第7話 下準備

 

 神鬼は自分の言葉通り、一週間ほど特に何かをすることは無かった。しかし指物の神から「山登りの用品を揃えた方が良いだろう」といわれたので、軽登山用の新品や中古品を見て回った。孫ということにして二人で暮らしていたため

「結婚の話をもって来た人間もいる、どうするかな? 神鬼殿」

「学生と言っていたでしょうに」

「そうなんじゃが、とても残念そうな顔をしておった、かわいそうに。昔は人目を避けるため、ずっと偏屈者を装っておったら、大神があまり良い顔をなさらんでな。今回はちょっと良すぎたようじゃ。「あなたの孫なら大丈夫だろうから」とは、まあ、目がいいというかなんというか」

「ハハハ」と、少し神鬼が自然に微笑んだのを、指物の神は心から喜んでいた。しかしそれはこのだけではなく、山登りの先にある事がそうさせていることも良くわかっていた。

「ここから飛んでいくこともできるじゃろうが、まあ、ちょっとだけ高いところに登ってみるのも良いだろう。あの山は登山者も少ないし、風が巻くので今流行りのドローンも、ラジコンを飛ばす者もおらんだろう」

「はい、今日は絶好の登山日和、でしょうか」

「うんうん、平日だから猶更良いだろう、行ってこられるとよい、神鬼殿。雷神殿によろしく」

「はい」

トレッキングシューズを履き、小さめのリュックを背負い、家を出た。





「登山道より車道の横の歩道のほうが怖いな」


神鬼は思わずつぶやいた。登山道に向かう道路は抜け道なのか、大型の車両がひっきりなしに通っていた。真夏ではないにせよ、慣れないアスファルトの放射熱と排気ガスとで、神鬼は何度もペットボトルの水を飲んでは

「これを開けるのがうまくなった」と、またつぶやいた。

 しかし、登山道入り口の看板に従って進むと、今度は急に静かになり、佇むようにある大きな家や、寺の前を安全に歩くことができた。神鬼は急な坂の始まりにある神社の横を通り過ぎ、そこからほんの少し登る山頂へと向かった。


「トレッキングシューズは大袈裟だったか。ずっと舗装されている。ああ、ここにも駐車場があるんだ。しかし指物の神のおっしゃる通り、今日は車が無い」

十台分ほどの空の駐車場に、空き缶が数個転がっている。

神鬼は、その横にある幅広く、一段は低めではあるが、長く続くコンクリート階段を登った。それが終わると今度は木と土でできたもの続いているのが見えたが、この事よりも驚いたものがあった。


「これは・・・洗濯物か? 」


 頂上には滑り台の三倍ほどの高さの展望台があって、その一段下には、屋根付きの休憩所、その少し下にもコンクリートを木のように加工したテーブルと椅子、柵があるのだが、それに下着や、長袖のシャツなどが、広げた状態でかかっている。トイレもあるので、そこの水で洗っているのかもと想像できた。

「指物の神もこれはご存じでなかったのか、それとも知らせない「いたずら」のおつもりか」

神鬼はまた笑みを漏らし、少し目を閉じた。そしてとても小さな声で


「虫たちよ、私に教えてほしい。これらの持ち主は今このあたりにいるのかい? 」

すると神鬼のそばを、とても小さな虫が飛んで来ては遠くにということを繰り返し、


「そうか、今はいないか、どうもありがとう」

神鬼がそう言うと、彼らは解き放たれたように、それぞれの好きな方向に飛んで行った。


「さてと、行こうか」


 神鬼は眼下の風景ではなく、空を見上げ、視界に鳥以外の飛行物がないのを確かめてから、まるで少し高い棚にあるものをとるように手を伸ばすと、ふわりとその体は宙に浮き、朝は見当たらなかった、少し灰色の雲の中に、ものすごい速度で入っていった。


「ああ、リュックの胸のベルトを外したままだったか、カチャカチャ鳴る、嫌がられるかな」

と笑うように神鬼は言った。

          


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