第六幕 097話 冬の終わり
「じゃあ行ってくる」
「山には危険もあります。未知の魔物もいるでしょう。絶対に危ないことは」
「もうわかった。ルゥナはちょっとうるさい」
むぅっと唇と尖らせ、それから軽く笑った。
「ソーシャもそうだったかも」
「魔物ばかりではありません。人間が潜んでいることも考えて行動して下さい」
「わかってるってば」
ルゥナの諫言をソーシャと重ねたエシュメノだったけれど、あまり真剣に聞いているようには見えない。
それでもエシュメノが適任だから任せるけれど。
「ニアミカルムのことなら、ソーシャの次にエシュメノが知ってるんだ。まだ隠れてる清廊族だっている」
「昨年も探しましたが、隠れ住んでいる同胞はまだ山深くにいるでしょう。怯えて暮らす必要はもうないのに」
人間の多くはその冬を越すことはなかった。
寒さや飢えで死ぬか、奪い合い殺し合うか。
船で逃げ出した者も少なくなかったと思うが、全てが海を渡れたとは思えない。
力弱い者から死んでいき、生き残った人間の多くはルゥナ達が殺した。
絶滅とは限らないが、もうこの大地の日の当たる場所に人間の姿は見えない。
戦いは終わった。
踏み躙られ、怯えて生きる必要はない。
その事実を知らない清廊族もいるだろう。人間の手から逃れニアミカルムの山奥などに隠れていれば、大陸情勢など知りようがない。
昨夏からエシュメノは、山に行って呼びかけている。
人間はもういない。怖がる必要はない。
生活に不安があればサジュに行くようにと、山々に木霊する声で。
エシュメノ独りでは声の届く限りがある。
ニアミカルム山脈はエシュメノだけで呼びかけられるほど狭くない。彼女の声を聞いて山を下りてきた者もいたけれど、まだ一部だろう。
そちらを手伝いたい気持ちもあるが、そうばかりも言えない。
残っていた人間が集まっての反攻もあったし、大陸からの敵に備えも必要。ウヤルカとユキリンには沿岸を飛び回ってもらった。
鹵獲した人間の船。その操船方法の勉強もしなければならなくて。
何より、長い奴隷生活から解放された同胞への援助。
それぞれ年齢も事情も違う。
東部、南部に集落は残っていない。
一度、始樹近くの町に集めてから新しい生活の支援を。
人間の建物を使うことに抵抗がある者もいたが、背に腹は代えられない。
備蓄の食料を回しながら、自分たちで生活していける基盤を作り直す。
戦いとはまた違う、とても大変な仕事だった。
意外なことに、と言っては悪いのだが。
アヴィが活躍してくれた。
備蓄の残りや、始樹近くの村々で使える建物の戸数の管理。
集まってきた清廊族の中、医術や建築技術の心得のある者を、なるべく偏らないように割り振る。
集落の中でも、なるべく満遍ない年齢層での配置など。
年寄りばかりの集落が出来ても困るし、逆に若いばかりでもうまくいかないだろうと。
木板で名簿や管理簿を作り、問題が発生したらサジュに連絡をするよう決め事をして。
アヴィが、あのアヴィがこうした管理をうまくこなすとは思いもしなかった。
文字が読めたことも驚きだ。我流で覚えたようで怪しい部分もあったにしても。
感覚派の印象だったけれど、思ったよりずっと論理的。
セサーカなどは、また改めてアヴィへの敬愛を高めていた。
「じゃあ、エシュメノ行ってくる」
「気を付けて。初夏には試しに船を出すつもりですが、戻ってこないようなら」
「エシュメノも行きたい! 船乗りたい!」
「……忘れずに戻りなさい」
飛び出していったらそれきり何十日も連絡もしない。エシュメノらしいけれど。
心配するルゥナの身にもなってほしい。
「大丈夫!」
その大丈夫が当てになるのかどうか。
「ディニに乗れば、アウロワルリスからでも八日で帰ってこれるから」
「そういうところを心配しているんです」
※ ※ ※
青い空の下、白い翼をはためかせて小さくなっていく背中を見送る。
始樹の町。人間はヘズと呼んでいた。
南部、東部で解放された清廊族の為の拠点としてここを使っている。
南部からサジュまでは少し遠い。
逆に、ルゥナ達が東部まで行けば今度はサジュとの連絡が遅れる。
解放した清廊族を助けるにしても、北部クジャや西部サジュの支援も必要だ。
中間地点としての拠点。
大陸から再び人間の軍が攻めてこないとも限らない。
サジュと離れすぎて分断されるのも困る。
警戒していたが、去年はなぜか人間が押し寄せるようなことはなかった。
ロッザロンド大陸には、これまで戦った人間の数倍、数十倍の人間がいるはず。
逃げ延びた人間から、清廊族がこの地を奪い返したことは当然伝わっているだろう。
なのに、全く反応がない。
ぷつりと途切れた。
不気味なほど穏やかな一年だったと思う。
「何事もないに越したことはありませんが」
エシュメノの姿がすっかり見えなくなり、溜息交じりに独り言ちる。
山に愛された娘が、稀有な力を有する翔翼馬と共に山に行くのだから、危険に関してそれほど心配しているわけではない。
つい没頭して他のことを忘れてしまうだろうと、それを心配するくらいだ。
「……私の考えすぎならそれで」
その方がいい。
けれど、悪い想定をしておいた方がいい。
人間どもも馬鹿ではあるまい。
どういう奇遇があったにしても、ここにいた人間勢力を打ち破った清廊族は相手から見れば脅威だ。
対抗する為に十分な戦力を整えている。人間が次に現れる時は、必勝の布陣で向かってくる。
昔とは違う。
こちらも全力で迎え撃つ。
長い距離の海を渡る人間より有利になる。だが油断はしない。
「ああ、ルゥナ様」
「ニーレ、戻っていたのですか」
城門からエシュメノを見送っていたルゥナは気付くのが遅れた。
冬のうちから東部を回っていたはずのニーレが、遠慮がちに後ろから声をかけてくる。
「東部はどうでしたか?」
「そっちは問題ない。遠出が難しい子供や年寄りも多いけど、残って助けてくれている若いのも多い」
「アヴィが募っていましたから。東部で身動きできない者への助力を」
戦争は終わりの区切りを迎えても、その傷痕はまだまだ深い。
ヘズやサジュに向かおうとしても、数十日以上の長旅など難しい事情の者もいる。
元の生まれが東部であれば、離れたくないという者も。
「ミアデ達も一緒だったのでは?」
ミアデも南部の出身。ネネランも東部の生まれで、ニーレと同行していたはず。
ラッケルタは冬眠が必要で、今は町外れの地中で眠っている。
「そっちが問題……かな」
歯切れが悪い。
ニーレにしては珍しい。
「なんです?」
「エシュメノはいない方がいいだろうと思った。私の判断だ」
エシュメノが去るのを待って声を掛けたということか。
「ミアデは逆に考えて……まあ、すまない。喧嘩になった」
「貴女の判断なら信頼します。必要だったのでしょう」
「アヴィ様にも一緒に話したい」
「わかりました」
比較的穏やかだった一年が明けて、ニーレがこんな風に顔を曇らせる問題。
厄介なことにならなければいいのだけれど。
※ ※ ※
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