外伝 万色の空_後編



「……だから、なんなんだ?」

「なんも言っとらんじゃろ」


 ヘズに着いたウヤルカを出迎えたのは、送ってくれた時と同じく弓を手にしたニーレ。

 その顔を見たとたんに足が止まってしまった。


 元気そうで嬉しいだとか言えばよかったのだろうが、当たり前の言葉がウヤルカの口から出てこなかった。

 胸でつっかえるように、半開きの口から出てこなかった。



「出ていく時もそうだったが、私に何か言いたいことがあるなら言え」

「そりゃあ……ウチにもわからんけぇ」

「……」


 責めるようなニーレの深い溜め息。

 無難な言葉をかけることもできなければ、だからと言って腹の中をそのまま伝えることもできない。

 互いに消化不良。


 はぁぁ、とウヤルカも溜め息を吐いた。

 冬の間の物足りない気持ちとは逆に、なんだか胸の中が押し詰まってしまった感じ。



「……東部はどうじゃった?」

「まだまだ、誰もが不安を抱えている。おっかなびっくりというところだ」

「ゆっくりでええんじゃ。元の暮らし通りにはならんでも生きてりゃなんとかなるんじゃけぇ」

「……そうだな」


 生きていれば。

 ユウラが生きていれば、ニーレと共にいたのだろう。

 以前と同じではなくとも、互いに助け合って過ごしたはず。


 迂闊な言葉だったか。

 かすかに陰ったニーレの表情から顔を逸らし、町の外に目をやる。



「赤子を連れて帰った」

「んぁ?」

「スーリリャという女が産んだ子だ。お前にも事情を知っておいてもらった方がいいと思う」


 戦の最中か、その後かに生まれた子供ということだろう。

 混乱していた時期で親を失ったのかもしれない。



「スーリリャという女が産んだが、父親はおそらく人間だ」

「なん……なんじゃ、そりゃあ」

「マルセナの話は覚えているだろう。非常に稀な、清廊族と人間の混じり物ということになる」


 ウヤルカは見ていないがダァバが狙ったという女魔法使い。ルゥナが話してくれた。

 他に例がなく、その力も類まれなものだったと。


 その、他に例がないはずの赤子が新たに。



「しかし赤子に罪があるわけではない。アヴィ様はその子を清廊族として育てると決めた」

「……そうか。ああ、それでええじゃろ」

「隠し事はしない。仲間だからな」


 何も知らないただの清廊族としてその子供を育てる。

 強い力を持っていたとしても、それに振り回されず真っ直ぐに生きていけるようウヤルカたちが指導すればいい。

 ダァバのようにはならない。新たな厄災の種になど。



 いや、ニーレはそれでも絶対とは考えていないのだろう。

 万一の時に、氷乙女の力を有する誰かがその赤子を止めなければならないかもしれない。

 そう考えてウヤルカに教えたのだ。


 子供が心身ともに健やかに育つのが一番。

 けれど何かが間違った時にウヤルカは知っていなければならない。場合によってはこの右手で……



「母親というのは」


 ふと、今度は少し軽い息を吐いた。

 どこか温かな吐息。


「私は人間の牧場で生まれ育ったから、子を産む母は暗い顔をしているところばかり見てきた。アウロワルリスを越えた時、一緒に逃げてきた彼女が……子を産むと言っていただろう」

「妊娠しとったな。あの体でよう無事に着いたもんじゃ」

「初めて知ったんだ。子を産むというのは本来、ああいう顔をするものだと」



 アヴィとルゥナから名をもらいたいと言っていた女がいた。

 もともとは人間に隷属させられ、人間の為に産まされてきた子供。

 自由を得て、自分の意志で子供を産み育てるのだと。


 その時のウヤルカには思い至らなかったことだが、言われてみれば確かにまるで違う。

 利用されるのではなく、自由で幸福な未来の為に産まれる命。

 アウロワルリスを越えるということは、ただ危地を脱したというだけの意味ではなかった。



「無事産まれとった。元気な女の子じゃったけぇ」

「そうか」


 短い言葉と共に頷いたニーレの顔を改めて見つめた。

 安心したような顔。だけど寂しさを拭いきれない微笑み。

 牧場から共に逃げてきた女性の出産に安堵する一方で、ニーレの心にはいつも雨が降っているよう。


 止まない雨。

 そう、その顔だ。ニーレのその陰りがいつも気になってしまって、それがウヤルカの心が晴れない理由になっている。



「おんしも……」

「うん?」

「産んでみればええんじゃ」


 人間が清廊族を増やす為に作った施設。牧場。

 そこで産まれたニーレがどう思うのかわからないが、踏み込んだ。


「人間どもがまた攻めてくるっちゅうなら先手で嵐で沈めるっちゅう話じゃ」

「ああ、そうだな」

「もう平和になったんじゃ。ニーレ、おんしがもう戦わんでもええんじゃけぇ」


 人間がまた海を渡るなら先んじて船を沈める。

 上陸されたとしても、激しい嵐で物資を積んだ船を沈めてしまえば満足に戦えない。

 過去のように人間に拠点を作らせたりしなければ、もう好きにさせることはない。


 その為に各方面の海岸線には見張り役を立てているし、ティアッテやオルガーラもそちらを巡回しているはず。

 それどころかヌカサジュのレジッサが助力してくれている。レジッサは海でも活動できるらしい。

 戦いについての心配はしなくていい。



「おんしはずっと苦しい目におうて来たんじゃ。ここらで当たり前の娘みたいに暮らしたって」

「ウヤルカ」

「なんならニーレ、ウチの子を産んでみよるんも悪ぅないじゃろ。おんしも母親に――」

「ウヤルカ」


 静かな、けれど強い語調で遮られた。

 ぺらぺらと喋っていたウヤルカを真っ直ぐに見据えて。

 その視線は、彼女が放つ矢よりも鋭くウヤルカを貫く。



「お前は何を言っているんだ。私は別に戦いに疲れてなどいない」

「そうゆうてもな、おんしは普通の幸せな暮らしっちゅうんも知らんじゃろうが」

「普通の?」

「殺した殺されただのゆうんがおらん、当たり前の生活ってやつじゃ」


 村で生まれればごく当たり前の日常をニーレは知らない。

 人間に産まされた清廊族。人間に飼われて育った幼児期。その後は戦いの日々。


「当たり前の生活……」

「そうじゃ」

「それが幸せだとなぜ思う?」

「違うんか?」

「違うとは言わないが、押し付けられても困る」

「それゆうとったらいつまででもおんしは戦うじゃろうが。いつまでだって死んだユ……」

「……」



 喋りすぎた。

 つい勢いに任せて余計なことを。胸につかえていた言葉を。


「……」


 口を閉ざしたウヤルカに対してニーレは大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。

 そして首を振る。縦に。


「そうだな」


 否定はしなかった。

 憤ることもなく、けれど握りしめた手はわずかに震えて。



「いつまでだって、私はユウラの影を追うだろう。共に歩いた道でも、そうでない場所でも」

「……ユウラはおんしを」

「お前がユウラを語るな。あの子は喜ぶよ、私が忘れずにいることを」


 ウヤルカはユウラではない。

 ユウラの想いを語る資格などない。


「喜んでほしいと思っているんだ。私が」

「けんど、おんしが幸せになるんもユウラは喜ぶはずじゃ。じゃけぇ」

「確かにそうだろうな」


 ふっとニーレは笑う。

 腑に落ちたというように笑ってウヤルカに歩み寄った。



「それで、お前の子を産めと?」

「まあそういうんも悪かぁない――っ!」

「侮るなよウヤルカ」


 ぐい、と。

 胸元を掴み、顔を引き寄せられた。

 思った以上に強い力で。



「よりによってお前が言うのか、それを」

「う、ウチはただ」

「ユウラの代わりになんて誰もなれない。お前が私にそう言ったんだ、ウヤルカ!」


 純粋な怒りに震えるニーレの声に、どうにも逆らえなかった。

 目の前で、真っ直ぐにウヤルカを貫くニーレの瞳に釘付けになる。


「ユウラを忘れて、代わりにお前が私に幸せを教えてくれるって? 舐めたことを言うのもたいがいにしろ!」

「じゃあおんしはいつまでそうやっとるんじゃ? 死ぬまでか? そんなんを」

「ユウラを言い訳に使うな! ユウラを盾にして生ぬるいことを言うのはやめろ!」


 ユウラの為にも幸せに生きろ、とか。

 誰もが送る普通の日々の中に幸せを見つければ、とか。



「ユウラの代わりになんて、できもしないことを言ってくれるな」

「……」

「そうじゃない。そうじゃないだろう、ウヤルカ」


 首を振り、両手でウヤルカの胸倉を掴み直してから。


「子供を作る? 私を愛すると言うなら、とりあえずなんて言い方をするな。お前の全てで向かってこい」

「に……れ……?」

「そんなへっぴり腰で、火傷を恐れておいて何が幸せを見つけろだ。舐めるのもいい加減にしろ」


 情けない姿勢で相対したウヤルカの態度を正面から叩く言葉。



「ユウラじゃないお前が、お前の全てをぶつけようとしないで私を口説き落とせると思うな。バカか!」

「す、すまん……」

「誰かを愛するってのは、殺すのと同じくらい……もっと強い気持ちで、真剣に立ち向かうものなんだ。わかれ!」

「おぉ……そう、じゃけぇ」

「ええい、なんで私はこんな奴を……本当に腹立たしい!」


 ぐいっと引き寄せられた。

 そのまま、ニーレの唇が強く押し付けられる。

 熱く、むさぼるような口づけに抗うこともできず、ただされるがままに。



「……ん、はぁ」

「ついてこい」


 唇と共に手を離したニーレに、静かに命じられた。

 後についてこいと。堂々と。


「火傷では済まないものを教えてやる。ウヤルカ」

「……ニーレ、おんし」

「ユウラは本気で、必死で……真剣だった。私もそうありたいんだ」



  ◆   ◇   ◆



 その後、ウヤルカはクンライに帰ることになる。

 彼女を送り届けたニーレはユキリンに乗って戻り、西の港町で船の準備をしていたルゥナのところに顔を出した。


「あのウヤルカをおとなしくさせるなんて思いもしませんでしたよ、ニーレ」

「ぐだぐだと言っていたが、ユキリンも乗せてやろうとしなかったからな」


 ふん、と。仏頂面を作るニーレだけれど、声音の柔らかさがルゥナを安心させてくれた。

 良い関係なのだろう。ニーレとウヤルカは。

 身ごもったと聞いた時には少し驚いたが、相手がニーレだと知った驚きの方がずっと大きい。


 よかったと思う。

 ユウラを失ったニーレはいつも一歩引いたような姿勢で仲間と接していた。

 経緯はちょっと想像しにくいところもあるが、ウヤルカが子を授かったというのはニーレの強い意志があったのだろう。


 戦力としてのウヤルカは確かに重要なのだけれど、それよりももっと大事なこと。

 新しい命を繋いでいく。


 赤子はウヤルカにとっていい重石になるだろうし、ニーレにも良い影響を与えてくれるはず。



「つがい……」

「やめてくれ、ルゥナ様。私とあいつはそんな関係じゃ――」

「違います。子供のことです」


 否定しようとするニーレに微笑んで首を振る。


蝶番ちょうつがいみたいだと。あなたとウヤルカ、どちらも頑固な性格ですが、子供の存在がうまく折り合わせてくれるんじゃないかって」

「……」


 右手と左手を広げて、本のようにパタパタと閉じたり開いたりしてみせる。

 堅物のニーレと気ままなウヤルカ。

 その両面を真ん中で繋ぎとめる蝶番。



「色々と片付いたら子供に会いに行きましょう。みんなで」

「そういうのはなんだか……どういう顔をすればいいかわからない」

「私も、あなたがどんな顔をするのかわかりません。楽しみですね」


 とりとめのない日常。

 特別なことではなくて、あらたまって考えようとしてもわからなくて。

 そんな幸せを一つずつ見ていこう。みんなで勝ち取ったこの世界で。


 ユウラが繋いでくれた、この世界で。



      ~ 万色の空 完 ~

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