真焉_余話 かつての敵は
「すっかり、あれだ」
見回して、どこか皮肉気な顔で笑う。
「清廊族の町になったもんだね」
「なにか不満ですか?」
「そういうんじゃないよ。変わったって言いたかっただけ」
怒るなよと苦笑するイリアに、ルゥナはつんと横を向いた。
彼女とルゥナの関係は決して良好ではなかった。
会うなり、不満と取られるようなことを言うイリアが悪い。
「申し訳ありません。イリアさんは口下手なので」
「ノエミ、私は別に」
「人間の癖で、会話のきっかけというところです。当たり障りない話題から話をしようと」
バツの悪そうなイリアを置いて、同行していたノエミが頭を下げた。
むぅっと不満そうな、今度は間違いなく不満を募らせたイリアの顔。それを見ればルゥナの溜飲も少しは下がる。
「構いませんよ、ノエミ。実際、私もここに来て思いましたから」
「私はヘズは初めてですが……ああ、ヘズという呼び方は」
「そのままです。町の名くらいで目くじらを立てるほど狭量なつもりはありません」
「ありがとうございます。知らなければ、最初から清廊族の町だったようにも見えるほど様変わりしていますね」
ルゥナも、目覚めてここに来て驚いた。
数年の間にすっかり印象が変わっている。清廊族の色に。
始樹の町、ヘズ。
人間が建造した町だが、今はもう南部清廊族の大都市として栄えている。
「貴女達だけですか? マルセナは?」
「マルセナ様はレカンです。御父君が……まあ、春になるといつものことですが、自責に苛まれ際限なく落ち込まれるので」
「ああ」
何となく聞いていた。
マルセナの父、パニケヤの子ヤヤニル。
自分の過去の罪過に苛まれ、温かくなってくるとその心地よさが逆に己を責めさせるのだとか。
「マルセナ姉様は一緒じゃないんですか?」
「トワ、呼んでいませんよ」
「イリアたちが来たって聞きましたから。久しぶりですイリア、ノエミ」
「相変わらずみたいだね、トワ」
崖から落ちたトワはマルセナに助けられ、イリア達と共に東部での戦いに参加した。
清廊族解放の為の戦い。
本当の意味でアヴィを救う為の戦いをしろと、マルセナが崖を越えて文を届けた。
最初は疑心暗鬼もあったけれど、彼女の言う通りクジャを襲う魔物の群れに備えることも出来た。
ヤヤニルの子ユウラにクジャの長老たちも協力をしてくれて、大きな損害を出すことはなく。
魔物との混じりものになった哀れな人間の命を助けることに反論もあったけれど。彼はその命を清廊族を救うために尽くして、消えた。
続けてサジュに向かい、溜腑峠で飛竜騎士を捕えたり。
綱渡りのようなギリギリの戦いを続けた。
相容れぬ人間もいた。けれど、それとは異なる人間もいた。
「あんたの親父が死ぬ死ぬって泣くもんだから仕方なく、さ」
「ああ、あのバカ。またマルセナ姉様に迷惑かけているんですか」
「親をそんな風に言うものではありません」
「他の妹たちが甘やかすので、トワはこれくらいでいいんですよ」
トワが父親を疎ましく思っているのは知っているが、つらい歳月を長く重ねてきた男だ。まあ甘えるのなら娘ではなく母パニケヤにした方がいいかもしれない。
パニケヤは喜ぶのではないだろうか。カチナは目を吊り上げそうだけれど。
「それで、イリア。何か用でしたか? ロッザロンドでの戦いに異変でも?」
「クロエから手紙が届いてさ。あんたとあの……アヴィも起きたって言うから、伝えてきなさいって」
「マルセナ様からのご命令ですので」
マルセナの命令でもなければ、イリアがマルセナから離れるわけもないか。
記憶にあるイリアと見かけは変わらない。
命消えかけた氷柩のイリアを助ける為に行われた儀式。三柱の氷乙女の祈りと、マルセナの血の恩寵。イリアと寄り添う為にノエミとクロエを合わせた三人の人間が祝福――呪いを受けた。三という数字は世界に重要なものらしい。
儀式の結果、彼女らは人を捨てて清廊族に類する存在になっている。
そんな経緯を思い返しながら、イリアが取り出した紙皮を受け取る。
ロッザロンドで、あちらに囚われている清廊族を救い出す為に戦ってくれているクロエ。
ただ任せっ放しになってしまうのは落ち着かないが、これは元々人間の問題だからと。清廊族が表に立てばまた対立が深まってしまうと言って。
助力は最小限。とりあえずオルガーラを彼女の守りとして働かせている。
「読んでも?」
「あんたたち宛てだね、その内容は」
目を通した。序文はマルセナへの挨拶と、早く終わらせて帰りたいとかイリアの悪口だとか。
イリアへの対抗心が楽しく感じられて、クロエに対するルゥナの評価は低くない。いつか酒でも交えて話をしたいと思う程度に。
『先日、夜半の戦で暗殺者に襲われました。ルラバダールも本気ということでしょう、相当な使い手でオルガーラの目を掻い潜り私のすぐ近くまで迫りました』
あの馬鹿者。
と、思ったのは後に置く。
『あわやというところで、義勇兵として参加していた少女に助けられました。彼女が――彼女の名もマルセナだそうです――言うのです。黒涎山が崩れた時、自分はすぐ近くの村に住んでいたのだと』
「……」
黒涎山が崩れた時。
今から数えれば十年前。その時に山の近くの村にいたのなら……
『山の異変から数日後、清廊族に村が襲われた。清廊族と人間の間に恨みしかなかった頃の話です。当時幼かった彼女は母とはぐれ、森の中を走っていたと』
今、戦士の一人として戦っている少女が、あの時村にいた。
それは間違いなく、ルゥナとアヴィが襲った開拓村。
『暗い森の中、根に躓き転んだところにいたそうです。美しい長い髪に赤い瞳。黒布を首に巻いた清廊族の女性が』
「……」
『あの御方で間違いないでしょう』
アヴィがそこにいた。
森の中を逃げ回る幼子の前に。
『言われたそうです。方角が違う、と』
「……」
『反対に向かえば母がいる。母と一緒に、月を左に見て逃げなさい。出来れば港を目指しなさい、と』
アヴィは、殺さなかった。
悲しみと怒りに暮れ、狂気に染まっていたのに。
そんな中でも、幼子と母を殺さなかった。
結果的に逃げた先で死んだ者はいたかもしれない。戦いの中、流れ矢などで死んだ者もいただろう。
けれど、出来る限り無用な殺戮はしたくない。そういうアヴィの気持ちを甘いとも思ったし苦く感じたこともあった。
だが、正しかった。
『あの御方が救った命が、巡って私を助けてくれました。マルセナ様、もしあの御方に会うことがあれば、どうか御礼をお伝えください』
「……ありがとう」
紙皮を畳み、唇を結ぶ。
思わず涙が溢れてしまいそうで、イリアにこんな顔を見られたくない。
「イリア、ありがとうございます。これを届けてくれて」
「別に……まあ、マルセナの頼みだし」
居心地が悪そうなイリアの態度。ルゥナと彼女の距離はいまだに微妙なまま。
謝れと迫るルゥナではないし、謝ると言えるほどイリアも素直ではない。
「アヴィに伝えましょう。きっと……喜ぶはずですから」
間違っていなかった。
たくさんの間違いとつらい経験もしたけれど、間違っていなかったこともある。
巡り巡って誰かを助ける。クロエを助けてくれた。
恨み、憎しみだけではない。
答えを探して、とても難しい道だったけれど辿り着いた。
その結果がこの手紙。
村を滅ぼしたアヴィのことを恨まなかったのか、それはわからない。
けれど今は、清廊族と人間との関係を正そうとするクロエと共に戦っている。
わかりあえる。
取り合える手があるのだ。ソーシャの仇をエシュメノが許したように。
「ありがとう、イリア」
「別に……その、私も……あんたが起きたって言うから、さ」
歯切れが悪い。
人間というのは本当に、言いたいことを素直に言えないものなのか。
「イリア、マルセナ姉様からの伝言ですよ」
「あん? なんだってあんたが……」
見ればトワも、別の紙皮を手にしていた。
ノエミが手渡していたようだ。
マルセナが、イリアには内緒でトワに言伝てした。
碌な内容ではないだろう。それだけはルゥナにもわかる。
「貴女、まだルゥナ様に謝っていないでしょう? 起きたと言うのならこの機会に、貴女の身を重ねて親愛を深めてきなさい。って」
「はぁっ!?」
トワの手からひったくり目を真ん丸に開いて読み返すイリア。
読み終えていくに従い、段々と顔色が青白く、それから朱に染まっていく。
「書いてある通り、ですよ。イリア……マルセナ姉様ったらもう、本当に」
「貴女でも言い淀むような内容ですか、トワ」
「きちんと謝って親愛を示せたかどうか、ノエミが記録するそうです」
「この貝の魔導具は音を閉じ込めますので。イリアさんの可愛い声をしっかりと、たくさん記録するよう命じられております」
ノエミの荷物には、数十の貝の魔導具が。
どれだけ親愛を深めさせるつもりだったのだろうか。マルセナは。
しかし、なるほど。
マルセナなりに、ルゥナとイリアの関係について気になっていたらしい。
彼女には、結局は色々と助けられた。私的な関係の善し悪しで心配をかけ続けるのもよくない。
「ちょ、ちょっと……あんたたち清廊族って、変でしょ」
「偏見ですか、イリア?」
「おかしいじゃん。好きでもない相手にこんな……この、体を……体で、なんて」
「誤解がありますが、私は好きですよ。イリアの顔やお腹周りの肉付き」
ルゥナの言葉に、はっと臍回りを隠すように庇って下がるイリア。
だけれど、ノエミがその後ろに立っている。
「マルセナ様のご命令、ですから」
「ま……マルセナのばかぁ」
可愛い。
なるほど、マルセナの気持ちもわかる。やはり彼女は清廊族だ。
「清廊族はそういうところ緩いんですよ。人間はどうしてこう、浮気だとか背徳的な気持ちになるのかわかりません。ねえ、ルゥナ様」
「恥ずかしいと思うのでしょう。イリアのそういう性分が、マルセナには特別に愛おしいようですが」
ノエミと、トワとルゥナ。
囲まれてはいくらイリアでも逃げられまい。ましてマルセナの命令。
「絶対に嫌だと言うのなら私も無理強いはしませんが、イリア。肌を重ねるのはお互いをよく知るのにとても良いのです。素直になれます」
「マルセナ姉様からの入れ知恵ですが、ルゥナ様。人間はどうやら私たちの匂いに吸い寄せられるようです」
「確かに、不肖ながら私もマルセナ様の香りには抗えません」
清廊族の女性は花の香りに例えられる。
マルセナなら、甘い金銀花のような香り。
「イリア、私もいつか貴女と和解したいと思っていたのです」
「そりゃあ……私だって、いろいろ……意地悪したし」
「ですから」
イリアの手を取る。
怯える彼女に首を寄せて囁く。
「一緒に、親愛を深めましょう。優しくしますから」
「うぅぅ」
震えるイリア。
首筋が紅潮するのがよくわかった。耳筋は弱いらしい。
もちろん、嫌がることを無理にするつもりはないけれど。
「きっとマルセナも喜びますから」
「う、うぅ……マルセナの、ため……なんだから」
身を震わせて、少しだけ涙目でルゥナを睨む。
可愛い。かつてルゥナは彼女に踏まれたこともあったのだった。
「か、体は……好きにしてもいい。私だって謝りたいって思って、いたし……」
イリアにだって思うところはある。
マルセナには悪いけれど、過去の色々もあるから。念入りに親愛を深めてしまうかもしれない。罪悪感と背徳感で涙ぐむイリアをいじることを楽しむのはマルセナの困った性癖だ。あれは変わらないし治らない。
一緒に行かないのを変だなと思ったけど、そうか。マルセナがいない方がイリアが素直になれるとか、後で意地悪に責めるのがいいとか。本当にもう、意地悪。
だけど、いつもいつも簡単に思い通りになんてなってあげない。
トワも乗り気のようだし、ノエミは最初からヤる気満々だけれど。
「でも心は、マルセナのもの……絶対に、屈したりしないんだからっ」
言われるがままされるがままではなくて、イリアの方からルゥナの後ろ髪に手を伸ばして。
――ルゥナって昔からいい匂いがして、嫉妬しちゃうのよ。もう。
完
///あとがき///
これで精廊族の物語は締め括りになります。感想をいただけるととても嬉しく、今後の励みになります。
長い物語にお付き合いいただいた読者様に心よりの感謝を申し上げます。ありがとうございました。
感想コメントほしいです。本当に。
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