第六幕 099話 母の嘘



「そう」


 アヴィが頷いた。

 だからもうこの話は終わりだ。決着した。


「間違いないわ」


 泣き伏せるスーリリャから離れ、ネネランから赤子を受け取る。

 傷つけぬよう大切に、大切に、抱き包む。



「この子は清廊族よ」

「……そうですね」


 泣きながら、顔をぐしゃぐしゃにしながらのスーリリャの返答。

 それを認めて、確かに間違いなく清廊族の子だとアヴィが言って、ルゥナも肯定する。



「ですが、彼女には預けられません」

「わ、わた……わたしの……」


 哀れには思うが、メメトハもルゥナに同意するしかない。

 この様子のスーリリャに育てさせては、偏執的な観念を植え付けられかねない。

 また災禍の不安を許容できるほどの余裕は、誰にもなかった。


 辛かったのだ。

 勝利を手にしたのに、やはり辛かった。


 死んでしまった仲間のこと。

 深い傷を背負った同胞たち。

 何より、勝敗は決したというのになお命を奪わねばならない無意味な戦い。


 もうたくさんだ。繰り返したくない。

 火種など残して、再び血で大地を染めるようなことは。




 ――トワが戻りましたよ。貴女のトワが戻りました。


 外から近付いてくる浮かれた声音。

 あちらはこの状況を知らないだろうし、役目を終えて浮かれる気持ちもわからないではないが。



「どぉこにお隠れになっていますか? さぞお寂しかったろうと、トワは……?」

「……トワ」


 アヴィから赤子を受け渡されているところに、部屋を覗き込むトワ。

 灰色の瞳がぱちくりと一度。そして色が薄れていく。



「……どういうことです?」

「トワ、貴女を待っていました」


 ルゥナも嘘がうまくなったな、とメメトハは思う。

 トワの扱い方を心得てきたというか。


「来なさい、トワ」

「はい?」



 嫉妬の怒りで暴走しようか悩んだ様子のトワだが、ルゥナに静かに呼びかけられてとりあえず頷く。

 頷いて、部屋に入ってくる。


 皆が集まっていることに今さら気が付いたようで、首を傾げながら。

 座り込んで嗚咽しているスーリリャを一瞥。だがルゥナではないのであまり関心を示さなかった。



「なんでしょう、ルゥナ様?」

「我々の子です。慈しんで下さい」


 今のやりとりを知らないトワに、無垢な赤子を渡す。

 表情を失いながら赤子を受け取ったトワだが、無意識なままでも赤子の首や体に負担のかからないよう優しく抱いていた。



「悲惨な災厄。長くつらい戦禍を越えて授かった子です」

「る、うな……さま……?」

「真心と、愛情を持って育てて下さい。皆で一緒に」


 ルゥナの顔と、赤子の顔を見比べて。

 何度か見比べてから、トワの顔に花が咲く。


「ルゥナ様……っ」


 心の底から嬉しそうに。幸せそうに。

 力強く頷いた。



「わかりました。トワにお任せ下さい。得意ですから」


 嘘をつけ。

 本当にこの娘は。


「ルゥナ様は何もご心配なさらず。トワがこの子を清廊族一幸せになれるよう尽くしますから」

「ええ、そうしましょう」

「はいっ!」


 満面の笑顔。満開の華。

 この様子なら本当に愛情を注いで育ててくれそうでもある。

 トワ自身の成長にもなるのではないだろうか。



「でもルゥナ様、大変です。どうやらお腹を空かせているみたいです」

「あ……そう、ですね」

「お乳を。ルゥナ様、お乳は出ますか?」

「いえ、あの……トワ、少し話を……」

「いけません。ルゥナ様とのお話もしたいですけど、赤ん坊を待たせるわけにはいきません。ルゥナ様は待っていて下さい」


 優先度とすれば、まあ間違いではないのではないか。

 ルゥナは待て、後にしろ。

 赤子の空腹は待ってくれない。放っておけば健康を害する。


「このくらいの子なら、粥を潰した湯でも食べられるはずですから。ほらトワ、よく知っているでしょう?」

「ええ、さすが――」

「すぐに用意しますから」



 呆気に取られてしまった。

 あまりにトワが良く出来た答えを返すものだから、見送ってしまった。


 赤子を抱いて急ぎ足で出ていくのを。



「あ……」


 スーリリャが手を伸ばしかけて、しかし項垂うなだれる。

 彼女もわかっているのだと思う。こんな状態の自分では赤子を満足に育てられないと。

 今の様子のトワと比較して、子供がどちらが幸せなのか。考えて、俯いた。



「みんな、聞いて下さい」


 トワの浮かれた声が聞こえてくる。

 急ぐのではなかったのか。


「ルゥナ様が……ルゥナ様が、トワの子を産んで下さったんです。ほら!」

「……」

「トワとルゥナ様の子ですよ。可愛いでしょう? ね、可愛いですよね?」



 声が大きい。

 よほど嬉しかったのだとわかるが、反動が怖い。


「早く行った方がいい」

「……で、ですね」


 アヴィに促され、はっと我に返ったルゥナが慌てて首をかくかく縦に振る。

 我々の子、とは言ったが。ルゥナとトワの子とは言っていない。



「みんなー、見て下さい。そうそう、さっきユキリンが見えましたからもうすぐウヤルカも……」

「トワ、待ちなさい! トワ!」



 遠ざかっていくトワと追いかけていくルゥナの声を聞きながら、ふうと息を吐きかけて。

 不穏な言葉を聞いた気がする。


「?」


 するりと近寄ったメメトハに、アヴィが微かに首を傾けた。

 今の話で忘れかけていた。ここに来た理由を。



「行きましょうか。少し休んでからもう少し話をした方がいいと思いますから」

「……はい」


 ネネランがスーリリャを連れて出ていく。

 年齢が近い。他の者よりはスーリリャも話しやすいだろう。



「あの……セサーカ、あのさ」

「ミアデ」


 口を開きかけたミアデに、セサーカの方から返した。


「話を、聞いてもらってもいいですか? ミアデ」

「……うん」


 連れ立って出ていく彼女らの距離は、少し近くなっただろうか。

 以前のように戻るのかはわからないけれど、何にしても話さなければ始まらない。



「ユキリンが来るなら迎えに行ってくる」

「ああ、ニーレ」


 メメトハの呼びかけに足を止めたニーレに、なんと言うべきか。

 迷って、笑って。


「まあ……なんじゃ、気を付けてな」

「うん? そう、だな」


 ニーレは子供ではない。ウヤルカとも仲が良かったように思うから、よしとしよう。

 変な先入観を与えてもいけない。仲間同士なのだから。



「?」


 ニーレを見送りながら、アヴィの手を取った。

 メメトハの右手とアヴィの左手。

 指を絡めて、ぎゅっと。



「どうかしたの?」

「妾の手を離すでないぞ」


 すまぬ、ニーレと。胸中で詫びて。

 いくらウヤルカでも戦友に無体なことはしないだろうが、あのニーレが篭絡されるようなら本当に警戒しなければならない。

 アヴィを守らなくてはならない。




「しかし……おぬしも甘いのう」


 話題を変える。

 怖がっているなどと知られたくはない。


「あれは、嘘じゃぞ」

「そうね」



 泣いて訴えた。

 清廊族の子だと。間違いなく清廊族の子だと言った。

 自分が産んだのだから違うはずがない。この子は清廊族だから、どうか慈悲をくれと嘆いて。


 あれでは嘘だと言っているのも同然。

 アヴィももちろんわかっているだろうが、あの子を助けるよう動いた。



「嘘だと思う」


 スーリリャはあの子供を人間の子だと思っている。

 合いの子だけれど、彼女にとっては人間の子だ。見方を変えれば清廊族の子だけれど、スーリリャはそうは思っていない。

 けれど自分の心に背いて、清廊族の子だと断言した。


 選んだのは、自分の矜持よりも子供の未来。

 選ばせたと言われればそうだが、やはりメメトハには火種に見えてしまうのだから、スーリリャが形だけでも清廊族の子だと認めたことで少し気が楽になった。



 スーリリャ自身もここで言葉にしたことで胸のつかえが和らぐだろうと思う。

 きっと彼女もわかっていた。今の自分に赤子を育てるのは難しいと。

 だけど人間との合いの子。黙って誰かに預けたとしても、何かの拍子でそれが知られたら……


 恐れていた。だから赤子を手放すまいと必死で。

 今ここで清廊族の子だとアヴィが宣して、皆が認めた。


 清廊族は出生が少ない。ウヤルカの例を除いて。

 生まれた子は集落全体で慈しむ傾向がある。トワの様子からしても、預ける不安を減らす助けになっただろう。



 仮に今、スーリリャの答えが違ったなら。

 人間の英雄、その血を引く子だと言っていたら、どうなのだろう。


 人間の子として殺したのだろうか。


「……」


 違う気がした。

 自分を人間だと言ったアヴィだ。きっとどちらの答えだったとしても、あの子の命を奪うつもりはなかったのではないか。

 筋は通らない。理屈に合わないけれど。




「母親だもの」


 言いながら、アヴィは自分の言葉に納得したように笑った。

 優しく笑った。


「嘘くらい、つくわ」

「……そうじゃな」


 子の為に母が嘘をつく。

 アヴィにも経験があるのだろうか。少し寂しそうな微笑み。




 指を絡め直して肩を寄せた。

 アヴィもまた、体をメメトハに傾ける。


「なにか、怖いことがあった?」

「なぜそう思うのじゃ?」

「汗かいてる」

「……」


 指を繋いでいれば伝わってしまうこともあるか。

 ウヤルカを嫌いなわけではないが、戦利品のように貪られるのは許せない。

 だが、流されて体を許してしまいそうな気もして怖い。ああいうのを女たらしと呼ぶのだろう。




「……メメトハ」

「なんじゃ?」


 アヴィの視線が遠い。

 皆が出て行った後を追うように。



「お願いしたら……私の子供、産んでくれる?」



 目線は合わせずに。

 だけど、繋いだ指に少しだけ力が入り、体温が上がるのが確かに伝わってきた。


 誰もいない。

 メメトハとアヴィだけ。

 互いの体の中を流れる音まで聞こえてくるよう。



「おぬしの」


 つばを飲み込み、出来るだけ余裕に聞こえるように言おうとした。

 けれど、少し声が掠れた。


「おぬしから聞いた言葉の中で、いっとう悪くない提案じゃな」

「そう」

「上出来じゃ」


 素っ気ない雰囲気のアヴィだが、言った彼女も余裕はない。

 激しく脈打つ音が聞こえては誤魔化しようもないのに、何でもないように装って。



「まあ、そうじゃな」


 こてんと、肩に頭を乗せる。

 アヴィもまた同じようにして、アヴィの黒い髪とメメトハの金糸が触れて、絡まった。


「ぬ……」


 ぬるりと、肩から逃げていく感触。

 濁塑滔。ここにいたか。



「……ふ、ふふっ」

「締まらぬのう」


 笑いだしたアヴィから緊張の力が抜けた。メメトハも同じく。

 笑って、それから目を合わせて額を合わせて。



「妾の子を産ませてやろうぞ」

「そっち、なの?」

「妾は負けぬ」

「どっちが勝ちとかないんじゃないかしら」


 額を合わせて、唇を重ねた。



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