Dialog:決戦①

 港湾区画からさらに突き出した埠頭。その突端に、SOCの海中サーバー施設のエントランスはあった。

 小さな倉庫のような四角い建物。サイズの割に大型のシャッターが取り付けられているのを除けば、これと言って特徴のない倉庫に見える。この建物は実際のところ、バスやトラックの出入りが可能な大型エレベーターのエントランスに過ぎない。建物左側面の壁には電子錠の下りたドア。ケリーの調べでは、その向こうの人員用エレベーターが、施設要員と警備部隊の出入り口になっているという。

 突堤はまるごとSOCの地所として買い上げられているらしく、他の建物はない。シャッターの手前には金網のフェンスと検問所。警備は二人、武装はアサルトカービン。犬はいない。

 突堤手前の倉庫の屋根で双眼鏡を覗いていたルーシーは、最後の事項を確認して笑みを浮かべた。訓練された犬は人間よりよほど厄介な相手だし、なによりも撃つのに気がひける。

 ルーシーは双眼鏡をしまうと、倉庫の壁面を這う配管やダクトを足場にしながら、身軽に地面に降りた。そのまま脇に停めたバンにもどり、後部ドアを開く。

 ミリタリージャケットの上から、拳銃と少々の装備を吊ったサスペンダーを掛ける。ついで小さめのバックパックを背負い、ハーネスを調整する。

 防弾装備は着けない。重いプレートを背負って歩くよりも、身軽に動けるようにしておく。

 拳銃を抜き、薬室を確かめる。ライフルも同じように点検する。

 最後に、奥に押し込んでいたバッグから大きなポンチョを取り出す。くすんだ灰色の、ごわごわした質感のものだ。装備の上からそれを羽織ると、首元にある小さな装置に指をかけ、スイッチを押した。

 虫の羽音の様なものが一瞬聞こえ、身体が闇に溶けた。

 イースタン・マテリアル社の第一世代光学迷彩布。第一世代としては最後発と言っていいこのモデルは、誤作動が少なく頑丈で、耐久時間も長い。より隠蔽力の高い新世代モデルが流通している現在も、愛用するベテランの多い名品だ。

 ドレスを楽しむ少女のように、ルーシーはその場でくるりと回って迷彩布の状態を確認する。異常のないことをたしかめ、腕時計を見る。虚空に自分の手だけが浮かんでいる様に見えた。

 作戦開始まで、まだ少しある。

 バンの運転席に潜り込みながら、先に一服しておけばよかった、とルーシーは後悔した。



 検問所の詰所にいた警備兵は、交代の二人が出てきたのを見て自分も外に出た。

 ここの警備はおそろしく退屈で、時折やってくるバスと設備点検の業者を誘導する以外には、海を眺めるしかすることがないような職場だ。それでもそこそこいい給料が出ていたが、彼はいいかげん別の職場に回してくれるよう要望を出そうかと考えていた。たとえば、装甲車のリモコン機銃で石を投げてくる暴徒を撃ち殺すような職場がいい。

 やってきた二人に、手をあげて挨拶する。向こうも手をあげて、それから固まった。フェンスの外の方を見て、訝しげな顔をしている。

 警備兵はつられて、自分もそちらの方を見た。

 バンが一台いた。薄汚れたオンボロが、両側で明るさの違うヘッドライトをこちらに向けて照らしている。運転席のドアが開いていた。距離があってよくわからないが、無人の様に見える。

 相方が無線に手をやった瞬間、バンは突然、猛スピードでこちらに向かってきた。

 ライフルを構え、引き金を引く。ほとんど条件反射だ。だが彼の脳裏には、以前何人もの仲間を殺した自動車爆弾の記憶が蘇っていた。スピードの乗った車には、ライフル弾などほとんど役に立たない。

 逃げよう、と思った時にはもう手遅れだった。無人のバンはそのまま、ついさっきまでいた詰所に突っ込み、爆発した。



 突堤の根元あたり、誰かが置き去りにした廃車の陰で、ルーシーは轟音と共に立ち上った火柱を満足げに眺めていた。

 最初の二人と交代に出てきた二人は、これで始末した。次だ。

 闇色の迷彩布をまとったまま、廃車の陰からわずかに這い出す。.30口径ライフルの二脚を開き、燃え盛る炎の方へ銃口を向けた。

 建物の向かって左側から、ライフルを構えた人影が出てくる。四人。素早く、油断のない動き。ちゃんとしてるな、とルーシーは思う。

 吹き飛んだ検問所を囲むように、周囲を警戒しながら人影が動く。その中の一人を選んで、ルーシーは引き金を引いた。

 銃声と反動。照準線の向こうで、一人が倒れる。

 とたんに、連続した射撃がこちらに飛んできた。さすがにプロだ。迷彩の効果で正確ではないものの、一発でこちらの位置をだいたい掴んでいる。応射も連携が取れていて、隙がない。

(いいねいいね)

 心の中で称賛を送りながら、ルーシーは伏せた体勢のまま、器用にバックパックを背中から下ろす。中から、異様な形の信号銃と、先端の膨らんだ棍棒のようなものを取り出した。信号銃の先端にそれを差し込み、大仰なサイズの撃鉄を起こす。そのままごろりと仰向けになった。

「このくらいかな…」

 手に馴染んだ感触を頼りに、銃口の角度を調整する。そのまま、ほとんど夜空に向けるように撃つ。

 ポン、と間の抜けた音がして、わずかに空気を切る音が続く。その数秒後、金属質な不協和音を含んだ爆発が、建物の屋根あたりの高さで起こった。言葉にならない悲鳴がそれに続く。

 アスファルトの地面に、無数の鋭い棘が突き立っていた。無差別に降り注いだそれは、狙撃に足を止められていた警備兵たちに突き刺さり、引き裂いた。対人フレシェットグレネードだ。

 ルーシーはふたたびライフルの照準線に目を戻す。最初に撃った一人と、その近くにいた一人はすでに事切れていた。後の二人は身体に棘を突き刺したまま、血の海の中をもがいている。

 ルーシーは慎重に、丁寧に狙いをつけて、その二人の頭を撃ち抜いた。



「えげつねえ…」

 建物の陰から覗き込んでいたケリーが、呻くように言った。

「あんなろくでもない物まで盗んでたのかよ」

「感想もいいけど、ちゃんと見張っててよ」

 ケリーの背後には、今しがた脱ぎ捨てたダイビングスーツと格闘するジェニーがいる。折り畳むと驚くほど小さくなったスーツを、ヘッドギア等と一緒にバックパックに詰め込む。正直放り出したいが、現場には可能な限り痕跡を残したくない。そのまま背負う。壁にかけていたアサルトカービンを取り上げ、肩に掛けた。

「よし」

「あの闇マーケット、ホントに何でも売ってるんだな」

 ルーシーが施設に攻撃を開始した時点で、二人は放棄区画の闇マーケットで入手したダイビングスーツを着込み、建物裏手の海中に潜んでいた。スーツとセットで付いてきた小さな潜望鏡が思いのほか役に立ち、警備兵が飛び出していくのを確認してから裏手に上陸することができた。

「いい買い物だったね。ぶんどった増額経費、これで使い切っちゃったけど」

 そう言いながら、ジェニーは身を低くして自分も建物の陰から首を出す。

「さすがに後詰めを吐き出すような真似はしないか…」

 常時詰めている十二人の警備のうち、すでに八人をルーシーが仕留めている。可能であれば残りもそうしたいところだが、望みは薄いだろうというのが傭兵である彼女の見解だった。

「今頃は応援要請が出てるだろうな」

「予定時刻まで、あとどのくらい?」

「二十五秒」

 よし、と言って二人は走り出す。

 建物左側のドアに取り付き、腕時計を見る。秒針の動きが恐ろしくのろい。今ここで、考えを変えた警備兵がひょいと顔を出したら、おそらく一巻の終わりだ。浅くなる呼吸を必死で整える。

「3…2…1…今!」

 電子錠の液晶表示が、赤から緑に変わった。

 ケリーは昨晩の時点で、施設の緊急システムへのハッキングに成功していた。

 ニューアイランズに存在する一定の規模の施設には、窓や出入り口に非常時のための手動開閉機構を設備することが義務付けられていた。ケリーはそこにつけ込み、本社からの公式な通達を装い、ニセの設備点検の予定を施設のシステムに流し込んだのだ。

「開放時間は三十秒だ。急げ!」

 二人はドアに取り付き、両手をついて全力で押し開けようとする。

「重い!」

「いいから押せ!」

 二人はわずかに空いた隙間に指を入れ、体重をかける。だがドアは岩石のように重く、僅かずつしか開こうとしない。

「時間がないぞ!」

「ああもう!」

 ジェニーは肩のカービンを手に取ると、折りたたみのストックを伸ばし、ドアの隙間に差し込んだ。それを梃子にしてぐっと押し込む。

 人一人が通れるほどの隙間が開いた。

「入って!」

 ケリーを押し込み、自分の身体も滑り込ませる。

 互いの足をもつれさせて転がり込む。その瞬間、電子錠の表示が赤に戻り、音を立ててドアが閉じた。

 床に倒れ込んだ状態のまま、大きく息をつく。

「危ないところだったわ…」

「最初っからコレだ。先が思いやられるよ」

 二人は立ち上がると、身につけたものを確かめる。幸い、壊れたものはないらしい。

「銃、それ大丈夫?」

「何ともないみたい。さすがベルギー製だね」

 ジェニーはそう言って、ボルトを引いて初弾を装填した。ケリーはげんなりした顔でそれを見ていたが、慣れない手付きで同じようにした。

「自分から撃とうと思わなくていいから。身を守ることだけ考えて」

「言われなくても」

 言い合いながら、二人は奥のエレベーターに向かった。



 数分で八人の兵士を殺したルーシーは、まだ炎のくすぶる惨状をしばらく眺めていたが、やがておもむろに腕時計を見た。計画通りなら、もう二人は施設の中に入り込んでいるはずだ。

 次の相手は、確実にやってくるだろう敵の増援だ。少しでも有利な位置を取っておくため、フェンスの内側に移動しようと身を上げかけた、その時だった。

 冷たいものが背筋を走り、全身が総毛立つ。

 考えるよりも早く、ルーシーは真横に跳ねた。ほとんど同時に、何かが地面に突き刺さる音。見えない手に掴まれたように、体の動きが阻まれる。

 ルーシーは目を丸くした。

 羽織っていた光学迷彩ポンチョの端に細長いものが突き刺さり、アスファルトに縫い止めている。

 矢だ。

 おそらく竹らしい、ほっそりとした本体に、白と茶の斑になった矢羽が付いている。矢じりは迷彩ポンチョを貫いて、ほぼ全体がアスファルトに食い込んでいる。ポンチョの貫かれたあたりは、小さくノイズが浮かんでいた。

 信じられないものを見る思いで、ルーシーは数秒間それを眺めた。

 わずかに響いた聞き慣れない音に我に返ると、ルーシーはポンチョをその場に残して駆け出した。間髪入れず二本目の矢が地面に突き刺さる。

 走りながら、ルーシーは信号銃を折り、サスペンダーに吊ったパウチから細身の弾頭を取り出す。装填し、銃口を建物に向けた。

 建物の上に、人影が見えた。

 炎に照らされた影。身長よりも長い大弓を持ち、今まさに矢をつがえようとしている。

 ルーシーは引き金を引く。弾頭が飛び出し、破裂音とともに盛大な白煙を吹き出した。

視界ゼロの煙の中を、ルーシーはジグザグに走る。口元には笑みが浮かんでいた。



 エレベーターのドアが開く。

 カービンの銃口を向けて待ち構えていたジェニーが、クリア、と言って銃を下ろす。

中に入る。ドア脇のコンソールにボタンは三つだけだ。ケリーが真中のボタンを押し、ドアが閉まる。

 互いにドアの左右に背中を付けて、向かい合った。

「施設は上層と下層に別れてる」

 ケリーが抱えた防水バッグから端末を取り出し、画面を見ながら言う。

「設備のコントロールや外部との連絡は全部上層でやってる。施設は電波暗室同然で、外と連絡するには有線しかない。戦術チームのあんたの友達につなぎを付けるにも、まずここを抑えなきゃどうにもならん」

「オッケー」

「警備の残りも確実にこっちに居る。あんたがなんとかしてよ」

「善処する」

 返事をしながら、ジェニーは腰に下げたバッグからスタングレネードを取り出す。ケリーに目で合図し、ピンに指をかける。

 その体勢のまま、エレベーターの位置表示が変わっていくのを眺める。

 ポーン、という音が、エレベーターの到着を告げた。それが鳴り終わらない内に、ジェニーはグレネードのピンを抜く。開き始めたドアの隙間から放り出し、耳を押さえうずくまる。

 凄まじい破裂音が、耳にかぶせた掌をつらぬく。

 顔をしかめるケリーをそのままに、ジェニーは半身をエレベーターから覗かせ、すぐ戻す。待ち構えていたように銃声が響き、異音とともに壁面を抉った。

 左手はすぐ行き止まり。銃声は右の角からだ。挟み撃ちにならないのはありがたい。ジェニーは応射しながら、頭を振っているケリーに叫ぶ。

「ランチャー!」

 ケリーがバッグから、中折式のグレネードランチャーを取り出した。弾を込めてジェニーに差し出す。カービンをスリングで吊られるままにして、ジェニーはそれを掴み、構えた。

 引き金を引く。弾頭は角の壁にあたって一度跳ね、爆発した。

 ランチャーを下ろしてカービンのマガジンを交換し、ジェニーは前に出る。狙いをつけた姿勢のまま先を進み、ケリーがおぼつかない足取りでそれに続く。

 焼け焦げ、血に塗れた警備兵を足元に、角を覗き込む。とたんに銃撃に遭い、慌てて首を引っ込めた。机や椅子を重ねて即席のバリケードを作っている。

 ジェニーは軽く咳払いをしてから、精一杯ドスの効いた大声で怒鳴りつけた。

「投降しろ!残ってるのはお前ら二人だけだぞ!」

 うしろでケリーが吹き出すのが聞こえた。睨みつけると、肩をすくめてみせる。

「貴様ら何しに来た!何者だ!」

 バリケードの向こうからそう言われて、ジェニーは返答に窮した。

「あたしら何者?」

「知るか」

 ジェニーは少し考えると

「善意の一般市民だ!」

 と答えた。ケリーがまた吹き出す。

 しばらくの間沈黙があったが、やがて奥で物音がすると、カービンと拳銃が床を滑ってこちらに来た。角から覗き込むと、警備兵二人が両手を上げてこちらを向いていた。

「見なさい。市民の正しき怒りこそが最強の剣なのよ」

「サイコ野郎だと思われただけじゃないの」

 旧友のもっともな指摘は無視して、ジェニーはカービンを構えて角を進んだ。ケリーもそれに続く。

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