Dialog:会敵
From:Muzo*ufro8wi2ad
To:tohifu6oC@uclfr
件名:現状報告
あんたの入れた暗号化プログラムって、使い方これで合ってる?もっと分かりやすいマニュアルつけてよ。ハッカーって人種は共感性が足りない。
ひとまず現状報告。あたしの調査と、あの調子のいい記憶屋から引き出した情報を統合すると、どうもかなり大事になりそうな雰囲気なんだよね。
まずあたしの調査の話から。このあいだ少し話したとおり、今回のクライアント、ナガヤマ&スタンリー法律事務所を改めて洗ってみた。それでわかったことが一つ。連中はSOCがらみの訴訟を「数多く」請け負ってるってあたしに言ったけど、それは嘘だった。
「数多く」じゃない。「全部」。
調べられる限りの訴訟を調べたけど、どんなルートでも、最終的にはあのナガヤマ&スタンリー法律事務所に持ち込まれてた。他所の事務所に持ち込まれた案件も、そこからの紹介って形で受け負ってる。まず間違いなく、関係各所に回状が廻されてると思う。裏金かなにかの便宜か、そういうものとセットにして。
で、それを踏まえて、ナガヤマ&スタンリーは今までの裁判で一度もSOCに勝ってない。 他所の事務所から依頼を引き継いでまで、全部が全部、こてんぱんに負けてる。SOCの法務部が強いのはわかる。でも、全部?
刑事が最初に教わるインストラクション。「偶然を信じるな」。かりに、あの負け続けの裁判を意図的にやってるんだとしたら、それは誰のため?彼らが負けることで最大の利益を得るのは、考えるまでもなくSOCだ。つまりナガヤマ&スタンリーはSOCのために、彼らに対する訴訟をとりまとめ、わざと負けて追求を断つ。そういう構図が見えてくる。
もちろんこれは、今の所あたしの憶測。裏取りは並行して続けるつもり。
で、もう一つ。チェルシーの残した情報のこと。
正直、こいつはとんでもない爆弾だ。世間に出せば、八百長裁判の話なんか吹き飛ばされるような大スキャンダル。
情報の中核は、建築関係の図面やら契約書のコピーやらが占めてた。中身は何かって言うと、SOCがニューアイランズ市に持ってる海中サーバー施設の設計書。
海中サーバー施設なんて珍しくもなんともない。市内だけでも百やそこらはある。でも、こいつは明らかにおかしい。
まずサイズ。SOCの業務内容から見ても、施設の規模が大きすぎる。こっちにはチェルシーがその筋に問い合わせて出してもらった調査結果があるんだけど、今SOCが活用してる国内外のサーバー施設を総合して考えた場合、どう多く見積もっても、問題の施設の1/4くらいのサイズで充分、て結果が出てる。
次に設備。SOCは複数の会社を仲介して、ある特殊な設備をこの海中施設に運び込んでる。これが何かって言うと、「独・ノルドフェルデン社破砕機NFⅣ-2」だそうだ。しかもそいつを海中投棄用のエアロックシステムと接続してる。ちなみにこの投棄システムは、施設の排水系ともつながってるんだけど、これもサーバー施設にしちゃ不釣り合いに大規模。つまり、そこそこの数の人間を、ここに入れることを想定してるって訳。
嫌な予感しかしないでしょ。
そして三番目。こいつが決め手。
ちょっと前から噂されてた、まあ都市伝説みたいな話があってさ。浮浪者とかホームレスとか、そういう人たちが突然、行き先のわからないバスに乗せられて、そのまま二度と帰ってこない、っていう話。
ありがちな話なんだけど、この二、三年で急に広まった噂なのね。それでチェルシーが調べてたみたいなんだけど。
報徳ソリューションズっていう、まあ半分ヤクザみたいな人材派遣会社があるんだけど、そこが今、SOCの曾孫受けみたいになってる。で、そいつらが街の浮浪者とかホームレスとかに「仕事がある」って声かけて、バスに押し込んで連れて行ってるってのを突き止めたの。
もう分かるでしょ。
バスの行き先はSOCの海中施設。
そこはある程度の人数が収容できるようになってて、そこには大抵のものなら細切れにできる超大型シュレッダーが備わってる。それこそ人間の体だって、わけもなく。
書いてて気分が悪くなってきた。
問題は、SOCはこんなものまで作って一体何をやってるのか、ってこと。
チェルシーは十五年くらい前の論文を引っ張ってきてた。詳しいことはよくわかんないけど、電子機器と脳を接続した状態で、機器の側から情報を送り込むことで、思考や感情をコントロールできるかどうか、みたいな内容だそうだ。当時は理論だけで終わった話らしいけど。
ここからはチェルシーの推論。
『電子機器と接続した人間に情報を送信して特定の思考や感情を「出力」させ、それをAIに入力する。そうすることで、より人間に近い反応を生成することが可能だ。サンプル数が多いほど、多様な反応が可能になるだろう。SOCは故人の人格AIを生前の活動記録から生成すると公言しているが、それっぽっちの情報量で一個人の人格をエミュレート出来るわけがない。おそらくそれを可能にしているのは、人間を使った脳活動のコピー施設だ。それは海の中にある』
今後のことを相談したい。近いうち会える?なるべく早く。前回はただのチンピラだったけど、次はもっと別なのが来るかもしれない。そうなる前に、手を打たなきゃ。
忠実なる友より。酒飲みの草食動物へ。
警官時代から馴染みにしているガンショップに、ジェニーはいた。
大きな通りからは少し離れた場所にある店だ。ここは市警から、事件が解決し不要と判断された証拠品の銃を格安で仕入れている。無論、法律の範囲内での取引だが、ふだん市場に出回らないような代物も流通するため、情報収集も兼ねてチェルシーとよく訪れていた。
普段使いの物よりワンランク上の値段の高初速10mm拳銃弾を二百発と、12ゲージのダブルオーバックとサボ・スラッグを五十発ずつ、ついでにスピードローディング用ショットシェルホルダーを四つというオーダーを聞いた店主が
「戦争かい」
と訝しげに聞いた。ジェニーは愛想笑いでやり過ごす。
荷物を自宅に届けてくれるよう頼んでから店を出た。少し離れた駐車場に停めたバイクのところまで、足早に歩いていく。霧のように細かい雨が振り、けばけばしいネオンやホロ・ボードの広告がぼんやりと滲んでいる。
近道をしようと、ビルの隙間の路地に入り込んだ。ゴミ箱や空調の室外機の間をすり抜けるように歩いていく。
目の前に、人影が現れた。
ジェニーは一瞬目を疑う。街灯の逆光になった人影は、どうも和服を着ているらしい。それもこの霧雨の中、胸元を大きく開けた着流しという姿だった。
「ジェニー・コリガンだな」
低くしゃがれた声がした。
ジェニーは答えず、一歩後ずさる。それに呼応するように、人影は一歩前に出る。
ビルの裏口に設置された、センサー付きのスポットライトが点灯した。こけた頬。白髪交じりの長髪。底なしの井戸のような、暗い瞳。
ジェニーの背筋が凍りついた。
「恨みはないが…斬らせてもらう」
男の、幽鬼のように骨ばった手が動く。腰に挿した鞘から、音もなく白刃が滑り出した。
伝説というのは、どんな業界にも一つや二つはあるものだ。ジェニーが警官として働き始めて知ったのは、裏稼業…職業的犯罪者達の業界に、無数の「伝説」が存在していることだった。
無論そのほとんどは、内実を知れば取るに足らない出来事だ。偶然か、あるいは当事者たちがハクをつけようと意図的に、尾ひれをつけて語られるようになった法螺話にすぎない。しかし、ほんのいくつか、利害も虚栄心も抜きに語られる本物の「伝説」を耳にしたことがある。
その生涯で四つの犯罪組織を壊滅させた孤高の鉄砲玉「ラジャム・”アシュラ”・リン」。わずか半年で暗黒街の頂点に上り詰め、直後に謎の死を遂げたオルタナ・ヤクザ「テッド・ヤマザキ」。企業軍から戦術核兵器を盗み出し、一ヶ月に渡って逃走を続けた一介の高校教師「サン・スティーラー」。変わったところでは、銃撃戦の真っ只中に全裸で割って入り、抗争組織の双方を収めて手打ちに持ち込んだネゴシエイター「ダイゴ・”ネイキッド”・ササヤマ」というのもいる。
今、ジェニーの目の前に立つ男も、そういった中の一人だった。
銃も強化義肢(マキナ)も使わず、時代錯誤な武具と超人的な身体技能で標的を仕留める、伝説の殺し屋。
ストリートの者たちは、名前もわからぬその男をいにしえの怨霊になぞらえ、畏怖を込めて「マサカド」と呼んだ。
ほとんど本能的に、ジェニーは銃を抜いていた。
路地裏のおぼつかない明かりに向かって、ダブルタップで弾丸を叩き込む。ビルの間に反響する銃声が耳を突き刺すが、かまってはいられない。マズルフラッシュがストロボのようにあたりを照らす。
絶対に外さない距離。そのはずだった。
だがフロントサイトの先に居る男は、ゆらゆらと体の位置をずらしながら、少しずつこちらに近づいてくる。動きを捉えられない。狙ってから引き金を引くまでの半秒にも満たない間に、射線から逃げられる。
悪夢の中にいるような気分で、ジェニーは引き金を引き続けた。撃ちながら、少しずつ後ろへ下がる。初弾をかわされた時点で、勝てる相手でないことは分かりきっていた。いますぐ全力で逃げ出したい気分だったが、背中を見せればその瞬間に斬り殺されるだろう。
「弾丸というのは、畢竟、まっすぐ飛ぶものだ」
マサカドが口を開いた。
「達者な射ち手が業物を使えば、なおさらであろう。ならば筒口の向きさえよく見ておれば…」
ジェニーは引き金を引く。距離は五メートルを切っている。だが、当たらない。
「…見切るは容易い」
拳銃がホールドオープンした。その音と手応えが、ジェニーの頭を絶望で満たす。
「終いか」
マサカドがゆっくりと刀を構える。
鏡のような刀身は、夜の空を写したようなモノクロームだ。ネオンやホロ広告に占領されたこの街では到底望めない、本物の夜。それを身の内に閉じ込めたような、美しい刀だ。
ジェニーは一瞬、それに見とれた。
ジェニーが空薬莢を踏んで体勢を崩すのと、マサカドが横薙ぎの一撃を放つのは同時だった。
普段なら、持ちこたえられる程度のつまづきだ。だがジェニーは一瞬の判断で、逆に勢いをつけて自分から地面に倒れ込んだ。空気を引き裂く凄まじい音とともに、切っ先が目の前で閃く。受け身を取りそこね、頭と肩をしこたま地面にぶつけた。弾切れの拳銃を取り落とす。
マサカドは素早く刀を逆手に持ち替え、ジェニーを突き殺そうと振り上げる。
だがその一瞬で、ジェニーは切り札をつかみ取っていた。
切っ先が振り下ろされる瞬間、ジェニーのジャケットの右ポケットからくぐもった銃声が響いた。すんでの所で、マサカドは髪の毛数本を犠牲にして飛び退る。
ジャケットには穴が空き、一筋の煙が立ち上っていた。
「奥の手があったか。結構、結構…」
しゃがれ声にどこか喜色をにじませながら、マサカドがつぶやいた。
ジェニーが上体を起こし、マサカドが次なる一撃を放とうと身を沈めた時、二人の間で、ガチャリという物音がした。
互いの視線が同時に、同じ方向を向いた。
雑居ビルの裏口が開き、人影が出てきた。派手な格好のチンピラ。化粧の濃い女を、タトゥーまみれの腕に絡みつかせている。
チンピラと女は、ジェニーの銃とマサカドの刀を見ながら、ぽかんと口を開けていた。
マサカドが興を削がれたような顔になり、構えを解いて小さく頭を振った。チンピラの方に向き直ると、無造作に近づく。
「アァ?何だテメェ。こっち来んじゃ…」
ぱん、と、濡れたタオルをはたくような音がして、チンピラの口上が途切れた。つづけて、重いものが地面に落ちる音。
転がっているのは、男の首だった。
首の断面から思い出したように血が吹き出す。女は悲鳴を上げようとしたが、そのときにはもう、切っ先が心臓を貫いていた。
刀を引き抜くと、二つの死体は互いに寄りかかるように倒れた。赤い水たまりに沈んでいく死体に構わず、マサカドはもとの路地裏に視線を戻す。
ジェニーの姿はすでに無い。
マサカドは小さくため息をつくと、刀を大きく振って血を払う。懐から取り出した紙で刀身を拭うと、そのまま放り投げた。
それが血溜まりの上に落ちるより前に、マサカドの姿は消えていた。
ジェニーは息を喘がせながら、闇雲に走った。とにかく明るいところ、人通りの多いところを目指して。
モノレール駅につながる大通りに出た所で、ようやく息をつく。ビルの壁に背中を預けて、ずるずると座り込む。
まさか逃げられるとは思わなかった。あそこで空薬莢を踏まなかったら、いまごろ自分の首は胴体と離れていただろう。裏口から出てきたあの二人は何だったのか…おそらく、なにかいかがわしい行為の後だったのだろう。おそらく生きてはいない。
穴のあいたジャケットの右ポケットに手を入れる。重く硬い感触。五発装填の小型リボルバーだ。刑事時代にも使わなかったバックアップガンを、まさかこんな所で使う羽目になるとは。
しばらく息を整えてから、仕事用の端末を取り出した。転んだときに下敷きにしてしまったが、どこも壊れてはいないようだ。そのままケリーに通話をつなげる。
数回のコールの後、ケリーが出た。
『なに?』
暗号化された音声通信はわずかにノイズが混じっていたが、その声を聞いてジェニーはわずかに安堵した。
「ヤバい事になった。追われてる」
『なによ。企業軍の攻撃衛星にでも狙われた?』
「『マサカド』」
端末の向こうで、旧友はしばらく沈黙した。
『…衛星のほうがマシだな』
「あたしは潜る。あんたもそうした方がいい。あんなのが出てきた以上、どこに網を張られてるかわかったもんじゃない」
端末の向こうで舌打ちが聞こえた。
『潜るってどこに』
「…例の『ベッド』。十七の時の」
『あたしも行く』
ジェニーは一瞬言葉を失った。反論が口から出る前に、ケリーの方が先手を打つ。
『勘違いするなよ。あんたはあたしのクライアントだ。あたしの安全を守る義務がある』
「そういうもんでもないと思うけど…いやそれより!あんた稼いでるんだから、どっか警備の厳重なホテルにでも篭ればいいじゃん!」
『そんな豪遊できるほどの稼ぎじゃねえよ!それに事を収めるにもハッカーがいた方が都合がいいだろ。一応は契約だ、つきあってやる。一時間後にあの場所だ。追いつかれるなよ!』
ケリーはそれだけ言うと一方的に通話を切った。
ジェニーはしばらく呆然と端末の画面を眺めていた。やがて、端末を額に当てて祈るように目を閉じた後、立ち上がり、走り出す。
打ち捨てられた沿岸地区の廃墟。建造中に汚職が発覚して計画が放棄されたメガフロートのひとつ。この街にいくつかある、浮浪者や犯罪者たちのヘイヴンだ。
その中の一つ、特徴のない小ぶりなビルの地下室で、床に作り付けられた工事用通路の蓋が開いた。
半分ほど開いた蓋から手が伸び、地下室をライトで照らす。続いて、キャスケットをかぶった頭がのぞく。
「クリア」
そう低く言うと、ジェニーはすばやく梯子を登り切り部屋に上がる。そのまま縦穴に向き直ると、手と顔をふたたび突っ込んだ。
「なんでこんな荷物が多いのよ!」
「ハッカーはそういうもんだ!丁重に扱えよ!」
四苦八苦しながら、ボストンバッグふたつとバックパック一つをどうにか部屋に引き上げる。最後にケリー本人が縦穴を這い出し、息をついた。
「…全然変わってねえな」
暗い地下室を見渡し、感慨深げにつぶやく。
殺風景な地下室だった。コンクリート打ちっぱなしの壁にロッカーがひとつ。小さなキッチンと冷蔵庫。もはや何年落ちかもわからないエアコン。場違いに派手な色のソファと、折りたたみのビーチチェアが二つ。その脇に、ビニールシートで包んだ毛布の山。外に繋がる鉄扉は内側から溶接してある。
ぱちりと音がして、天井の灯りが部屋を照らした。
「電気は生きてるね。ガスと水道は…よし、こっちも平気」
「ほったらかしだったのに、よく保ったもんだ。七年も光熱費を払い続けてきた甲斐があった」
「まあ、格安だったけどね」
ジェニーはロッカーからバケツを取り出し、水を溜めはじめた。
この地下室は、ジェニーたちがストリートで暮らしていたころに見つけた隠れ家の一つだった。この一角は建設時の権利関係がひときわ複雑で、建築計画の放棄以降、所有権の所在も曖昧なものが多い。それを利用して、駆け出しのハッカーだった頃のケリーが記録を改竄し、事実上自分たちのものにした。その後、全員が社会に出て不要になった後も、万一の時の隠れ家として維持してきたのだった。
「インフラの使用記録から足がついたりしない?」
「たぶん大丈夫。このあたりは無断使用の巣窟だから、インフラ企業も個別の利用量を把握できてない。マリファナ農場でもはじめない限りはバレないよ」
「オッケー。それじゃまずは掃除だ」
ジェニーはバケツの水に雑巾を浸すと、ソファ周りの埃を拭き取りはじめた。
「あんたも手伝いな」
「やだね」
ジェニーは呆れた母親のようなため息をついてみせたが、それ以上はなにも言わなかった。
一通り掃除を済ませ、ジェニーは開いたビーチチェアに腰を下ろす。ケリーはすでにソファに寝転がっている。
「で、どうすんの?」
抑揚のない声で、ケリーが低く言う。
「ポリ公はSOCとズブズブなんでしょ?ご注進にあがった所で、証拠ごと消されるのがオチ。マスコミも近頃は頼りにならんし、向こうが法律関係を握ってる以上および腰…自分らでネットに流しても、知らぬ存ぜぬで七十五日、だ」
ケリーが体を起こし、ソファの背ごしにジェニーを見る。
「どうすんの」
ジェニーはしばらく黙り込んでいたが、やがて顔を上げ、ケリーの目を見た。
「…ルーシーを呼ぶ」
ケリーが一瞬、虚を突かれたような顔になる。
「あいつ呼んで、どうすんの」
「分かってるでしょ」
ジェニーの口元が、わずかに吊り上がった。
「ぶっ潰すのよ。全部」
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