Dialog:決戦②
建物の壁にぶつかるようにして足を止めたルーシーは、その場で素早く左右を警戒する。
海に面した場所だ。風はほとんどない夜だったが、煙幕は急速に薄れていく。息を整え、神経を研ぎ澄ます。
一箇所だけ、煙の薄まっていない場所があった。
建物正面の左手側、ちょうど人の頭程度の高さ…そこから、先程のスモークグレネードとは異質な煙が漂っている。
海から風が吹き、煙幕が薄れた。
男が立っていた。白髪交じりの黒髪にこけた頬。着流し。脇には深い丹色で染められた大弓と、籐で編んだ矢筒が壁にかけてある。腰に長大な刀。
男は、薄れていく煙幕を見るともなく見ながら、煙管を咥えていた。黒ずんだ銀の吸口を離すと、ゆっくりと煙を吐き出した。
「むごい殺しをするものだな」
低いしゃがれ声で、ルーシーの方を見もせずに言う。
ルーシーは答えない。そのまま、撃った。
充分に制御されたセミオート。距離は十メートルもない。にもかかわらず、弾は当たらない。背を預けていた壁から離れ、悠然と歩いているだけに見えるのに、だ。
ふん、と鼻をならして、ルーシーは銃撃をやめた。
「マサカドってのはあんた?」
男…マサカドは足を止め、煙管を手の平でぽんと叩いた。火皿から灰が落ちる。
「いかにも」
「弾が当たらないってのはホントみたいだね」
「お前は、あの探偵娘の仲間か」
「友達」
マサカドは無言で頷く。ルーシーが突堤の方を見た。
「弓で狙われたのは初めてだよ」
そうか、とマサカドが答える。
「あれはいい弓だ。強く、軽い」
「あれで殺したやつも居るの?」
「何人かはな」
そう言いながら煙管を懐にしまい、刀の柄に手をかける。
「弓は初めてでも、斬り合いはどうだ」
「…セバストポリで」
ほう、と息を漏らすマサカドの口元に、喜色が浮かぶ。
「シャシュカって知ってる?コサックのサーベル。アレを使うおっさんとやった。こっちはナイフ一本でさ。ヤバかった」
マサカドは満足気にうなずき、刀の鯉口を切る。
小さく息をついて、ルーシーはライフルを地面におろした。右手を肩の方にまわす。
「いわゆる望ましい展開ってやつだね…」
そう言いながら、右肩に背負っていた長尺のマチェットを引き抜いた。マサカドの笑みが大きくなる。
投降した警備兵二人を結束バンドで拘束し、手近な部屋に放り込むと、二人は奥の部屋に向かった。警備から取り上げたカードキーは、基本的にすべての部屋に使えるという。
「ずいぶん雑な保安態勢だな」
「よくある話よ。出入りの警備は厳重にして、中ではフリーで動ける様にする。効率とコストダウンの問題ね」
話をしながら、二人は突き当たりの部屋のロックを解除した。
分厚いドアが開いた向こうは、薄暗い部屋だった。天井の明かりは最小限で、いくつもの端末モニタと、正面の壁全体を覆う大きな窓が光源になってる。
ケリーが素早く中に入り、デスクに取り付く。カバンから自前の端末や機材を取り出し、接続を始めた。
ジェニーの方は部屋を一回りして確かめた後、正面の大窓にゆっくりと近づく。そのまま、中を覗き込んだ。
窓の向こうは、下層を見下ろす形になっていた。吹き抜けの広大な空間に、見渡す限り、なにかが整然と並んでいる。
人間だった。
白衣の様なものを着せられ、大型のヘッドギアが頭部全体を覆っている。個人を識別できる要素が排除され、一見すると、機械の一部分のように見えてしまう。
彼らは一様に、歯科医の椅子の様なものに縛り付けられていた。近くの一つで、身体がびくんと跳ねた。首筋に、施術された直結ジャックとケーブルが一瞬見える。何本ものケーブルは、椅子に組み込まれている端末に繋がっていた。
分厚いアクリルガラスにさえぎられ、声は聞こえない。下のフロアは悲鳴と呻きで満ちているだろう。それとも、ヘッドギアがすべて消音してしまっているか。
「予想はしてたけど、実際見ると強烈だな」
うしろから、ケリーが声をかけた。もう施設内の監視カメラをコントロール下においたらしい。
「この設備、SOCの基幹サーバーと直結してる。顧客のAIから来るリクエストに応じた反応をここで『出力』して、あっちに返す仕組みだ。完全リアルタイムで、タイムラグは理論値ギリギリまで詰めてある。よくできてるな、クソッタレ」
ジェニーは窓の下を見つめ続けている。設備の一部にされた人々は、男女の区別すらよく見なければ分からない。ときおり身を逸らせ、手をばたつかせ、首を振る。まったくランダムなその動きが、広大な施設の眺めを波打たせていた。
「…ここの作業員、どこに行ったかわかる?」
平坦な口調で、ジェニーが肩越しに聞いた。ケリーが直結したまま、親指を壁際に指し示す。赤いLEDが灯った重厚なドアがあった。
「避難シェルター。開ける?」
ドアをじっと見つめて、カービンのグリップを握りしめる。大きく息を吸い、吐いた。首を振る。
「戦術チームが到着するまで、中からも開けられない様にしといて」
「オーライ」
モニタの明かりがまたたく。数秒の間があった後、ケリーが、よし、と声を上げた。
「それじゃ始めようか。楽しいナマ配信の時間だ」
「待って!」
唐突にジェニーが声を上げた。ケリーは一瞬驚いたが、すぐ異変に気づいた。
「おいおい、誰だよあんな所に…!」
ジェニーは窓を覗き込み、ケリーは監視カメラの映像に意識を向ける。
スーツ姿の男が二人。大柄な方は警備兵と同じ銃を持っている。中背の男の、見覚えのある七三分け。
「知り合い?」
ケリーの声に、ジェニーは頷いた。
「依頼人」
「マジかよ」
ケリーがすばやく施設の出入りのログを調べる。
「一時間前に入所ログ。本社視察要員、てなってるな。笑わせるわ…何しに来やがった」
「…ケリー、配信は予定通り始めて」
ジェニーがカービンの薬室を確かめ、マガジンを交換する。
「何しに来たか、あたしが聞きに行く」
戦術チーム第三中隊の詰所は、ニューアイランズ市警第三署と併設されている。
小隊長のドニー・シャープはその日、雑多なものが置かれたデスクで、溜め込んでいた書類仕事をうんざりしながら片付けていた。
彼の片腕であり、事務仕事に非凡な才能を発揮するクラウス・フェッテルはこの日夜間当直で、出勤してくるまでにもう少し時間がある。デスク脇に備えられたコーヒーメーカーだけが、今のところ彼の唯一の味方だった。
端末との格闘に疲れて、冷めたコーヒーを一口啜る。マグを置き、その隣に置いていた封筒を手に取った。
詰所に入った時、受付から手渡されたものだ。
どこにでもある茶封筒。差出人の名前はない。スキャンは済ませました、危険物は入ってませんよ、と受付のチャンが言っていた。
紙の手紙を送られるなど、いつぶりだろうか。そもそも心当たりが全くない、と考えてから、思い出す。急いで封を切った。
『今夜2300時。端末と身体を空けといて』
書いてあったのはそれだけだった。
こんな事を、それもわざわざ手紙を書いてよこすなど、ジェニー以外に考えられない。それも自分を頼るとなると、相当な面倒ごとに首を突っ込んでいるのだろう。
さいわい、事務仕事を放り出すのはいつもの事だし、いまさらそれでとやかく言うのはクラウスだけだ。その気になればすぐ動ける。
(しかし、一体何をやらかしたんだ?)
そっけない手紙を眺めながら、ドニーは顎を撫でた。
デスクの脇で、プライベートの端末が光った。通話リクエスト。発信者の名前を見て、ドニーは眉を顰める。
チェルシー・ヤナカ。
「これか」
ドニーは数秒間考え、結局、受けた。
端末の画面に、映像が流れ出す。端末が並ぶ、なにかの施設。正面に大きな窓。
画面にノーティスが浮かび、発信者から複数のデータが送信されていることを伝える。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ」
ドニーは慌てて、デスクの端末を操作する。自分の携帯端末とリンクして、流れ込んでくるデータを移す。
映像の方では、カメラが窓に近づいている。
そこから見下ろされた光景を見て、ドニーは凍りついた。
しばらくの間、身じろぎもせずに凝視する。デスクの方から小さく音がして、我にかえった。並列で送られていたデータのダウンロードが完了している。
片端からそれを開き、中身を読む。吐き気がするような内容に、顔をしかめる。
音を立てて立ち上がった。椅子にかけていたジャケットを掴み、羽織る。
部屋を出ようとしたところで、ちょうど出勤してきたクラウスと鉢合わせた。
「どうしたんです、血相変えて」
童顔に戸惑った表情を浮かべて、クラウスは言った。こんな顔だが、槍術と銃剣術の段位を持つ強者だ。
「いい所に来た。お前も来い」
「来いって、どこに行くんですか」
早足で部屋を出ていく上司にあわててついていく。ドニーが振り向きもせずに言った。
「大隊長のトコだよ!」
抜き付けの一撃を身を身を反らしてかわすと、ルーシーは右から遠心力を乗せて一気にマチェットを振り抜く。
首筋を狙った切先は空を切る。微妙で最小限の体捌き。刀が動き、振り抜いた右腕を刈りに来る。肘をたたんでかわす。袖口に小さく切れ込み。
マチェットの柄頭に左手を添え、踏み込みから斬り下ろす。マサカドが半歩退がる。着流しの胸元がわずかに裂ける。
マサカドはわずかに身を沈め、突きを放つ。恐ろしい正確さで心臓を狙うが、マチェットの背がそれを払う。わずかに身体が開いたところを、ルーシーは左から右に斬り払う。
マサカドが踏み込む。マチェットが脇腹に食い込む寸前、ルーシーの手元を掴んで止める。そのままさらに踏み込み、足を払いにくる。
ルーシーは自分から跳んだ。相手の手を払い、右前方に前転で飛び込む。すばやく膝立ちでマチェットを構えた。
追撃はない。マサカドは刀を肩にかつぎ、ルーシーを眺めていた。笑っている。
「どこで覚えた」
「…ドイツ。バーデン」
マサカドは満足げに頷く。ルーシーは構えをそのままに、立ち上がる。
「あんた、身体いじってるよね」
「ああ…お前もそうだろう」
「あたしは神経系を少しだけ。でも、あんたはそれどころじゃなさそう」
ふむ、と息を吐いて、肩から下ろした刀を眺める。
「代謝をいじってな。肉も骨も腑も、常人のものとはだいぶ違う。それに合わせて神経もな。おかげで、美味くもない蛋白の塊を二日に一度は食わねばならん」
これがまた高価くついてな、と笑う。
「どこの会社?」
「さて、名は忘れた。最初のうちは追手も来たが、斬り続けるうち、姿を見せなくなった。諦めたのだろう。以来、このような生業だ」
「稼ぎはいいみたいだけど」
「道具には金をかけておる。命を預けるのだからな」
刀身から目を上げ、ルーシーの方に切先を向けた。
「お前も、もうすこし良いものを選んだほうがいい」
「コレ、けっこう高価いんだけどな」
ルーシーは構えたマチェットに目をやり、手の中でくるりと回してみせる。
「イタリア製だよ?」
「腕に見合ったものを持てということだ」
切先を戻し、正眼に構える。
「お前の腕なら、もっとふさわしい道具があろう」
「ご親切にどうも。でも、どうせなら飛び道具で済ませたいクチでね」
「もっともだ」
マサカドが掠れ声で笑う。
その姿がゆらりと動いた。一瞬後、大上段から振りかぶった白刃が、ルーシーの頭上に落ちてきた。
ルーシーは前に跳ぶ。相手の懐に飛び込み、肩で相手の腕を止めた。マチェットの柄で相手の顔を狙う。だが一瞬早く、マサカドの左手が動いた。奇妙な形に握られた拳が、ルーシーの鳩尾に突き込まれる。
呼吸が止まり、ルーシーの上体が崩れ落ちる。
マサカドは刀を逆手に持ち替え、背中から心臓を狙って突き下ろす。
だがその切先は、ルーシーのジャケットと脇腹の皮を浅く裂いただけだった。
「!」
倒れ込むと見せかけたルーシーは、誘い込んだ切先をかわし、その場で身体を丸めて跳ねた。
前転の勢いを乗せた踵が、マサカドの顔面を捉える。
「ぐ…!」
「っは…!」
鈍い衝撃音とともに、マサカドはたまらず数歩後ずさる。靴の踵が直撃し、頬が切れて血が流れていた。ルーシーの方も、地面に倒れ込んだまま荒く短い呼吸を繰り返している。
「はっ…はっ…はっ…はは、ははっははは、はっはは…」
「…くっ、くくく…ふふははは」
どちらからともなく、笑いが漏れた。
笑いながら、ルーシーはゆっくりと立ち上がり、マサカドは再び刀を構えた。
ひとりでに止まったまま動かなくなったエレベーターから、大柄な男が用心深く顔を出した。
目の周りを広く覆うミラーグラスのせいか、すばやく周囲を見回すその動きには、どこか昆虫めいた不気味な雰囲気がある。体の前に構えたアサルト・カービンは、その巨体のために一際小さく見えた。
スーツの下に防弾ベストを着込んだ男の後から、同じような格好の中年男が出てくる。中背で七三分け。印象の薄い顔立ちだが、その表情が不機嫌に歪んでいることは見て取れた。
エレベーターから出て、通路を歩く。警備兵の死体を眉をひそめつつまたぎ越え、半ば壁と一体化した扉の前で立ち止まった。内ポケットからカードキーを取り出す。
銃声が響いた。
反射的に身をすくめた。背後にいた大男が、突き飛ばされたように倒れる。
男は、ゆっくりと銃声の方に振り向く。カービンを構えたキャスケット帽の女がいた。
「どうも。ご無沙汰」
ジェニーはそう言って口元だけで笑った。
男、ナガヤマ&スタンリー法律事務所のササキは、ジェニーの顔をまじまじと見てから、忌々しげにため息をつく。
「…どこのライバル企業がアタックを掛けてきたのかと思いましたが」
倒れた大男にちらりと目をやり、続ける。
「まさか、あなただとは」
「やられっぱなしは性に合わないんでね」
銃口をササキに据えたまま、ゆっくりと近づく。ササキに抵抗の素振りはない。
「上で暴れている化け物、あれはなんです」
「友達さ。『魔女(ヘカテ)のルーシー』って言えば、知ってるかな」
ササキの顔色がわずかに変わるのを、ジェニーは見逃さなかった。
「知ってるよね。なんせ『マサカド』に繋ぎをつけられるようなコネがあるんだ。暴力稼業には明るいんだろ」
ササキの顔が、唐突に変わった。印象の薄い法律屋の顔が、冷酷でふてぶてしい顔に豹変する。刑事時代にさんざん見てきた、職業犯罪者の顔だ。
「…法律と暴力というのはね、相補関係にあるんですよ。お互いがお互いの活動を担保する。そうやって社会は動いてるんです。あなたがた警察が、その最も顕著な例じゃないですか…ああ、お辞めになったんでしたね」
失礼、と言って、わざとらしく咳払いをする。
「社会がそうなっているのであれば、法律を運用する我々が、暴力を忌避する理由がどこにあります。むしろこの二つを積極的に活用することが、我々の、ひいては社会の利益になるんです。そうは思いませんか」
「知ったこっちゃないね」
手ぇ上げな、と言ってジェニーが銃口を突きつける。ササキはのろのろとそれに従う。
「こっちからも質問させてもらおうか…まあ、おおかた察しはついてるけどさ」
銃口を正確に心臓に向けて、ジェニーは冷たく言った。
「あんた、なんでこんな所にいるんだい」
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