真焉_4 救う世界。救えぬ罪。



「私は……私は、やり直せるなら……っ!」

「アヴィ」


 全力のアヴィと戦う。

 ルゥナを殺して、世界の全てを殺して。食べ尽くして。

 終われば、またやり直せるだなんて。妄言に惑わされ戦うアヴィ。



 違う。

 終わったら、終わりだ。

 やり直せるとしたら、それは終わらないから。


 けれど、ずっと自責に苛まれ続けてきたのだろうアヴィは、ダァバのごとき卑劣漢の言葉に踊らされてしまった。

 呪いの言葉を受けたと言うが、それだけの心の隙間があったのだろう。深い傷。


 人間を滅ぼした。

 幼子を殺した。

 他にやり方はなかったのかと、ルゥナと共に眠っていた間もずっと悩んでいた。



 ――また人間が現れるかもしれない。



 アヴィは案じていたのではない。

 願っていたのだ。

 生き物の種族をひとつ、自分の意思で消し去ってしまった。そのことを深く思い悩んで。


 なぜ話してくれなかった。

 話せるわけがない。清廊族として、やっと穏やかに暮らせると安堵していたルゥナ達に、アヴィの立場で話せるはずがない。



 ――私は人間なの。



 否定したけれど。

 あれがアヴィの精一杯の告白だった。

 ルゥナ達にとっては仇敵である人間だけれど、アヴィは人間にも思いを残していると。

 もっと聞いてあげるべきだった。頭ごなしに否定すべきではなかった。


 ルゥナにとって、アヴィがどんな生き物だとしても関係ない。

 今はもう清廊族でもなければ生き物かどうかすら怪しい。

 濁塑滔の性質なのか、互いに時間も何も関係ない存在になってしまった。


 けれどアヴィは、アヴィだけのことを案じていたのではない。アヴィが人間だから拒絶されるかを心配していたのではなくて。


「アヴィ」

「人が……人間が、死んでしまう。全部……私も……死なないと……」


 ルゥナを殺そうと容赦のない拳。

 それを叩き返して呼びかける。



「アヴィ、貴女は……」


 何と言えばいい。

 清廊族だから関係ない、とか。そういう言葉ではない。

 アヴィを救える言葉はなんだ。



「みんな、死んじゃう!」

「アヴィ!」


 影が剣になった。

 アヴィが振り抜く刃。

 咄嗟に腕に巻いていた黒布で防ぐが、思い切り吹っ飛ばされて地面に転がる。


「うあぁぁ!」


 続けて襲ってくるアヴィの剣を躱し、地面が切り裂かれ黒い壁が砕けた。

 鋼鉄より硬い壁でも、今のアヴィの力は防ぎきれない。それでもこの黒布が切れないのは、きっとアヴィが切れないものと認識しているからだろう。


 連続攻撃を避けて、躱して。

 アヴィが本心でルゥナを殺したいと思うのなら受け入れる意思もあるけれど、今のアヴィでは駄目だ。

 ダァバに利用されるだけ。世界が本当に終わってしまう。



「死んで! 死んで! 人間を助けるの! 私は人間を救う、今度は‼」

「くっ」


 武器がない。

 あったところで生半可な武器では意味がない。伝説級の武具でもなければアヴィの影の剣は防ぎきれない。


 崩れた壁から岩を拾って投げつけた。

 ほんの少しの時間稼ぎ。その程度の意味しかないけれど。



「人間だけは守らないといけないの! 私しかいないの!」

「アヴィ‼」


 土砂の中から掴んだもの。

 感触が違う。石だと思うけれど、熱い力を感じる何か。


 ルゥナの手の中で形を変えた。

 白い命石が、光り輝く一筋の雷光のように。



「止まってアヴィ!」

「っ!」


 影の剣を受け止めた。

 光の剣で。


 黒涎山の地中に埋まっていた命石。

 かつて真の勇者となった男が残したもの。

 アヴィを救いたいと願った勇者の意思が、ルゥナの手の中で稲妻を呼ぶ光の剣となり。



「あ、あぁ……」

「……シフィーク」


 力を貸してくれた。



 後に思えば、彼はアヴィに惚れていたのだと。

 アヴィに焦がれ、彼女を助けようとして力が足りなかった。


 アヴィに代わる何かを求めて清廊族のルゥナを捕えた。けれどルゥナはアヴィではなくて。

 自覚はなかったかもしれないが、それに気が付いてレカンの町に戻った。アヴィを連れた不滅の戦神を追って黒涎山へと。


 彼の行動について考えたことはあまりなかったが、今こうしてみればきっとそうだったのだろう。


 嘆き狂うアヴィに対するシフィークの意思。

 そちらではない。影の差す方ではなくて、光差す方に。



「彼も……彼も、私が……私が殺した」


 逆効果だったかもしれない。

 かつて、母さんと静かに暮らしていたアヴィと出会った時もそう。

 ちょうどここ、蟻の巣で戦った。


「人間が……人間だから、私がころ……私が、守らないと」

「アヴィ、貴女は……」

「……私は、人間を救う! 私が人間を助ける!」

「――」



 影剣を持つアヴィと、光剣を持つルゥナがぶつかった。

 世界を砕くような衝撃が蟻の巣穴を吹き飛ばし、辺り一帯の地形を変えた。



  ※   ※   ※ 



 メメトハが輝きを放ち、世界にこびりついていた怨念が消え去った。

 全ての影は塵になり、ルゥナの足元に注ぎこまれるように集まってくる。


「……」


 両手を腰にあて小さな胸を張るメメトハ。

 ウヤルカが大きく肩で笑う。

 ニーレは小さく頷き、ミアデは拳を握った。

 セサーカが杖を抱えて小さく会釈する。


 トワは、少しだけ唇を尖らせて頭を傾ける。



「確かに果たされました。ルゥナ様」

「……」

「貴女こそ、我らの姉神ですね」


 微笑みを最後に、ネネランもまた皆と共に塵となり、ルゥナの足元に流れていく。




「にんげ、ん……ほろびて、しまうの……ルゥナ……」

「……アヴィ」

「わたしが……わたしも、きえちゃう……わた、し……きえたく、な……」


 崩れていくアヴィの体を抱いて、泣いた。

 ずっと彼女にこんな想いをさせていたのか。

 人間、特に幼い子を殺す時に、彼女は自分自身を殺すような痛みを抱えてやっていたのだ。

 自分の手でなくとも、同じように。



「たすけ、て……すくわないと……にんげ、んを……」

「ええ、アヴィ」


 抱えた額に口づけをする。

 優しく囁き、涙を零しながら。


「人間だけではありません。アヴィ」

「あ……」

「全ての生き物に、優しい恩寵を」


 世界に、もう何もない。

 全ての命の力が色を失い、全てがルゥナの下に流れ込んでくる。

 ここには全てがある。



「諦めることなんてない。全て、救いましょう。私たちの手で」

「ルゥナ……だい、すき……」

「アヴィ」


 唇を重ねた。

 彼女の心と、彼女の命を吸うように。

 強く、甘く。




 無色のエネルギー。

 色を失った命。世界の全てがここに集まる。


 万変。

 濁塑滔の性質。それを受け継いだ最後のルゥナ。


 色を、つけよう。

 ここにある全てに色を返して、世界を取り戻そう。

 自分だけではない世界に。人間だけの為でもない。そして清廊族だけの為でもなくて。


 全ての生き物に、優しさを与えよう。

 そんな世界をもう一度。




 やり直す。

 この黒い塵の渦から、全ての生き物が生まれていく。世界が生まれる。


 けれどきっと、清廊族と人間はまた衝突する。

 生きる時間の違いが考え方に隔たりをもたらす。互いを認められず、尊ぶことができなくて。どうしても歪みが避けられない。


 世界を分かつ。

 人間の生きる世界と清廊族の世界を。

 海よりももっと遥か、遠い空の下に。



「ああ……」


 けれどそれでは、マルセナはどうなる。

 イリアと出会うこともなく、彼女自身が生まれてくることさえできない。

 あまりに不憫だ。救いがなさすぎる。



 繋ごう。

 全てを救いたいと願うのなら、マルセナの心も救われるように。


 心に魂を宿す精霊たる我々と、肉体に寄る人間たち。その世界を繋ぐ回廊を繋ごう。

 せめてマルセナの心が救われるまでの間、人と清廊族の世界が切り離されてしまわぬように。

 真なる清廊を。




 雲が晴れていく。

 空には少し欠けた月が浮かんでいた。


 ルゥナの足元から世界が形を変え、流れていく。

 月明かりの下、足元の大地が崩れていく。


 アヴィを抱いて、ただ涙を零した。



 ――私を、殺して下さい。


 初めて会った時に言ったこと。


「……私を、許してください」


 最後に願うこと。



「こうしなければ、私はアヴィと出会えない。貴女が苦しむのに……」


 世界をやり直す。

 その世界で、アヴィはまた陰惨な苦しみの日々を送ることになる。

 人間との世界を完全に切り離してしまえば、そんなこともないのに。


「だって……だけど……」


 マルセナのことばかりじゃない。

 彼女のことは言い訳だ。


「こうしなければ、私は……私は、貴女と出会えない……」


 アヴィが母さんと出会うこともない。

 アヴィと母さんとの暖かな思い出も消えてしまう。



「そして……どうか、私の罪を……」


 涙を零す。

 月明かりの下、ルゥナの零した涙は大地に落ちて。

 いつかその奥底で、光る水草になる。


「母さんの命を奪う。私の罪を……アヴィ、許して下さい」



 ルゥナは知っている。

 この涙がアヴィに母を殺させるのだと知っている。


 ルゥナは知らない。

 その水草の光が濁塑滔を水底から追いやり、アヴィと出会わせることになることを。

 濁塑滔ゲイルと、清廊族のアヴィが救われる物語の始まりになることを知らないまま、涙を零した。



  ※   ※   ※ 

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