旅は道連れ -海の神-

 「へぷちっ!」

2月も半分が過ぎた頃、ウンディーネはいきなりくしゃみをした事で周囲から驚きと微笑みの視線が向けられる。

「おや?随分可愛らしいくしゃみですね。」

左宰相として各部門の書類に目を通していたショウはそれをからかうように言ってきたので両肩に手を置いて周囲を見渡した。

「おかしいの。私くしゃみなんて何百年もしてないのに・・・誰か私の鼻をくすぐったりしたの?」

魔族である彼女は普段、胸元を隠す程度の衣装しか着けていない。年中そんな恰好なのにもかかわらず風邪という概念すら知らない為まずは誰かの仕業かと周囲を疑ってみたのだが。

「だとすれば誰かが貴女の噂でもしているんじゃないでしょうか?」

「噂?それだけでくしゃみが出るの?」

「そういう言い伝えがあるんですよ。もし熱などがあれば風邪という線も考えられますが・・・大丈夫そうですね。」

ショウの温かい手がウンディーネの額を触れるも彼女の体温は水に近い。いくら魔人族に近いショウといえど正確な体温はわからなかったのか軽く流すと再び書類へ目を通し始めた。


現在イフリータの復活を心待ちにしていたウンディーネは国王の計らいでショウの傍に付く事を許されていた。


だが力を取り戻せるきっかけだったヴァッツは現在『リングストン』に出向中であり相変わらず友人との再会の目処はたっていない。

(でもあの魔人族は言っていた。強い力を持つ者の傍にいれば良いと。だったら私の傍でもある程度効果はあるはず。)

サーマの体に入っていた時から数えると既に1年以上一緒にいるにもかかわらず未だ友の気配を感じないという事実には目を瞑りながらウンディーネは願う。早く、早く友人に会いたい。




そしてこの世界を・・・友を酷い目にあわせた下等な生物達を共に・・・




「ウンディーネ。」

名を呼ばれたことで我に返ったウンディーネはいつもの笑顔を向ける。するとそこには箱入りならぬ放蕩娘が仲の良い友達と姿を見せていた。

「暇なら魔術で遊ばない?」

アルヴィーヌが普段通りの抑揚のない声で物騒な提案をしてきたので傍の2人もすかさず止めに入る。

「貴女ねぇ・・・いくら王女でも流石に限度があるわよ?」

「そうだよ!魔術は遊びじゃないでしょ?!」

ハルカとルルーに諫められて少ししょげているアルヴィーヌ。彼女の強さは一度手合わせしたから知っている。天族なのに魔術で戦うという変わり者だ。

今は仲の良い甥がいない為国王に掛け合ってリリーの妹であるルルーを城に招く許可を貰っており、更に大将軍の配下であるハルカも今回は休暇という形で暇を持て余している為一緒に行動しているらしい。

「いいじゃないですか。魔術はともかくアルヴィーヌ様達と交友を深めて来ては?」

ショウは簡単に提案してくれるがそれでは『トリスト』にいる意味がなくなるのだ。ウンディーネがわざわざ魔界から赴いた理由の全てはイフリータとの再会を果たす為なのだから。

しかしここで頑なに拒絶しても印象が悪くなるだけだろう。

「・・・やれやれ、仕方ないの。おねえさんが遊んであげるからショウの仕事を邪魔しないように早く行くの。」

書類が山積している執務室をするすると泳いで出ていくウンディーネにルルーはぱたぱたと小走りに、アルヴィーヌはぺたぺたと歩いて、ハルカは暗殺者らしく無音で部屋を後にする。

(・・・不思議な子達なの。)

それぞれが個性的な動きをしている為、それぞれの力量が何となく読めたウンディーネは心の中でつぶやく。

結局魔術や武術といった提案は省かれ、王城内にある手入れの行き届いた庭園で女の子らしいおしゃべりの時間でその日は過ぎていった。






 イルフォシアのただ事ではない様子にクレイスもバルバロッサと顔を見合わせると2人はすぐに甲板へと飛び出す。

と同時に激しい横風で体が吹き飛びそうになった。慌てて姿勢を低くして辺りを確認すると今まで見た事がないほど分厚い雲が天を覆っており波は船を飲み込もうと荒れ狂っている。

前回の航行でも天気には恵まれていた為すっかり油断していたが海での事故はこういう急激な天候の崩れから起きるらしい。

「クレーイスッ!!ここは危険だっ!!中で待機していろっ!!」

彼の姿を捉えた船乗りの1人が大声で避難を呼びかけてくれたがクレイスにはいざとなれば飛空の術式がある。それより今は自分の命よりも大切な存在が見当たらない事の方が彼を焦らせていた。

「あのっ!!イルフォシア様はどちらにっ?!」

「・・・上だっ!」

傍にいたバルバロッサが見上げて指を指した方向へ顔を向けるクレイス。風雨に身を晒したまま翼を顕現させて右手に長刀を握る彼女はまるで何かを探しているようだった。

その行動に見当はつかないが放ってはおけないとすぐに自身も空を飛んでイルフォシアに近づくと船内へ避難するよう告げる。だが普段の彼女と違って様子がおかしい。

「・・・イルフォシア様。落雷の恐れもあります。どうか一度退いて下さい。」

バルバロッサも静かに進言しているがイルフォシアの耳には届いておらず視線は下方と上方を忙しなく動いていた。

(・・・何かあるのかな?)

襲撃の可能性があるとすれば黒い外套の男だろうか?だとすれば彼女が警戒するのも納得がいく。クレイスも彼の勢力とは剣を交えた事からその脅威は十分わかっているつもりだ。

退避する様子がないのでバルバロッサも諦め気味に付き合わされる形で周囲を警戒し始めると、


「・・・下ですっ!!!!」


暴風雨の中、とても綺麗な声が響き渡ると船乗り達も含めて全員が海の底に視線を向けた。が彼らにはわからなかっただろう。

「な、何ですかあれは?!」

「・・・生き物・・・なのか?」

クレイスとバルバロッサにはその全容が見えた。そして思わずその驚きを漏らしていた。それは船の十倍以上はあるだろうか。大きすぎる魚影が見て取れたのだ。

砂漠でも牛サソリという巨大な生き物には出くわしたものの、これは比較にすらならない。海中を泳いでいる為正確な測定は難しいがもしあのまま浮上すれば船が間違いなく転覆するだろう。

「何だっ?!何か海底にいるのかーっ?!」

「と、とっても大きな影がありますっ!!!魚・・・あっ?もしかしてこれが鯨ですかっ?!」

船乗りに答えようとして以前聞いた事のある海の巨大生き物の名を挙げたクレイス。下手な船よりも大きく一度捕鯨出来れば食料や素材として多数の人間を賄えるという話だったはずだ。

「鯨だとっ?!こんな寒い海に来るとは思えんなっ!!」

後から聞いた話だと鯨は暖かい海に生息しているらしく冬場はこの海域に来る事がほぼ無いそうだ。

そんなやりとりを尻目にイルフォシアが目を光らせるとまるで矢のような速度で海中に突っ込んでいった。一連の行動に全く理解が追いつかなかったが大きな水柱と轟音が鳴り響くと海が更に荒れ狂う。

「・・・クレイス!船を護るぞ!!」

大きな波が発生した事で至近距離にいた船の危険を察したバルバロッサがこちらに命令してきた。だが護るといってもどうやって・・・

考えがまとまらないクレイスを置いてバルバロッサが取った行動。それは船底近くに身を滑り込ませて高波から護る為に持ち上げようという事らしい。

あまりにも無茶苦茶な行動に思えたが彼は4将筆頭の大魔術師だ。恐らくそれが最善策なのだろうとクレイスも続いてそれに従ってみると思いのほか船は確かに空へと浮いた。

「・・・浮力と波の力があってこそだな・・・うぐぐ・・・!!」

だが一番大きな波が去った後は急激にその高度を落としていく。当然だ。あくまで上へとかかる力を利用して一瞬だけ波から護ったに過ぎないのだから。

それでも難所は越えた事でいきなり転覆するような危機は去った筈だ。そう思っていたのだが再び巨大すぎる水柱が立つと今度は先程見えた海底の生き物が姿を現していた。






 「な、なんだありゃ・・・・・?!」

船乗り達も悪天候の中、突如現れた化け物を唖然とした様子で見上げていた。彼らの中にその知識がない以上クレイスにその正体がわかるはずもないのだが。

「・・・へ、蛇?」

大きさは桁が違うものの面長な顔面につるりとした表面は鱗らしいものでびっしりと覆われている。自身の知識からそう呟いていたのだが隣にいたバルバロッサは納得している様子だ。

しかしこんな巨大なものに突っ込んでいった彼女の姿は見当たらない。まさか飲み込まれた・・・?

いても立ってもいられなくなったクレイスは船の傍を離れて上空に舞い上がるとその巨大な蛇の周辺を見渡すが悪天候の為視界が恐ろしく悪い。

後方ではバルバロッサが何やら叫んでいたようだが今はまず彼女だ。イルフォシアの姿を確認しない事には自分が蛇の口内に突撃しかねない。

すると巨大蛇はゆっくりと顔を左に向け始めた。ど同時にその左目に大きな縦の斬撃が走った事で巨大な眼球と視野を失ったらしい。

暴風に混じって妙な音が響いたのは叫びなのだろうか?巨大蛇は再びゆっくりとその身を海へと沈めていく。

見れば海水と風雨でびしょびしょに濡れたイルフォシアが長刀を片手にその様子を睨みつけていた。

「今のうちです!早くここを離れましょう!!」

それから船の上空に戻ってくると退避を促してきたので少し驚いたクレイス。彼女の性格上こちらへ危害を加えてくる者にはもっと容赦のない攻撃を加えるのかとばかり思っていたがこれにも理由があった。

船乗り達が風を読みつつ急いで西への航路をとる中、イルフォシアは彼とバルバロッサを呼ぶとその巨大蛇について説明を始める。

「あれの正体は全くわかりませんがこちらへの敵意はしっかりと感じます。そして海中では満足に斬撃を与える事が出来ない為先程の不意打ちが限界でした。

せめて船が安全な場所に移動するまでの間、陽動を仕掛けていこうと思うのですがいかがでしょう?」

「・・・わかりました。微力ながらお手伝いさせていただきます。」

元々彼女はナルサスが迎え入れようとしている人物だ。そんなイルフォシアの提案に不可解な点はあれどまずは安全を確保するという目的を遂行する為にバルバロッサは即答して戦闘態勢に入る。

「クレイス様。あの巨大蛇ですが海中にいるとまるで貴方が使う水の盾みたいなものが周囲を覆ってしまい禄に刃が通りません。何か手立てはありませんか?」

「えっ?!」

いきなり話を振られた挙句、その内容は初級魔術師にとって難解なものだった。確かに水の盾はその効力をしっかりと引き出せば相当な攻撃も凌げるはずだ。現に最初期ではそうだったのだから。

何かを答えたい・・・だが鍛錬を怠り、その仕組みについて何も勉強してこなかった彼がその解決策など思いつくはずも無く言葉に詰まる。


「・・・だとすればクレイス。お前が行ってその魔術を引き剥がしてこい。」


そこへ静かに傍観していたバルバロッサが代わりに答えてくれた事でクレイスは目をまん丸に、そしてイルフォシアは一気に激高する。

「クレイス様を何だと思っているのですか?!そんな危険な真似を私が許す訳がないでしょう?!」

「・・・お言葉ですがイルフォシア様。クレイスも半端ではありますが魔術師であり戦士です。我らの乗る船と船員を救うためにあの巨大な化け物を抑える必要があるのならば彼の力は必須です。」

彼らしい言い回しだがそれでもクレイスを一戦力として数えている、認めているというのは伝わってくる。それが嬉しくてつい頬を緩めそうになるもイルフォシアは彼の提案が納得いかないらしい。

「で、でも・・・その、バルバロッサ様にはあの水の盾を剥がせる算段があると?」

「・・・はい。魔術でいう相殺。これは火球の打ち合いという同族性の衝突時によく起こる現象です。普段は狙ってそれをする事などほぼありませんが理論上では十分可能なはず。」

風雨が続き、船が必死でその海域から逃れようとしている中、時間がないのを察していたバルバロッサはイルフォシアを説き伏せる前にこちらへ向きなおすと早速その手順だけを説明する。


「・・・方法は2つ。あの巨大蛇が纏う物と同等の水の盾を展開し真正面からぶつけて相殺する。もう1つは巨大蛇の展開している水の盾に直接魔力を注いで干渉、そして霧散させる、だ。」


数日間だが座学で教わった基礎から考えれば彼の言っている事がある程度理解は出来るクレイス。しかしそれが今の自分に出来るかは別問題だ。

先程までと違い今はイルフォシアがうろたえながら2人を見守っており、バルバロッサがこちらを真っ直ぐに見つめてくる。

「・・・・・わかりました。やってみます。」

「・・・よし。海中だと制限もある。火球で合図を送るからその時は一度海上へ戻って必ず呼吸を整えろ。」


こうして突如現れた巨大蛇を退けるべくクレイスが水の盾を引き剥がし、そこにイルフォシアが攻撃を加えるという即興の作戦が敢行されるのだった。






 巨大蛇の体長は非常に長く、胴回りも船の4倍以上はある。だからこそその動きは緩慢なはずだ。そこに勝機を見出したクレイスはすぐそばにいるイルフォシアにも確認を取ってみる。

「はい。確かに海から顔を覗かせた時はかなりの鈍化を感じましたが海中では逆に・・・クレイス様、彼の合図などを待つ必要はありません。命の危険を感じたらすぐに退避してくださいね。」

どうやら海面下ではあまり期待は持てないらしい。しかし倒せないまでもせめてしっかりと足止めをして船乗り達を逃がさねばならない。

「出来れば一撃で致命傷を与えたい。ですので相殺とやらを狙われるのでしたら心臓に近い位置を狙って頂きたいのですが可能でしょうか?」

クレイスの目標とは裏腹に彼女は完全に巨大蛇を仕留めんと息巻いていた。ただ海上に姿を現したところに強烈な一撃を与えた実績からそれも十分に可能だとも考えられる。

昔の記憶を辿って蛇の体を思い出しながら少し高度を上げて巨大蛇の全容を確かめたクレイスはその位置を定めるとイルフォシアに頷いた。

「わかりました。では僕の傍を離れないで下さい。」

あれらは手足が生えていない為その部位を特定するのは難しいが何度か捌いた経験のあるクレイスはそれを頭部単位で1~2頭ほど下がった部分に狙いを定めた。

気になる点として鱗の存在が挙げられるが片目を難なく斬り裂いていたのだ。そこは彼女の力を信じよう。

上空からの指揮を執るバルバロッサにその旨を手短に伝えるとクレイスはイルフォシアを連れて海中へと飛び込んだ。


航行途中での鍛錬でも掴んでいたが海の中は深ければ深い程飛行の術式を展開した方が素早く移動出来る。


だが今回クレイスに与えられた使命は巨大蛇が展開しているであろう魔術の除去だ。ここで魔力を使い過ぎると本末転倒になりかねない。

(・・・これは思っていた以上に大変かも・・・)

水中で意思疎通を図る事は出来ないのでそのまま蛇の胸部辺りにまで一気に移動するとその巨体がうねって強大な海流を生み出していた。

心臓の位置と魔術ばかり考えていて海水の影響を失念していたクレイスはあっという間に押し流される。と、後ろからついてきていたイルフォシアが体を張って受け止めてくれた事で何とかその場に留まれたのだが。

(ま、まずい・・・息が・・・)

全身に想定をはるかに超える水圧を受けたせいで溜め込んでいた空気がほとんど漏れてしまい、仕方なくイルフォシアにもわかるよう指で上を指して一度海上への退避を提示する。

すると彼女はクレイスの体に腕を巻き付けるともの凄い速度で上空へと離脱した。その勢いは凄まじく何より衣服が脱げそうだったので両手は衣服をしっかりと握りしめていたほどだ。


「大丈夫ですか?!」


彼女が平然としているのでこんな場面でも自身の不甲斐なさに少し嫌気がさすも今はそれどころではない。

「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます。おかげで助かりました。」

何とかお礼を伝える事だけは出来たが海中での巨大蛇の動きとその周囲に発生する重く速い海流はイルフォシアの言う水の盾以上に厄介かもしれない。

背中から狙う事も可能は可能だがやはり筋力の関係から心臓を狙おうとするなら相当深い斬撃が必要となるだろう。


(・・・くそっ!僕にもっと力があれば・・・!)


あの時のように、『闇を統べる者』に助けてもらった時のように。イルフォシアに戦わせないで自分一人の力で戦えるほどの力があればこんな些細な事で悩まなくてもいいのに。

周囲の荒天はまるで自分の心情を現しているようだ。思考はどんどんと逸れてまた彼が現れてくれないだろうか?などと邪な事を考え始めた時。


「遂に見つけたぁ・・・・・」


数日ぶりに聞き覚えのある声が彼らの耳に届いていた。






 「「えっ?!バ、バスル様?!」」

意外な人物が現れた事で2人は驚いてその名を呼んでいた。そこに上空で様子を見ていたバルバロッサも降りて来て何者かと尋ね始める。

「バスル様は海の神と呼ばれるお方です。」

イルフォシアが敬意をこめて紹介するもバスルの方はあの時と違って非常に険しい表情で海中に視線を向けていた。

「おいらはぁそんな大それた人物じゃねぇ。クレイス、イルフォシア。おいらずっとあそこで皆と一緒に暮らしてたって話したよな?」

神と呼ばれる事に相変わらず抵抗があったのか軽く否定するも意識はずっと巨大蛇の方を向いているようだ。

「は、はい。」

「んで、突然の嵐に襲われた話もしたよな?」

「は、はい・・・まさか?!」

2人の方に向けた表情からは優しさが消え去っており、まるで鬼のような形相と化していたバスル。


「あれだ。あれがおいら達の船を襲ったんだ。もう二度とお目にかかることはねぇと思っていたがまた姿を現してくれるとは・・・おいらは運がいい。」


怨嗟からか、のんびりとした声色も失い一言一言が聞いている者の腹の底から震わせる。それこそ初めて『闇を統べる者』の声を聞いた時のようだった。

しかし嵐の正体があのような化け物とは・・・先程2人で接近を試みたがクレイス単体ではどうこう出来そうもない存在だ。

「私達も今から討伐しようとしていた所です。バスル様があれを倒すと仰るのであれば私達も助力を惜しみません。」

それでも物怖じしない言動で経緯と意見を述べるイルフォシアは流石だ。備わった力量といいこういう場面を見ると本当に立派な王女なのだと再認識させられる。

「・・・私もイルフォシア様の意向に従います。」

「ぼ、僕もです!」

バルバロッサの思惑はともかくクレイスも船乗り達の安全を確保する為ここで共闘してもらえればと願って勢いよく返事をした。そして必ず良い応えが貰えると確信していたのだが。


「いんや、あいつはおいら1人でやる。おめぇ達は手を出さないでくれるか?」


てっきり助力を喜んでくれると思っていた為言葉を失う。見ればほんの少しだが笑みを浮かべているものの顔の紅潮は体全体へと広がりまるで赤鬼の様相へと変化しているようだ。

あれだけ優しさに溢れていた人物がこうも激高するとは。自身が何年生きてきたかも覚えていないほどの時が経っていてもその恨みは彼の中で渦を巻いていたのだろう。

「わかりました。ですがもしバスル様に万が一という事があれば迷わず参戦致します。」

鬼気迫る海の神を前にしても変わらず自身の意見をすらすらと述べるイルフォシアは風雨に打たれつつこちらにも目配せしてきた。


「ああ。おいらがあいつを沈める所をじっくりと見届けてくれぇ。」


ならば従うしかない。何かあればすぐに動けるだけの体勢を整えておく必要がある為決して気を緩めず1人と1匹の戦いを見定めようと覚悟するクレイス。

そんな彼の隣にはバルバロッサが同じように闘気を交えながら静かに近づいてきていた。






 「・・・クレイス。よく見ておけ。」

バスルが巨大蛇に近づいていった後彼がこちらに声を掛けてきたので一瞬この隙をついて攫われるのかと警戒したがそうではなさそうだ。

「な、何をですか?」

「・・・あの大男、1人であれと闘う力量があるのだろう。そして奴は魔術を使う。我らより遥かに高等な魔術をな。」

ここにきて魔術主体の考え方に心の中で本当にカズキみたいだなぁと呆れつつ、高みを目指す者というのは例外なくこういう人物なのかもしれないと納得もする。

しかしバルバロッサはバスルと初対面であったにも関わらず彼の力量を上だと認めている。それはどこで判断したのだろう?

確認をしようとした時には既に戦いの火蓋は切って落とされていた為、まずは彼の危機にいつでも駆けつけられるようにという意味合いで動向を伺い始めたクレイス。


だが海の神と呼ばれる魔人族の彼が積年の恨みを晴らさんとすべく全身全霊で闘う様を見てバルバロッサの言った意味を深く理解し始めた。




バスルは海中の巨影の真上まで近づくと突然強大な光る槍らしきものを顕現させる。それは眩い光を放っており形は歪で人工物とは思えない。

バルバロッサの憶測ではあれは雷を魔術で展開したものだろうという事だ。

自身の背丈より3倍はあるだろうか?太く常に形を変化させながら発光するそれを槍のように海中に向かって放り投げると巨大蛇の魚影が激しくうねりを見せて一気に波が高くなる。

彼が放った雷の槍は細い光が手元まで伸びていた。今度はそれを両手で握り締めるとゆっくりと上昇していく。と同時に海中の影もだんだんと濃く大きくなってきて海面付近にまで引き上げられているのが見て取れる。

クレイスは漁師らしい彼の豪快な魔術に見とれてしまっていたが巨大蛇も無抵抗のままではない。

突如バスルの真下から渦巻きがせり上がってくると彼の体を貫かんと天に伸びていくではないか。激しい回転が加わったそれが触れると人体などあっという間に斬り裂かれて粉々になるだろう。

慌てて身を翻すバスル。だが巨大蛇のそれは反撃の序章に過ぎない。

天まで昇りそうな巨大な渦巻きは大きく弧を描いて彼の体目掛けて戻ってくる。と、海面からは第二第三の渦が鋭い形となってどんどんとバスルに襲い掛かっていった。

巨大蛇を海から引き上げようとしている為バスルの動きは相当遅くなっているがそれでも雷で出来た光る縄を解く事はしない。

やがて大きな背中が海上に浮かび上がった時。


ばちばちちちばちばばちちばちばちっ・・・・・びしゃっんんんっ!!!!


海面に見えた巨大な海蛇を雷の縄がそれを包み込むように展開されると目が眩むほどの眩い光が辺り一帯に放たれた。それから鼓膜に優しくない暴音が3人の耳に襲い掛かる。

それでも両手で塞ぐような真似をしなかったのはクレイスがそれだけ彼らの戦いに心を奪われていたからだ。

バスルの雷を受けた巨大蛇が大きな傷を負ったのだろう。今まで襲いかかろうとしていた渦巻きの柱達が次々と力なく海へと落ちていく中、彼は止めを刺さんと先程より更に5倍ほどもある雷の槍を両手で展開して頭の上に掲げた。

太さも長さもあの海蛇の胴を貫くのに十分だ。これで勝負が決する。誰もがそう思っていた。そして雄叫びと共にそれを海中へと落とした姿を見届けて確信もしていた。これで終わると。


びしゃあっっっっ!!!!・・・・・じじじじじじじじじじ・・・・・


しかし強大な雷が巨大蛇の胴を貫く事はなくその背中にはイルフォシアの言っていた分厚い水の盾が体を覆うかのように展開されていたのだ。

それでもバスルの使う雷の魔術は強力だ。バルバロッサのいう相殺という手段も考慮すれば必ず奴の体に突き刺さるだろうとクレイスは読んでいたのだが。


「バスル様っ?!」


2人の魔術師はお互いが似たような部分にしか目が行き届いていなかったらしい。突然イルフォシアが叫んだ事でやっと彼の体が細い水の魔術でいくつも貫かれていた事に気が付いた。






 天は分厚い雲で覆われており暴風の中で細剣ほどの水の攻撃を視認するのは難しい。その事実を知った時には既に形勢が逆転しつつあった。

だがバスル自身は諦めておらず、むしろ更に怒気を膨らませて裁きの雷を突き刺さんと唸り声を上げている。

正に鬼気迫る姿だが当の巨大蛇はどうだろうか?雷の槍は水の盾に阻まれ先端が毛羽立ちのように形を変えて海面を四方八方に走っている。

「・・・むぅ。あれが本当の『水の盾』か。」

バルバロッサも感心と畏怖を込めて呟く。雷のような一点集中型の魔術もその威力を分散させる事で一切の攻撃を通していないらしい。

「バスル様っ!我々も助太刀致します!!」


「まだだっ!!!おいらはまだやれるっ!!!」


その体は紅潮だけでなく己の血でも赤く染まりつつあるバスルだがイルフォシアの悲痛な懇願も刹那で跳ね除けた。

海の神と巨大蛇。どちらもクレイスでは推し量れぬ強さを持つ為口を出すのは憚られたが、

(・・・こ、このままじゃ・・・)

このままではバスルが負ける。このままではいけないのだ。どうする?どうすればいいんだ?


「・・・バスル様。助力という程ではありませんが1つ提案させていただいてもよろしいでしょうか?」


突如隣にいたバルバロッサが恭しく頭を下げて静かに提言し始めた。予想外な男の行動に3人が驚くもバスルは頷いてその先を求める。

「・・・ありがとうございます。あの巨大蛇、見れば海水を使って魔術を展開している模様。ですのでバスル様の雷の槍を貫き通す為にあれを排除する程度の横槍を許してはいただけませんか?」

・・・・・もしかして・・・・・

クレイスは突出して頭がいいわけではないがそれでも彼と接してきた事でバルバロッサの性格を少しは理解しているつもりだ。

「そ、そんな事が出来るのか?」

「・・・はい。戦いを拝見させていただいた所、バスル様の魔術は攻撃に特化されている模様。ですので魔力を器用に扱うクレイスがあれを抉じ開けた瞬間に必殺の一撃を叩き込めば、と考えます。」

やっぱりか。提言を聞いた瞬間そんな気はしていたが先程イルフォシアと試した時は近づく事すら出来なかったのだ。

(こんな重要な場面に僕の名を出すなんてこの人は一体何を考えているんだ?そもそも魔術の干渉を狙うのなら自分でいけばいいのに!)

バスルとは比べ物にならない小さな私怨と憤慨に駆られるも海の神は少しだけ考え込んだ後、


「・・・わかった。クレイス、頼めるか?」


イルフォシアの助太刀には首を縦に振らなかった彼が名指しで頼んできた事で断るという選択肢はなくなった。こうなったらやるしかない。

「は、はい!任せてください!」

先程は近づく事さえ困難だった巨大蛇だが今は半分が海面に浮かび上がっている。もちろん魔術での迎撃が予想されるも海流に飲み込まれさえしなければ十分に凌げるはずだ。

バスルを心配させまいと元気に答えたクレイスはそのまま急降下しそうになるがそれをバルバロッサが制止してきた。


「イルフォシア様、クレイスの護衛をお願い致します。」


またも意外すぎる提案に名を呼ばれた本人がびっくりしていたがすぐに自信たっぷりの微笑みを浮かべる。

「わかりました!さぁクレイス様!先程の雪辱を果たしましょう!!」

直接的な助力ではないにしてもバスルの役に立てるというだけでなくクレイスの力にもなれるのだ。喜び勇む姿を隠す事無くこちらの手を握ると2人はそのまま急降下していった。






 「正直魔術というのはよくわかりません!でも私に出来る事があれば何でも仰って下さいね!」 

雷の槍が突き立つ場所へと真っ直ぐに向かうイルフォシアは嬉しそうにそう告げてくれる。だがこの点ではクレイスも似たようなものだった。

何せ巨大すぎる生物が自分やバルバロッサすら舌を巻くほどの魔術を展開しているのだ。言葉も文化も持たない爬虫類がよくもまぁあのような術を身につけたものだと感心するほかない。

(・・・体が大きい分保有魔力も大きいのか?いや、でも・・・)

それだとアルヴィーヌやウンディーネの魔術の説明がつかない。恐らく体の大小ではない他の要因が絡んでいるのだろうが問題はその魔力量に対抗出来るかどうかだ。

(・・・・・あれ?何で僕はこんな無謀な事をやろうとしているんだ??)

イルフォシアの温かく小さな手を握りながら我に返ると一気に頭が真っ白になる。考えるまでもない。こんな相手を前に矮小で未熟な自分がどうやって相殺などを狙うというのだ?


「大丈夫です!根暗な部分が気に入りませんがあの人は決して無茶や精神論を押し通す方ではありません!」


こちらの心を読んだのか、正気を失いそうなクレイスに一番必要な答えを一番大切な人が教えてくれる。そうだ。あの男は自身の展開方法とは違うクレイスの魔術を第一に考えていた。

今回こんな大役を任せたのもそれを使えば十分に勝機が見えるからに違いない。

目と心に力強さを取り戻したクレイスはイルフォシアに頷くと彼女も一瞬だけ微笑むと更に巨大蛇の体へと接近していく。


ずざざあざっざざざざざあっ!!!


そこに巨大な渦巻きが柱となってこちらに襲い掛かってきた。さっきはかなり離れた場所から眺めていたので理解出来ていなかったがその大きさは牛サソリほどの太さがある。

「食い止めます!あとはお任せしましたっ!」

イルフォシアが手を離して荒天の中で翼を真っ白く輝かせると一筋の光を残してその渦巻きを真っ二つに叩っ斬った。

相変わらず凄まじい力量と美しさに目を奪われたが今は自分の成すべき事をしっかりとその心に刻んでいる。すぐに巨大蛇と雷の槍付近まで近づくとまずは言われていた通りにこちらも水の盾を展開してその接原点へと押し付けてみた。


ぶぶぶぶっ・・・ばちんっ!!


すると触れた瞬間激しく振動した後展開力の差からか、クレイスの盾は一瞬で弾け飛んだ。

その様子に驚きはしたものの力量差は理解していたので慌てる事はしなかった。問題はここからだ。

(直接魔力に干渉して霧散させる・・・か。)

彼1人なら躊躇してしまいそうだが今はイルフォシアが必死になってクレイスの背中を護り続けてくれているのだ。ここで時間をかければ彼女の気持ちを全て不意にしてしまう。

大好きな人を前にそんな事が許されるはずがない。

クレイスは雷の槍と巨大蛇が展開する水の盾・・・いや、これは鎧だ。全身を覆う水の魔術との接原点に飛んでいくとそのまま勢いよく両手を突き伸ばした。


つるんっ!


「うわっ?!こ、これは・・・!」

海水といえど相手も水の魔術だ。てっきり自分の両手がその中へ沈むだろうと思い込んでいたが予想していなかった弾力に弾かれて思わず変な声と姿勢になって驚愕する。

脳裏に過ぎったのは料理でいう寒天だったがその場違いな想像力のお陰かすぐに冷静さを取り戻すと今度は両膝を立ててその上に乗るとゆっくり両手の平をくっつけてみた。

(す、凄い・・・これが魔力、なのかな?)

手触りはぷるぷると弾力があるのに手の平から急流ような感覚が伝わってきて大いに驚くがそれは自身の中にあるものと同じはずだとも感じる。

バルバロッサが言う干渉とはこれだろう。この激しく流れている魔力を堰き止めて霧散させれば展開している水の鎧も剥がれるはずだ。

だがこのままではそれに触れることは出来ない。何としてでもこの内側に自身が入り込まねばならないのだ。


(力でどうこうじゃないな・・・このまま・・・魔力を展開して・・・)


今必要なのは盾ではない。手袋だ。クレイスは静かに魔力を集めながらその鎧と同化させるかのような感覚で両手をゆっくりと押し沈めていく。

ゆっくりとだが指が沈み、手の甲が沈み、やがて手首が漬かろうとし始めた時。


びびびびっ!!!


クレイスという異物を弾き出さんと巨大蛇の魔術が抵抗を始めた。これが雷の槍すら凌げている正体なのだろう。

指先で水の鎧を掴みながら飛空の術式を併用してしっかりと体を固定するとクレイスは更に手を沈めていく。相手がこれだけの拒絶を見せたのだ。恐らくこの方法で間違いない。

迷いが消えると自身の消費など考える事をせずどんどんと手を、肘を、しまいには肩の近くまで体を通す事に成功したクレイス。


(ここで魔術を断ち切れば・・・断ち切れば・・・えぇいっ!!!)


十分だと確信した瞬間、自身の魔力を一気に放出して巨大蛇が展開していた魔力の流れを遮ろうと試みた。方法はあっているはずだ。

クレイスは鍛錬こそ怠っていたものの魔力の保有量は相当ある。これらで掻き乱せば一瞬の隙を作るくらいは可能なのだと。バルバロッサもそれを考えていたはずだ。


だがほんの一瞬だろうか。


大きく波打ったものの巨大蛇の水の鎧が崩れたり薄くなる事はなく、依然雷の槍はその穂先が分断されたままの光景を保っていた。






 「う、うそ・・・」

ほとんどの魔力を消費したにも関わらず任務を成し遂げられなかった事とあまりにも強大すぎる相手だと痛感した事で思わず言葉が漏れる。

これで打ち破れないのなら万策は尽きた。

辛うじて未だ両腕を沈めたままではいられたがこの先の選択肢が無くなった以上ここまでの苦労も水の泡だ。

それでも後方ではイルフォシアがクレイスの身を護らんと迫り来る渦巻きをばったばったと薙ぎ倒している。

「クレイス様っ!!諦めないでっ!!」

更に叱咤激励が飛んできた事で何とか心を持ち直すも今彼が出来る事が本当に何もないのだ。ここから何かを仕掛けるにはまず魔力が足りない。そして武力も足りない。


(・・・折角・・・折角皆が信じてくれたのに・・・)




戦いの場面でこれほど頼りにされたのにクレイスはその期待に応えられなかった事が悔しくて悔しくて涙ぐむ。


今までの自分には考えられない事だった。まず戦う手立てを持ち合わせていなかったのだから。

それでも必死に修行をして一年ほどで『トリスト』の兵卒くらいには強くなれた。実感の湧く場面もあった。オスローだ。

彼を打ちのめせた時には感じなかったが後から考えると立会いで勝てたのはあれが初めてだった。そう思うと嬉しくて仕方が無かった。


自分は強くなった。なれたのだと。


更にウンディーネがきっかけで手に入れた魔術だ。これもクレイスの強さを十分に底上げしてくれた。

水の魔術の数々もそうだが何よりイルフォシアと一緒に空を飛べるというのがうれしかった。身分や繋がりでそれを望むのは無理だとしても大空の中で彼女の隣にいれる事が嬉しくて仕方が無かった。


なのにどうだ?今の自分は何か出来たか?それらの力を手に入れて何かを成し遂げたか?


(・・・な、何も・・・何も出来てないじゃないかっ!!!」


心の叫びが声となり周囲に木霊するとクレイスは無我夢中でその両腕を更に沈めていく。

今の彼に自棄だと言うのは簡単だがそういった発言は野暮でもあり同時に物を知らぬ不届き物の戯言だ。

戦いの場である以上武人はその役割を果たさねばならない。例え元王族といえど、修行を初めて一年少しの新人であっても使命を果たさねばより多くの犠牲と悲しみを生み出すのだ。


何も考えずにただただ頭を通し、上半身を通すと腕をもがいて下腹部、太腿、ふくらはぎと体の全てを水の鎧の中へと沈める。


(今度こそ・・・今度こそっ!!!)


息を吸うのも忘れていたクレイスはぎゅっと両手で握り拳を作るとそのまま大きく開けて全身で魔力を放出した。

刹那。刹那でいいのだ。

魔力の流れを一瞬だけでも止められる事が出来れば必ず隙が生まれる。そう信じて疑わないクレイスは文字通り全身全霊で遮ろうと試みたのだ。


・・・・・


しかし彼の願いが届く事は無く、圧倒的な戦力の差はクレイスに指先一つ動かす力すら奪い取っていた。






 水の鎧から放り出されなかったのは外に出した方が危険だと判断されたからか、それともこのまま溺死させようとしているのか。

意識こそあるものの全ての力を使い切ったクレイスは抗う心を失い、まるで大海に漂うような感覚で仰向けに沈んでいた。


・・・あの頃の自分ならもうここで終わらせていただろう。


王族としての責務を果たす事なく、毎日をただ漫然と生きていた頃の自分なら。いや、むしろ十分すぎる頑張りに自身を褒めたたえていたに違いない。


「クレイス様っ!!!!クレイス様っ!!!!!」


いつからだろう。こんなにも人と接するのが楽しいと感じたのは。いつからだろう。こんなにも人を好きになったのは。

偽りの亡命とはいえ、あの旅からは様々なものを学んだ。時に命を脅かした出来事もあったが今なら笑って話せる事ばかりだ。


あの時。自分の運命が動き始めた時。少しずつだが強さを、あらゆる強さを求め始めたクレイスは才能の1つである諦めの悪さを使ってめきめきと成長していったのを自身では理解していなかった。


(イルフォシアが・・・あんなに悲しそうな顔を・・・)


荒天と風雨の中、水の鎧に沈んでいても分かる。彼女が悲痛な表情を浮かべて泣き叫んでいるのが。

(・・・イルフォシアを、泣かせるのが僕だなんて・・・そんな僕は・・・僕がっ!絶対にっ!!許さないっっ!!!)

魔力と体力が枯渇しようとも心では大火がうねりを上げて燃え盛る。ならば動けるというのが人間だ。

クレイスはゆっくりと体を起こして再び周囲を確認する。自分は未だ巨大蛇の魔術の中だ。まだここに居られたのなら何か策があるはずだ。

考えようとするも頭はすっきりとせず思考力が落ちているのだけは理解出来る。この状態だと考えるより直感で動くしかないのかもしれない。


・・・・・


(・・・・・あれ?)

そもそも勘というものがよくわからず、何も考えずにただ心持ちだけに意識を向けていたら懐かしい記憶が蘇ってきて今の状況と重なった。

あれはウンディーネが体の中に入ってきた時だ。

あの時はガハバの毒でお互いがひどい目に遭いながらも何故か生還出来たのだがクレイスは初めて魔術を会得した時のやりとりを鮮明に思い出す。


確かウンディーネがこちらの胸に手を当ててきて『大量の魔力を流し込まれると胸に大きな穴が開いた』ような気がした事だ。


思い出しながらゆっくりと自分の胸に手を当ててみても穴はない。しかし確かにあの時感じたのだ。あの穴から彼女の膨大な魔力が送られてきたのを。




そこから先は勘だった。勘しかなかった。




クレイスは体の余計な力を抜きながら水の鎧を形成している魔術を全身で感じる。そうだ。強者の魔力というのは強大で膨大で、その流れは水攻めの時に堰を切って発生する鉄砲水に近い。

以前の彼はウンディーネのそれを耐え切れずに意識を失ったが今はそこに考えは至らない。彼に与えられた使命、この水の鎧を剥がさねばバスルは勝利を掴めないのだ。


ずずずず・・・っずずずずずずずず!!!


相変わらず嫌な音と胸に大きな穴が開いたかのような感覚が襲ってくる。しかし今のクレイスに悲観的な思いは無かった。

何故なら勘が正しかったからだ。

魔力は放出するだけではない。吸収も出来る。ならばこの強大な魔力を吸って内側から供給を邪魔してやろうじゃないか。

根拠は何も無かったが今の所は成功だ。確実に巨大蛇の禍々しくも強力な魔力が自分の体内に注がれていくのを感じるのだ。

(・・・あ、でもこれ駄目だ。)

少しだけ戻った理解力で一番に胸の苦しみを感じてしまったクレイスは大きな弊害を思い出すとほっと安心しているイルフォシアに向かって水の鎧の中から大きく叫んだ。

「イルフォシアーっ!!!ちょっとそこを退いてーっ!!!」

声が届いたのかどうかはわからないがとても驚いた様子の彼女が慌ててそこから位置をずらしたのを確認するとクレイスは両手を真上に掲げて注がれてきた魔力をその形に戻して展開し始める。


ずざざざぁぁああざざざぁぁっ!!!


すると巨大蛇の背中から巨大蛇の意図とは別の渦巻きが発生して天へと登っていく。これもクレイスの勘から試した一手だ。

ウンディーネに魔力を注がれた時あまりの膨大な量に意識を失ったが今のクレイスにはある程度の許容量が存在する。それでもそれ以上を受け入れようとするとまた意識を失いかねない。

なので吸収と放出を同時に行う事で巨大蛇の魔力を目一杯消費させようと目論んだのだ。


この時巨大蛇はよほど焦ったらしく大きく体をうねらせて海上で大暴れしていたらしいがクレイスは意識を保つ事に必死でそれどころではなかった。






 全身でその魔力を吸い取り、その魔力の意思を利用して巨大な渦巻きを天へと放出させた事でまず荒天が晴れていった。

魔力から読み取るに天候すら魔術で展開していたのだからクレイスが内包する魔力如きではびくともしなかったもの頷ける。

巨大蛇もやっとクレイスの存在を危惧し始めたらしく水の鎧から追い出そうとうねってはいたが全身を沈めていたクレイスは入ってくる魔力を利用してその場にしっかりと体を固定していた為それは叶わなかった。

その間ずっとバスルの雷がその身を貫かんと迫っていた為、彼か彼女かはわからないが巨大蛇の心情は穏やかではなかったはずだ。

ジリ貧。という言葉を爬虫類が知っているとも思えないが遂にその時はやってきた。


まずは寄生虫の排除をと、巨大蛇は水の鎧を収束させたのだ。


「「今ですっ!!!!」」


クレイスとイルフォシアが同時に叫ぶと上空でずっと雷の槍を押し刺さんとしていたバスルも雄叫びを上げて魔力を振り絞る。

外に放り出されたクレイスもこの好機を必ず物にせねばならない為再度その鱗に両手を当てて吸収を試みた。


しかし海の神と呼ばれた男の執念にその行動は杞憂だったらしい。


気が付けば巨大蛇と同じほどの長さまで展開された雷の槍が背面から深く突き刺さっており荒れていた海も穏やかさを取り戻している。


「や、やった・・・のか?」

「やりましたわっ!!!!」

海面に浮かぶ巨体を前にイルフォシアがわざわざ前に周りこんできて強く抱きしめてくれた。

雨と海水でずぶ濡れな2人だがその温もりと柔らかさを確かに感じたクレイスはやっと自身の体と思考に力が戻ってくるのを感じながら、目と鼻の先に見えるイルフォシアの頭頂部を眺めつつ勝利と達成感に浸っていた。




「・・・おい。そろそろこっちに来い。」

どれくらい経ったのか、バルバロッサが面倒臭そうに声をかけてきた事でやっと離れてくれたイルフォシア。見ればとても赤面している。

クレイスとしてはあと半刻ほど、いや、日が暮れるまであのままでもよかったのだが仕方が無い。彼女の手を引いてバルバロッサとバスルの待つ上空へと飛んでいく。

「いや~~~!!助かった!!!あの膜にあんだけ苦労させられるとは思ってなかったわぁ~がっはっは~ぁ!!」

今度はもじゃもじゃの髭と頭髪の巨漢に強く抱きしめられて何だか複雑な気持ちになるが、これが勝利なのだと思えば自身の中でも感極まったのかつい力強く抱きしめ返してしまう。

「・・・あっ?!バスル様!!御怪我が!!」

だが手を回して少ししてから温い体液が腕に絡みついてきた事で彼の傷を思い出した。細剣で貫かれたほどの傷がいくつも見られるので元気そうには見えても相当堪えているはずだ。

「がっはっはぁっ!!!こんなもん掠り傷ぅよ!!!」

全く気にせず抱きしめてくれるのでまぁそれなら、とクレイスも再度勝利と達成感を込めて腕を回し返すがやはりちくちくとした剛毛が肌を刺してきてこそばゆい。

紅潮した体も元に戻っていたバスルは次いでイルフォシア、バルバロッサとも熱く抱き合う。正直彼がそれに応えたのは少し意外だった。

(もっと根暗で冷酷な人間かと思っていたのに・・・)


そしてすぐにまた異変が起こる。


「あらっ?!あの巨大蛇は一体どこに?」

ふと海面に目をやったイルフォシアはあれだけ大きかった巨体が消えてなくなっていた事で驚きの声を上げていた。

これにはクレイスも嫌な予感を覚えると慌てて高度を下げながら周囲の海を探し出す。手傷を負わせたとはいえ逃がしてしまったのでは今後また同じ悲劇が起きかねない。

「いんやぁ。ほれ、あそこぉだ。」

しかし当の本人は呑気そうに声を出して急降下すると海面に浮かんでいた黒い何かを掴んで上がってくる。

そこには黒い海蛇が握られていた。よく見れば目が片方潰れていたりと小さな傷跡があちこちにある。

「・・・まさかこれが?」

「あぁ。こいつがさっきの正体だろぉう。」

「えぇっ?!」

巨漢なバスルの手に収まっているせいかその大きさは3尺にも満たない。となるとあの膨大な魔力で自身の体を変化させていたのだろうか?

巨大蛇の魔力とその力を大いに体感したクレイスは狐にでもつままれた気持ちになるも復讐を果たした人物は自身の怪我すら全く気にしていない様子で大笑いしていた。






 「そんじゃおいらは仲間の下へ帰るぅさ。クレイス、イルフォシア、それとバルバロッサ。本当にありがとぅな!」

バスルは3人に満面の笑みを浮かべながら手を振ると東の空へ飛んでいく。

「さて!それでは私達も船に戻りましょう!!」

未だに自分がどれほどの活躍をしたのかよくわからなかったがイルフォシアに言われると船と船乗り達を急に思い出したクレイスは力強く頷いた。


彼らも天候が急に回復したので船を近くで泊めて様子を伺っていたらしい。


すぐに合流するとここでもまた皆が喜びを大いに表現するが、バルバロッサだけは少し敬遠しがちだった。

とにかく航行の危機は去ったのだ。まずは船体の確認をしつつ航路を取り直して先に進む一行は早速船内で祝宴を挙げる。

クレイスも腕を大いに揮って料理を作ると船上は呑めや歌えやの大賑わいとなり結局その日はほとんど航行する事が出来ずに一日が終わった。




翌日は巨大蛇来襲の分を取り戻そうと船乗り達が張り切って帆を張り船を走らせる。

クレイスも激戦から一夜明けて体中に痛みが走るものの未だ体内に残る魔力の残滓から早速魔術の鍛錬を始めようとしていた。

ところが今日に限ってバルバロッサが海に飛び込む事を止めてきたのでイルフォシアと顔を見合わせて驚く。

「まさか貴方がクレイス様の体を気遣うような行動を取るなんて。少し見直しました。」

「・・・いいえ。そういうわけではありません。今からあの時の状況を詳しく聴取する為全ての鍛錬を見合わせます。」

折角イルフォシアが褒めてくれたのだからそのまま話をあわせるとかすればいいのにこの男は探究心を隠そうともせずにしれっと言いのける。

だがこれにはクレイスも賛成だった。あれから幾度と無く昨日の行動を思い返していたのだが本当にあれが正しかったのかが疑問で仕方なかったのだ。

幸いバルバロッサは魔術の知識に関しては相当頼りになる。ならば他の選択肢についてとその可能性、更に状況を詳しく分析、説明等、自分以外の専門家にしっかりとした意見を述べてもらいたかったのだ。

「わかりました。ではまず相殺を試した所からお話いたしますね。」

クレイスが話し始めるとイルフォシアも黙って隣に腰を下ろしてこちらの経緯に耳を傾けてくれる。

ただ突拍子も無い行動が多かった為かバルバロッサはすぐに紙を用意してさらさらと要点を纏め上げると文字の羅列を眺めたまま動かなくなってしまった。


それ以降最後の中継島に着くまでの間は彼との問答で一日一日が過ぎて行った。








バスルは祠のある中継島に戻ると早速小さな海蛇を前に供えて手を合わせた。

「みんなぁ。これがあん時の犯人んだ。人じゃぁないから犯蛇か?がっはっは!!」

現世で唯一遣り残した件が仲間へ朗報として届けられた事に心から安堵しているとふと同族の気配がした。先日感じたクレイスより明らかに強い力。

ゆっくり振り向いてみるとそこには黒い異国の衣装を纏った美しい女性が微笑みを浮かべてこちらの様子を眺めていた。内包しているであろう力と容姿にやや違和感はあったがそれこそ魔人族である証なのかもしれない。

長い栗毛の髪をもつ女性は敵対する意思を見せず無防備に近づいてくると静かにバスルの隣に座る。

『此度の討伐、誠にお見事でした。さすが海の神と崇められる存在でございます。』

「だぁからおいらは神じゃねぇっての。うん?会った事あったか?」

いつも通りの拒否から始まるも彼女はこちらの素性と巨大蛇についても知っているようだ。

『いいえ。お会いするのは初めてでございます。ただ母からこの地には守神がいるという話だけは聞いておりましたので。』

「は~。おいら神らしいこと何にもしてねぇのになぁ・・・」

自分のやってきた事といえば毎日墓標代わりの祠を磨いては仲間達に日々の出来事を語っていたくらいだ。

時々付近の海を見回っては座礁していたり転覆した船をここまで引っ張ったりもしたが相手にこちらの姿は見せていない。バスルの事を知る者などほとんどいないのだ。

だが美しい女性はからからと微笑んでバスルを褒めてくれる。そういった些細な事でも人間は感謝するものだと。


久しぶりに誰かと話せただけでも嬉しかったのに仲間を沈めた元凶も退治出来た。そしてその報告の最中に今度は同族の美しい女性と言葉を交わしている。


こんなに楽しい出来事が立て続けに起こっていいのだろうか?と少し不安に思ったがそれは運命だったのかもしれない。


『バスル様。貴方様のお力が尽き果てております故、此度は声を掛けさせて戴きました。私セヴァでよろしければ死後のご用命を承ります。』


突然小難しい言い回しをしてきたがそれは自分が一番理解していた事だ。寿命はとうに尽きている。

今まで生きてこれたのは仲間の仇を取る為だけに心を滾らせていたからだ。既に体は薄くなってきており全身の感覚は無い。

人間とは違って体ごとこの世から消え去るのだと初めて知ったがそれはそれで少し寂しいなとも思う。

「おいらも仲間達と同じ墓に入りたかったなぁ。まぁさか体ごと無くなるなんて思いもしなかったわ。がっはっは。」

声すら小さくなっていた為本当に残された時間が僅かなのだと知るもやれる事はすべてやったのだ。突如現れたセヴァという女性に何かを託したいが託すものはない。

『わかりました。ではせめて貴方様の残りの力をその祠に注いであげて下さい。そうすればその下に眠るお仲間やこの島、しいてはこの近海にその魔力と意思が根を張るでしょう。』

「ほう?そりゃいいな。」

そもそも自分の扱う術が魔術という認識がなかった為、彼女のいう魔力というのもよくわかっていなかったが意思が残るという部分にはとても興味を惹かれたバスルは迷わず祠に両手を当てた。

自分の全身を確かめる事は出来ないが少なくとも祠の前にかざしていた両手は透けている。退屈な日々から開放されると思えばもう少し心が盛り上がってもよいものだが感情は寂しさが勝る。


「おおそうだ。もしクレイスって少年に会ったら伝えてくれねぇか?おいら海の神になれるかもしんねぇって。」


そして最後に世話になった少年への言伝を思いついたもののバスルの声が形となって現れる事はなく、彼女はただ微笑みを向けたまま彼の最後を見届けていた。








以降5年間、カーラル大陸とジャカルド大陸の間に挟まれた海では天候が荒れる事なく、船乗り達は悠々と航海出来たという。

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