真焉_7 詩人の記憶
一昔前の映像作品ファンなら皆知っているだろう。
カナン朝の夜明け。黒華の騎士王クロエ。
そして彼女と共に戦った英雄たちの神話は、食傷するほどに映像化されていた。
かつて人は、分を弁えず神の世界にまで攻め入ったと言われる。
大陸北東の海を越えた神の世界カナンラダに。
神々の土地に無法を持って踏み入り、そこにある恩恵の全てを奪おうと狼藉を働いた。
無論、神々の怒りも凄まじかった。
百年を越える戦いの末。
女神は人の罪を許した。
黒華のクロエを筆頭として、それまでの人間の行いを悔い改めた人々の存在が、女神と人を和解させたと。
人間の中でも大きく争ったというが、神々の力を借りたクロエはこれを鎮め、さらなる侵略を企てる当時のロッザロンド大陸に向かった。
ここからが映像作品の主流だ。
女神に仕える騎士王クロエ。黒華と呼ばれる彼女は、美しい黒馬――翼があったと神話には伝わる――に跨り、当時滅亡に瀕していたコクスウェル連合の地に降り立った。
歴史上唯一のロッザロンド大陸統一までの戦記については、多くの脚色と共に様々な逸話が残された。
彼女と共に海を渡った女傑、船間違いのコロンバ。コロンバの相棒、裏海図のグリゼルダ。
二人の名は今でも多くの船乗りが信奉することでも知られている。
落竜公子ジスランの活躍は過剰に描かれることが多い。翼竜に乗り各地を転戦したなどと。
絶滅した大型の鳥類がいたとしても、それに乗って戦うなど途方もないおとぎ話。だからこそ多くの人の心を魅了したのか。
クロエの双剣。反逆の英雄ビムベルクと伴侶、叛きしミルガーハ・ハルマニー。
唯一、現在まで墓標が確認されている英雄だ。現代科学をもってしても素材不明の白い墓石。
当時のロッザロンド大陸にあった大国や、その時代にあって爆薬を開発したと嘯かれるイスフィロセ軍と戦い、これを破った。絶望的な戦力差があったはずだが。
大陸を平定し、二度と神々の大地を汚さぬことを誓って人と神は和解した。
これらの英雄譚で常に言われることは、英雄たちが皆、脛に傷のあるような二つ名をつけられている点だろう。
落竜だとか反逆などと、英雄につける呼び名ではないはず。
英雄譚を戯曲として完成させた詩人スーリリャは、何を思ってこんな名づけをしたのだろうか。
詩人スーリリャ。
カナン朝の初期から百年頃までに、カナンラダの神話と建国記を編纂した人物。
百年というのだから、代替わりしてのこと。その中の誰かが面白半分か何かで妙な二つ名をつけたのかもしれない。
スーリリャは、その亡骸を最も愛した者の墓の隣に弔われたと記録に残されていた。
しかし、英雄ビムベルクの墓の近くにはハルマニー以外の墓はない。
スーリリャはビムベルクと相愛と描かれることが多いが、どういうことだろうか。
彼女は正妻ではなかったので別のどこかに弔われ、その墓は緑に苔むして消えていったのかもしれない。
ハルマニー自身が初代スーリリャだったとしたら、夫婦喧嘩などの原因で悪口を書き合ったという可能性も捨てきれない。
英雄と言えども人間だ。そんなことも有り得る。
核熱のごとき魔法を使い、天候さえ操り、巨大な怪獣を駆使して戦ったなど。そういうのは神話の中だけのことだろう。
黒華の騎士王クロエは、その身を女神に捧げたものとして伴侶を持たなかった。
ビムベルクとジスランの子同士が婚姻し、その後カナン朝三百年の繁栄へと繋がっていく。
建国神話の怪獣は、全て神の世界に帰ったのだとか。
大陸の北東、当時の船で数十日の場所と言われるが、その海域には何もない。
地殻変動で海の底に沈んだのか、やはり最初からただのおとぎ話か。
クロエや英雄たちの出生についても、おそらく大陸北東部に浮かぶどこかの島の生まれなのだろうと歴史家たちは結論付けた。
荒唐無稽な神話で、不確かな出自に箔をつけた。
そう考えると、スーリリャという人物は情報戦に長けた謀略家だったのかもしれない。
事実、英雄たちは尊崇を集め、統一国家という巨大勢力を三百年保つことになったのだから。
全て、数千年も昔の話。
当時の建物も何も風に吹かれ塵となった。
ただその物語と、彼らの名だけが残されて。
数千年。
それだけの時を経ても、人の愚かさは変わらない。
明日の夜明けにも迫ったこの非常事態は、このまま突き進むのだろうか。
その次の朝日を、我々が目にすることはできるのだろうか。
ボタンひとつ、スイッチひとつで世界が焼き尽くされる。
兵器に容赦などない。全ての言葉も思いも一瞬で吹き消されてしまう。
ただの抑止力。外交カード。
そういう話だったはずのものだが、力は力だ。
振るうとなればそこに慈悲はない。意思の力が必要なだけ、剣や拳の方がずっとましだ。
人は、どこまで愚かなのだろうか。
数千年前、人間の罪を許したと言う女神たち。
許すことは、許さぬことより難しい。そんな言葉が今さら脳裏をよぎり、こうして今さら神話の話などを思い出してしまった。
そろそろ夜明けだ。
せめて子供らを少しでも安全な場所に。
そして後は祈るくらいしか出来ない。
人が、明日を失くしてしまうほど愚かではないことを。
叶うなら、女神の恩寵を与え給えと。
日が昇るのを、こんなに虚しく感じたのは生まれて初めてだ。
腹が減った。
世界が混乱していたせいでまともに食事も出来ていなかった。
空腹のまま死ぬのは、ひどく損な気分だな。
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