Dialog:調査①

 SOC。ソウル・オラクル・コミュニケーションズ。

 創業は四年前。AIの開発/運用で知られる大企業トーラス・ルインス社のエンジニアだったシェンラオ・ツェンが、同社を退職した後に立ち上げた。

 ツェンはトーラス・ルインスに在籍していた頃、同社の社会福祉部門に所属していた。彼のいた部署では主に、グリーフケアと呼ばれる死亡者遺族の心理的・社会的支援のために、いかにしてAIを活用するかという研究が行われていた。

 この部署にいた頃のツェンに目立った功績はない。だが、ここに三年とどまった後に彼は退職、その直後にSOCを創業した。前職にいた頃のコネクションを有効に活用したであろうことは想像に難くない。

 彼の興したビジネスは風変わりなものだった。

 彼は前職で研究していたグリーフケアの概念を、事故や事件、戦争による犠牲者の遺族のみならず、ごく一般の人々にまで、商品として提供することを考えついた。

 故人を忠実に再現したAIをオーダーメイドし販売する。顧客は恐るべき額の代金に加えて、故人のプライベートな情報も会社に差し出す。そうして、いなくなった人間の鏡像を、携帯端末やホロ・モニタに映し出す権利を得る。

 これが当たった。

 その死にショッキングな要素は無くとも、今生の別れであったはずの相手と再び会いたい、そのためなら高額な支払いも厭わない、という人間は予想外に多かった。少なくとも、出来たばかりのベンチャー企業を一年で株式上場にまで押し上げる程度には。

 提供されるAIの出来は、支払いに見合うだけの完成度を有していた。それは、製作工程に関する過剰なまでの秘密主義と相まって、倫理的な波紋を呼んだ。生前の承諾なしに故人のAIを作ることに問題はないのか?作成されたAIは単なるプログラムか、それとも何らかの人格と見なすべきか?その発言には社会的な意味が生ずるか?

 無数の議論と繰り返される訴訟を引きずりながら、SOCは現在も利益を伸ばし続けている。



「チェルシーの事?」

 グラスを磨く手を止め、モンドは意外そうに聞き返した。

「そ。モンドなら何か知らない?顔も広いし、あたしより付き合いは長いんでしょ?」

 ジェニーはふたたび「8マイル・モート」に訪れていた。

 時間も同じ頃合いだ。情報収集と言うなら人の増える時間帯のほうが良かったかもしれないが、酒の入った元同業者に挟まれて、絡まれたり気を使われたりするのは避けたかった。その点、顔も広く人望の厚いモンドに話を聞けば効率的だろうという考えだ。

「藪から棒だな…何かあったか?」

「別に。まあフリーになったことだし、ちょっと気持ちの整理をつけようって、そんなとこ」

 ふうむ、と唸りながら、モンドはピンクの義手で顎を撫でる。

「まあ、いい傾向だな。いつまでも死人のことにこだわっててもロクな事にならんよ…しかしなあ。そんなことは、相棒のお前さんが一番良く知ってるんじゃないのか」

「そうでもないよ…最近になって、それに気づいたんだ」

 そう言って、ジンジャーエールのグラスで表情を隠す。今日はバイクだから酒はなしだ。

 中空を睨んで考えを巡らすモンドの後ろから、ふと声がした。

「ドニーがチェルシーのこと口説いてたのは?」

 モンドの広い背中から、ひょいと小柄な女が現れた。明るい色の髪をきれいに結い上げ、清潔なシャツとジーンズの上にエプロンを掛けている。

8マイル・モートのウェイトレス、マイ・ラコルデールだ。

「そりゃみんな知ってる」

「なんだそっか。ジェニー、ひさしぶり」

「ん、ごぶさた」

 さして愛想の良くないジェニーの返事にも、マイは笑顔で応えてくれた。

 その笑顔と快活さで、彼女は店の常連たち…とりわけ若い警官たちの憧れを一身に受けている。それがなぜ実を結んでいないのかといえば、彼女がモンドの姪であるからだった。万一彼女に手を出そうものなら、ピンクの義手が唸りを上げて飛んでくるだろう。

「なんで振っちゃうかなー。ドニー、かっこいいのに」

 軽食メニューの下ごしらえを手際よくこなしながら、マイがつぶやく。

「そりゃお前、あれだ…人にはいろいろ事情があってだな…」

 石仏のような顔で黙り込んだジェニーを横目で見ながら、モンドが空虚なフォローを口にする。

 店先のベルが音を立てた。

「噂をすればだ。よう、ドニー!」

 モンドの声に、店に入ってきた長身の男が手を上げて挨拶した。その視線が動き、驚いたような顔になる。ジェニーは視線をそらす。

 ドニーは一瞬だけ考えるそぶりを見せたが、そのままカウンターに向かってきた。

 黒々とした髪と眉に、はっきりとした顔立ち。浅黒い肌。好みの差こそあれ、醜男と呼ばれる心配はまずないだろう美丈夫だ。顎の右から目元まで走る傷跡すらアクセサリのように見せてしまう。

「よう、海賊」

 ジェニーの隣に座り込み、親しげに声をかけてきた。ジェニーは手だけを振って答える。

「いつものジントニックでいいのかい」

「ああ、それとお隣に同じのを…なんだ、飲んでないのか?」

「今日はバイクなんだって。おつかれさま、ドニー」

 マイのねぎらいに笑顔を返してから、ジェニーに向き直る。

「フリーになったんだって?」

 ジェニーはうなずく。

「惜しいな。ウチの前衛にピッタリの女だと思ってたんだが」

「あたし射的の腕は良くないよ。あんただって知ってるでしょ」

 ジェニーのすげない返事に、ドニーは真顔で返す。

「前衛に必要なのは射撃センスじゃない。度胸と根性さ。マリネロ・ファミリーの時のこと、覚えてるか」

「…そりゃ、まあ」

 覚えているどころの話ではない。ほとんど偶然に武器密売の取引現場を抑えた事件。刑事になりたてだったジェニーは一人で銃撃戦をおっぱじめてしまった。戦術チームの到着が遅ければ死んでいただろう。

「おまえさん、まるきり素人だった。だが少なくとも、弾にも銃声にもビビってなかった。こいつはウチに向いてる、そう思ったよ」

「あのあとは課長にこっぴどく叱られたけどね」

 ジェニーはむっつりと言い返す。ドニーはそれを見て笑うと、出されたジントニックを美味そうに飲んだ。

「でも、ドニーはチェルシーのこと口説いてたんでしょ?」

 マイの遠慮のない質問にも、ドニーは平然としている。

「仕事とプライベートは別さ。ま、そのあとあいつはジェニーにかかりきりになっちまったからな。あの時、チェルシーにも叱られたか?」

 ジェニーは首を振る。

「そういう奴だったよ」

 ドニーがつぶやき、皆、なんとなく黙り込んだ。

 新たな客にマイが声をかけたのをきっかけに、モンドが口を開く。

「葬式は向こうでやったってんだろう?」

 ドニーが顔をしかめた。

「ああ。両親だってのが死んで三日目に来て、遺体だけもって帰った。長官と署長に二、三分挨拶して、それっきりだってよ」

「そうなの?」

 ジェニーが驚き、モンドが不愉快そうな唸り声をあげた。

「同僚に来て欲しくねえって事かい」

「ま、色々あるんだろうさ…お前、聞いてなかったのか」

「あー…」

 ジェニーは正直なところ、チェルシーが死んでしばらくの事はよく覚えていなかった。ホロ・モニタを折り畳み椅子で叩き潰した記憶が一番鮮明だ。

「まあ、仕方ないか。しかし告別式もずいぶん荒れたぜ。俺たちが勝手にあげた式だが」

「うちを貸切にしてな」

 そんな事してたのか、とジェニーは今更ながらに驚いた。相棒の人徳はよく知っていたつもりだったが。

「長官に対する怨嗟があれほど高まった事はかつて無かったね。せめて俺たちに一言あってもいいだろうってな。あれで知事選に出るつもりだってんだから恐れ入るぜ」

 その噂はジェニーも聞いていた。市警長官の地位を足がかりに政界へ打って出るという彼の野望は、多くの警官たちから冷笑をもって語られている。

「あの噂ホントなの?」

「どんな勝算があるのか知らんが、本人はそのつもりらしい。知事でも何でもなって、とっとと市警を出て行ってほしいって奴もいるが、どうだかね」

「ニューアイランズ市民よ、どうか良識に従いたまえ」

 モンドが仰々しく唱えて、ジントニックのおかわりを置いた。

 ジェニーは顎に指を当てて考えこんでいる。二杯目に口をつけながら、ドニーが不審そうな顔をした。

「なんだ、何か妙なところでもあるか」

「ああ、いやべつに」

「ドニーは、チェルシーのこと何か覚えてない?」

 テーブル客のオーダーを片付けてきたマイが、話に加わってきた。

「なんだい、そりゃ」

「ジェニーが聞きたいんだって」

 怪訝そうにこちらを見るドニーに、先ほどと同じような事を説明した。

「…なるほど。何かあったら連絡するよ」

 ジェニーの意図に薄々感づいたらしいドニーは、それだけ言ってジントニックに向き直った。

 そのあとは、取り止めのない話になった。ドニーがマイをからかうのをしばらく聞いてから、ジェニーは席を立つ。

「気が変わったら、いつでも来いよ」

 ドニーの声を背中に受けながら、ジェニーは店を後にした。



 ササキがよこした調査資料は、素人仕事にしてはよくまとまっていた。

 チェルシーの所属や過去の担当事案を起点に、資料と聞き込みで情報を肉付けしている。法律事務所らしく、そちら方面からのアプローチが主要になっている点はジェニーには新鮮だった。

 事務所の担当者へは、マスコミ関係のツテから接触したらしい。資料には、そこから遡って数人の名前を挙げてあったが、最終的な出所が誰なのかは掴めていなかった。さすが、とジェニーは思う。

 さしあたり、最後に挙がった名前から接触してみる事にして、資料データのウィンドウを閉じる。そのまま安物の椅子を軋ませ、大きく伸びをした。

 雑然とした自室。宿舎を出てから移り住んで三年目になる。フリーになって、事務所としても使うのだから片付けなくてはと思いつつ、全く手をつけていなかった。そもそも刑事になって以来、月の半分は署かチェルシーの部屋に泊まり込んでばかりだったので、自室はほとんど物置だ。家具の配置から考え直さなければならない。

(それにしても…)

 なぜチェルシーは、SOC社を調査していたのだろう。それも、自分にすら秘密にして。

 少なくとも、彼女自身の口から因縁めいた話を聞いた事はなかった。AIの証言が捜査資料に使われるという話を聞いた時も、散々文句は言い合った記憶はあるが、わざわざ調査にかかるようなそぶりは見せなかった…

 そこまで考えて、ジェニーは溜息をつく。

 チェルシーが自分にも秘密で動いていた時点で、そんな印象がなんの根拠にもならない事は分かっている。自分も知らない理由で、彼女は彼女だけの事件を追っていたのだ。そう考えると、何かひどく寂しくなった。

「そりゃ、なんでも知ってるわけじゃなかったけどさ…」

 天井を見上げたまま、ぽつりと呟く。

 デスク端末の電源を落とし、ベッドに倒れ込んだ。

(明日は、新調した携帯端末をケリーのところに持って行こう。そのまま外回りの調査に出て…回るところをリストアップしておかないと…バイクのガスはまだあったっけ…)

 喪失感を寄せ付けないよう事務的なことを考えながら、ジェニーはそのまま眠りに落ちていった。


 翌日の調査は空振りに終わった。

 新しい端末をケリーに預け、ニューアイランズ市でもあまり多くない高純度エタノールを扱うスタンドでバイクに給油したあと、ササキの調査資料にあった名前を順に当たって歩いたが、目ぼしい情報は掴めなかった。

 法律事務所と繋ぎをつけたゴシップ誌の編集部をはじめ、にぎやかな駅前通り、大小の船と貨物用WIGが行き来する港湾部、極彩色のネオンとホロ・ボードが密集する盛り場を渡り歩いた。一箇所たどるごとに汚く、いかがわしくなる風景を通り過ぎて行き着いたのは、ゴミの散乱する荒れ果てた高架下だった。

 おそらく浮浪者たちがねぐらにしていたのが、最近になって撤去されたのだろう。頭上から響く高速道路の轟音を聞きながら、ジェニーはそこでしばらく立ち尽くし、ため息をついた。

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