真焉_5 眩しさが、眩しくて



 目を覚ます。

 黒い水の中で眠っていた。水の中でというのもおかしいが、気を失っていたのか。


「ん……」


 繋がっている。

 指と指が絡まり、優しい熱を伝え合う。

 体を起こしたルゥナに引かれて、アヴィが小さく呻いた。


 ルゥナとアヴィが傷つかぬよう包み込んでいた粘液状の魔物、濁塑滔のゲイル。

 目覚めたルゥナに反応して、呼吸できるよう彼女らの体を水面から浮上させてくれた。



 薄暗い部屋。明かり窓から僅かに差し込む光が日中だと教えてくれる。

 全体的に白い石材で造られたここは、真白き清廊。その中央の泉の中から起き上がった。



「……アヴィ」


 名を呼び、まだ微睡まどろみ揺蕩たゆたうアヴィを優しく抱き締めた。

 愛おしいアヴィ。

 怖い夢を見た気がする。この手が離れてしまうような寂しい夢。


 逃がさない。どこにもいかないでと願いを込めて。

 何をしていたのだったか思い出せない。場所はわかるし、アヴィのことも自分のこともわかるけれど。

 なぜここで眠っているのだったか。



「ルゥナ……?」


 薄っすらと目を開け、訝しむ声で名を呼んでくれた。

 間違いない。自分が自分であると自覚して、彼女がアヴィだと確認できた。

 それだけでもいい。アヴィが失われていないのなら、それで。



「どうした……どうか、したの?」

「いえ」


 眠っていたアヴィを起こしてしまった。

 何かあったのかと訊ねられて、咄嗟に首を振ってしまったけれど。


 もう一度首を振ってから、彼女の首元に顔を摺り寄せる。


「……怖い夢を見たのです」

「そう」


 アヴィは柔らかく微笑み、ルゥナの後ろ頭に手を回す。

 そっと撫でてくれた。


「怖かったのね」

「はい」


 甘えん坊なのだ。自分は。

 いつも大好きな誰かの温もりを求めている。



 穏やかで、静かな時間。

 アヴィとルゥナだけの緩やかな時間。世界にお互いだけ。


 それも悪くない……なんて思わない。

 それでは寂しすぎる。独りよりはいいけれど。



「あーっ!」


 騒がしい。

 静かだった部屋に無遠慮に踏み入る光と、責めるような声。


「起きてるんじゃん。千年でも起きないって言ってたのに」

「……」


 そんなことを言ったのだろうか。

 覚えていない。そもそも、なぜ真白き清廊で眠っていたのかも覚えていない。


「アヴィ様を独り占めなんてずるいルゥナ様」

「あまり騒ぐな。困っているだろう?」

「だぁって」


 窘めた彼女は、弓を持っていない方の手で騒ぐ少女の頭を撫でた。

 むぅっと口を尖らせていた少女だが、撫でられているとすぐに頬が緩む。


「起きないって言ってたのに、たった一年なんだよ」

「良かったじゃないか、その方が」

「そうだけど……そうだ!」


 不満を言い募ろうとして、もっといいことを思いついたというようにまた大きな声を。



「わたし、トワちゃんに教えてくる! 一番喜ぶと思うから」

「一緒に行くから、急ぐと転ぶ……って」


 慌ただしく駆けだしていってしまった少女を見送り、弓を手にした彼女は頭を掻いた。

 頑張りすぎて先走ってしまうのは、ルゥナの記憶にある通りだ。それを見守る弓使いも。



「とりあえず。また会えて嬉しいよ、ルゥナ様。アヴィ様」

「ニーレ……」

「何か必要なものが……まあ、ここに私の着替えと毛布を置いておくから。食べ物も少し入っている」

「ありがとう。追ってあげて下さい」

「ああ、そうする」


 背負い袋の荷物を丸ごと置いて、ニーレは出て行った。

 眩しい、光差す世界に。




「……みんないる」


 アヴィが呟いた。

 嘘みたいに、信じられないと言うような色で。



「ええ、そうです」


 アヴィの言葉を受けてみて、ルゥナも感じた。

 嘘のような事実。眩しい世界。

 触れたら消えてしまいそうなほど優しい真実。心から望んだものが、この扉の向こうにあるのかと。



「アヴィ」


 涙が零れた。


「私たち……守った? 守れた……の?」

「この手で」


 アヴィと両手を合わせる。

 指を絡めて、アヴィの額とルゥナの額を摺り寄せて。泣いた。



「……私たちが守りたかった世界、です」

「……」

「みんなの幸せを……アヴィ、貴女の幸せを」


 長く苦しい戦いの末に辿り着いた未来。

 それがここ。


 さっきまで見ていた、覚えてはいないけれど寂しい夢。

 寂果ての世界ではなくて、優しく暖かな世界。アヴィを守り抜いた、アヴィが救いたかった世界。



「アヴィ……私は、今。とても幸せです」

「……そう」


 アヴィの目からも涙が零れる。

 膝の下の濁塑滔に、ルゥナのと合わせて落ちた雫が混ざり合う。



「私も……ルゥナ、私も」

「はい」


 唇が近づいた。

 色付いた桃色の唇が重なった。


「私も、幸せよ」

「はい」

「私を幸せにしてくれて、ありがとう。ルゥナ」


 もう一度、唇を重ねて。


「大好きよ、ルゥナ。大好き」

「私も、大好きですよ。アヴィ」



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