動乱の行く先 -鬼神の如く-

 リセイの母は『モクトウ』周辺の森に潜む山賊を軒並み叩き潰しては人々の安全を護るくらいには勇猛な女性だった。

あまり自身の話をしない人物なので息子である彼ですら未だよく知らない部分を持っているのだがその1つに昔『モクトウ』の将軍だったというものがある。

これはご近所の話を偶然立ち聞きしてしまった事で知った。気になったのでその夜尋ねてみると肯定も否定もしない答えが返って来たのをよく覚えている。


ただリセイも大きくなると母が用心棒のように働く事で村や街から対価を得ているのだと気が付いた。


考えてみれば自身の家は農家でも商家でもない。名のある家でもなければ特別な売買をしている訳でもないのに質素ながらも不自由なく生活を送れていたのだ。

そんな母の背中を見て育った彼も気が付けば木刀を振り、己の食い扶持を求めるべく11歳にして士官という道を歩み始めていたのだが。

「リセイ。あんたには才能がある。だが『モクトウ』で働くのだけ止めといたほうがいいよ。」

ある日、囲炉裏の前に向かい合って座ると滅多な事でも諫めたりしてこなかった母がそう告げてきたので生まれて初めて驚きで口を開いてしまった。

「・・・そ、それは何故ですか?」

「国王がね。どうも信用ならなくてさ。私も昔1か月くらい将軍になってた事があるんだけど身の危険を感じてすぐに辞めたんだ。」

本当に将軍だったのだと聞かされて納得と高揚に心が満たされるも母は強い。そんな女性が身の危険を感じるとは一体・・・?

「わかりやすく言うと犯されそうな予感がしたのさ。まぁ以前からいい噂は聞かない王だからね。」

母は笑みを浮かべながら小さな御猪口に清酒を満たすと一口で飲み干す。何事もなかったからよかったもののもしそれが現実に起こっていればこうも呑気にしていられなかったかもしれない。

だがある程度分別のついているリセイは冷静だった。国王であれば誰でもそれくらいはするのではないかと。側室などがいい例だろう。


「しかし俺には剣を振るうしか能がない。他の生き方も知らないし。」


唯一の就職先を敬遠していてはいつまでたっても自立出来ないままだ。ただでさえ『モクトウ』の周囲には脅威的な国家がなく、兵卒も最低限しか確保していない国なのだ。

ずっと母に養ってもらう訳にはいかない。困り果てたリセイはそう言って俯くと母は少し考え込んだ後ぽつりと呟く。

「・・・父親も不器用な人だからね。血は争えないんだろうねぇ。」

この時初めて父の存在を耳にしたのだが母はすぐ話を士官へと戻した。

「ま、あんたは男だ。あいつに男色の気があるなんて聞いた事はないし大丈夫だと思おうじゃないか。でも命の危険を感じた時はすぐに逃げてくるんだよ?」

現国王シュゼンとはそれほど危険な男なのか。官人やら軍人と接触のない一般人からすれば想像もつかないがそもそも自身が登用されたと決まった訳でもない。

「うん、わかった。まずは試験に合格出来るよう頑張るよ。」

「おっと、そういやそうだったね。あっはっは。」

捕らぬ狸の皮算用とはまさにこの事だ。案ずるより産むが易しという言葉もある。全ては士官出来てからの心配事だろう。


この後リセイは一発で登用試験を合格するも母の忠告通り王や重臣には関わらない地位で生きていこうと目立たぬ行動を心掛けていたのだが後にその才能がゴシュウの目に留まる事となる。






 テキセイは規模の分からぬ相手に3万の軍勢を用意して西都へ向かっていた。

「ゴキンモク。エイスウ。久しぶりだな。」

騎乗したまま両隣に控える将軍に声をかけると馬上ながらも2人は両掌を合わせて軽く頭を下げる。

「リセイ様と再びこうやって轡を並べられる事、深く感謝いたします。それよりもよくあの暴君に刃を通せましたね。」

この2人は自身が大将軍だった頃の腹心だ。例にもれず彼らも操心の術に掛かっていた為テキセイを排除する動きに賛同していたがそれらが解けた後は頭が割れん程に額を地に押し付けて謝ってきていた。

全ての理由を知っているので咎める事もなく、それがまた公明正大といった印象を与えたのか彼らはより忠誠を誓ってくれたという流れだ。

ゴキンモクは背丈や年齢こそテキセイと同じくらいだが細く整えられた髭と頭をすっぽりと覆う兜に特徴がある。眼光も鋭く如何にも猛者といった様子だ。

エイスウは長身で穏やかな顔つきを持ち2人よりもやや若い。腕も大したものだが何より柔軟な思考を持っている為参謀といった立ち位置にいる。

「いや、あれは俺だけの力では無理だったんだ。これが終わればお前達にも紹介しよう。本当の立役者を。」

2人とも記憶を取り戻すと共にダクリバンの意志によって随分都合よく操られていた事を思い出しては憤慨していた。故に立役者という存在を聞いて笑顔がこぼれる。

「であれば速やかに敵軍を蹴散らして是非直接御礼を申し上げねば!」

「であるな!」

彼らも含めて軍自体の士気はとても高い。これなら正体不明の侵攻も間違いなく防げるだろうと確信したテキセイも笑顔を返していた。




カズキ達を引き連れて王都へ向かった時とは規模が違う。なのに2日で西都へ辿り着いたテキセイの軍は早速西側へ向けて布陣を開始した。

といってもこの辺りは田畑が多く、この時期に荒らされると収穫に多大な影響が出る。相手がそこに気を遣う必要はない為地の利を考えるとやや不利な場面だ。

「敵の正体はわかるか?」

雑木林から多少は見えている人影を確認は出来るもののその規模と言われると難しい。

「布告状によると『ネ=ウィン』の第一皇子ネイヴンという者が総大将のようです。」

国名だけはカズキから聞かされていたがその実力や規模は未だ不明のままだ。しかしいきなり襲い掛かる事をせず作法に則って先触れを送って来たという点には少し安心する。


その日の内に返答を送り付けたテキセイは陣幕を西都の北西に張ると腹心2人に軍の指揮を任せるよう提案し、己は明日中に決着をつけるべく精鋭を引き連れて動く策で話をまとめ上げた。




明朝、やっと敵陣営が少しだけ視界に捉える事が出来たテキセイは遠目ながらその動きと規模に心の中で感嘆していた。

装備こそやや心もとない気もしたがそれを補って余りある戦力を保有しているのだろう。皆が堂々と、そして隊列を乱す事なく動いている。

自身も内乱を治めた経験こそあれど異文化の敵と戦うのはこれが初めてだ。果たしてどういった戦況が生まれるのか・・・

「前線はゴキンモクに任せる。エイスウは中央をしっかりと護っていてくれ。」

2人の腹心にそう伝えると同時に銅鑼の音が鳴り響く。遂に両軍が動き出したのだがどうやら敵側には騎兵がほとんどいないらしい。

一介の武将が部隊を率いているかの如く前線の一端に身を潜めていたいテキセイは矢の雨を防ぎつつ片手剣に盾を持った歩兵達と相対する。

対してこちらの前線は長槍だ。まずはその圧倒的な間合いの有利で敵方を次々に崩していくが、盾を上手く使いこなす兵士が突っ込んでくると一気に乱戦へと陥った。

それらを丁寧に排除しつつ場が崩れないよう檄を飛ばして敵陣を観察しているとどうもその中央には相当な猛者が暴れまわっているらしい。明らかに軍勢の流れが押し戻されているのを目撃したテキセイは短く大声で命じる。

「行くぞ!!!」

己が選び抜いた精鋭300騎もすぐに呼応して見事な隊列を組むと兵士の壁など物ともせずに走り出した。

各々が猛者である為彼らが通った後にはいくつもに叩き割られた死体がそこかしこに散乱していく。やがて敵陣の最前線にいた一際大きく、そして強い男をその双眸でしっかりと捉えたテキセイは馬ごと空を駆け上るかのように跳び上がる。


「お覚悟ぉぉっ!!!!!」


だが完全に不意をつくのは性に合わない。故に叫ばなくてもよいのに彼はわざわざ大声を出してから手にした槍を思いっきり叩きつけた。


ばきゃぁんんっ!!!!


「ぬぅぅっ?!?!」

馬の背を鞍の上から強靭な太腿でしっかりと挟み込んで放った強力な一撃は咄嗟に反応したネイヴンの盾を軽々と叩き割ってその刃を左肩へと通していた。

それと同時に双方の近衛達も激しくぶつかり合ったが初撃を与えた影響は大きかったらしい。元々カズキとの立会い稽古に全勝する程の腕を持つテキセイだ。

『ネ=ウィン』で名を馳せる第一皇子といえど馬を駆り槍を振り回す相手には分が悪いと悟ったらしく速やかに撤退する構えを見せたがそれを見逃さない。

殿を務めようとした相手の側近をまたも馬に乗ったまま飛び越えるとその背中に一刀を走らせる。だがこれは敵兵達が身を挺して護り切った為ネイヴンの体に届く事はなかった。

それでも総大将とその近衛を軽々と斬り伏せていくテキセイの姿に敵兵達も恐れからか動きが鈍っていく。なので次の瞬間。


びゅびゅびゅんっ!!!!!


背負っていた大弓を素早く構えると矢を5本目にも止まらぬ速さで一気に放つ。その内2本はまたも近衛に阻まれたが3本は総大将らしき男の背に深々と刺さったのだからまさに神業だ。

彼らの周囲はあっけに取られていたがここで深入りするほどテキセイは甘くない。


ざしゅざしゅざしゅざしゅざしゅっ!!!!


いつの間にか大弓を背負い再び槍を手にした彼は周囲をあっという間に蹴散らし始める。と同時に彼の部隊も合わせて掃討に入るとこの日は『モクトウ』の圧勝で幕を閉じた。






 国内では模擬戦や御前試合といったものでしかテキセイの力は知れ渡っていない。その為あまりにも強すぎた彼の姿に『モクトウ』からは大勢が決したかのような騒ぎが起こっていた。

「気を緩めるな。敵の総大将はまだ生きているんだぞ。」

静かに諭して浮ついた雰囲気を払拭しようと試みるも異国の敵と戦い、初戦は圧勝したのだ。気持ちは痛いほどわかる。

「しかしリセイ様がこれほどお強いとは・・・長い間仕えていたにも関わらずその御力を知り得ませんでした。お恥ずかしい限りです。」

少し離れた場所でその鬼神の如き強さを見ていたゴキンモクは祝杯が喉を通らない程に恐縮しては畏まっている。こちらとしても必死だったので己の強さを手放しに賞賛されても逆に恐縮してしまう。

「とにかく祝杯もほどほどにな。この戦、どれくらいで決着がつくのか予想がつかないんだ。」

なので照れ隠しも含めて周囲にそう言い残すとテキセイは早々にその場を去った。

捕虜の話では今日彼が相手にしていた人物こそ総大将のネイヴンで間違いないらしい。体躯に膂力、威圧感や存在感など正に非の打ち所がない総大将だった。

対して自身はさほど恵まれた体躯ではない。滅多に口から出てこなかった母の話では父がそもそも小柄な人物だったらしいので仕方がないのかもしれないが。

(こんな事を思っては母に叱られるな。)

1人で寝所に戻ったテキセイは御猪口に注いだ清酒を一口だけ飲み干して初勝利を僅かに噛みしめた後、ネイヴンの傷や明日の動きについて様々な考察を巡らせながら静かな眠りについた。







非常に楽しい一夜を過ごしていた『モクトウ』軍とは裏腹に『ネ=ウィン』軍勢は戦後処理に追われていた。

相手が想像以上に手強く相当な犠牲が出たのも一因だが何より総大将であるネイヴンの大怪我が軍の上層部を大いに狼狽させていた為だ。

だが手当を終えた彼は明日も戦う気満々だった。自身が姿を見せないと敵を勢いづかせてしまう。ネイヴンはそう強く力説するも今の彼は騎乗すら難しい。

「いけません。このままでは軍は瓦解しネイヴン様の命も危ぶまれます。せめて10日は安静にして頂かなければ。」

世捨て人として身を潜めていた元『モクトウ』の医師ルクトゥールは太く長い眉をぴくりと動かして静かに諫める。既にかなりの高齢ではあるがその腕は確かなもので今ネイヴンが動けると判断したのも彼の処置が的確だったからなのだ。

「うむ。相手がもう少し弱ければそれでも構わんのだがあの男は危険すぎる。敵将の・・・リセイとか言ったか。」

多少の捕虜を得ていた為その情報だけは掴んでいたもののダクリバンという独裁者が全てを牛耳っていた『モクトウ』でまさかあれ程の人物がいるとは聞かされていなかった。

油断をしていた訳でもない。久しぶりの戦という事でほんの少しだけ気持ちが昂り過ぎていたくらいだ。なのに奴は一方的に斬り込んできた後風のように退いていった。

こちらの周囲も精鋭で固めていた事を考慮してもその腕は尋常ではない。あれを野放しにすればこの戦、間違いなく蹂躙されて敗戦するだろう。

「私が隠居した後に就かれたお方ですので詳しい事は存じ上げませんが相当な腕を持ち早くから宰相様に取り立てられていたとは聞いております。性格も公明正大で非常に人気の高い将軍だとも。」

ルクトゥールが静かに説明してくれるとネイヴンは顎に手をやり考え出す。10日ほど前にダクリバンが討たれ『モクトウ』は新王が誕生して間もない。

つまり未だ権力基盤が固められていない今、攻め入る時期としては申し分ないはずなのに奴の精鋭部隊だけでなく軍勢そのものの動きも非常に統制が取れているのだ。

(・・・正面からぶつかるのは不可能か。)

ネイヴンは戦闘国家で生まれた為まずは勝利を考える。その為ならば搦め手に手を伸ばす事も厭わない。


「・・・よし。この国の作法を利用するか。」


敵国の用兵とそのしきたり。

これをよく学んでおくようにと弟のナイルから散々言われていた為閃いた方法に我ながらよく思い浮かんだと感心すると彼は英気を養うべく沢山の肉を食べた後ぐっすりと体を休めた。






 翌朝、物見の話では飯炊きの煙は盛んに上っていたらしい。昨日の衝突では1000近い屍と3000程の捕虜を得ていたが相手の士気にはさほど影響がないという事か。

敵の総大将ネイヴンへの攻撃はそれなりに当てたつもりだった。恐らく死んではいないだろうがそれでも姿を現すつもりか?

(だったら今日中に終わらせるだけだ。)

どの書物にも総大将を討ち取れば軍勢は総崩れを起こすと記してある。初めての実戦ではあったが司令塔を失えば瓦解するくらいは想像もつく。

気を引き締め直したテキセイは朝食もそこそこに鎧兜を着込んで戦場へと足を運ぶ。すると途中、何やら諸将が困惑した様子で話し込んでいる姿を捉えた。


「どうした?もう準備は整ったのか?」


「あ、ああ!!リセイ様!!実は敵方からこのような書状とさ、先触れの方が来られておりまして・・・」

話を聞いてすぐ脳裏を過ったのは休戦か降伏であった。まだ2日目だが戦況はこちらに傾いている。であれば人を寄越す理由などそれくらいしかないだろう。

「よう!!昨日は世話になったな。貴殿がリセイ殿か?!」

すると力強く大きな声でこちらを呼ぶ男がずかずかと歩いてきた。異国の衣装に身を包み、体にはテキセイから受けた傷の手当だろう、包帯が随所にみられる。

「・・・まさか、ネイヴン殿か?」

「おう!話が早くて助かる!!実は相談に参ったのだが少し時間を割いてもらえるだろうか?」

昨日は一瞬の邂逅だったがそれでも刃を交えたのだ。2人はすぐに互いを認知し合うと書状の内容を聞かされてないままリセイは陣幕へと案内した。

見た所ネイヴンの衣装は布地だけのものでどこかに暗器を忍ばせている風には見えない。そもそも丸腰なのだ。念の為間合いだけはしっかりと取ると2人は向かい合って座る。

「・・・いいのか?俺が貴殿を暗殺する可能性を考えなくても?」

本来であれば陣幕の内と外に衛兵を並べて何かあれば速やかに対処出来るようすべきだろう。だがテキセイは手傷を負った男にそこまで警戒する様子を見せたくなかった為あえて護衛を外したのだ。

そもそも昨日はそれなりに手ごたえがあった。例えこの場で不意を突かれたとしても対処出来る自信はあるし、もし命を失ったとしても自分がそこまでの器だったのだと諦めはつく。

「その時はその時だ。しっかり対応させてもらうよ。ところで何用で参られた?」

「おっと、まだ書状には目を通して頂いてなかったか。うむ。実は厚かましくも休戦を願おうと思ってな。」

「ほう?」

大きな体躯と顔に厳つい表情、思考より感情を優先するような人物だと思っていたがそうではないらしい。

「こちらとしては退却して頂けると助かるのだが。何故そこまで『モクトウ』を狙われる?」

「はっはっは。ちと理由があってな。故郷への錦を飾りたいのだ。なのであくまで休戦を所望する。」

だが胆は見た目通りに座っている。というか厚かましい。侵攻される側としては堪ったものではない。

「であれば断る。受ける理由もないからな。さぁお引き取り願おうか。」


「ふむ。しかし俺がいない軍など烏合の衆に等しい。そんなものを相手に貴殿は一方的な虐殺をすべく剣を振るわれるのか?」


「・・・・・」

ここに来て戦の経験に差が現れた。立場が逆であればネイヴンは迷わず勝利を選ぶだろうが公明正大、戦においても正々堂々を信条に掲げているテキセイは言葉に詰まってしまったのだ。

(この男、中々に強かだな。)

見た目が厳ついものの自分よりは若いはずだ。なのに利を得るためには手段を選ばない男らしい。


「そうだな。私も国を背負って戦っているのだ。覚悟を決めてそちらを蹴散らすしかあるまい。」


しかしこちらも国家の存亡が掛かっている。そして自身は総大将だ。であれば相手に情けを掛ける必要などない。予想外の返事を受けたからかネイヴンは目を丸くしていたがすぐに不敵な笑みを作って口を開いた。

「ではこうしよう。我らは投降する。」

「・・・・・は?」

今度はこちらが目を丸くしていたがネイヴンは構わず先を続ける。

「俺の軍勢を全て貴殿に預けよう。それで何とか休戦して頂けないか?一週間でいい。この通りだ。」

あまりの内容に意図が全く読み取れない。しかしそこまでして戦を中断したい理由は何だ?

「・・・たった一週間の休戦に何を求めておられる?」

「はっはっは!!決まりきった事を聞かないでくれ!もちろん俺の傷を治す為だ!今のままでは満足に動くのすら厳しいのでな。」

そこまでして戦いたいのか。だが軍勢を全て預けた後どうしようというのだろう?

「ふむ。一週間後に軍勢を返すつもりはないのだがそれでもよろしいか?」

「ああ、構わんとも!!俺一人でも戦いきってみせる!!」

熱量は十分に伝わるし本当にそうしかねない。いや、もしかするとこちらの性格を読み切っている可能性もある。


「・・・わかった。ただし預かる軍勢は半分だけでいい。」


「おお!かたじけない!!しっかり鍛え上げてあるので何なら最前線で使ってくれても構わんぞ?」

この男、最初から最後まで滅茶苦茶だ。謀反の可能性を考慮するととても使い物にはならないだろうから与える糧食を最低限にまで減らして戦火の届かない場所に隔離するのが一番だろう。

後は一週間後に残りの軍勢をこの男ごと粉砕すればこの侵攻も幕を閉じるはずだ。戦場で華々しく散るのもまた錦を飾るという意味合いには含まれるだろう。

「やれやれ、都合よく言ってくれる。今後は聞く耳を持たないのでしっかり養生なさってくだされ。」

テキセイは嘆息交じりに言い終えるとネイヴンを早々に帰す。それから皆に話す間もなく武具を一切身につけていない兵士達が送られてきた事で周囲は大いに呆れかえっていた。






 「あの男、腕は確かだがどうにも駆け引きは不得手らしい。」

自陣に戻ったネイヴンはそう言って寝具に身を沈めた。虚勢を張っていたが実際彼の手傷は深く、たった一週間で何とかなる程度ではなかったのだ。

「しかしネイヴン様の思惑通りに進むでしょうか?」

ルクトゥールが煎じた薬を差し出してきたのでそれを右手で受け取ると無造作に口の中へと放り込む。あまりの苦味に顔が皺だらけになったが彼は声を振り絞って答える。

「問題ない。俺がかなりの怪我を負っているのも事実だし兵力もきっちり半分渡したのも本当だ。そしてカーチフは今『ネ=ウィン』の国民となっている。一刀斎様の骨を届けた後なら必ず駆けつけてくれるだろう。」

一週間の猶予を貰ったのはそのためだった。もし無傷で軍勢を鼓舞しつつ侵攻を繰り返したとしてもあのリセイという男を討つのは不可能だと判断した。

弟だけでなく自身も怪我で離脱とは少し情けない話だが『ネ=ウィン』ではまず最低限として勝利が必要不可欠であり、それは綺麗事を並べるだけでは決して手に入らないのだ。

「もしカーチフ様が来られない場合はいかがなさるおつもりですか?」

「面白い事を聞くな?ふむ、その時は俺が出るまでだ。」

第一皇子でありその強さは4将に並ぶと言われてきたネイヴン。だが今の答えにはリセイのような公明正大や正々堂々は含まれていない。つまりその時は預けている兵士達を使って内部から食い破る算段なのだ。

「まぁその心配は無いさ。カーチフは義理堅い男だ。必ず参上する。」

まだ舌の上に苦味が残っていたので3杯ほど水で流し込むとやっと笑顔を見せたネイヴンはこの日以降、傷を癒す為に丸々一週間食べては寝る生活を続ける事になる。








『モクトウ』の最西端からなら早馬で3日もあれば南都には到着出来る。ただ一刀斎の家と尋ねても皆が首を傾げていた為伝令は探し当てるのに苦労したらしい。

何故か『トリスト』のヴァッツやアルヴィーヌ、時雨やら付き人が集う中そこにカーチフ親子も合流した為、室内はまたも非常に狭苦しい状況になっていた。

「何っ?!ネイヴンが怪我を?!」

「はいっ!敵将のリセイという男が鬼神の如き強さで歯が立たないとの事です!よって是非カーチフ様のご助力を承りたく参上致しました!」

「ネイヴン?ネイヴンが来てるの?」

こちらの会話にきょとんとした様子でヴァッツとアルヴィーヌが顔を覗かせていたがそうだ。彼らは『トリスト』のネイヴンが『ネ=ウィン』の第二皇子ナイルだとは知らないのだ。

諜報活動を続けている為ここでその正体がばれるのも不味い。彼らの声を聞こえぬふりをしつつ、伝令の話を受けたカーチフは考え込む。

(ネイヴンは強い。少なくとも当時はビアードと互角に戦えていた。にも関わらず負傷するか・・・)

折角生存を確認出来たのにここで散ってしまえば元の木阿弥だろう。娘が傍にいる為少し後ろ髪を引かれる思いだが助けに行かねばならないのは確かだ。

「・・・なぁヴァッツ。もしシャルアを護ってくれって言ったら護ってくれるか?」

「うん。いいよ。」

「え?!父さん?!まさか戦場に行くの?!」

この家に来てからカーチフ以外、特にシャルアはこの家の主であるマフミに大層気に入られていた。それも当然だ。何せ孫娘なのだから。

その反面カーチフへの当たりは厳しかった。これも当然だ。何せどこの女から生まれてきたかわからない存在なのだから。

しかし元をたどれば一刀斎の血筋であり、カーチフ自身も彼女を憎むつもりなどなかったので出来ればもう少し大人の対応を見せてもらいたかったというのが本音だ。

「全く。あの人の血が混じっている奴はどうしてこうも野蛮なんだか。」

(いや、それはカズキに言ってやれ。)

と、心の中で突っ込みを入れつつ苦笑を零したカーチフはその日の内に伝令と戦場へ向かって出立した。






 カーチフが陣営に到着したのが6日を過ぎた夜だった。

「おお!!必ず来てくれると思っていたぞ!!」

体中に包帯を巻いたネイヴンが出迎えてくれると確かにかなりの手傷を負っている様子だ。一見気丈な振る舞いに見えてもその動きには緩慢な部分が目立つ。

「まさかお前を退ける人間がいるとはな。『モクトウ』ってのはそんなに強いのか?」

陣幕内に通されると向かい合って座った瞬間酒を渡してきたので元気は十分あるらしい。

「いや、敵の総大将だけがずば抜けているだけだ。練兵は互角だと思っている。」

ネイヴンは美味そうに酒を飲みほした後隣にいる老人から酌を受けてまた水のように飲み干すを繰り返す。

第一皇子という立場に負けん気の強い気性だ。皆の前ではそれを表さないでいるがよほど悔しかったのだろう。

「怪我人が飲み過ぎるな。何かつまみはないのか?」

放っておくと泥酔しかねない。いや、それだけならまだいいが明日の戦に響くようでは目も当てられない。総大将が二日酔いなど士気に響くのは目に見えている。

それにしてもカーチフが催促すると味付けの濃い焼かれた肉が出て来たので驚いた。今は戦時中のはずなのによくこんな食材を調達出来たものだ。


「今は休戦中なんだ。俺の怪我と軍勢を半分投降させた事で猶予を貰っている。」


明日以降は全てをこちらに丸投げするつもりか。初めて聞く劣勢に思わず目をむいたがネイヴンの方はとても落ち着き払った様子だ。

「おいおい。それ程強い総大将がいる軍勢に立ち向かえっていうのか?数も劣勢なのに?流石に賛同しかねるぞ?」

流石のカーチフもこの敗戦処理じみた扱いには苦言を呈する。引くに引けない事情があるにせよ無駄な犠牲を払う片棒は担ぎたくない。呼ばれてやってきたは良いもののこれは退却を説得する羽目になりそうだ。

カーチフが勝手に結論付けているとネイヴンの方はがっつりと肉を頬張った後その心情を表すかのような暗い幕内でにやりと笑みを見せる。


「ああ。俺もこれ以上の犠牲を出すつもりはない。なのでこの国の作法に則って『一騎打ち』とやらを頼みたいのだ。」


その言葉を聞いて少し安心した、と同時に思わぬ重責が圧し掛かる。そもそも出自が『ジグラト』であり最近『ネ=ウィン』へ避難してきた立場だ。

彼の国の戦いに対する熱意は十分理解しているもののそれが自身の胸の内にあるかと聞かれると黙って首を横に振るだろう。

「・・・まぁ無駄に兵士を消耗しないだけマシか。」

それでもこの状況を一発で逆転する奇策といえばいいのか、考え方次第だと好条件なのは間違いない。何せ兵力の半分を投降させており総大将のネイヴンも未だ満足に動けそうに無いのだ。

やっと呼ばれた理由を理解したカーチフはそれならばと気持ちを切り替えて杯をくいっと飲み干す。

「やってくれるか?」


「やるしかないのだろう?ならば引き受けよう。幸い娘は世界で一番安全な場所に預けてあるからな。」


思い返せば今まで己より強いと感じた男はヴァッツを除いて2人、クンシェオルトとイルフォシアを襲った『七神』の男だけだ。

『モクトウ』は非常に閉鎖的な国である為どれほどの猛者が潜んでいるのか皆目見当がつかないがそれでもネイヴンはを退けた総大将というのは一体どれほどの者なのだろう。

(・・・いかんな。これも親父の血のせいか。)

妙に気持ちが昂って来たので早々に陣幕から去ると用意された寝具に身を投げたカーチフはその夜、思考を働かさないように必死で己を抑え込みながら眠りについた。






 「また来たのか・・・前回もう聞く耳は持たんと断ったはずだが?」

テキセイは休戦期間を過ぎた一週間後にまた現れたネイヴンの姿を見て呆れかえる。

良く言えば勝利への執念が凄まじいとでも例えればいいのか。しかし今は悪あがきが過ぎるとしか感じない。

「まぁまぁ!お互いが剣を交えた仲ではないか!!これが最後だ。1つだけ提案を聞いてくれ!!」

傷の具合がいいのか。顔色は大分ましになったネイヴンが相変わらず供回りもつけずに単身でやってきた。なので仕方なく応対するが折角の初戦、もう少し真っ直ぐに進めたかったというのが本心だ。

今回もまた同じ陣幕に通すも聞く耳を持たないといった手前、以前とは違いしっかりと護衛を配置させておかしな真似をさせないように警戒する。

それでもネイヴンは特に気にする様子は見せず、お互いが距離を置いて座ると早速その口を開いて提案とやらを聞かせてきた。


「俺の傷は多少ましにはなったが正直満足に戦える状態ではない。そこでだ、こちらから腕利きの将を1人用意するので『モクトウ』で使われる手法の1つ、『一騎打ち』をお願い出来ないだろうか?」


「貴様っ?!この期に及んでまだ譲歩を強請るのかっ?!」

「総大将としての誇りはないのかっ?!恥を知れっ!!」

ゴキンモクやエイスウを始め、後方に同席させていた諸将達が各々非難の声を上げるが当然だ。我が国ではここまで勝利に拘る風習はないし拘るような戦もなかった。

もしかしたら他国の人間は皆こういうものなのか?テキセイだけは静かに考えこんでいるとネイヴンがじっと睨みつけて答えを待っているのに気が付く。


「・・・今回こそ本当に最後だ。それで相手を討ち取ったら貴殿は大人しく投降しろ。いいな?」


テキセイの発言に今度は諸将がこちらに向かって反対意見を述べ始めるも彼の耳には届かない。というのも『一騎打ち』というしきたりを知ってはいたもののそれに触れる機会が訪れるとは思ってもみなかったのだ。

であれば折角の申し出を断る理由はない。初戦や初勝利も含めて全てを手にして見せよう。そう覚悟を決めたのだ。

「流石はリセイ殿だ。他の諸将もこの誇り高き総大将を見習うんだな!はっはっは!!」

既に一週間の猶予を与えていたので『一騎打ち』はその日の正午という事で話を付けると、ネイヴンは容姿に似合わない皮肉を置き捨てて意気揚々と自陣へ戻っていく。

「よ、よろしかったのでしょうか?」

エイスウが心配そうに尋ねてくるが初日の敵兵の動きを見るにそれほど飛びぬけた強者がいたとは思えない。

「奴は言っていた。錦を飾るとな。であればこちらもそれを真似ようじゃないか。」

それに初めての防衛戦を『一騎打ち』で跳ね除ければゴシュウの権力基盤を固める理由付けとしても十分だろう。国民と新国王の為に選んだ道は間違いないはずだ。

テキセイは配下達に笑顔でそう答えた後、猛る心を沈めるように腕を回しながら厩舎へと足を運んだ。








「総大将のリセイは騎乗していた。であればこちらも一番良い馬を使うべきだろう。」

ネイヴンがとても嬉しそうに提案してきたが正直本気で戦う時には邪魔でしかない。だがいざという時の盾くらいにはなるか。

「そうだな・・・じゃあその栗毛を貰おうか。」

カーチフは一番大きく一番筋肉が乗っており、且つ一番元気な馬を選ぶとひょいっと騎乗して手綱を左右に引いてみる。

機敏さと力強さを確かに感じると思わず笑みが零れた。これなら帰国した後でも使っていいかもしれない。

「さぁさぁ!我らは応援だ!!世界で一番強い男、『剣豪』カーチフ=アクワイヤの雄姿!!瞬きせずに見届けるのだぞ!!」

総大将としては当然の対応だがその謳い文句は少し気恥ずかしい。しかし数少ない軍勢がそれ以上の大きな鬨の声を上げていたのでここは彼の策に乗っかっておこう。

カーチフが馬上の上から軽く右腕を掲げるとその歓声は更に広がる。

(これで負けたらいい恥さらしだな。)

ほんの少しだけ心の中で自虐するもそんな気持ちは微塵もない。これは油断ではなく強者故の自信だ。


こうして正午前にはお互いの軍勢が戦場の中央に視線を向け、『一騎打ち』の英雄達を今か今かと待ち構えていた。






 (何だこりゃ。まるで見世物じゃないか。)

最初に思った感想がそれだった。何せ姿を見せた瞬間敵味方関係なく大歓声が上がるというのは今まで経験した事がない。

闘技場などで戦う剣闘士などもそんな風に考えて戦っているのだろうか?形容しがたい感情に苛まれるがどうやら相手もそうらしい。

自身と似たような体躯の男に身を包んでいる鎧兜は『モクトウ』のものだろう。右手には長槍を携えて現れた男からは闘気よりも戸惑いが感じられる。


だが何より驚いたのはまるでカズキと対面したかのような感覚を覚えた事だ。


甥っ子も確かに『モクトウ』出身ではあるがまるでカズキを大人にしたかのような。対面する男を見ているとそういう錯覚に囚われる。


「・・・お、俺は『モクトウ』の防衛軍総大将テキセイだ。そちらの名を聞いておこう。」

ほんの少し言葉に詰まったのはどういった理由からだろう。何より聞いていた名前と違う事が引っかかったのだがカーチフもまずは名乗りを上げる。

「俺は『ネ=ウィン』で小隊長を務めるカーチフっていうんだ。ところでそちらの総大将の名はリセイじゃなかったか?」

「ああ。リセイとは俺が追放される前に名乗っていた名だ。今でも慕ってくれる人々はそう呼んでくれるがこの入れ墨がそれを拒むんでな。」

左手で指を刺した頬には大きな文字で『栄』と入れられている。何やら訳ありの人物らしい。

「よかったら国を追放された理由を聞いてもいいか?」

「何故だ?」

「いやぁ、お互い妙な緊張をしてるだろ?少しでもそれをほぐしてからの方が全力で戦えるんじゃないかと思ってな。」

嘘だ。カーチフはこのカズキに似た男から感じる妙な威圧感について探りたかったのだ。

ただテキセイが緊張しているのは間違いないらしい。間合いも十分にあった為少しだけ溜息を漏らした後彼は口を開いてくれる。

「何てことは無い。俺が軍事力の頂点に立ってしまったからそれを危険視された結果だ。」

「ほう?まぁ確かに只者ではない気配を感じるな。」

カーチフは腕を組んでうんうんと頷く。するとテキセイも少し肩の力が抜けたのかおどけた様子で更に事情を教えてくれた。

「母はそれなりに高名な将軍だったらしいが俺なんて父の名すら知らない男だ。今持っている武の力も母から与えられたもので俺自身には何もないさ。」

公明正大とは聞いていたが謙遜にしては少し鼻についた。何せカーチフが只者ではないと感じ取るほどの男なのだ。

「ふむ、しかしリセイとテキセイか。名を変えるならもう少し大胆に変えないとあまり意味がない気もするぞ?」

「それは確かにそうかもしれん。でも一時は政敵に回ったんだ。だからセイテキ(政敵)とリセイを文字ってテキセイとしたんだが安直過ぎたかな?」

「なるほど。そういう意図があるのならテキセイでいいな。」

周囲はいつ矛を交えるのだろうと固唾を飲んで見守る中、当の2人は軽く笑顔を浮かべて談笑しているので困惑し始める。


だが何よりカーチフの気を引いたのは父の名を知らない点だった。


あの男は武者修業で世界を回っておりあらゆる女と一夜を共にしていたはずだ。であればテキセイにその血が流れていてもおかしくはない。

もしそれを強く感じる事が出来るのであればカズキに似た雰囲気なのにも納得がいくだろう。

「さて、それじゃお互いを知った所でそろそろ始めるか。」

「待ってくれ。俺は貴殿の事を全然知らないぞ?」

なるほど。これから命を賭けて戦うというのにその点が不満だったらしい。公明正大という評価は己自身にも適用されるのか。


「おっと、そうだったな。だがその話は決着がついてからにしよう。」


突如雰囲気を変えたカーチフにテキセイも素早く身構えた。やっと動きを見せた2人にお互いの軍勢も前のめり気味でその結末を見届けようと目を皿のようにする。

「わかった。では殺さない程度にお相手しよう。」

「面白れぇ!!やってみな!!」

いくら『孤高』の存在を知らないとはいえ不遜な物言いなどもあの男やカズキを彷彿とさせる。

その自信が本物かどうかを確かめるべくカーチフは腰の長剣を抜くとそのまま『一騎打ち』の火ぶたを切って落とした。






 相手は長槍だ。その間合いの広さや対応力でこちらに不利が付くのも重々承知している。


がきんっ!!!!!


加えて力量を推し量った結果、更なる隔たりがあると痛感したカーチフは内心とても驚いた。

(・・・まさかここまでとは・・・!)

まだお互いが初撃を撃ち合っただけだ。それだけだが十分に伝わってくるテキセイの強さ。ネイヴンが軽くあしらわれたのも大いに納得だ。

相手もこちらの力量を推し量っているのか驚愕しているのか。反撃を放つこともなく馬を軽く走らせたまま真正面からこちらを見据えていた。

緊張感が走る2人とは裏腹に観衆と化していた両軍は割れんばかりの歓声を放ってくる。しかしそれを耳に入れられる程の余裕はない。


ばきゃっ!!!!


今度はテキセイから目で捉える事すら難しい長槍の薙ぎ払いが飛んでくるもそれをがっちりと受け切る。だがその体は馬ごと軽く浮いた。凌ぎ切ってはいるが威力は殺し切れなかったのだ。

これを相手に手心を加える必要はないだろう。カーチフはそう判断すると同時に体内から闘気を爆発させて得意の突きを一斉に放ち始める。


「全軍後退っっ!!!!」


がががっがっががががががっ・・・どしゅしゅしゅっ!!!


豪雨と見紛うような攻撃を凌ぎつつテキセイは自軍に下がるよう命じたが彼の背にいた『モクトウ』軍は僅か一町(約110m)程度しか離れていなかった。その為凌ぎ切れなかった攻撃の余波がそれらを貫き通したのだ。

刺突攻撃というのは凌ぎにくい。それはどんな武具を手にしていても同じだ。特にカーチフの放つ突きの貫通力は軽く五町(約550m)を超えるので受け流す事はもちろん盾で完全に受け止めるなどは不可能に近いだろう。

なのにテキセイは槍の柄を使ってこちらの軌道を掠めるように受け流して見せたのだ。驚愕と畏怖の念が芽生えると共に間違いなく一刀斎の血を継いでいるものだと確信する。


しかし驚いてばかりもいられない。今は戦の勝敗を分ける重大な立ち合いの最中だ。


カーチフの激しい刺突攻撃に隙らしい隙など無いにもかかわらず僅かに軌道を強く歪められた時、ほんの少しだけ体幹が傾いたのをテキセイは見逃さなかった。


っびしゃっ!!!!・・・・・ずずずん!!


相手が放ってきた渾身の薙ぎ払いを咄嗟に受け流そうとするもその威力は凄まじくカーチフの体は横回転をしながら馬から吹っ飛んだ。

そしてテキセイの攻撃も例に漏れず、カーチフの後方にいた『ネ=ウィン』の兵士達を麦の穂みたいに刈り取っていた。






 馬から叩き落したもののカーチフは最初から剣で戦っていた為馬上の有利不利はあまり関係ないのだろう。

むしろ己の足で自由に動けるようになった今から彼の恐ろしさを垣間見る事になるのかもしれない。

(何という男だ・・・)

『モクトウ』ではどんな相手であろうとこちらが必ず手加減をしていた。でなければ相手を殺しかねなかったからだ。

元々個の強さにさほど興味はなく戦ってきた相手は身内ばかりだったので今日ほど全力を出した経験はなかった。故に目の前の男とどう対峙するべきかを悩みながら動いていたのだが他にも心に引っかかっている事がある。


それが妙な親近感だ。


間違いなく初対面のはずなのに何故か懐かしさというか、気心の知れた仲のように思えてくるのは自身が甘いからだろうか。

そのせいで本気で戦ってはいるもののどこか非情にはなりきれていない。この戦いには戦の勝敗が、国の未来が懸かっているというのに・・・。


ぶおんっ!!


そんな甘さを払拭すべく振るった攻撃だったが迷いは軌道にも現れてしまったらしい。カーチフがそれを見逃すはずも無く一瞬で馬に触れる程の距離まで間合いを詰めるとほぼ真下から先程の刺突攻撃を繰り出してきた。

後悔するも先に立たず。辛うじて己の身は護りきったが馬には無数の風穴が開いてしまったのでこちらも飛び降りて地上へと着地する。

だがこれで互いに力を出しきれる条件が整った訳だ。果たして相手はどれほどの力を秘めているのか。

強者と戦う経験が圧倒的に不足しているテキセイは気取られぬよう落ち着いた振る舞いの裏で常に試行錯誤を繰り返す。

カーチフは上半身を前に屈めつつ両足は広めに開いて深めに腰を下ろした状態で剣を構えている。その様は今にも襲い掛かってきそうな狼か熊かと見紛うくらいだ。

そして間合いの差を考えてか相手は刺突攻撃ばかりを見せてくる。それしか手段がないのか奥の手を隠し持っているのか。


悩む。悩むがテキセイはその血と才能でカーチフを上回っていた。


びゅんっ!!


常人では絶対に目で追えない点のような突きに体を捻らせて躱すとその勢いを利用しつつ咄嗟に柄を突き出す。

もし当たったとしても致命傷を与える事など出来ないだろうが相手が少しでも次の動作を遅らせてくれればいいのだ。

お互いが武器を構え直して次の行動へ移った瞬間、テキセイも今までやったことのない攻撃でカーチフと相対する覚悟を決めるとその槍を怒涛の勢いで放ち始めた。






 びぎっぎぎっぎぎぎっびびぎぎぎぎっ!!!!!


嫌な音が響き渡りながら2人の間には激しい火花が咲き乱れる。その間も足を止める事なく動いていたので広範囲で開花していく様相は本物の見世物かと勘違いしそうだがそうではない。

カーチフの切り札でもある長剣の刺突に合わせてテキセイも穂先を当てに来ているのだ。

(こいつっ?!)

尖端に尖端を当てるだけでも相当な技量が求められるというのにテキセイはこれを初めての試みで見事にこなす。

苦肉の策だったの事を知らないカーチフもまさか己の得意な攻撃をこのような形で凌がれるとは思わなかった為非常に狼狽していた。

更にこの攻防は相手が相当優位なのだ。何故なら・・・


びきんっ!!!


最後に一際大きな火花を散らせた後カーチフは間合いを取って長剣を構え直した。あれら全てを相殺されては手の打ち様がないからか?いや違う。

彼の武器は右手一本で振るう長剣でありテキセイはしっかりと両手で扱う長槍だ。重量の違いもさることながら体の、特に腕への負担が全然違うのだ。

百に満たない衝突ではあったが自身の右腕は手首、肘、肩に相当な高熱と疲労を感じていた。対してテキセイは相も変わらず涼しい顔でどっしりと長槍を構えている。

凌がれ続けていては先に己の腕が力尽きてしまうだろう。ここは戦い方を変えていく必要がある。

5間(約10m)という普通に考えると遠すぎる間合いを取りつつどう崩していくかを考えるカーチフ。幸いなことに相手も何やら思案しているようで構えたまま動く気配を見せてこない。


だが数分が経過した後、おもむろにテキセイが穂先を背に回すよう脇で構えだす。


明らかにそこから横へ薙いでくるのだろうという構え、というかそれしか動きようがない。あまりにも分かりやすすぎる動きにより警戒をするが相手はそのまま勢いよく真横に振り切った。

想像通り左からの剣閃が飛んでくるもその威力は桁違いだ。こちらは後方にいる自軍へ避難を呼びかけてはいなかった為後悔が脳裏に過るも「だったら被害を抑えればよいのだ」という方向に全力で舵を切る。


「ぬぅぅんんんっ!!!」


右腕の消耗が激しいがそうも言っていられない。カーチフは渾身の斬り下ろしを放って十字の形で受けるとまたも激しい火花が散ったのだが同時に長剣への違和感も覚えた。


ぴししっ・・・


今までずっと一緒に戦い続けてきた無名の剣にひびが走ったらしい。むしろよく今までへばらずにカーチフの力技についていけていたと褒めたたえるべきか。

このまま力を入れ続ければ間違いなく折れる。そうなると自身の武器は短剣くらいしか・・・だがそんな野暮な事を考える必要はなかった。


ばきゃんっっっ!!!


突然手にしていた長剣から力が伝わってこなくなったと思ったらテキセイもその槍から手を離して思いっきり蹴飛ばしてきたのだ。

瞬時に対応を迫られたカーチフも流石だった。すぐにこちらも武器から手を離し、素早く防御姿勢に入ると巨木を軽くへし折りそうな蹴りを見事に受け切る。

ただ若さのせいか力量差が明確なのか。またしてもこちらの体が軽く浮いてしまった事実には軽い苛立ちを覚えていた。






 「どういうつもりだ?!」

長剣にひびが入ったカーチフから殴りにかかるのであればともかく、テキセイの長槍は刃こぼれ一つ起こしていない。なのにそれを手放して蹴りかかって来るなんて夢にも思わなかった

なので先程の軽い苛立ちと憤りの力で吐き捨てるように尋ねてやるつもりだったのだが相手の攻撃は息つく間もなく繰り出されてきたのでまずはその対応に追われた。


ばばっばしんっどしんっ!!どどんっ!!!


無手で戦うというのは人間の基本だ。しかし今戦っている2人は人間の基本を大きく逸脱した2人でもある。

双方が攻撃を受ける度に衝撃波が目に見えるし観衆の耳には聞いた事のない音が届いてくるのだ。軽い地響きすら感じる無手の戦い。誰もが一体何がどうなっているのだろうと口を開けて眺め続けている。


どんっっっんっっっ!!!!


テキセイの前蹴りを両腕を十字にしてがっちり受け切ったカーチフはまたも大きく後方へと押し戻されたが運よく間合いが取れた。

更に追撃が止んだので反転攻勢に出ようと足に力を入れそうになったがその点にも疑問が浮かんだので一瞬で冷静さを取り戻す。


「・・・どういうつもりだ?」


先程言いたかった言葉をやっと発する事が出来て妙な満足感に浸っているとテキセイも構えを解いて静かに答える。

「・・・貴殿とは最初から同じ条件で戦うべきだった。なので後悔した結果こんな戦い方になってしまってすまないと思っている。」

どうやら長剣と長槍で相まみえた時から既にかなりの優劣が付いていた事に気が付いていたらしい。

「同情か?舐められたもんだな?」

『剣豪』と呼ばれる事にあまり良い顔をしてこなかったカーチフといえど戦士としての誇りは持っている。

戦う相手に手心や気配りを加えられるなんて初めての経験であり得も言われぬ感情が胸の中に渦を巻くと体中を駆け巡る。

「同情と取られても仕方がないな。しかし貴殿の右腕はかなり無理な動きをしていた。あのまま負けては・・・」


「勝敗を決する為に戦ってんだろうがっ?!?!」


カーチフは西都の隅まで届くような怒声を放つとテキセイを始め、観客となっていた周囲の軍勢も目を丸くして2人を見守る。

「・・・済まなかった。この償いをしたい。何か希望はあるか?」

「んじゃ今から全力で相手をしろ!!いいか?!今度手加減したらこの国の全てを斬り伏せて回るからな?!」

指をさして強く言い捨てるも決して虚言ではない。実際ここに来る前に『リングストン』を10万人程斬り捨てて来たのだ。

テキセイにはテキセイなりに正々堂々を誓って戦っていたのだが逆にカーチフを激高させてしまった事を後悔しているらしい。


「わかった。だが条件を同じにしたいのでこのまま無手でいく。構わないな?」


「けっ!この俺相手によくもまぁそんな大言を吐きやがるな?!後悔するなよ?!」

それでも己の信念を曲げない所は2人ともよく似ている。恐らくは父の影響なのだろうがそれを知る事はなく、この日2人はぼろぼろになるまで殴り合うと夕刻前にはお互いの陣営から退却の銅鑼が鳴り響いた。





 顔の形が辛うじて残っていたカーチフはふらふらになりながら自陣へと引き返してくると兵士達が手厚く迎えてくれた。

どちらも最後まで立ってはいたものの見る人間が見ればわかる。


カーチフの方は何度も殴られては倒れ、立ち上がっては殴り返すを繰り返し、テキセイはその反撃で大きく体を揺らしはしていたが倒れる事なく戦い抜いていた。


(まさかあんな男がいるとはなぁ・・・)

『一騎打ち』の定義だとどちらかの首が落ちるまでが勝負らしいが戦った本人達はもちろん、両軍もこの勝敗は理解しているはずだ。

体中を腫れさせて物を話す事すら困難な状態だったカーチフはまずルクトゥールの下で怪我の手当を受ける。

「恐ろしい戦いでしたな。」

老医師から感想を告げられてもこちらは軽く嘆息で答えるくらいしか出来ない。『ネ=ウィン』の名を背負って戦いに赴いたはずなのに惨敗したのだ。

生まれてからずっと負けを知らなかったカーチフは悔しさよりもその喪失感で完全に気が抜けきっていた。

外ではカーチフとテキセイの戦いを見た兵士達が盛り上がっているのだろう。少し遠くから騒ぐ声が耳に届く中、いつもより声を落とした男がこの陣幕に姿を現す。


「よう男前!!調子はどうだ?」


総大将のネイヴンが杯を片手に入って来るとルクトゥールは軽く会釈をした後入れ替わるように出て行った。年の功か、流石に気配りが上手いなとこの時は思ったものだ。

「あぁ。悪くはない。」

口の中も腫れていたのに上手く言葉を発する事が出来たのは奇跡だろう。ネイヴンも大笑いしながら杯を飲み干すと前にある椅子に腰かける。

「はっはっは!!しかしまさかカーチフですら相手にならんとは。敵の総大将は俺が思っていた以上の人物だったらしいな。」

「わざわざ頼ってくれたのに済まん。」

初めての敗北に何をすべきか考えていたカーチフは深々と頭を下げた。いくら元4将筆頭だからとここでなあなあにしてしまうのはよろしくないはずだ。

総大将の期待に応えられなかった点も含めて反省する事は多い。いつの間にか世界一と呼ばれ慣れていて鍛錬を怠っていた部分も否めない。

思えばクンシェオルトの強さを垣間見た時あいつは『異能の力』を持っているから、と自身に下手な言い訳をしてしまったのが失敗だった。

年を言い訳にせず家族を言い訳にせず、もっと己の強さを突き詰めて高みを目指すべきだったのだ。


(・・・今からでも間に合うか・・・いや、間に合わせてみせる。あいつが最後までそうだったんだからな。)


忌み嫌っていたとはいえ父のそういう姿勢は見習うべきかもしれない。最後に見た小さくも広い背中を思い出すと俄然やる気の出て来たカーチフは体中の痛みなどが吹き飛ぶほど血が滾り始める。

今は無理だろうが半年、いや、三か月、いいや、一か月で何とかテキセイを超えて見せよう。心に誓うカーチフはそれを宣言しようとするも上手く口が回らない。

相当な傷を負っていた為、体も休めと己に命じてきているのか。見れば視界すらぼやけて暗くなってきている。

(目の前にネイヴンがいるのにこれ以上情けない姿を見られたくはないな、寝具へ行くか。)




そう思って立ち上がろうとした時やっと目の前に総大将の男がいないと気が付き、更に背後から絶命に近い一撃を受けた事を何となく察したカーチフは膝から崩れ落ちる。


「我が国に敗北は赦されない。」


最後の一刀と耳に届いた言葉は誰のものなのか。それを知った所でもう取り返しはつかない。

それでもさほど険のない、むしろ穏やかとも取れる表情を浮かべていたのは家族や仲間の事を思い浮かべていたからだろう。この日、カーチフ=アクワイヤはそのまま疲れが取れる事のない眠りについた。






 「全兵士に告ぐ!!!今から西都を襲うぞ!!!!」

満身創痍だったカーチフを背後から斬り捨てたネイヴンは陣幕を速足に出ると憤怒のままに怒鳴り声を上げた。

『一騎打ち』で負けたにも関わらず酒盛りをしていた兵士達はその号令を聞くと皆が慌てて準備に取り掛かる。8年以上も彼に鍛えられて来た為その命令系統は骨の髄まで叩き込まれているのだ。

「よろしかったのですか?カーチフ殿は相当な猛者、それをあんな簡単に手放されては・・・」

流石に忍びなかったのかルクトゥールは少し後悔の念を漏らすがネイヴンにとってはいい機会だったのだ。


自分が物心付いた時には4将としての地位を確立していたカーチフ。その強さは他の追随を許さずいつも頭一つ飛びぬけていた。ネイヴンはそんな彼を羨ましくも疎ましくも思っていたのだ。

利用価値がある間はいいだろう。しかし王族よりも目立つ存在というのはいつの時代でもどの国でも煙たがられるものである。

腕こそ買ってはいたもののどうにも彼からは勝利への執念が感じられず、いつもいらいらさせられてきた。今回もそうだ。もっと本気で、何なら刺し違えてでも敵将を殺しに行くべきだった。

なのにお互いが武器を捨てたかと思えば戯れのような殴り合いを始め、力の差だけを見せ付けられるという散々な結果だけが残ってしまった。この醜態を敵味方に晒した責任も考えると極刑が妥当だろう。


そうだ、これは決して己の自己顕示欲を満足させる為ではない。全ては勝利を掴む為だ。


「いいか!!市民を襲って人質とするのだ!!盾にして敵を討て!!!勝利した暁には恩賞は望むままにくれてやろう!!」


まずは預けた捕虜を解放すべく敵陣に軽い夜襲をかける。そうやって気を逸らしている間に別働隊を差し向けるのだ。

『モクトウ』の手によって捕らえられていた兵士達は屈辱と空腹でさぞ気がたっているだろう。そんな彼らは街を襲うのに大いに役立ってくれるはずだ。

当然勝利を渇望するネイヴンは捕虜を解放する部隊を指揮する。最悪敵兵を沈める必要はない。街を壊滅状態にまで荒らすことが出来ればそれもまた勝利なのだから。


まだリセイに受けた傷は癒えておらず、それでも包帯を巻いた体の上から鎧兜に身を包んだネイヴンには痛み等感じる余裕はない。


ここで『モクトウ』を落とさねば故国へ顔向け出来ないし凱旋も夢のまた夢になる。

何の為に生き恥をかいて今まで生きてきたのか。それは華麗なる復活の機をずっと窺ってきたからに他ならない。

敵国の捕虜になった時からその屈辱はずっと胸の内に秘めていた。そしてそれを隠し続けてきた。ネイヴンの心はとうに限界を超えていたのだ。


「全てを奪い、全てを殺せ!!ああ、女と食い物だけは自由にしていいぞ!!はっはっは!!」


外敵との戦いに慣れていない『モクトウ』が相手というのも都合が良かったのだろう。深夜に遂行された夜襲は彼が思っていた以上の成果を叩き出した事で西都は朝焼けのような炎で包み込まれていた。

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