旅は道連れ -余計な同行者-

 村人達についてはバルバロッサが『シャリーゼ』へ報告すると同時に事後処理の要請もしてくれるそうだ。なので後は彼らに任せる事にしたクレイスは翌日激しい筋肉痛を残したまま村を後にしていた。

「あの、本当に、ほんっとーに無理はなさらないで下さいね?」

馬も旅道具も全てシアヌークに置いてきたので彼らは空を飛んで北上していた。イルフォシアはこちらを気にかけてくれてはいるものの体を使わない魔術での移動だった為、痛みはほとんど気にならない。

「ありがとうございます。でも無理しているつもりはないんですよ?」

相手を安心させる為に笑顔でそう答えたのだがどうにも最近の彼女は心も表情も読みづらい。いきなり明るくなったかと思えば急に白い目で睨んできたり、そしてまた明るくなったりと移ろいが酷いのだ。

むしろこちらがイルフォシアの心情を心配せねばならないのだがそれとなく尋ねてみても何か深い悩みなどを持っている風ではないのだから余計に困る。

(女心と空模様って誰かが言ってたな・・・イルフォシア様も多感なお年頃だろうし、うん。)

原因がわかれば対処のしようもあるがわからないものをうじうじ考え込んでも仕方がない。少し前から心身ともに大きく成長を遂げていたクレイスはなるべく普段通りを心掛けることにした。


やがてお昼過ぎに到着した2人はそこから『ネ=ウィン』の人間に預けたであろう旅の道具一式を返してもらいに宿へと向かう。

「・・・返してもらえるでしょうか?」

イルフォシアはともかくクレイスは彼らにとって目の仇だ。何か条件でも付けられないか心配するも、隣では満面の笑みを零すイルフォシアが力強く胸を叩いて答えてくれる。

「大丈夫です!何せ私のお願いでしたから!もしクレイス様の名を出すような素振りを見せた時は・・・うふふ。」

薄く笑いながら青い目を輝かせたのは見間違いではないだろう。彼女を知らない者はその可憐な姿につい油断してしまいがちだが怒らせたら命が危ない。


だがクレイスの心配も杞憂に終わり、あっけなく全てが返却されると魔術師は静かに去っていく。


少し拍子抜けだったがこれで亡命の続きが再開出来そうだと喜んだのも束の間、こんな些細な問題を遥かに超える大難題がクレイスを迎え入れる。

「では2人部屋でお願い致します。」

気が付けばイルフォシアが2人同室の部屋を取っていたのだから慌てて止めに入った。

「い、いえ!個室を2つお願いします!」

「クレイス様?私達の路銀にそのような余裕はありませんよ?」

まただ。また彼女が白い目でこちらを覗きこんでくる。その表情はまるでこちらを試しているかにも見えるので思わず目をそらすクレイス。

「・・・じゃあ2人部屋でよろしいですか?」

「はい!」

野宿とは違って狭い空間に2人、今までもそういった場面はあったがどちらかが怪我をしたりと散々な場面が多かった。

そう考えるとたまには元気に仲良く寝泊りするのも悪くはないと思えなくもないがクレイスは男であり既にイルフォシアを異性として意識してしまっている。

それでも強く断れないのは自分の中にある確かな下心がそうさせてしまうのか、はたまた本当に気が弱いだけなのか。

(・・・今夜は眠れるかな・・・)

一抹の不安と期待が混じりながらもそれらを表に出さないように振舞うクレイスは彼女の背中を眺めつつ案内された部屋へと入っていく。

本当ならゆっくり出来る空間のはずが筋肉痛の影響もあってか体が熱くて仕方がない。まずは下心やら体温やらの鎮火を願って船の手配についての相談から始めてみた。

「あの、もしよければ僕が頼んできてもいいですか?以前お世話になった方達にお会いしたくて。」

一年半ほど前、まだ何の力も経験もなかった頃お世話になった船乗り達はどうしているだろう?イルフォシアが西の大陸を見てみたいという希望を出したとき強く反対しなかったのはこの為でもあったのだ。

「ええ。でも私もご一緒致します。2人で行っても問題ありませんよね?」

・・・・・

これもクレイスの体を思っての発言なのだろう。確かに未だ激しい筋肉痛が全身を走っており大きな呼吸すら憚られる状態だ。

(・・・・・やっぱり僕って頼りないのかな・・・・・)

自分では多少の力をつけてきたと思っていたが彼女からすればまだまだ目の離せない赤子のような存在なのかと少しだけ気落ちする。

「そうですね。では明日は2人で港へ向かってみましょう。」

しかし下手に断ると話が長引きそうだし何よりそんな劣等感を彼女に知られたくはない。

クレイスは笑顔で快諾するとイルフォシアは目の前で年相応の喜び方をしている。それがたまらなく可愛いかったお陰でいつの間にか埃のような負の感情も吹き飛んでいた。






 多分2時間くらいは眠れた。のかもしれない。

翌朝ほとんど眠れなかったクレイスは昨夜の恐ろしい現象を思い起こしながらイルフォシアと楽しく朝食を摂っていた。

(狭い部屋に2人きりだとあんなに良い香りが一杯になるなんて・・・)

寝具は別々だったにも関わらず他人の、とりわけ好意を寄せている異性の体臭というのは自分が思っていた以上に感じてしまうらしい。学習したクレイスは以後必ず断ろうと固く決心する。

そもそもイルフォシアの方は何故平気なのだろう?仮にも自分は男だ。何か間違いが起こったりする可能性は考えないのだろうか?

睡眠不足の思考と体から何も考える事なくぼーっと彼女の顔を眺めているとその愛らしい目元にうっすらと隈のようなものも見える。

(・・・よかった。やっぱり彼女も意識はしていたみたいだ。)

この時お互いの気持ちを考慮する余裕がなかったクレイスはただその事実だけで満足だった。




「ああ。ありました。この船です。」

それから2人は寝不足を隠しつつも港に向かうとクレイスは無骨で大きな船を指差してイルフォシアに案内する。あの時は同行者も結構な人数であり、カズキが船酔いをするという事で一番大きな船にお願いしたのだが今回は2人だけだ。

果たして乗せてもらえるだろうか?少し不安な気持ちを胸に近づく2人。

「あれ?お前クレイスか?」

「あ!お久しぶりです!」

そこへ以前お世話になった船乗りの一人がこちらに声を掛けてくれた事で心がすっと軽くなった。それからしっかりと頭を下げて挨拶すると懐かしい顔ぶれが次々に姿を見せて自分達を囲んでいく。

「どうしたどうした?今日は随分お供が少ないじゃねぇか?」

「あはは。どちらかというとお供は僕の方ですよ。」

「いいえ。私がクレイス様のお供です。」

屈強な男達にたじろぐことなく堂々と自分の意見を言い放てるイルフォシアはやはり凄いなぁと改めて感心する。自分ならおどおどしているだけで終わる場面だ。

「ほほーう?まぁいい。何だ?また船に乗りたいのか?」

「はい!またレナクまで乗せて頂けたらと。お礼も用意してあります。」

前回は全て時雨が手配してくれたのでどれくらい支払えばいいのか正直わからなかったが彼らになら最悪全てを渡しても良いと思っていた。

「よっしゃ!任せとけ!ただし金よりも俺たちはお前の飯が食いたいな!頼めるか?」

散々女の子みたいだといじられてはいたものの彼らはクレイスの能力を高く評価していたのだ。船長が仲間たちに尋ねると彼らも全員が肯定の返事を返してくる。

「決まりだな!また頼むぜクレイス!」

「はい!!よろしくお願いします!!」

二つ返事で話がまとまったので隣にいたイルフォシアの機嫌は大丈夫だろうかと慌てて振り向くも彼女はとても楽しそうに笑いかけてくれる。

これは最高の船旅になりそうだ。

心の底からそう感じるとクレイスは感情が抑えきれずに彼女を強く抱きしめてしまっていた。




彼らの船は今日中に出航するという事なので2人は遠慮なく乗り込む。前回と違い荷も少なく馬が一頭だけなので今回は全てを持っていける事にもなった。

旅の途中にバルバロッサと戦ったりルサナの件があったりと大変な思いばかりしてきたがここでゆっくりと羽を休めよう。そういう予定だった。

「そうだ。今回は他の客も乗せてるんだ。根暗っぽい奴だから大丈夫だとは思うが喧嘩はするなよ?」

だが船乗りの話を聞いて何か引っかかったクレイスは隣のイルフォシアと顔を見合わせる。恐らく同じ事を考えていたのか彼女の表情も嫌な予感がすると訴えていた。






 自分達の船室に案内されると隣の部屋の扉が開いて中から根暗な客人が顔を出す。

「・・・やはり貴方でしたか。何故この船に?」

もはや『ネ=ウィン』からの追手というより厄介な戦闘狂という枠で捉えていたクレイスはまるでカズキみたいだと心の中でげんなりしていた。

「・・・私はお前を国に連れていく使命を受けているからな。」

そうは言っても彼がそういった素振りを見せる事は無く、あの時聞いた本心を優先させているのが現状だ。

一体何度彼と戦えば満足してくれるのだろう?と思いつつも彼がクレイスに興味を持っていてくれる間は攫われる心配をしなくていいとも受け取れる。

「何だお前ら知り合いか?」

「あ、はい。その、この方は以前一緒に旅をしていたクンシェオルト様の同僚の方なんです。」

顔見知りだと伝えておけば彼らに変な心配をかけることもないだろうし、バルバロッサのほうも騒ぎを起こすつもりはないといった風に頷いている。

ただ彼の傍にいるのはよろしくない。なのでクレイスはすぐに仕事場に向かうと自身の任務をこなすべく早速調理に取り掛かった。

体の筋肉痛は未だ残っているものの以前使っていた大鍋が随分と軽く感じる。食事を作り始めると船乗り達が匂いにつられて集まってくるのは以前のままだ。

基本的に船上での調理には制限が多く、特に水は貴重な為ほとんどといっていいほど使えない。そんな限られた中でもクレイスは用意されていた野菜の水分と荷積みされたばかりの新鮮な肉を使ってあっという間に瑞々しい炒め物を仕上げる。

そこに檸檬の輪切りを添えれば完成だ。これも前回の航行で教えてもらった知識だが船乗りは海の神から与えられたというこの檸檬を必ず食す習慣がある。

何でもこれさえ食べておけば船旅で病気にかからないらしい。

料理が完成すると同時に大柄な船乗り達が食卓に行儀よく座って祈りを捧げ始めた。そして皆がいっせいに食事を始めるとあちこちで笑顔が咲き、一斉に酒盛りが始まるのだ。

(本当に懐かしい・・・)

最初は妻を亡くして落ち込んでいた父の為に始めたのがきっかけだ。それが今では自分の周りにいる親しい人間に喜んでもらえているのだから調理の腕を鍛えてきたのも間違いではなかったのかもしれない。

隣に座るイルフォシアもとても美味しそうに食べながらこちらに満面の笑みを向けてくれるのでより強く確信していたクレイスだったが。


「・・・クレイス。私の皿を毒見してくれないか?」


少し離れた場所で1人険しい表情を浮かべていたバルバロッサが場違いな発言をした事で周囲は戦場のような空気へと一変した。

周囲が美味い美味いと騒ぎ立てる中、何の疑いもせずに唯一毒を仕込んだ料理を食べさせてしまえば厄介な人物を処理出来るのだから彼の注意深い発言にも納得はいく。

「わかりました。」

船乗りやイルフォシアが怒りから驚きの雰囲気に切り替えるも、クレイスはすぐに席を立って彼の前まで移動した。それから皿の上にあった料理を掬って食べようとした瞬間。


がっがががっかっかっかかっ!!


両隣や後ろの席から船乗り達の逞しい腕が伸びてきてバルバロッサの前にあった料理を各々の匙で救い上げては口の中へ放り込んでいく。

2人が唖然としている間に皿の中は空っぽになると船乗りたちが得意げな表情をバルバロッサに顔を向けていた。これは下卑た疑いを持った彼へ無言の抗議を送っているのだろう。

「・・・えっと。じゃあお代わりをお持ちしますね。」

「・・・ふん。」

観念したバルバロッサはその後用意したお代わりの皿を渋々一口食べた後まるで子供のように目を輝かせて残りを一瞬で平らげていた。






 以前と同じ航路を辿り、また5日ほどで中継の島にたどり着いた一行。

天気も快晴で作った料理も喜んでもらえている。更に今回は多少の肉体労働にも従事した為より彼らとの仲は親密になっていた。

気が付けばいつも隣で見守っていてくれるイルフォシアも眩しい笑顔が絶えない。これが本当に亡命の旅かと思えるほど幸せだった。


たった1つの懸念を除けば。


あれから食事に文句をつける事は無く、むしろ船乗り達と同じくらいクレイスの作った料理を堪能していたであろうバルバロッサは常に離れた場所からこちらを観察してきていた。

「大丈夫です。何か仕掛けてきたら私が斬り伏せますから。」

物騒な事を言い放つイルフォシアに船乗り達も冗談だと受け取って大いに笑い飛ばしていたがこの発言に面白い点など何もない。

小島に上陸した一行はまずは体を休めるために小さな建物に移動すると各々が自由に行動を始める。ここを管理している人間達とあいさつを交わし、クレイスもそれに代わって料理を作ると大いに歓迎された。

日が暮れる前には船乗り達が湧き出ている温泉に入ってゆっくりと体を癒すのも以前と変わらずだ。そして今回も同じように彼らと湯場に入ったのだが。

「おい?!お前なんていう傷つけてんだ?!」

「それ、前にはなかったよな?どうしたんだ?」

船乗り達がこちらの体を見て非常に驚いていた。言われて気が付く。そういえばあの後だ。ビャクトルと戦って肩から深い傷を負ったのは。

自分ではわからないが傷跡は背中にもあり、まるで歴戦の猛者みたいだと例えられると少しうれしかったクレイスは照れ笑いを零してしまう。


「クレイス様!自身の体に傷を負う事自体褒められたものではありませんよ?!」


すると何故かすぐ後ろからイルフォシアが仁王立ちで諫めてきたので皆が一斉に驚いた。

「お嬢ちゃん。いくらクレイスと親しいからって他の男がいる脱衣所に入ってきちゃ駄目だぞ?」

「うむ。そういうのは2人だけの時にしておきな。でないと悪い男に襲われるぞ?」

それから間髪いれずに船乗り達が溢れんばかりの助言を湯水の如く浴びせていく。普段はしっかり者の彼女だが流石に場違いだと悟ったのかすぐに奥へと去っていくも呆れたような空気が消えることは無く、

「よほど良いとこのお嬢ちゃんなんだな。クレイス、しっかり護ってやれよ?」

「は、はいっ!!」

初めて自分が彼女を護れと言われた事がとても非常にうれしくてつい裏返った高い声で返事をすると周囲には笑い声が溢れ出した。




何事も無く補給を終えると3日後には次の島へ出航した一行。

「・・・クレイス。少し話がある。」

すっかり自分の身が狙われているのも忘れて隣にいるイルフォシアと船旅を楽しんでいたのだがバルバロッサから声を掛けられた事で久しぶりに緊張感が体を走った。

「でしたら私がお聞きしましょう。」

護ってやれと言われたのに相変わらず護られている気がしてならないが、これも彼女の性分だ。それに相手は話をしたいらしいので騒ぎにはならないだろうと軽く考えていたクレイスはイルフォシアの前に出るとまずはその内容を確認する。

「・・・お前は魔術の鍛錬をしないのか?」

「え?」

意外な問いに何と答えればいいのか分からず、後ろにいたイルフォシアに関してはその真意がわからないようで小首を傾げていた。






 「・・・この8日間お前を見てきたがやっていたのは船乗りの真似事がほとんどだ。まさか私が傍にいるにも関わらず気を緩めていた訳ではあるまいな?」 

心当たりがあり過ぎて思わず目をそむけたくなったが彼は敵国の人間だ。確かに気の緩みは自覚していたもののそれを指摘される云われは無い気もする。

だが正論というのは真摯に受け止めてこそ解決への道が繋がるという。心の中で自身の過ちを素直に認めつつも反論出来る部分があったのでそれだけはしっかりと考えを伝えてみた。

「お、お言葉ですがバルバロッサ様。武術はともかく魔術に関しては毎日水の魔術を展開して自分の器を測っていました。」

これは一度魔力が枯渇して以来ずっと継続している。自分の中にどれくらいの魔力があってそれをどう展開して戦うかも考えていた。これを鍛錬と言わず何と言うのか。

「・・・この私にそんな初歩的な物が鍛錬だと言い張るのか?随分となめられたものだな?」

(・・・・・あれ?!)

とても大事な事だったので堂々と言いのけたつもりが目の前にいる男は隠すことなく怒りをあらわにしてきた。何故か馬鹿にされたように受け取ったらしいのでクレイスは訳が分からなくなってまた言葉を失っていく。

どうやらこの会話にはお互いがボタンを3つ4つ掛け違えている程のずれが生じているらしい。

「あの、バルバロッサ様は何をそんなに怒っていらっしゃるのですか?」

ここで不思議そうに2人のやり取りを眺めていたイルフォシアがきょとんとした顔で尋ねてくれたので胸をなでおろす。自分はまだまだ彼女に護られる存在らしいと少し寂しくもあったが今回はその行為に甘えよう。


「・・・己の器を測るなど準備運動にもなりません。鍛錬とは己の力を磨く事を指します。これは武術も魔術も同様です。」


言われて気が付く事というのは往々にして多々ある。これもまた素直に受け入れられるかどうかで器が試される場面なのだが純粋なクレイスはその発言に目から鱗が落ちそうなほどの衝撃を受けた。

ただイルフォシアだけはあまりぴんと来ていないらしく普段の可愛い容姿を更に可愛く見せたいのか、相変わらず小首を傾げたままきょとんとしている。

「・・・つまり腕立て伏せを何回出来たとしてもそれが相手を殺す力には成りえないでしょう?」

「・・・・・ああ!確かに!」

「・・・器を測るという行為はそれ以下なのです。もちろん自身の力を理解するのは大切ですが魔術師も戦士の端くれ。まずはその技術を磨くべきだとお伝えしたかったのです。」

わかりやすい説明にうんうんと頷きをみせるイルフォシアとは対照的に自分が何もしてこなかった事に気が付いたクレイスの表情はその衝撃を隠すことなく表情に出していた。

ぼんやりとだがそういった場面はいくつもあった。それを思い出している途中にバルバロッサも何かを察したのか静かに持論を展開し始める。

「・・・鍛錬を怠った武具や武術は錆びついていく。これは魔術も同じだ。お前のその反応から見るに心当たりがあるのではないか?」

「・・・・・」




最初に魔術を展開したのは魔人族と対峙した時だった。あの時はただ必死だった。

ショウや皆を護るために水の盾を展開したり空を飛んだりと何もかもが初めてでその威力や魔力との関係など考えもしなかった。

思えばショウを攫ったというあの老いた魔人族は相当な手練れだったはずだ。なのに初めて魔術を使った少年が凌いでいた事自体がおかしかったのだ。

きっかけはウンディーネで間違いない。眠っていた時に彼女の魔術展開能力に加えてその練度も引き継いでいたのだろう。

だがその力を永続的に扱えると信じて疑わなかったクレイスは魔力が底をつくという事実にだけ目が行ってしまい他の知識を学んだり鍛錬を考える余裕はなかった。

これは師でもあるザラールの失念だとも言えるがここで彼を責めても始まらない。




あまりにもその表情が酷かったのかイルフォシアだけでなくバルバロッサまでもがこちらを覗き込んで来ると何かを察したらしい。

「・・・お前がそんなに上手く嘘をつくとは思えんな。まさか本当に一切の鍛錬なしでそこまでの魔術を得ていたとなると・・・ふむ。」

「バルバロッサ様。上手いも何もクレイス様はそんな姑息な手を使われません。例え命令だとしても夜襲を使うような方にはわからないかもしれませんけどね?」

かなり手痛い嫌味に思わずうめき声をあげるバルバロッサ。それを誤魔化すかのように軽く咳払いをすると静かに結論を述べた。


「・・・ならば提案がある。クレイスよ、私と修業をしてみないか?」






 意外過ぎる提案にイルフォシアと並んできょとんとするクレイス。その意図する所が全く理解出来ずに困り果てていたが、

「・・・お前がある程度器用に魔術を展開出来るのはわかった。だがそれだけでは私が戦うのに相応しくない。」

そこまで言われると納得する。彼は相も変わらず自身の魔術に対する探究心を最優先しているらしい。

(これは・・・・・)

だが敵対しているとはいえ相手は国を代表する大魔術師だ。利用されるとわかってはいてもこの話はクレイスにとっても悪くない気はする。

「バルバロッサ様。いくら何でも私情を優先させすぎでは?」

申し出を受けようと軽く口を開いた瞬間、先にイルフォシアが率直な疑問をぶつけた事で出鼻を挫かれた。と同時にその発言が自身に向けて言われているようで思わず目を泳がせてしまう。

(そ、そうだ。相手は自分の身を狙っているんだ!いくら強さを求める為とはいえ・・・うん。イルフォシア様が正しい!)

危うく流されかけた自身に歯止めをかけてくれた彼女へ心の中で感謝している間も鋭い疑問を投げかけられた本人は特に気にする様子もなくまたも平然と彼なりの持論を展開してきた。

「・・・それが『ネ=ウィン』の強国化に繋がりますから。それにこれは私からの恩返しでもあります。」

「恩返し?」

「・・・はい。計らずも同船させて戴いている身の私にクレイスは日夜美味しい料理を振舞ってくれている。これは私の使命とは別に何かしらを返さねばと感じていたのです。」

計らずも、という部分は絶対に嘘だろうと反論したかったが自身の料理について褒めてくれるのは素直に喜ばしい事だ。そしてそれはイルフォシアも同じだったらしい。

「まぁ、確かにクレイス様のお料理は絶品ですし・・・わかりました。では貴方が余計な動きをしないように私も立ち会うという条件であれば咎める事は致しません。」

「えっ?!」

あれほど警戒していたイルフォシアから許可が下りるとは思っても見なかった。驚いて小さく声を上げるが彼女はこちらに顔を向けて笑みを浮かべながらこっそりと片目を閉じる。

クレイスの心情をある程度読んでいたらしく、バルバロッサを利用して自身の鍛錬をしてもよいという事なのだろう。

「・・・ありがとうございます。では早速鍛錬へと参りましょう。」

本人からの返事を待たずにバルバロッサが深く頭を下げて感謝を述べると早速船の甲板に連れて行かれるクレイスとイルフォシア。


「・・・ではクレイス。お前の鍛錬方法から見せてもらおうか。」


向かい合うと早速そのような指示を出されたのだが、鍛錬・・・・・

「・・・・・あ、あの。僕、鍛錬ってしたことがなくて・・・・・」

「・・・・・。」

考えてみれば水の魔術を自由に展開はしていたもののそれを使っての攻撃などは全て実践でのみだった。武術では立会い稽古などをしていたが魔術に関しては本当に何もしてこなかったのだと改めて痛感する。

しかしバルバロッサもこちらが嘘偽りなく告白しているのは気づいてくれたようだ。短く溜め息をつくとその場で座り込み、2人にも座るように指示する。

「・・・お前はどうやってその魔術を身につけたのだ?少なくともあれだけの展開力を得るには相当な修行をしたと思うのだが?」

強い疑いを宿らせた双眸がこちらを睨みつけつつもあきれ返った様子のバルバロッサ。クレイスからすればこの魔術は降って湧いたような力だった為、どう説明すればいいか非常に悩む。

それにウンディーネの事もある為、素直に全てを伝えてしまうのは危険な気もしていた。


「とある魔族から直接教わったそうです。」


ところが監視役だったイルフォシアがさらりと口を滑らした事でバルバロッサの双眸が怪しく光る。名は伏せているものの魔族の存在を明かしてしまうのはどうなのだ?と考えるも彼女はウンディーネと反りが合わなかった。

もしかして彼女なりの小さな悪戯心も入っていたのかもしれない。にしても相手がどう受け取ったのかが気になるところだ。

「・・・魔族・・・ふーむ。通りで私の知らない展開方法な訳だ。」

予想に反して本心から驚くバルバロッサ。それにしても何度か戦っただけでそのような違いがわかるものなのか。クレイスからすればさっぱり理解に苦しむがそこに大魔術師との大きな差があるのだろう。

腕を組み何やら考え込むバルバロッサに2人はただ黙って彼の答えを待つ。やがて方針が決まったのかその腕を解くと静かに立ち上がり、


「・・・水・・・というのは私を含め人間で扱える者は聞いた事がなかった。いいだろう。クレイス、水の魔術を展開して私の手に放ってみろ。」


そういって静かに左手をかざす姿に最初、自身が体験した場面が重なる。あの時は立場が逆でザラールが火球を放ち、それをクレイスが両手で受け止めていた。恐らくそうする事で何かしらがわかるのだろう。

自身の手の内を読まれる恐れはあったものの、バルバロッサという高位の魔術師から鍛錬方法を教えてもらえるのなら多少の情報は与えるべきかもしれない。

決意と共に立ち上がったクレイスは少しだけ距離を放つと意のままに水球を展開し、それをそのまま射出して彼の掌に当ててみた。


ぱしゅっ


頭ほどの大きさだったにも関わらず発した音はとても小さく、まともに受け止めたバルバロッサの表情が痛痒で歪む事もなかった。

イルフォシアなどは相手に負傷させるいい口実だと期待していたのか、その結果に少し残念そうだ。

(えぇぇ・・・そ、そんなに・・・僕の魔術は弱い・・・のか?)

「・・・ふむ。魔族直伝なだけあって想像以上だが・・・」

(な、何だろう?)

その先の評価を聞きたいのに彼はまた黙り込んでしまった。






 あれから椅子を用意した3人は日陰に移動すると座学らしいものを始めていた。

「・・・クレイス。火の魔術は使えるか?」

「い、いえ。そもそも試した事がありません。」

「・・・ならば今やってみろ。」

座った状態でそう促されたのでクレイスは仕方なく水球と同じ要領で魔術を展開してみたのだが、水球どころか何も現れなかった。

「・・・なるほど。つまりお前は基礎も学ぶ事無く意図せず強力な力を得てしまった訳だな。」

全てを理解したと言わんばかりのバルバロッサは口元を歪めつつ笑っていた。実際その通りなのでこちらは頷くしかない。

「い、一応小石を動かす訓練はしていました!」

「・・・本当に初歩中の初歩ではないか。やれやれ・・・」

ザラールとの特訓も彼からすればその程度の事だったらしい。頭を軽く掻きながら若干の失望を表すバルバロッサに隣で監視しているイルフォシアが少し不機嫌そうな視線を向けていたが彼は意に帰さず話を始めた。

「・・・全てを一から説明する時間は惜しいしお前には魔力を展開する力が十分備わっているのはわかった。なので鍛錬と習得の基礎であり最大の要点を伝える。いいか、魔術というのはまず原初に触れる所から始まるのだ。」


バルバロッサはそう言うと簡潔に説明を始めた。

魔術師の存在自体が一般的ではないが、そんな彼らはまず一般的に火球から学ぶ。それは生物が火を最も恐れ、身近に存在し、そして強力だからだという。

「・・・ある程度魔力を開放する修行が終わるとまず火を眺める。近づく。その熱を、揺らめきを肌で感じ取り、自身の中へと移していくのだ。」

そう言い終わると彼は右手を上に向けて小さな火球を展開してみせた。

「・・・触ってみろ。」

言われるがまま不思議な炎に手をかざすと確かな熱さを感じ、いや・・・

「熱っ?!」

まるで本物のような熱に思わず手を引っ込める。それを見ていたイルフォシアは心配そうな表情を浮かべ、バルバロッサは軽く笑みを浮かべていた。

「・・・これが鍛錬を重ねた者の魔術だ。先程お前の放った水の魔術、冷たさもそうだが水らしい独特の粘りを全く感じなかった。つまりはそういう事だ。」

説明されても全てを理解は出来なかったが彼が言いたい事はわかる。つまり錬度、鍛錬の違いがこれほどの差となって現れるのだ。

「あ、あの!そ、それで、僕が強くなるにはどうすればいいんですか?!」

結論を焦るクレイスは前のめりの姿勢で詰め寄ろうとするがその分体を引いて顔を背けるバルバロッサ。更に頬を手で押し返しながら無言で座るように促されてしぶしぶとそれに従う。

こちらが落ち着いたのを確認すると少しだけ考える素振りを見せた彼は静かに己の考えを説明し始めた。


「・・・先程も言ったが水の魔術というのは私も聞いた事がなく習得すらしていない。だがそれで鍛錬をと考えた場合、私なら・・・」


言い終える前に不敵な笑みを浮かべるバルバロッサ。彼は元々の容姿が根暗に見える為そういった行動を取るとより不気味に感じるので控えていただきたい。

だが今回、その不気味で不敵な仕草は鍛錬の内容に沿っていたものだったらしい。



どぼぉーーーん!!



「・・・ふはははは!いいかクレイス!幸いここには大量の水がある!その力を全身で感じるのだ!!」

衣服を脱がされて海に放り投げられたクレイスは荒れ狂う波に揉まれながらバルバロッサの教えを信じて溺れない程度に海を体感していた。






 次の中継島に到着する頃、クレイスは日焼けでかなり肌黒くなっていた。

「・・・どうだ?少しは水の力を感じているか?」

あれからバルバロッサの特訓により毎日朝と昼に海へ飛び込んではその中を泳いでいた。いざとなったら助けられるように準備はしてくれていたようだがこれは鍛錬だ。波に揉まれつつも溺れない程度に魔術を展開しては自力で泳ぎ続けていたクレイス。

「ど、どうでしょう?正直よくわかりません・・・」

どちらかといえば海水で肌が焼けた事のほうが気になって仕方がない。水の力と言われても何が力なのかを未だ掴めていないクレイスにはそう答えるしか出来なかった。

「・・・本来火球を習得するのも半年はかかる。力の根源すらわかっていないお前が原初の力を感じる為にはまだまだ時間が必要だろう。」

降って湧いた魔術だった為、基礎が出来ていないが故の弊害だとバルバロッサは笑っていたがこちらとしては笑い事ではないのだ。

急ぐ必要はないものの、やはり強さを求める側からするとのんびりはしていられない。何せ今魔術を教わっている人物が自分の身柄を狙っているのだから。

「しかしお前ら滅茶苦茶だな。まぁ生きているからいいが無理はするなよ?お前が死ぬと残されたイルフォシアも悲しむぞ?」

船乗り達は彼らの荒行に日夜肝を冷やしていたがクレイスの強くなりたいという意思を尊重してくれた為強く反論する事もなかった。

彼らにも余計な心配をかけているのは自覚しつつ、その申し訳ない気持ちを料理の腕で返していたクレイスはこの日、久しぶりに入る湯場で予想していない程の刺激を全身に感じて思わず妙な悲鳴を上げていた。




一夜空けた後も未だに体中がひりつく。今までも日焼けはしていたはずだがまさか海の中に入るとこれほど酷くなるとは想像もつかなかった。

2日後の出航日まで体を休めるように言われたクレイスはこの日イルフォシアと共に小島を散歩する。何でもこの島には海の神を奉った祠があるらしい。

現在船乗り以上に海と密接に関わり続けているのでこの先の無事を祈る意味でも一度顔を出しておこうと思ったのだ。


「クレイス様、本当にあんな無茶を続けて大丈夫なのですか?もうそろそろあの男を葬ってもいいと思うのですが。」


一緒に歩いていたイルフォシアはクレイスに対する扱いに納得している訳もなく、バルバロッサへの不満が恨みとなって今も言葉に表れていた。

「だ、大丈夫です。あの方が無意味にあんな事をさせるとも思えませんし、僕の魔術は確かに基礎が全くなっていない。これで強くなれるのなら僕はいくらでも海に飛び込みます。」

不安を取り除こうと笑顔でそう答えるも海に飛び込むという言葉がよろしくなかったらしい。真っ青な顔をこちらに向けてくるので慌てて訂正していると、


「・・・あれ?」


何だろう?正面から妙な気配を感じる。不思議に思ったクレイスは無言でイルフォシアの手を取って少し早歩きで祠のある方向へと進んでいった。

やがて小さいながらも手入れの行き届いた祠が視界に入り、周囲には一度体験した事のある雰囲気が漂う。

(これは・・・『シャリーゼ』にあった物に似ている・・・)

海の神を奉っているのだ。もしかすると建て方や奉じ方にも共通点があるのかもしれない。最初はその程度に感じていたのだが、


「おんやぁ?これは珍しい客人だぁな?」


のんびりとした優しい声が聞こえたと思うと祠の上には祠の数倍もある巨体の男が肘を立てて横になりながらこちらを見つめていた。

男はその大きさもさることながら伸びっぱなしの無精髭に上半身は何も来ておらず下半身の着衣もぼろぼろだ。

一見すると漂流者や浮浪者に見える彼だが祠と肘の接点だけで巨体を横たえている光景から明らかに只者でない事と理解できる。

「何者ですか?!」

こういった時にすぐ反応出来るイルフォシアの姿勢は見習うべきだろうか。しかし誰彼構わず長刀を向けていてはすぐ争いに発展しそうで怖い気もする。

考えてみれば彼女は国政を任されてはいたものの、『トリスト』という特殊な国家事情から不特定多数の人物と関わりを持つことはなかった。だから正体不明の相手にはまず警戒心を表すのだろう。

「おぃおぃおぃぃ?可愛い見た目なのに随分おっかないなぁ。それと君、魔族・・・じゃない。魔人族かぁい?」

どうやら珍しい客人というのは自分の事を指していたらしい。そしてクレイスが感じた妙な気配は相手の事のようだ。

「い、いえ。僕はその、魔族と関わりがある人間、です。」

説明するにあたってどう答えればいいのかよくわかっていない為、やや言葉を濁す形での自己紹介だったが相手も納得したのか何度か頷いている。

「ほっほぅ~。それでおいらの存在に気がつけたのかぁ。なるほどぅ。」

祠の上に寝そべるという体勢からゆっくりと起き上がった男の背丈は相当だ。これはハイジヴラムを超えているかもしれない。

なのにまるで重さを感じない様子で地面にふわりと立ったのだからその力量が既に伺える。

「おいらは海の神なんて呼ばれている男だぁ。バスルって呼んでくれぇ。」

少し間延びするような話し方だが只者ではないとすぐに理解したクレイスはこちらの自己紹介も終えると彼に手を合わせて航海の無事を祈るのだった。






 3人が祠の前に座り込むと彼はこちらの話を聞きたいとせがんできた。なのでクレイスはこれまでの経緯や海に飛び込んでの鍛錬まで話をするとバスルは大きな腹を叩いて笑い転げる。

「なるほどぅ。お前達色々と面白いなぁ。」

彼は外界との接触を断っていた為誰かと話をするのが随分久しぶりとの事だ。楽しそうにこちらの話を聞いてくれるのでクレイスもつい色々と喋ってしまう。

「ところで貴方は魔人族ですか?天人族ですか?」

「おいらは魔人族だぁ。だからクレイスもおいらの気配に気がつけたんじゃないか?ん?天人族ってぇ何だ?」

(・・・ウンディーネの影響が色々と出ているのかな?)

何が『だから』なのかはよくわからないが確かに離れた場所から何かの気配は感じた。これは以前来た時には感じ取れなかったものであり、そもそもあの時はこの祠に来る事も無かった。

「あの、バスル様はいつ頃から海の神になられたのですか?」

旅の話が一通り終わったので今度はクレイスからも色々と質問をしてみる。この広大な海を司っているのかと思うとその力や経緯を尋ねずにはいられなかったのだ。

だが彼の返事はこちらの期待を良い意味で裏切るものだった。


「おいらはたぁだ長生きしてここに住んでるだけなんだ。海の神なんて誰が言い出したのやらぁがっはっは~!」


伸びっぱなしの髪をがしがしとかきながら大きな口を開けて笑うバスルにイルフォシアと顔を見合わせる。

「しかし立派な祠もあるじゃないですか。これはバスル様が何かしらの御力を示されたからでは?」

「あ~ぁこれね?これはおいらの仲間達のものさぁ。」

「「???」」

言っている意味がわからなくなってきてクレイス達は小首を傾げるとバスルはその光景がさぞおかしかったらしくまた大笑いし始める。

やがて笑い過ぎで苦しくなったのか浅い呼吸のまま座り直すと静かに自身の事を話し始めた。




まず自分が何歳かというのはもう覚えていないらしい。

遥か昔、彼は仲間達と魚を取って生活していたという。だが突然の大嵐に巻き込まれて彼らは船ごと海に沈んで行き、唯一生き残ったバスルがこの島に流れ着いたのが始まりだったそうだ。

「そん時は自分が魔人族っていうのも知らなかったんだぁ。でもいきなり角の生えた青年が現れるとおいらの種族について教えてくれてなぁ。『魔界に来ないか?』って誘ってくれたぁんだ。でもでもおいらは仲間達を弔ってやりたくてぇな。」

青年の誘いを断ると彼はさっそく散り散りになった仲間達を泳いで探し回ったそうだ。最初は何の力も扱えなかったが何度も何度も海を潜っていると魔人族の力がそれに馴染みはじめたようで結果全員の遺体を回収する事に成功したらしい。

「本当は村に戻って皆に報せたかったんだけどなぁ・・・おいらだけ生き残ってしまったのがぁ怖くて・・・結局ここに残る事にしたぁんだ。」

彼らは祠の下に埋葬されたらしい。それから仲間と共にこの地で果てるまでずっとここで住む事を選んだそうだ。

「魔人族とか言われてもよくわかんねぇ。でもおいらの命は中々長いんだぁ。そのうちこの島に小さな建物を建てに来た連中がこの祠も置いていってぇな。」

隣に建てられた祠をぽんぽんと叩いて笑うバスル。今のところ崇められるような出来事は何もなく、彼が海の神と呼ばれる経緯は全く出てきていない。


「んで、これは仲間達の墓石にちょうどいいやぁ!と思って持ち去ったらこの島には海の神がいるってぇ話が広まったみたいなんだわ。がっはっは~!」


・・・・・

突然訪れた話の落ちに思わず顔を見合わせるクレイスとイルフォシア。確かに設置した位置から祠が勝手に移動すれば誰もが驚きそう考えるのも無理はない。

しかし話しぶりや人柄から彼は本当に自身が海の神だという自覚はないらしく、それらしい行いをしている訳でもないようだ。

「この地を離れないにしてもせめて参拝にくる方々とお話くらいしてみてはどうです?バスル様ならきっと船乗りの皆さんも快く迎え入れてくれますよ。」

話をしていて思った。恐らく彼は人恋しいのだろうと。でなければこちらの話を根掘り葉掘り聞いては来ないだろうしそれを大いに楽しむような事もしないはずだ。

ならば魔人族というのを隠して時折訪れる彼らと浅い接触くらいはしてもいいんじゃないかと。それなら影響もほとんどないんじゃないかと考えたのだ。だが、


「いんや、おいらは特別な存在らしいからなぁ。あの角の生えた青年も言っていた。人間とは生きる世界が違うんだって。だからもういいんだ。それに・・・」


再び祠をぽんっと叩いて満面の笑みを浮かべるバスルの言葉には一点の曇りもない。


「おいらぁは仲間とずっと一緒なんだ。退屈だけど寂しくはないさぁ!」






 長い時間話し込んでいたせいか日が傾きかけている。クレイスはそろそろ戻って調理の支度をせねばとバスルに別れを告げると、

「ほれ。手土産だ。」

彼は掌に納まる小さな青い球を渡してくれた。重さや輝きから見て宝石だろうか?イルフォシアも隣で珍しそうにそれを眺めている。

詳しい説明もなかったのでこの時はそういう装飾品かと思っていたがこれはクレイスの友人達へという意味も含まれていたらしい。

拠点が見える所まで送ってくれた大男と握手を交わして2人は別れを告げる。今度はいつ会えるだろうか?その思いがクレイスを一度だけ振り向かせたのだがバスルは笑顔で手を振ったまま、まるで消えるように姿がなくなっていった。


その夜、海の神について話題を切り出そうかどうか悩んでいたがイルフォシアも彼の意思を鑑みて自重したらしい。なので船乗り達には祠へのお参りと小高い丘から見えた景色について語るに止めた。




休息と補給を経て、また次の中継点へ向けて出航したクレイス達。それを過ぎれば懐かしいレナクはもうすぐだ。

聞いた話では『ダブラム』という南の大国が『ユリアン教』もろとも破壊し尽くして以前の宗教国家『ユリアン公国』は滅亡したらしい。

「・・・『ダブラム』か。私も赴いたことはないし話も噂程度しか知らない。海を隔ててこれだけ離れていればいくら強国であろうと深く関わる事はないからな。」

最近は海に突き落とすだけではなく座学の面倒も見てくれていたバルバロッサが持論も交えて教えてくれる。

今まではその魔力を計る事しかしていなかった彼はここに来てその保有量を増やす為に集中力を鍛えられていた。

「・・・しかしあれだけの魔術を展開しておいて何故こんな初歩がこなせないのだ?さては私を謀ろうとしているな?」

だがその内容はザラールに教えてもらった時とほぼ同じであり、今は小石ではなく薄く小さな布着れが机の上に置かれていた。

そしてそれが全く上手くいっていない為に現在バルバロッサからあらぬ疑いをかけられつつある。

「い、いえ?!本当に・・・最初教わったときはそれなりに出来ていた・・・はずなんですけど・・・何でだろう?」

カズキと共に机に座っていた時は彼よりも上手く動かせていた。あの時はもしかすると自分には魔術の才能があるのでは?と期待したものだが今ではその全てが偽りであり、誰かから与えられた力でしか強くなれないんじゃないかと自身を疑いたくなる。

「・・・『飛行の術式』は出来るんだろう?物質を動かすというのはそれより遥かに簡単なはずだ。しかも目標物は小さな布の切れ端。出来ない理由を探すほうが難しい・・・ふーむ。」

彼が時々口にする『飛行の術式』。これは『ネ=ウィン』のバルバロッサが独自に開発した術式だからそう名付けられているが先駆者である『トリスト』では『飛空の術式』だ。

些細な名称の違いだがこれには彼の努力と強国化を実現したという自負が込められている為クレイスが正そうとした時に凄い目で睨みつけられたのを今でも覚えている。

「あれも気が付けば空を飛べていたので習得とかではないんです。本当に・・・すみません。」


自分でも自分がわからない。何故こんな事になっているのか・・・いや、原因があるとすればただ1つ。

ウンディーネだ。

彼女がガハバの強力な攻撃を受けた後クレイスの体に入り込んでから全てがおかしくなっていった気がする。

あの時魔族としての魔術はもちろん、サーマの遺体に入り込んでいたという経緯もあってかその記憶までも共有してしまっている。

(・・・あれが何か影響しているのかな?でも何で今まで出来ていた事が出来なくなっているんだろう?)

結果として今のクレイスは強力な魔術を手に入れているので他が劣っていたとしても特に不都合はない。そう、今は。


「・・・まぁ良い。魔術というのは得手不得手がはっきりと分かれるからな。ならば魔力の錬成を試してみるか。」

優しいという訳ではないのだがバルバロッサの性格からか、魔術に関しては非常に割り切った考えでこちらを指導してくれるのでこの点はとても有難いと感じる。

魔力に関しては枯渇して空から落ちた記憶が刻み込まれている為、ここを鍛錬出来れば必ず自身の強さに直結するはずだ。

「よ、よろしくお願いします!」

彼からすればクレイスはただの実験体に過ぎないのかもしれないがイルフォシアもこの関係には密かに賛成してくれた。ならばこちらも目一杯利用して自身の強さに繋げようと鼻息を荒げながら頭を下げる。

その様子に少したじろぎはしたもののバルバロッサも早速新しい訓練を指導すべく自身の持つ書物を開けた瞬間。


ごごご・・・ごごごごごご・・・


激しく揺れ始める船に最初は時化と呼ばれるものかと判断していたクレイスとバルバロッサだったが静かに同席していたイルフォシアだけはすぐに席を立つと風のように甲板へと駆け上がっていった。

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