただ事ではないのは明白だろう。横になっているクレイスが起き上がろうとするのを慌てて止めたイルフォシアは武器を顕現させるよりも彼の首元に腕を回して護りの姿勢に入る。

(まさか・・・残りの『七神』かしら?!)

現在敵対している存在だとそれくらいしか思い浮かばない。『ネ=ウィン』で警戒するほど強い人物といえばカーチフくらいか?だが彼がこちらに剣を向けるとも考えにくい。

ルサナやウンディーネもひりついた空気を察してすぐに迎撃態勢を取った。そんな中ノーヴァラットだけはおどおどと左右を見渡し、ヴァッツも座ったままあっけらかんとしている。


ばばばばばば・・・・・!!!


不意に窓の外から何かが強大な風が当たったような音が鳴り響くと室内もびりびりと震え出す。まるで台風でもやってきたのかと錯覚したがそれはすぐに収まると今度は静かに窓が開いた。

マーレッグの時とは違い建物の外からいきなり襲い掛かって来るような事は無いらしい。それでも誰かがいる事に変わりはない。『闇を統べる者』が警戒するよう促す程の人物だ。一体何者・・・


どんっ!!!!


それが目にも止まらぬ速さで室内に入って来ると乱気流のような現象が起こる。机や箪笥、絨毯に窓掛けとあらゆる物が空を飛んで壁や床に叩きつけられるも本人は全く気にしていない。


「おーーーーーーそーーーーーーいーーーーーー!!!!」


何故なら全て自身の姉が感情のままに起こした行動の結果だったからだ。






 翼を引っ込めた姉はヴァッツの肩に頬擦りして甘えるような行動を取っていたがこれにはきちんとした理由がある。

「だから最初に言ってたでしょ?!ちょっと時間かかるから待っててって!!」

珍しくヴァッツがうんざり気味に反論していたがアルヴィーヌには暖簾に腕押し、糠に釘状態だ。

「ヴァッツの事だから秒で終わらせたんでしょ?なのに何ですぐ戻ってこないの?私は待ち遠しくて待ち遠しくて・・・我慢出来ずに来ちゃった。」

こちらも随分憤っていたみたいだが自身の美しい銀髪を取り戻すと落ち着いた様子を見せている。だが室内は滅茶苦茶散乱し、何の体勢も整えていなかったノーヴァラットは床に這いつくばっていた。

「姉さん!!」

「我が妹よ、久しぶり。おー・・・相変わらずクレイスと仲が良さそうで何より。」

てっきり敵襲かと思ってクレイスを抱きしめていたのだがそうではなかったらしい。姉に言われて一気に気恥ずかしさを覚えたイルフォシアは腕を離すも体は離れない。

不思議に思ったが見ると自身の腰にはクレイスの右腕が伸びており左手には魔術を展開している。彼女が護ろうとしていた彼もまた、イルフォシアを咄嗟に護ろうとしてくれていたのだ。

(・・・まだ意識が戻ったばかりだというのに・・・)

本来ならここは厳しく諫めなければならないはずなのにその行動をとても嬉しく感じたのは何故だろう。離れるのも惜しいと感じた彼女はその状態を維持したまま軽い咳払いをした後1つ1つ疑問を潰していく。

「・・・もしかしてヴァッツ様をわざわざ追いかけに『トリスト』から飛んできたのですか?」

「ううん。今は東の『モクトウ』って所にいってたの。だからかなり遠かった。もうしばらく空は飛びたくない。」

イルフォシアも8歳になった頃世界の地理を学ぶべく大陸中を飛び回った経験はある。今でこそ成長し飛空速度も上がっているが『モクトウ』から『ジョーロン』の西部までだとどれだけ急いでも半日以上はかかるだろう。

それを考えるとヴァッツがマーレッグを討伐した後クレイスの治療を終えるまでの1時間強で飛んできたのだから相変わらず姉の力も凄まじい。

「おや?私の知らない子がいる。そこの紅い子と倒れてるおっきなお尻の人は誰?」

ヴァッツと同じような反応を示したので今度は彼が2人を紹介するとアルヴィーヌも軽い足取りでとととーと近づき握手を交わす。

「ところであなたは何で床に転がってるの?お胸が重いから?」

「い、いえぇ・・・そのぉ・・・突然の突風に体が飛んじゃったみたいですぅ・・・」

しかしノーヴァラットという女性、体の迫力とは裏腹にとても引っ込み思案な性格をしているようだ。といっても4将に選ばれる程の魔術師。その実力は相当なものなのだろう。


「ところでノーヴァラット様は何故クレイス様がバルバロッサ様を殺したなどという虚言に惑わされたのですか?」


なのでイルフォシアは早速それを排除すべく動き出す。どういった理由があるのかは正直興味がない。ただ話の流れを作り誤解を解いた後は『ネ=ウィン』に帰って貰おうと考えたのだ。

でないと万が一の事もある。その嫌な予感を悟られぬよう大きな胸と腰周りを観察しながら答えを待っていると彼女は体を起こして静かに答えてくれた。

「べ、別に惑わされてはいませんっ!!ク、クレイス様を庇われてバルバロッサ様が亡くなられたのですからその責任は必ず存在するでしょう?!」

おどおどしながらも元気よく述べた内容に当事者は何かを感じたのか。腰に回していた手がぴくりと反応するのをイルフォシアも感じる。

「・・・ノーヴァラット様。確かにバルバロッサ様は敵対国家の魔術師でしたがあの時助けようと行動されたのにはそれ以上の絆を感じられたからでしょう。でなければクレイス様も彼の死を悲しまれたりされません。」

恐らく間違ってはいないはず。自身の推察も含めてイルフォシアが代弁するとまた彼の手が反応した。それは先程と違い優しい温もりが伝わってくる。

彼女の方も今回の件でクレイスに命を救われたのだ。であればこの説明には十分納得してくれるだろう。

伏目でしおらしくなったノーヴァラットを見てそう受け止めたイルフォシアだったが彼女がバルバロッサと恋仲であった事情を見落としていた為、この話はまたも泥沼へと変貌していく事になる。





 重傷を負ったクレイスは寝具の上から動けずにいた。それは昼間の様子からも確認済みだ。


その夜。ノーヴァラットはこっそりと彼の寝室に忍び込むと早速その命を奪うべく準備に取り掛かる。本当なら様々な苦痛を与えたりじっくり嬲るつもりだったがイルフォシアにルサナ、ウンディーネと今ではアルヴィーヌにヴァッツまでがこの屋敷の中にいる。

もし衝突すれば分が悪いのは明白だった。なので仕方なく自身が作った最大限に苦痛を与える毒薬を使って殺そうと考えたのだ。

それが終わればバルバロッサの研究書を取り戻し、一度故国の墓に祈りを捧げた後ブリーラ=バンメアの下へ帰ればいいだろう。

妥協に妥協を重ねる結果とはなるがこのまま何もしないという選択肢だけはない。奴のせいで彼が命を落とした事実には変わりないのだから。


「やっぱり来たんだね。」


ところが物音1つ立てずに行動を起こしていたのにいきなりクレイスから声をかけられてびくりと体を震わせる。

既に夜半も過ぎていて室内は暗く影に身を潜めていれば目視は難しいはずだ。そもそも彼は重傷を負っている。疲労も考えるとこの時間まで起きていたとは考えにくい。

「は、はいぃ・・・わ、私、どうしてもやり遂げなきゃって思って・・・」

ならばここは堂々と答えよう。どうせ相手は満足に動けないのだ。それが多少反抗した所でノーヴァラットに分がある。そう考えていた。

「そうか。そうだよね・・・ねぇノーヴァラット。バルバロッサ様は貴女に優しかった?」

「はい!とても!!こんなどんくさい私を愛して下さいましたぁ!!」

質問の意味がよくわからなかったが恐らく時間を稼ぐ為だろう。クレイスの周りにいる有能な誰か1人でも現場に駆けつければこの暗殺は間違いなく阻止されてしまう。

その前に何としてでも彼を仕留めねば。ノーヴァラットは適当に受け答えしつつ枕元にある水差しに手を伸ばすと懐から小さな紙を取り出した。

「ごめんね・・・僕が弱いせいでバルバロッサ様が犠牲に・・・」


ぱちんっ!!


だが謝罪の言葉を聞いた瞬間ノーヴァラットは両手で自分の頬を思い切り叩いた。


「・・・そんな言葉を聞きたくてやって来た訳じゃないの。わかる?」


彼女には本人とバルバロッサしか知らない秘密があった。それは精神的、または肉体的な刺激を伴う事によって性格が豹変するというものだ。

ただ彼が存命中にはその顔を現す機会は1度しか無かった。何故なら常に彼がノーヴァラットを護ってくれていたから。

「私の大切な人を奪ったクレイス。貴方には今日ここで死んでもらうわ。」

しかし今は師であり恋人でもあったバルバロッサはいないのだ。であれば彼女を縛るものは何もなく、ただ心のままに行動するしか出来ない。


「ごめんね。でも僕にはまだやり残した事があるから・・・」


再び謝罪を口に出しつつも命を以て償うつもりはないらしい。苛立ちを覚えたノーヴァラットは素早く毒の粉末を水に溶かした後それを自らの口に含む。

そして一気に覆いかぶさると彼の頭をしっかりと両腕で掴んで唇を押し当てにいった。






 「あれ?何かオレ達が見たのと違うね?」

「ね?ノーヴァラットもクレイスと契りを交わしたいのかな?でも口に水を貯めてどうするんだろ?」

突然の声に驚いたのも理由の1つかもしれない。だが体を動かすのすら辛いはずなのにクレイスもこちらの両肩を手で押さえてころんと体位を入れ替えて来た。

更に日中と同じような魔力の激しい消耗からこちらの力は一気に抜けていく。話ではこの少年、多少魔術の心得があるくらいしか聞いていなかったのに一体何者なのだ?

「ヴァッツ!ノーヴァラットが口にした毒を取り除ける?!」

「え?!毒?!うーん・・・・・『ヤミヲ』、お願いしていい?」


【この女はお前を殺そうとしているのだぞ?このまま放っておいた方が良いのではないか?】


「いいから!!急いで!!」

『闇を統べる者』が正論を述べていたがクレイスは何故か命を奪おうとしているこちらを気にかけてくる。まさか恩を売って懐柔しようというのか?


ごくん


だったら絶対に思い通りにさせる訳にはいかない。ここで失敗して生き永らえるくらいなら自身もバルバロッサの下へ向かう事を選んだノーヴァラットは毒水を飲み込んだ。

そもそも『七神』のマーレッグから護って貰ったというだけでも心にしこりが生まれていたのだ。これ以上仇から施しを受ける訳にはいかない。

既に口内がひりひりと痛んでいたがこれが少量でも体内に巡ると全身に激しい痛みを走らせて肉体の機能を一気に奪う。そして動けなくなった所を胸の間に挟んでいた小剣で滅多刺しにしようと企んでいたのだがもはや万策は尽きた。

ならばせめてクレイスの目の前で死んでやる。思い切り怨念を零しながら、絶対に許さないという慙愧を植え付けながら。


「クレイスッ!!貴方だけは絶対に許さない!!私の大切な人を奪っておきながら自分だけ幸せを掴もうだなんて絶対に!!絶対に許さないんだから!!」


・・・・・


おかしい。自身が作った毒薬は即効性だ。これが胃に落ちたのであればまず間違いなく激しい腹痛から始まるはずなのだ。治験でもそうだった。

なのに何故こんなにもぴんぴんしているのだろう?感情が昂りすぎて効果が遅れているのだろうか?

「ぜ、絶対殺してやるっ!!例え周りがどれだけ優秀な人材に囲まれていたとしても必ず!!必ず嬲り殺してやるんだからっ!!」

「・・・ノ、ノーヴァラットって怖い・・・ね、ねぇ、ちょっと落ち着こうよ?ね?」

所が寝具の脇に並んでしゃがみこんでいたヴァッツの方が何故か怯えながらこちらを諭してきた。いや、彼は誰よりも強い少年のはずなのに何故怯える必要があるのか。

「そうそう。色々辛い事があったみたいだけど話してごらん?クレイス以外なら私が痛めつけてきてあげるよ?」

「いや駄目だって!!」

アルヴィーヌも宥める様に語り掛けて来てくれるが痛めつけるという部分に反応したヴァッツが強く咎めていた。何というか2人は仲がとても良いらしい。

思えばお昼過ぎに窓から突然飛び込んできたのも彼に会う為だった。構成的には叔母と甥に当たるらしいが常に一緒にいて体をくっつけている場面を見ると微笑ましくも羨ましく、そしてそんな相手を失った悲しみに囚われるのだ。


・・・・・


いや本当におかしい。こんな余計な事に思考が使える程効果が遅いなんて今までなかった。気が付けば口内の痛みも治まっており魔力は枯渇し重傷を負っているクレイスに力負けして抑えつけられたまま何の進展もない。

「・・・ねぇ。私が今飲み込んだ毒って全身に痛みが走りつつ息も出来なくなる程の苦しみを与える効果があるんだけど・・・即効性なんだけど・・・」


【ふむ。では体内に戻してやろうか?】


ヴァッツの強さは耳にしていた。その彼に憑りついているかのような『闇を統べる者』の存在も。だが飲み込んだはずの毒を排除?吐き出した記憶もないのにどうやって?

そんな事が可能なのか?と疑問に感じるが今の体調が全ての答えなのだろう。

「ありがとう『ヤミヲ』さん!あ、あのさノーヴァラット。バルバロッサ様の研究書を見てもらえるかな?」

不意に大切な人の忘れ形見が出て来たので再び怒りが込み上げそうになったがいつの間にか枕元に腰かけていたアルヴィーヌが優しく頭を撫でてくれたのでほんの少しだけ感情を抑える事を選んだ。






 クレイスの手が離れた後も魔力が戻る事は無く体を起こすのも一苦労だった。

それでも棚から分厚い研究書を取り出して手渡してくれたのだから怒りと喜びが混じり合って心にむず痒さを感じる。

「一番最後の頁、その右下を見てみて。」

言われるがまま膝の上に乗せたそれを裏側に向けて一枚めくってみた。するとほぼ真っ白な状態だったが一か所だけ、震えた手で書かれたのだろう。


ノーヴァラットへ、という文字だけが目に留まった。


「・・・・・」

ヴァッツやアルヴィーヌが両脇から覗き込んでいたが彼らもその意味が分からない為言葉が出なかったのだろう。

だがバルバロッサと長く付き合っていたノーヴァラットや、その研究成果を託されたクレイスには何となく理解していた。

「もしよかったらそれはノーヴァラットに預けるよ。その方がバルバロッサ様も喜ばれるかも・・・」

「そ、そそ、そんな事はありませっ・・・!!」


ぱちん!


「・・・そんな事はないわ。でも、少しだけ借りておいてもいい?」

彼からの遺言に近いものを目の当たりにした為ついおどけた性格に戻ってしまったが再び両頬を叩いて冷静に願い出る。

生前バルバロッサがそれをまとめ上げて来たのも知っているし恐らくそのほとんどには目を通していた。

しかし今夜、彼が最後に記したのであろう彼女の名前。そして以前見た時の倍ほどに膨れ上がっている研究書の束には何か理由がある。そう考えて一旦復讐の刃を納めたのだ。

「もうクレイスを襲ったりしないでね?」

甘すぎるクレイスは優しく微笑みながら了承してくれたが友人のヴァッツは心配そうにこちらへ釘を刺してくる。そのあまりにも真っ直ぐ過ぎる瞳がノーヴァラットの心に突き刺った。

「は、はぃ~!で、出来る限り努力しますぅ!」

おどおどした性格はこういう場面で都合がいい。相手も強く出られなくなるしこちらもふんわりとした物言いで片付けられるからだ。

「じゃあ私達は帰ろ。クレイスも怪我人なんだし、おやすみ。」

最後はアルヴィーヌに連れられて部屋を出るとそこにはイルフォシアとルサナ、ウンディーネがそれぞれ違う不安を表情に浮かべてこちらを見つめて来た。

可愛らしい少年は相当に慕われているらしい。

(・・・バルバロッサ様とは大違いね。)

お世辞にも彼は愛想が良い訳でもなく目を引く容姿をしている訳でもなかった。だからこそ数少ない理解者の1人と結ばれた訳だが。

魔力が枯渇し部分的に重い体を引きずりながら与えられた客室に戻ったノーヴァラットは研究書から感じる懐かしい匂いを胸に寝具へ身を沈める。


気が付けば朝日が射しこんでおり、仇こそ討てはしなかったものの久しぶりに彼との思い出に浸れた寝覚めはすこぶるよかった。






 昨夜の件があったので3人の少女から向けられる視線が鋭かったのは仕方がない。なのでおどけた性格のまま朝食を戴いたノーヴァラットはそそくさと自室に戻ると彼の研究書に目を通し始めた。

そしてすぐに気が付く。今までの魔術とは違う、クレイスの展開方式についての考察がずっと綴られていた事に。


『彼の膨大な魔力とそれを瞬時に放出出来る方法は我らには真似出来ないのかもしれない。だが否定から入る事を私は良しとしない。』


いかにもバルバロッサらしい命題に頬が緩む。読み進めていくだけで存在を近くに感じる。生前からそうだったが彼は魔術の探求には余念が無かった。恋仲になったノーヴァラットに対してもそうだ。

思い立ったら研究と実験に没頭し自室から何日も出てこないなど日常茶飯事。若い頃に10年以上雷峠で修業していたのが良い例だろう。

最近は4将筆頭にも選出され、立場的にもより国に貢献しなければならない地位に就くと研究員の顔は成りを潜めていた。それでも飽くなき探究心を失ったわけではなかったのだ。


『元服の儀で見せた水の魔術とそれを剣として展開する方法。これは炎や雷でも応用出来ないだろうか。』


『属性を2つ以上扱うのは難しい。経験上それは十分知っている。だが潤沢な魔力と柔軟性のある展開力を持つクレイスには是非手に入れて欲しい。』


『海で見せた強大な竜巻。あれを展開するのにどれほどの魔力を消費しているのか。規模や数、威力を詳しく調べる必要がある。』


それにしても新しい研究書の内容は見事にクレイス関連ばかりだ。全てが彼に関わる話でありその力について事細かく記載してあった。推論や憶測などは魔術の知識に長けているバルバロッサのものなのだ。試行する価値は十分あるだろう。

読めば読むほどバルバロッサを感じ、そして何故彼がこれをクレイスに託したのかがよく伝わってくる。

そして恋仲であり師弟関係だったからこそノーヴァラットは深く悟った。これは彼がクレイスの魔術と潜在能力に惚れ込んでいた故の結果なのだと。

探究心の塊のような彼の事だ。自身が使えない水の魔術に膨大な魔力、更に強大な展開を一瞬で完了させてしまう技術。間近で見ていたノーヴァラットでさえその仕組みがどうなっているのか調べたくなる。

気が付けばクレイスに関する出来事を羅列して考察し続けて、最後は己が予期せぬ形で人生の幕を下ろしたのだろう。


そして自身の名前が記された理由は・・・


納得と共に立ち上がると研究書を託された少年の下へ向かうノーヴァラット。扉を叩いて中に入ると相変わらず少女3人が傍について看護をしていた。

「あら?またクレイス様のお命を狙いに参られたのでしょうか?」

警戒というよりは軽蔑に近い雰囲気でイルフォシアが棘のある言葉を放ってくる。だが自分ももしバルバロッサの寝込みを襲うような輩が現れたら間違いなく血祭りにあげるはずだ。

そう考えると彼女らは優しい部類に入る。おどおどした性格のまま頭をぺこぺこ下げつつ寝具で上半身を起こしていたクレイスの前に移動すると研究書を手渡した。

「あれ?もういいの?」

「は、はいぃ。そ、その、読んでみて納得しましたから。あの・・・それでぇ1つお聞きしたい事があって。」

恐らくそれを奪って帰国するのではと考えていたのだろう。こちらが大切な形見を返すと彼女らも少し驚いた様子で伺ってくる。

「うん。僕でよければ何でも答えるよ。」

バルバロッサの研究書を読んでいても一緒に戦っても感じたがクレイスは聡明だ。だからこそこちらの心情も読み取ってくれる。であれば尋ねる事は1つだけだ。


「あ、あのぉ・・・この最後に書かれた私の名前は、も、もしかして亡くなる間際に・・・?」


「うん。側近達に指示を出しながら筆を走らせてたんだ。僕も貴女に出会うまで誰の名前かわからなかったけど、バルバロッサ様の大切な人なんだね。」


そうか。やっぱりそうなんだ。

震える筆跡はその時の状況を容易に想像させる。そして名前しか書けなかった彼の困惑する表情も。

「・・・ありがとう。それじゃ私は帰るね。」

それがわかれば十分だ。今のクレイスを殺すのは難しく嬲るなどはバルバロッサが絶対に許さない。であればここは潔く引き下がろう。


元々恋人を失った悲しみで己を失っていた部分は自覚していた。


彼が選んでクレイスを庇ったのにどうしても納得できなかった。信じられなかったし信じたくなかった。

だが研究書を読んでいて彼の気持ちが手に撮るように伝わってきた。クレイスと過ごした日々はとても充実していて、そして楽しかったらしい。

ならばその晩節を残った人間が貶すわけにはいかない。バルバロッサにはバルバロッサらしかったのだと信じて後を追いたい。


ノーヴァラットはやっと吹っ切れた爽やかな笑顔を浮かべると彼らに別れを告げた。






 「あ、あの!!待って!!」

ところが意外な人物に呼び止められてきょとんとする。一瞬その理由が思い浮かばなかったがよくよく考えれば今回の件はこちらの一方的な逆恨みが原因だ。

つまりノーヴァラット1人がすっきりしていても彼らが許していなければ無事に立ち去る事など不可能なのだ。

「な、なな、何でしょうぅ・・・?」

失念を誤魔化すべくおどけた性格を更に誇張しながら怯えた声で尋ねる。これだけか弱い仕草を見せれば相手も温情をかけてくれる・・・と思いたい。


「あのさ!ノーヴァラットって『ネ=ウィン』から他に命令は受けてないの?バルバロッサ様の仇を取るとか研究書を取り戻す以外に。」


何を期待しているのだろう?その質問に思わず小首を傾げたが彼らは海を跨いだ遠い西の大陸で過ごしていたのだ。

ノーヴァラットが『ネ=ウィン』を捨てて『ジグラト』へ引き抜かれた事など知らないし今回の襲撃が完全に私怨だという事も知る由もない。

「残念だけど他は何も。あと私は『ジグラト』の将軍になったの。『ネ=ウィン』にはもう帰れないから。」

「「えっ?!」」

これにはイルフォシアも声を上げて驚いていた。当然だ。戦闘国家で確立した地位を捨ててまで狂国に渡ったのだからまともな判断ではない。

だがこれも自身が選んだ道だ。帰ってどのような待遇が待ち受けてるかわからないがこの先は死ぬまで碌な目に遭わないだろう。それも今回の件の罰だと甘んじて受けよう。

「そういう事。それじゃあね。」

「待って待って!!僕から1つ提案があるんだけど!!」

諦め気味に立ち去ろうとするもしつこく止めてくるクレイス。しかも提案とか言い出したので訳がわからない。

「あのね。私も将軍の身なの。国外追放された少年の話なんて聞いても・・・」


「ノーヴァラットの魔術を僕に教えてよ!!条件はバルバロッサ様の研究書でどう?!」


一瞬理解が追いつかなかった。それは他の3人も同じだったらしい。皆がきょとんとした様子の中、提案を受けたノーヴァラットがいち早く激高した。

「貴方ねぇ!それはバルバロッサ様が大事に積み重ねてきた人生の集大成なのよ?!内容も貴方に関する事ばかりだし!もっと大切に扱いなさい!」

「わ、わかってるよ!でもそれは途中からであって最初から中盤あたりの頁は普通の魔術書でしょ?」

「・・・まぁね。」

そうなのだ。彼の研究書はクレイスとの出会い以降猛烈な勢いでその数を増やしている。よって鈍器のような分厚さと重さになってしまったのだが前半は至って普通の研究内容だ。

「だからその・・・ちょっと悪どいかなって思うんだけど、どうしても風の魔術を知りたくてさ。この名前の部分を貴女に譲るっていう条件でどうかな?」

「「クレイス様っ!!」」

この提案にはイルフォシアとルサナが声を上げて非難する。確かに悪巧みをするような性格には見えなかった為そのズレに驚かされたが同時に納得もいった。


流石はバルバロッサが目にかけた少年だと。


「いいわよ。じゃあ付きっきりで家庭教師になってあげる。」

「本当?!」

「「「クレイスーー!!」様っ!!!!」」

3人の少女が重傷の少年を大いに攻め立てていたがこれはこれで面白い。すっかりその様子と魔術に対する探究心が気に入ったノーヴァラットはこの日、バルバロッサの側近共々クレイスに仕える道を選ぶのだった。

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