Monologue:回想①

 初めて会った時の印象は「でかい女だな」だった。

 後で聞いたら、176cmだそうだ。あたしも小さい方じゃないつもりだったけど、目の位置が10cmも違うと、立ち話をするにもいくらか見上げる必要がある。

 一課に配属になった初日、ボスに呼ばれたその女は、茶色い瞳で10cm下のあたしの顔を眺めていた。

「ジェニー・コリガンだ。しばらくお前につける。いろいろ教えてやれ」

 ボスは疲れた顔で、背の高い女にそう言った。

 警官というのは…警官に限らずかもしれないが…新人の世話を押し付けられるのを嫌がる。そりゃそうだろう。普段の仕事だけでも十分以上に忙しいのに、それを素人に説明したり、失敗の尻拭いをしながらこなさなきゃいけないのだ。先月までやっていたパトロール警官の頃も、相棒のおっさんは配属初日から最終日まで、疫病神を見るような顔であたしを見ていたものだ。

 こっちだって、一方的に疫病神扱いされるいわれはない。だから、おっさんの小言には考えうる限りに反論したし、勝手に動いて散々怒られたりもした。それで二年も保ったのだから、今思えば人のいいおっさんだったのかもしれない。

前の部署がそんなだったから、あたしは初対面のその女にナメられないよう、せいいっぱい悪い目つきで睨み返した。

 10cm上から見下ろしていた女は、なんだか妙な顔をしていた。

 どうせ、さぞうんざりした顔をしているのだろうと思っていたが、そうじゃなかった。説明しづらい、今まであたしが向けられたことのないタイプの表情だ。ふと、ストリートで暮らしていた頃、同居人の一人が子犬を拾ってきた時のことを思い出す。あの表情に乏しい女が、ぞんざいに子犬の頭を撫でてる時の顔。

 数秒間そうしていたが、女は小さく頷くと、ボスに敬礼してからあたしに向かって

「おいで」

 と言った。

「来い」でも、無言で顎をしゃくるのでもなく、「おいで」だ。

雑然としたオフィスを長い足で通り抜け、騒々しいエントランスを通って駐車場に出る。一台の車の前でこっちを見て、「乗って」と言う。

 あたしが助手席につくと、女は車を駐車場から出しながら言った。

「とりあえず、私が普段回るところを順にたどるから、横で話を聞いておいて。今追ってるヤマの事は道々説明するから、質問があったらその都度聞いてね。それから…」

「ちょっと待って」

 女の言葉を遮って、あたしは口を挟んだ。

「お、さっそく質問?」

「名前」

「ん?」

「あんたの名前!仕事の前に、自己紹介してよ」

 赤信号で車を止めた女が、キョトンとした顔であたしを見る。それから唐突に笑い出した。

「ごめん、忘れてた!そういえば言ってなかったわ!」

 ひとしきり笑ってから、女はあたしに手を差し出した。指の長い、大きな手だ。

「チェルシー・ヤナカ。チェルシーでいいよ。よろしく」

 出された手を握り返しながら、あたしは答える。

「ジェニー・コリガン。ジェニーでいい」

「よろしく、ジェニー」

 そう言って女…チェルシーはにっこりと笑った。

 どうも調子が狂う相手だと、その時は思った。


 あたしが警官になるって言い出した時、同居人二人のうち一人は『気でも狂ったか』みたいな顔をして、もう一人は「ふーん」と言っただけだった。

 三歳の時に母親が蒸発して、餓死寸前で施設に放り込まれたあたしの半生は、施設とストリートを往復するというのが基本的なルーチンだった。ロクな飯も食わせてもらえず、年上のガキ共にいびられ、職業訓練という名の奴隷労働に明け暮れる施設から脱走し、ストリートでは食いつなぐための盗みと喧嘩に明け暮れ、それが行き過ぎると警察の厄介になって施設に戻される。その繰り返しだ。

 そんな事をしながら、三つ目の施設に放り込まれる時、年寄りの警官がふとあたしに言ったことがあった。

「おまえさん、そんなに元気が有り余ってるなら、警官にでもなってみちゃどうだい」

 たぶん皮肉で言ったんだろう。だが、その一言はずっと頭に引っかかっていた。

 あたしをとっ捕まえた警官どもは、ほとんどの連中があたしより上等な頭をしてるとは思えない奴らだったし、それに街をうろつきまわるのが仕事なら、今とたいして変わらない。

 つまりは、その程度の思いつきだった。

 ニューアイランズ市警は慢性的に人手不足だったし、目端も体力も自身があった。それでも警察学校での基礎訓練はきつかったけど、どうにかパスして、ストリートのごろつきから立派な社会の構成員へと鞍替えできた。

 あたしが警官になったと報告した時、同居人二人のうち一人はやっぱり『気でも狂ったか』みたいな顔をしたし、もう一人もやっぱり「ふーん」と言っただけだった。



 チェルシーはいいやつだった。

 警察学校の教官や、パトロール警官のおっさんと違って、あたしがものを聞いたり反論したりしても、嫌な顔一つしなかった。それどころか、ストリート暮らしで染み付いたあたしの習性や言動を「興味深い視点」なんて言ってよく聞いた。ただ、あたしの引き金の軽さだけは何度か小言を言われた。

「もう少しだけ我慢して。結局は、銃を抜いた方が面倒が増えるんだから」

 あたしとしては大いに反論もあったが、相手が署内でもトップクラスの名射手というのもあって、しぶしぶ従った。

「万引き犯のガキに七発撃った時が一番怒られた」

 そう話した時には大笑いされた。

「別に当てるつもりじゃなかったのに。威嚇ってやつ。実際それで転んだから取り押さえられたんだし」

「逸れた弾が他人に当たるかも、とは考えなかった?」

「そのくらい見極めてから撃ってるよ。ドアのない路地だったし」

 チェルシーは感心したように頷く。

「まあ、今後は怒られないようにしようよ。すこしは課長の胃の心配もしてあげな」

「そんな義理はない」

 そう答えると、チェルシーはまた笑った。こんな仕事してる割に、よく笑う女だなと思った。

 パトロール警官から刑事になって最初に知ったのは、結局、足を使う仕事に変わりはないということだ。チェルシーに付いて街中を走り回り、署に戻っては集めた情報を組み合わせて頭をひねり、ある程度あたりをつけたらまた街に出る。その繰り返しだった。

 あたしらの街。首都とその周縁地方に囲まれた湾。その真ん中に浮かぶ、埠頭やメガフロートがハリネズミのように突き出した人工島。それがニューアイランズ市だ。さして大きくもないこの島は実験的な経済特区で 人、モノ、情報が駆け巡る首都の第二の心臓だ。思いつきみたいに取り決められた色々な特措法の間を縫って、悪知恵の働く連中が稼ぐ混沌の街。

 その時追っていたのは、南の港湾地区にある安ホテルで三人が殺された事件だった。被害者の身元を洗ってみたら、こいつらが古参の武器密売組織『黒蛇会』の構成員だって事がわかって、急に話がややこしくなった。どうも新興組織のマリネロ・ファミリーとの対立が激化して、ファミリーの強硬派が先走った結果の殺しらしい。放っておけば全面抗争になりかねない、という懸念と、これを機に両組織とも一網打尽にしてしまおう、という目論見が合わさって、現在、市警をあげて大捜査網が敷かれていた。

「あんまり上手く行ってないんだけどね」

 車のハンドルを握りながら、チェルシーはため息交じりに言った。

「事が起こってからの初動だったからね、どうしても後手に回ってるのよ。どっちの組織も、幹部級は早々に雲隠れ。黒蛇会のほうはもう絶望的じゃないかって話」

「なんだ」

 車が左折する。今夜は西地区の歓楽街で張込みだ。黒蛇会の若頭が贔屓にしていた店があり、交代で張り付いている所だった。

「それじゃ、今日の張込みは望み薄?」

「そう言う考え方は良くないな。無駄を無駄と思った瞬間に、捜査は潰れる、っていうでしょ?」

 まあ望みが薄いのは否定しないけど、と付け加えて、チェルシーは苦笑する。

 ふと気になって、あたしは腕時計を見た。

「交代の時間には早くない?」

「ちょっと寄り道。最近忙しかったから、周回コースを回れてないでしょ」

 周回コース、というのはチェルシーが情報源にしている店や会社、個人を回って歩くルートのことだ。そこそこ長い警官は、大抵いくつか持っている。

「あんたは初めての所だから、覚えといて。まあ、どこにでもあるようなキャバレーだけど」

「ん」

 車をしばらく走らせて、その店に着いたのは夜七時を回ったあたりだった。ビルの地下階にあるその店は、あたしが想像したより広い。店の奥には小さなステージがしつらえてあり、バンドが音量を抑えた演奏をしている。客も結構入っているようだ。

「いい感じじゃん」

「でしょ」

 そう言いながら、チェルシーは右手のカウンターに直行する。あたしもついていく。

 バーテンがこちらに気づいて、会釈した。横にいた店の娘に何か言うと、その娘は奥に消える。

「ごぶさた、マスター」

「お久しぶりです、ヤナカさん。何かお飲みに?」

「車だから。アキコさんは元気?」

 ええ、すぐこちらに、とマスターが言ったところで、奥から黒髪を結った中年女性が出てきた。チェルシーをみて、笑顔を浮かべる。

「チェルシー!しばらくぶりねえ、元気だった?」

「こんばんは、アキコさん。ごめんね、ここんとこ忙しくて」

「気にしないで、みんなそうよ…あら、そちらのお嬢さんは?」

『お嬢さん』!?

 硬直するあたしの肩に、チェルシーはにやにや笑いながら手を置いた。

「こっちはジェニー・コリガン。あたしの後輩」

「…どうも」

 あらあ、とアキコが声をあげ、あたしの方に右手を差し出してくる。

「アキコ・サノです。よろしくね、ジェニーちゃん」

 ジェニー『ちゃん』!?

「ど、どうも、よろしく…」

 アキコさんの手を握り返す。自分でも笑顔が引き攣るのが分かったが、気にしていないようだ。となりで笑いを噛み殺しているチェルシーを睨む。

「さあさ、入ってちょうだい。モリタさん、わるいけどコーヒーを三つ、奥にお願いできるかしら」

 マスターが、かしこまりました、と渋いバリトンで返事をする。

 奥の事務所では、他愛のない話に終始した。それでも、イタリア人連中の動きが最近せわしないと言うことと、常連だった中国人グループがぱったりと姿を見せなくなった、という話は出てきた。マリネロ・ファミリーの方が、動きは遅れているらしい。

「人もモノも、入れ替わりの早い街だから。流されないよう、しっかり踏ん張ってないとね」

 アキコさんのそんな一言が、耳に残った。

 三十分ほど話してから席を立った。チェルシーはアキコさんがいいと言うのを聞かず、コーヒー代を支払った。いつもこうなのよ、とアキコさんはあたしに苦笑いしてみせた。

「ごくろうさま。また来てちょうだい」

「うん。こんどはもう少し間を空けずに…」

 話しながら事務所のドアを開けた途端、出入り口の方から大声が上がった。

 アキコさんが顔を曇らせ、カウンターに歩み寄る。男の店員が二人、出入り口の方に駆けていった。

「以前、出入り禁止にした男です。マリーカをだせ、と」

 マスターが声を潜めて説明した。その間も、出入り口から大声が聞こえてくる。酔ってるな。

「奥に入れますか?」

「そうしましょ。こう言っちゃなんだけど、ちょうど二人も来てくれてるし…」

「大丈夫。まかせて」

 チェルシーがそう言って微笑んだところで、悲鳴が上がった。

 男が店員を押し除け、店に入ってきた。後ろでは店員の一人が、青い顔で右手を押さえている。血が滲んでいた。

 男の手に、大振りのナイフがある。

 アキコさんが息を呑む。マスターがカウンターの下に手を伸ばすのがわかった。あたしも脇のホルスターに手をやり、グリップを掴む。

 銃を引き抜こうとするあたしの手を、チェルシーが止めた。

 は?と思いながら相棒の顔を見る。普段通りの笑顔で、あたしにウィンクした。そのまま、ぶらぶらと男の方に歩いていく。

「お兄さん、ちょっと」

 チェルシーは男の真正面に立ち塞がる。

「マリーカは今日はお休みだって。日を改めてくれない?」

「っんだらあっコラ、ダレっがなにいっらあ、おぉ!?」

 酩酊と興奮で、意味のわからない喚き声をあげる男に、チェルシーは二、三度頷いてみせた。

「うん、うん、言いたいことはわかるよ。だからさ、また今度にして、酒も抜いてさ。ね?」

 男が呻き声をあげ、血走った目でチェルシーを睨みつける。数秒間睨み合ったかと思うと、唐突にナイフを振り上げた。

 チェルシーの動きは速かった。

 長い足が動き、相手の懐に滑り込む。左でナイフの動きを止めると、腰を回して十分に遠心力の乗った短打を男の鳩尾に叩きつけた。

 男は声もあげずに崩れ落ちる。

 右手を蹴飛ばしてナイフを取り上げると、そのまま腕を捻りあげ、手錠をかけた。

「ジェニー、署に連絡して、こいつを連れて行かせて。サイレンは鳴らさず、裏口に車をよこすように。アキコさん、あっちのお兄さん、早く手当てしてあげて」

 事務所の椅子借りるね、と言って、男を引きずっていく。マスターと救急箱を持った店の娘が、入れ違いに出入り口の方に向かっていった。

 数分後、指示通りに裏口にやってきたパトカーに男を引き渡し、何度も礼を言うアキコさんを後にして、あたしたちは車に戻った。

「時間食っちゃったね。急がないと」

 買い出しする時間あるかな、と言いながら、チェルシーは車を出した。

「ねえ」

「ん?」

「さっきのは、撃ってもいい状況だったと思うんだけど」

 あたしがそう言うと、チェルシーはちょっと困ったように笑った。

「かもね」

「だったらなんで止めたの?危ない橋渡ったのはあんたの方じゃない」

 チェルシーはふーむ、と息をついてから、口を開いた。

「あそこで、店の中で銃声を響かせたりしたら、店を封鎖して客も従業員も外に出して、って話になるでしょう?そうなったらアキコさんも困るし…」

 車が角を曲がる。加速して、前を行くバンを追い抜く。

「なにより、あたしらが張込みの引き継ぎに遅刻するじゃない」

「…なるほど」

 あたしは呆れ半分、感心半分で相槌をうった。

「アキコさん、あの辺じゃ結構顔が広いから、ちゃんと顔つないどきな。あたし抜きでも動けるように」

「わかった。…今日みたいなこと、他所でもやってるの?」

 チェルシーは視線をちょっとあたしの方に向けて、また前に戻す。

「今日みたいなこと?」

「ああいうゴタゴタの片付け。まあ今日のはふつうに警官の仕事だったけど、なんていうか…調書に残らないタイプの仕事」

 チェルシーが、ああ、と納得したような声を上げた。信号が赤になり、車が停まる。

「パトロール警官の頃は、そういうの見なかった?」

「もちろん見たよ。でもあんたは違うじゃない」

「違うって、なにが」

「あんたは金をとってない」

 チェルシーはううーん、と言いながら、ハンドルを指で叩いた。

「…ああいうゴタゴタは、あたしら警官がきちんと見てないと、ヤクザの付け入る隙になるからね。書類に乗らない仕事もやってかないと」

 サービス残業だけどね、と言って舌を出してみせた。信号が変わり、わずかにタイヤを鳴らして車が走り出す。

「せっかく警官やってるんだから、それらしくしたいじゃない。賄賂とったりせずにさ」

「正義の味方ってこと?」

 それでもいいけど、と言ってからチェルシーは少し考えて、続けた。

「弱いものの味方。少なくとも、金や法律の味方じゃなくて、ね」

 そう言って笑う。あたしはなんとなく納得して、うなずく。

 途中のコンビニで食べ物を買い込み、なんとか交代予定時間に滑り込んだ。張り込みは結局、収穫はなかった。

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