Dialog:調査②

 ジェニーはその日、市営モノレール「あざらしロード駅」近く、時間貸し駐車場の脇に立ってコーヒーを啜っていた。

 女一人と見て寄ってくる酔漢やキャッチ・マン、彼女よりも後ろのバイクに惹かれてくるエンスーマニアをあしらいながら、斜向いにあるパチンコ・センターのエントランスを眺め、出入りする客の顔を素早くチェックする。やがて、一人の男が自動ドアをくぐって店を出た。若い、頬骨の目立つ痩せた男。安っぽいスタジャンの背を丸め、サンダルを引きずりながら歩く姿は見るからに不機嫌そうだ。

 ジェニーは駐車場の支払い端末に追加のプリペイドを差し込むと、人ごみに紛れるように男の後を追った。日が落ちて間もない時間、人出の多い繁華街で気づかれる心配は無かった。


 あの高架下で行き詰まった後、ジェニーは思いつく所を手当たりしだいに当たっていたが、有用な情報は得られずにいた。そんな時、予定外の頼まれごとが舞い込んできた。

 調査の合間、刑事時代の情報源の一つだった店に立ち寄った際、ママのアキコから相談を打ち明けられた。彼女の店で働くミユキという娘が、最近悪い男に付きまとわれているのだという。

 男は、数年前に事故で死んだ弟の友人だという話だった。

(懐かしさについ家にあげちゃって、ご飯なんか食べさせてあげてたらしいんだけど…最近はお金までせびっていくし、断れば部屋で暴れるしで…怪我でもしないうちになんとかしなきゃって思ってるんだけど…)

 よくある話だった。この手の話は警察はほとんど相手にしない。市のソーシャルワーカーにたらい回すのが関の山だ。だが、チェルシーはときどき、こういう話に乗ってやっていた。恩を売っておけば味方についてくれるし、ヤクザにでも頼られるとこちらもやりにくい、というのが彼女の言い分だったが、どうもそれだけではなかったように思う。

 そんなことが頭をよぎったものだから、アキコの頼みをつい引き受けてしまった。実際それどころではないのだが、さほど手間もかからない仕事だ。クライアントへの言い訳を考えるのも飽きていたジェニーは、翌日、男が入り浸っているパチンコ・センターへ向かった。


 男がモノレールを降りたのは、アキコの店の最寄り駅だった。

 ジェニーもそれを追って駅を出る。最近は店にまで来るようになった、というアキコの話どおりだ。携帯端末から店に連絡を送る。すでに話は通っている。

 男が店のあるブロックの手前まで来た時、ジェニーは声をかけた。

「お兄さん、ちょっといい?」

 男が振り向く。険悪な視線がジェニーの方に向いた。

「あぁ?なんだテメ…」

 男が最後まで言わないうちに、ジェニーの体が男の懐に滑り込んだ。そのまま、充分に勢いの乗った短打を鳩尾に打ち込む。人目を引かず、最小限の動きで相手を無力化する技だ。

 男が声もなく崩折れ、ジェニーはいかにも慌てたふうにそれを受け止める。

「ちょっとお兄さん!飲みすぎだよこんな時間から…ほら!あっちに知り合いの店があるから!そこで休ませてもらお!ね!ほら立って!」

 空々しい芝居をしながら、ジェニーは男に肩を貸し、路地の方に引きずっていった。アキコの店のちょうど裏手、セックス玩具店のガレージ前に男が立っている。ジェニーが頷いてみせるとドアを開け、

「二時間」

とだけ言った。

「三十分もありゃいいよ」

 ジェニーは答える。

 裸電球一つの薄暗いガレージに入ると、ジェニーは真ん中に置かれたパイプ椅子に、投げ出すようにして男を座らせた。

 短打の痛みから持ち直してきたか、男が唸りながら緩慢に立ち上がろうとする。だがジェニーは素早く後ろに回り、脇の机に置かれていた手錠を取ると、慣れた手付きで男の手首と椅子を連結した。

「テメェ…一体なに…」

 口を開いた男の鳩尾を再び殴る。体を折り曲げる男の口に、細く巻いたタオルを噛ませて縛った。そのまま店の紙袋をかぶせ、手早くダクトテープで首元に固定する。顔を覚えられないためと言うよりは、恐怖を増幅させるための処置だ。

「ミユキって子の事、知ってる?」

 ジェニーの平坦な口調に、男は頷いた。

「まあ、その話は後にして、先に少し運動しようか」

 そう言いながらジェニーは、警官時代から荒事用に使っている、ナックルガードの付いた手袋をはめた。



「一応、念書も書かせたから」

 ジェニーはそう言って、乱れた字で書かれたメモ用紙を差し出した。そこには金輪際ミユキに近づかないという旨が、署名と拇印つきで書かれている。

「役に立つかはわかんないけど…まあ役人を説得する材料くらいにはなるでしょ」

「ありがとう!ジェニーちゃん!」

 アキコはジェニーの手を取ると、そのまま拝むように頭を下げた。ジェニーの方は苦笑いだ。ニューアイランズ広しといえども、ジェニーをちゃんづけで呼ぶのは彼女くらいだろう。

 アキコの店の事務所だった。店はすでに開店して、客や女達のざわめきが音楽と一緒に聞こえてくる。

 ジェニーの対面にはアキコと、無表情にうつむいたミユキが並んで座っている。手元の念書を眺めながら、微動だにしない。

「…ミユキちゃん」

 ジェニーをひと通り拝んだアキコが、隣の娘に向き直った。

「複雑なのはわかるけど、これが一番なのよ。自分の身になにかあってからじゃ遅いんだから」

 ミユキはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。

「…シンイチの…」

 小さくつぶやき、顔を上げる。

「弟の、友達だったって言ったんです。あんな事になって、とても悲しいって。あれも嘘だったんですか…?」

「職場の同僚だったのは確かみたい」

 ガレージで「お話」をしていた際に男が口走った言葉だった。そのときにはもう、嘘がつけるような精神状態ではなかっただろう。

「どのくらい親しかったかは分からないけど」

「そうですか…」

 そう言って再び念書を見る。やがてそれを折りたたむと、ハンドバッグに収めた。大きく息をつく。

「ママ、これから店に出ます」

 アキコが驚いたような顔になる。

「大丈夫?少しくらい休んだって構わないのよ?」

「もう平気です。アイツにせびられた分、取り戻さなきゃ。ジェニーさん、ほんとにありがとう」

 そう言って頭を下げると、ミユキは控室に戻っていった。ドアを開けたとき、部屋の様子をうかがっていた同僚の娘が、心配そうな顔で彼女の手を取るのが見えた。

「大丈夫そうだね」

「ええ。きっと」

 アキコが大きく安堵のため息をついた。

「それにしても、嫌になるわねぇ。人の思い出にすり寄って、相手がほだされたところで毟り取る…いやらしいったらありゃしない」

 出された茶をすすって、ジェニーが相槌を打つ。

「こう言っちゃなんだけど、あのチンピラくらいは可愛いもんかもね。世間じゃそれをビジネスでござい、って顔で堂々とやってる手合もいるんだし」

「はーやだやだ!」

 身を抱くような仕草で顔をしかめるアキコに、ジェニーは笑う。

「…そろそろ行くよ。ごちそうさま」

「あら、もう?一杯飲んでいってよ」

「これから忙しい時間でしょ。それにバイク拾って帰らなきゃ」

 そう言ってドアに向かうジェニーを、アキコが呼び止めた。

「…待って」

 いつになく深刻な声に、ジェニーは足を止める。

「これ、口止めされてたんだけど…やっぱり伝えておくべきだと思うの」

「なに、改まって」

 アキコはしばらく目を伏せて考えていたが、やがてジェニーに向き直り、言った。

「チェルシーのことなんだけど…」



 自宅のソファにもたれかかって、ジェニーは天井を見上げていた。

 灯りもつけず、ジャケットを放り出してソファに沈み込んだまま、かれこれ三十分ほどそうしている。頭の中には、アキコの言葉がループしていた。

(…記憶屋を捜してたの)

 不吉なことを話す様に、彼女は声を落とした。

(記憶屋?)

(そう。ママは顔が広いから知らないかって。口が固くて信頼できる、できればさほど名前の知れてない奴がいい、って)

 記憶屋。自分の脳をストレージにして、機密データを預かって金を取る連中だ。彼らにとって、名が売れる事は必ずしも利点ではない。名前が知られれば狙われやすくなるからだ。複数の偽名を使い分けるのが当たり前の業界であり、そのぶん、新規参入のハードルが低い裏稼業の一つでもあった。若くて目端が利き、まだ業界に名の知られていない腕利き、そういう奴を探していたということだ。

(そりゃアタシもそっちのツテが無いわけじゃないけど、記憶屋となるとねえ…悪いけど、って言って断ったの。チェルシーも食い下がらなかったわ。でもね、そのあと…)

 そこまで言って、アキコはジェニーの顔をながめた。

(…こう言ったのよ。『これ、ジェニーの奴には内緒ね』って)

 ジェニーは微動だにしない。だが、アキコの目にわずかに浮かんだ哀れみを見て、自分がどんな顔をしているかはだいたい想像がついた。

(いつもどおりの、綺麗な笑顔だったわ…死んじゃうひと月くらい前の話よ)

 記憶屋。考えるまでもなく、SOCに対する調査内容を隠すために探していたのだろう。チェルシーの遺品は遺族がすべて引き上げたらしく、市警ではろくに調べなかったそうだ。だが、市警上層部がSOCと繋がっているだろう状況で、自宅になにがしかの痕跡を残すほど、チェルシーは迂闊ではない。

 次に追うべき道筋は決まった。聞き込みのクチはいくつか心当たりがある。若くて評判の良い記憶屋…絞り込むにはさほど苦労しないはずだ。ケリーに助言を求めてもいい。

 道筋は見えたが、気分は晴れなかった。またひとつ、彼女が自分に隠していた事実を見つけてしまった。それも明らかな証言つきで。

 何故、とどうしても考えてしまう。私怨だから?ヤバい話に巻き込まない様に?

 自分は彼女のパートナーとして、どんな事にも付き合う覚悟をしていた。それはそのまま、相手もそうだという確信にもなっていた。そうではなかったのだろうか?確かめる方法は、もう無い。

 テーブルに置いた端末が光った。

 画面に目をやって、少し驚く。珍しい相手。ドニーからだ。

 端末を手に取り、短いメッセージを読む。

『サカベ・ヤスノリ。元刑事。去年定年退職。潮見ヒルズの寮に在住。死ぬ二ヶ月ほど前に、あいつと会ってる。私見だが、どうも匂う。気をつけろよ』



 ニューアイランズ市東部の潮見ヒルズには、警察関係者向けの寮が集まっている。

 ほとんどは若い単身者向けのつくりで、たいていの警官は数年で寮を出て、もっと便の良いところに移ってゆく。だが、いくつかある寮のうち、3号棟はそれとは違った使われ方をしていた。

 市警では、定年まで勤め上げた警察官に対して、幾つかのサービスを提供している。その一つが住居支援で、希望する者は市警の用意した物件に格安の家賃で居住する事ができた。それに割り当てられているのが3号棟である。

 つまりそこに住んでいるのは、定年まで勤め上げたものの、現役時代に貯えを作れなかった年金生活者たちだった。トラブルに巻き込まれ出世コースを外れた者、現役時代に借金をつくってしまった者、事情は様々だ。そしてその中には、禁忌に触れて詰め腹を切らされた者が数多くいる、というのが市警で長く語り継がれる伝説の一つだった。


 昼間の住宅街は閑散としていた。

 モノレール駅の周辺やそこに隣接する家族向けマンション地区はまだ賑わいがあるが、このあたりは駅からも距離があり、自家用車のない者は路線バスを乗り継いで通勤せざるを得ない。たいていの警官たちが早々にここを出る理由の一つだ。

 薄いベージュに塗られた特徴のないアパートが立ち並ぶ間を、ジェニーはゆっくりとバイクを走らせた。左前方に、「3」と書かれたアパートが見えてくる。

 道路に沿った植え込みの間に、バス停がある。そこに据えられたベンチに、人影があった。禿頭にわずかに残る白髪、古ぼけた灰色のスーツ。ぎょろりとした目が印象深いが、そこから深い疲労が漏れ出しているような顔つきをしていた。

 バス停の前を通る時、ジェニーはさらに速度を落とした。老人がこちらを見て、すぐに視線を戻す。それを確認して、ジェニーは速度をあげた。

 少し先のアパート前でジェニーはバイクを降りると、目の前のバス停に停まったバスへ乗り込んだ。バスは来た道を遡っていく。三つ目のバス停で、先程の老人が乗り込んできた。ジェニーの前の席に座る。

「あの嬢ちゃんとも、こうして話した」

 抑揚に欠ける声は、思ったより高かった。

「知り合いか」

「相棒でした。ジェニー・コリガンです。サカベ・ヤスノリさんですね」

 背中越しに、どうしようもない疲労と諦観がつたわってくる。

「会うべきじゃなかったんだろうな。むざむざ死なせたようなもんだ。悪い事は言わん。あんたも手を引きなさい」

「そうもいかないんです。フリーになって、食い扶持がいるんですよ」

 強がって見せたが、返ってきたのは溜息だった。

「だったら尚更だ。後ろ盾のない探偵一人、デカより簡単にやられちまうぞ」

「チェルシーに何を話したんです」

 老人が沈黙する。ジェニーは彼の背中を眺める。

「…仇討ちか」

「知りたいんです」

 本心だった。知るたびに気分が沈んでいくような事ばかりだが、それでも。

 互いにしばらく黙り込んだあと、サカベが諦めたように口を開いた。

「イナモリ長官な。あれは意外と顔の広い男でな、知事選出馬ってのも、あながち勝算のない話じゃないんだよ」

 唐突に出てきた長官の名前に、ジェニーは面食らう。サカベは構わず話を続けた。

「この街でそれなりの商売をしてる連中の所には、だいたい顔を出してる。まあ程度に差はあるが、その中でも一番関係が深いのが、SOCさ」

 サカベが窓に目をやり、横顔が見える。凍りついたような無表情だ。

「考えてもみな。あそこのAIの言うことが証拠として認められるようになりゃ、それを作ってるSOCの胸先三寸で、どういう風にでも捜査結果を塗り替えられる。長官の都合でもいいし、容疑者の「上」にいる連中がSOCにカネを積んで、ってセンもある」

 ジェニーは顔をしかめると、帽子を脱いで頭を掻いた。やるんじゃないかとは思っていたが…

「もうそこまで話が進んでるんですか?」

「まだ試験段階、ってとこだろう。だがまあ、あと半年とはかかるまいな。あいつは、それででっち上げた警官としての実績と、SOCからたっぷり頂いた裏金で、堂々と知事選に打って出るつもりだ」

 苦い顔のまま聞いていたジェニーが、ふと尋ねた。

「ひとついいですか。何でそんなこと知ってるんです?」

 サカベは窓から視線を戻し、呟くように言った。

「…何度も言ったんだ。こんな事はやめろってよ」

 バスは止まらずに走り続けている。この時間帯、利用客はほとんどいないらしい。夕方に差し掛かれば、帰宅する人々で混み合うのだろう。

「定年の直前になって、俺は昔の捜査をネタに訴えられたよ。被疑者家族に対する脅迫と暴行だとさ。顔を見せたのは弁護士だけだったが。示談にはなったが、老後の蓄えは全部持っていかれちまった。女房とは籍を抜いて、兄夫婦のいる実家に行かせた。息子がもう独り立ちしてたのは幸いだったな。まさかこの年で寮暮らしに戻るとは思わなかったがよ」

 そう言って、乾いた笑い声をあげた。

「まあ、運が良かったんだろうな」

「…長官の話、物証はあるんですよね」

 サカベはわずかにジェニーの方を向き、自分の頭を指先で叩いた。

「そんな…」

「あの嬢ちゃんは出来が良かった。ひとつふたつヒントをやったら、全部自分で調べ上げたみたいだな。その挙句があれだったが」

 バスが次の停留所を告げた。

「ま、せいぜい気をつけるこった」

 サカベがバスの停車ボタンを押し、立ち上がる。はじめてジェニーをまっすぐに見た。

「特に足元にはな。あんたの依頼の出所、もう一度吟味しておいた方がいい。利害が一致してるからって、味方とは限らんぞ」

 それだけ言ってサカベは背を向けると、そのままバスを降りていった。

 ジェニーはそのまま、折り返すバスの中で考え続けた。やがてバイクを置いた停留所に降りる。

「手っ取り早くいくか…」

 そう一人ごちると、携帯端末を取り出してコールした。

「あ、ケリー?おつかれ。…あ、もう?ありがと。いや今日はその事じゃなくて。ちょっと頼みがあるんだけど。…そう。仕事。大丈夫、ちゃんと払うよ」

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