第六幕 093話 本当の裏切り



「アヴィは自分が人間だって、そう言いました」


 唐突な、突拍子もない訴え。

 トワが何を言い出すのかルゥナには理解できず、目を瞬かせる。


 やっとわかり合えたと思ったのに、再びトワがわけのわからないことを言い出した。

 そう思ったのだけれど。



「……」



 アヴィは薄く笑った。


 否定はない。

 その通りだと何かを嘲るように口元を上げて笑う。



「アヴィ……?」

「トワは嘘をつきません。本当にそう言ったんです」


 ルゥナには理解できない。

 トワが滅茶苦茶を言っているのに、アヴィの沈黙はそれを認めている。

 嘘ではない。



 トワの言葉を否定しようとした皆が、アヴィの表情を見て息を止めた。

 言葉を失う。


「こいつは狂っているんです」

「トワ……やめなさい」

「おかしいんです、ルゥナ様。トワはルゥナ様の為だから言います」



 ルゥナの為に、と。

 トワが本当に心からそう思っていることはわかる。伝わってくる。


 アヴィは狂っている。

 だから――



「自分は人間だから一緒にいられないって、勝手に消えるって。頭がおかしくなってそんな馬鹿なこと言っていました。トワはそんなの許せません!」



 アヴィの表情が固まった。

 何を言われたのかを頭の中で繰り返し、目をぱちぱちと瞬かせてから、信じられないと言うようにトワを見る。


「それを……言う、かしら」

「トワの優しさはルゥナ様に対してだけです。お前なんかじゃない」



 彼女らの間にどんなやり取りがあったのか、ルゥナは知らない。

 けれど確かに、間違いなくその会話はあったらしい。


「トワはルゥナ様に隠し事なんてしません。残念でしたね」


 勝ち誇ったように。

 負けず嫌いなトワの性分。おそらくアヴィがトワにだけ伝えるつもりで言ったことを吹聴する。




「どういう、ことですか。アヴィ?」

「……」


 困った顔。

 答えに迷い、言葉を探す時のアヴィの落ち着きのない視線。


「トワ……よく教えてくれました」

「はい、ルゥナ様」


 皆が詰め寄る。

 崖を背にしたアヴィに。



「ルゥナ……」

「そんなはずはないでしょう、アヴィ」


 何が彼女をそう思い込ませているのか。

 ルゥナにはわからない。


「貴女は間違いなく清廊族です。なのにどうして」

「……」


 俯いた。

 本当に自分を人間だと思い込んでいるらしい。


 いつからなのか、どうしてなのか。

 そんなことは後回しだ。



「アヴィ」


 腕を掴む。

 千切れた黒布を巻き付けた腕の片方を掴み、引き寄せて反対の腕も。



「貴女が何者かなんて関係ない」

「……ルゥナ?」

「独りで消えるなんて、許すはずがないでしょう」



 戦いの中で、悲嘆の中で死んでいく人間に自分を重ねたのかもしれない。

 力なく死んでいく母と娘。

 そんなものを見て、己と錯覚した。


 悲惨な結末を迎える人間の様子は、ルゥナが見ても決して気分の良いものではない。

 けれどどうしようもない。個別の感情で止められる戦いではないのだから。


 アヴィは幼い頃から奴隷だったと聞く。

 人間を嫌っていても、清廊族を同族と意識するほどの幼少期がなかったとしても仕方がない。

 接することが多かったのは人間の方で、人間の中には荒事とは無縁に生きている者もいる。



 侵略当初、この土地に渡った人間の多くはあぶれ者だ。

 元の大陸での生活がままならず、新しい土地での再出発。あるいは一攫千金などを夢見て流れてきた。

 百年以上経てば人間の世代は移り変わる。清廊族とは違って。


 かつてはただ収奪を目的としてきた移民も、その後ここで生まれ育った人間は、生き物として当たり前の営みを築いていった。

 家を作り、町を作り、家族を守って暮らす。


 どうしようもなく敵対した清廊族と人間だけれど、害獣でも嘆く幼子を殺すのには胸が痛む。

 まして言葉が通じる相手。


 アヴィにとっては、長い奴隷時代に目にすることが多かった人間をその手で殺してきた。

 心痛があるだろうとは思ったけれど、まさか自分を人間と思い込むほど心を歪ませるだなんて。




「アヴィ」

「っ……」


 掴み、転ぶ。

 崖にも近い。足を滑らせるよりはいい。

 転がったアヴィを地面に押し付けて話しかける。これでもう逃げられない。



「トワの言葉は本当ですね?」

「……ルゥナ」

「貴女がどう思っているかなんて関係ありません」


 アヴィは思い込みが強いところがある。

 トワと似て。


 人間の町で幼少期を過ごし、魔物に救われ育てられた。普通では考えられない妙な妄執に囚われることも有り得る。



「貴女は清廊族です」

「……違う」


 感情を表に出さない、色のない短い答え。

 泣き出すのを堪える時のアヴィの声だと知っている。


「貴女の体なら隅々まで知っています。貴女は清廊族です」

「違うの……」

「それでも」


 知っている。一度決めてしまうと曲げられない頑固な性格も。

 自分は人間だと思い込み、だからルゥナ達と共に生きられないと言うのなら。



「貴女が何者でも。人間でも」


 唇を重ねる。

 強く、しっかりと。

 ルゥナの気持ちをアヴィの胸の中に伝えるように。



「たとえアヴィが本当に人間でも、私には関係ありません」



 目が大きく開かれ、止まる。

 赤い宝石のような瞳に朝日が映り込んだ。



「アヴィが人間でも、魔物でも。私は貴女を愛しています」

「……ルゥナ」

「わかって下さい、アヴィ」



 思い込みだ。

 人間だから一緒に暮らせないなんて。


 そんなことはない。

 清廊族を踏み躙り奪い虐げる人間とは共に暮らせないけれど、アヴィが人間だと言うのなら違う。


 どんな生き物か、ではない。

 どんな考え方をして、どんな生き方をするのか。

 本質的な問題はそこなのだから。




「私の言うことがわかりますか、アヴィ?」

「……」


 つぅ、と。涙が伝う。

 許しを得たと安堵の涙が溢れた。

 妙な思い込みで勝手に悲壮な覚悟をしていたようだけれど。



「勝手に姿を消すなんて馬鹿なことを」

「……」

「貴女は独りで生きていけないでしょう」

「ゲイルがいれば、それで」


 アヴィが倒れた際に地面転がった濁塑滔。

 ルゥナとアヴィの会話の横で、どうしようかとぷるぷる震えていた。


 人間だから、一緒にいられない。

 だから魔物と共に隠れて暮らすなどと、本当に考え方が短絡的すぎる。

 トワといい、アヴィといい。どうしてこうルゥナの心を悩ませるのだろうか。一番大切な彼女らは。




「本当に、貴女達は……」

「……怒らないで」

「怒っていません。私は別に怒っているわけではありません」


 呆れているだけだ。

 ルゥナがアヴィを怒ったりするはずがない。



「……」

「まだ何か言いたいなら」


 唇を尖らせ、視線を迷わせるアヴィ。

 ルゥナが怒っていると思っているのか、まだ何か胸につかえていることがあるようだ。


「全部言って下さい。私が言いたいことはさっきおおよそ言いました」



 この際だから、ルゥナも自分の欲を晒しだしたのだから、アヴィにも言ってもらおう。


「隠し事はなしです。もう私たちの間で隠し事はなしにしましょう、アヴィ?」

「……」

「怒りませんから。ちゃんと話して下さい。貴女の気持ちを」



 アヴィの胸中にわだかまる感情を晒してほしい。

 怒ったりしない。

 お互いのことを理解して、ひとつずつ解きほぐしていけばいい。



「怒らない……?」

「ええ」


 迷う瞳で、怯えた顔で訊ねるアヴィ。



「もちろんです」



 優しく答えて頷いた。

 アヴィの抱える気持ちを吐きだしてくれるのなら、ルゥナはその全てを聞きたい。

 もう二度と、愚にもつかないことで思い悩まぬように。




「……女の子」

「?」


 地面に背をつきながらも、俯き加減に呟く。

 視線を合わせない姿は、子供が言い訳を探しているようにも見えた。



「女の子同士なんて、変……変だわ」



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