第六幕 096話 咲かざる呪華_2



 ――東門を塞げ! 人間どもを逃がすな!

 ――二十、こっちに続け! 残りはここを任せる!


 影陋族たちの声。

 夜の間にもう東門まで。

 もともとレカンの戦力は少なかった。エトセンを落とすほどの影陋族なら容易いことか。


 路地に隠れたツァリセとスーリリャのすぐ近くを、影陋族の戦士たちが駆けていく。

 途中に聞こえた悲鳴は、そこらに居合わせた人間のもの。


 容赦はない。

 見つければ殺す。そうしなければ殺されるのは彼らになるのだから。

 東門も落ちれば、いよいよ本格的にここも終わりだ。

 残った住民を解放してくれるほど、人間と影陋族の関係は甘くない。



「……」

「ツァリセ様、まだ今なら」


 今さら。

 戻れる道はない。進める道もない。

 たった一つ、この手で切り開けるものがあるのだとしたら。


「黙って、僕の言う通りに」


 奴隷は、奴隷らしく。

 主の言うことを聞いていればいい。




「ここにもいたぞ!」

「ちっ!」


 見つかった。

 壱角の娘は別方向に消えていったことを幸いに思おう。



「僕は騎士だ!」


 打ちかかってきた影陋族の戦士に切り返し、蹴り返す。

 ツァリセよりは格下。


「簡単にやれると思うな、影陋族!」


 路地から躍り出て叫んだ。

 一対一なら負ける相手ではない。


「手強いぞ!」

「前後からかかれ!」


 まあ、そうだろう。ツァリセが反対の立場でもそうする。

 たかだか一人の騎士なら、囲んで倒せばいい。

 増援や伏兵がいるわけでもない。




「ツァリセ様!」



 路地に置いていったのに。

 黙っていれば彼らに解放されただろうに。ツァリセが死んだ後に。

 なのになぜこんな死地に飛び出してくるのか。


「スーリリャ」


 ああ、普通ならそうだろう。

 その首輪を嵌められた奴隷なら、主の為に身を投げ出したりする。主の命を守れと命を受けていれば。


 けれど悲しいかな。

 守れと命じられていたところで、奴隷の力が何倍にもなるわけではない。

 スーリリャはスーリリャでしかない。


 彼女は戦う力などない女性で、ツァリセを守る壁になるにしてもあまりに小さい。

 だから。

 だけど。



「影陋族の奴隷!」


 命令の言葉はあった方がいいだろう。目印として。


「僕を守れ! 奴隷!」

「っ!?」


 信じられないと、スーリリャの瞳がツァリセを映した。

 彼女のくすんだ紅い瞳に映るツァリセ。

 妙にはっきりと、皮肉げな笑顔が見えて、微かに溜息が漏れた。



「この人間野郎!」

「戦士の誇りはないのか! クズめ!」


 迫ってくる影陋族の戦士たちは怒りに燃えた。

 隙だらけの踏み込み。



「――ちが」

「嬢ちゃん待ってろ!」

「今解放してやるからな!」


 ツァリセに手を伸ばしかけたスーリリャを、影陋族の戦士が羽交い絞めにした。

 余計なことを出来ないように。


「うおぉぉ!」

「は、は」


 正面からの大振り。

 その前に後ろから迫ってくる棍棒が背中を打つだろう。


 気配を感じながら、ツァリセは目を逸らさない。

 スーリリャの瞳に映る自分の姿から、目を逸らさなかった。



「ぐぶ」


 背中にぶつけられた衝撃で前のめりになる。

 前から突かれた槍が肩を貫く。

 腹を蹴られ、転がされた。



「だ、だめ――!」

「嬢ちゃん、もうちょっと辛抱してくれ!」

「氷乙女たちはいないか!? 嬢ちゃんの首輪を――」

「こいつは黒い首輪だ。主の人間が死ねば俺らでも外せるはず」



 よく知っているじゃないか。

 黒い呪枷は主の命令しか通じない。

 さっき命じたツァリセが主で間違いないはず。



「こいつを殺せば」

「ああ!」


 それが正解だ。

 間違いだけれど。


「うっぐぁ……」


 再び叩きつけられた棍棒が、足を砕いた。

 下手糞。

 足を砕いたって死なない。ツァリセがやればもっと的確に出来るのに。


 長引かせるなよ。

 痛いじゃないか。



 その奴隷が、命令も聞かずに飛び出したその奴隷が、紅い瞳から大粒の涙を零して。

 痛いじゃないか。そんな顔を見るのは。



「――っ」


 腹を貫く熱い痛みは、槍だろうか。

 ビムベルクも、馬の魔物の腹を貫いて殺したと言っていた。

 その痛みが巡り巡って返ってきたのかもしれない。副官のツァリセに。



「これで」

「よし、すぐに首輪を……」


 ぶつりと、彼女の首の黒い輪が断ち切られた。

 薄れゆくツァリセだけれど、目を逸らさなかったからそれが見られた。



「あ、あぁ……」


 これでもう、奴隷じゃない。

 もう、ただの清廊族。

 つらい過去を経験しただけの。



「あ、ああ……ああああぁぁああああぁぁっ」

「おい、嬢ちゃん……」


 膝を着き、大粒の涙を零すスーリリャに戸惑いの声をかける同族。

 そんな顔をしたら、駄目じゃないか。


 ――僕が隊長に怒られる。


 副官として、最後の命令を果たせないなんて。

 これしか道はないと思ったから、そうしたのに。

 途中、自分の不安と葛藤に負けて命令にないこともしてしまったけれど。



「呪いが解けた反動で我を失うことがあると言っていただろう」

「そう、だな……つらかったな、嬢ちゃん」

「ウチが見とくけぇ、おんしらは先いきや。ウチの娘とおんなじくらいじゃ」



 散っていく戦士たちと、膝を着いて嘆くスーリリャ。

 その肩を無言で抱く女戦士。


「あ、あぁ……そんな……こと……わた、しは……」



 本当に、下手糞。

 まだ息があるじゃないか。彼らの想像以上にツァリセの体が強かったのかもしれないけれど。


 苦しいじゃないか。

 そんな泣き顔をいつまでも見るのは、苦しいじゃないか。



 スーリリャを守って、いつか笑えるようにしてやってくれ。

 そう命令を受けたのに、命を張ってこの様なんて情けない。


 やはりツァリセはビムベルクには届かない。英雄のように人間を超えたことなんてできない。

 だけど一つだけ、良かったと思えることがある。



 呪術師は、自分の血で呪枷を作れない。隷従の呪いをかけられない。

 あの黒い首輪はまがい物。スーリリャがいるべき場所に帰る為に着けた目印でしかなかった。



 だったらあの夜。スーリリャは呪いに従ったのではなくて、もしかしたら本当にツァリセを――



  ※   ※   ※ 

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