第六幕 092話 抱えきれない欲
「トワ」
迷いはなかった。
アヴィから離されふらつくトワに歩み寄り、躊躇なく右手を一閃する。
――っ!
「……」
土砂と瓦礫の岩山に頬を打つ音が響いた。
「私が貴女を呪います」
「ルゥナさま……」
「生きなさい、トワ。身勝手に死ぬことを禁じる呪いを貴女にかけます」
そう告げて抱きしめた。
トワの体を、もう二度と離さないと言うように。
「命令です。わかりましたか」
呪いなど、清廊族が何より嫌うだろう言葉を用いてトワに命じる。
ルゥナの気持ちを理解したのか、彼女の胸の中でトワの嗚咽が溢れ出した。
「ご、ごめんなさ……ごめん、なさい……ルゥナ様。トワは……」
「私が何も見てこなかったせいです。トワ、貴女もセサーカも」
繰り返す嗚咽とルゥナの優しい声。
かつて黒涎山と呼ばれた場所で重なる二つの想い。
ニアミカルム山脈に近い高山地。
標高が高く、木々が生えにくい場所で岩塊が目立つ。
元々はもう少し上ったところに黒涎山地下洞窟の入り口があった。
あちこちに亀裂もあったというが、そちらは絶壁だったり極端に狭かったりで出入りには適さないとか。
遠目にみれば、尖った岩が天に突き出した形をした山だったそうだ。
洞窟はその下に。
地下空洞はかなり広かったのだろう。
尖った岩山の大半は崩れて地中に消えた。
地下には水脈も流れていて、崩れた土砂が流されてまた空洞が広がったのかもしれない。
マルセナとシフィーク、そしてアヴィとの戦いの衝撃でまた崩れ、地下に飲み込まれ。
蟻地獄のように土砂や瓦礫が地中に飲まれていった。いくつかの亡骸と共に。
やや下方には緑の木々が森林を成している。
その向こうには人間の作った集落がいくつかあった。
かつては清廊族の集落もあったのではないだろうか。
ルゥナに続いて、木々の間から他の仲間たちも姿を現した。皆、着ている服もぼろぼろだしあちこち怪我をしているようだけれど。その表情は決して暗いものではない。大きな苦難を乗り越え明日を迎える顔。
崩れ残った崖の上に立てば見える。
亡骸を飲み込んだ瓦礫と、森の木々に朝日が差し込む光景。
長く伸びた影が、見てわかるほどの早さで短く姿を変えていく。
新しい日。
今日もまた、昨日とは違う日。
世界は常に変わっていく。良いか悪いかは見る立場からも違って映るのだろうけれど。
「トワ、貴女に言いたいことはたくさんありますが」
「はい」
ルゥナに向けて素直に頷くトワに、ルゥナも頷き返した。
「私が言わなくてもわかることもあるでしょう。それらは後にします」
「……」
「貴女を愛しています。トワのいない未来なんて私には考えられない。私の気持ちをもう二度と疑わないで」
絶対に伝えなければならないことを最初に。
二度と間違えないようはっきりと言葉にした。
安心する。
トワとルゥナの姿を見て、改めて心が休まった。
アヴィには苦手だ。他者との親愛を言葉にすることは苦手だし、トワが相手では特に。
「それと……これも、この際だから言いますが」
「はい、ルゥナ様」
言うべきかどうか躊躇うルゥナにトワが促す。
ここまでは歯切れが良かったけれど、言いにくいこともあるのだろう。
またトワが暴走するようなことでなければいいのだけれど。
「私はとても、その、性的欲求が強いのです」
「……」
「つまり、その……好きな相手とは、もっとたくさんくっついていたいのです。いけませんか? それは悪いことだと思いますか? トワ」
「る、ルゥナ様落ち着いて……」
「トワのことも愛していますが、他の仲間たちも。もちろんアヴィも、隙があればいつでももっと」
捲し立てるルゥナにトワが引いている。
ミアデが苦笑いを浮かべ、セサーカはとろけるような笑顔を。
ティアッテは嘆息し、その足元で引き摺られているオルガーラは痙攣していた。
ニーレとイバが顔を合わせ、肩を竦める。
「ルゥナよ……妾は少々がっかりじゃ」
「もちろんメメトハ、貴女のこともです。貴女とも一度……いえ、何度でも」
「妾の名前を出せといったわけでは……やめぬか、その目は」
ルゥナも色々と限界だったのだろう。
ぎりぎりの戦いの末にトワの暴走。
セサーカ達の有様を見れば、アヴィの知らない問題も発生していたようだ。
心が緩んで、告解ついでに素直な気持ちを口にした。溢れるほどの情欲を。
口にしたら止められなくなった。
「懐包の、とは言いましたが……本当に全てを抱き包みたかったのですか」
「ティアッテ、貴女も標て……対象です。ミアデはきっと私に協力してくれると思っています」
「あ、はは」
「……ウヤルカといい、貴女といい」
頭が痛そうなティアッテ。
「もう少し品性や節度をわきまえて」
「ティアが節度なん……ひぃっ!」
オルガーラが悲鳴を上げた。
悦びの声のようにも聞こえた。とりあえず体の心配はなさそうだ。
町のエシュメノ達は無事だろうか。
早く戻るべきかもしれないが、皆にも余裕があるわけではない。
「……うん」
ふと気が付くと足元に這い寄るものがあった。
少し大きくなった濁塑滔。
ゲル状の魔物だからゲイルと名付けた。アヴィとゲイル。魔女の名前だった気がする。
「私の望む中で一番になりたいのなら、トワ。もっと私に優しくなさい」
「……なんて、我が侭」
戦いの終わりにしては、あまりにも締まらない。
きっと本来の、生来のルゥナの取り繕わない願いを聞かされたトワは呆れた顔で笑う。
トワの理想を押し付けたルゥナではなく、ただの女性としてのルゥナの要求。欲求。
「でも、そうですね。ルゥナ様の欲に私が含まれるのなら、それはトワの幸せになると思います」
求められ、傍にいられる。
トワが望んだままではないかもしれないが、生きる喜びとしてはそれもまた良いのだろうと。
「……メメトハ」
「なんじゃ」
トワの言葉がメメトハに向いた。
顔は向かない。向けられない理由があるように。
「今は……謝る言葉が、ちゃんと見つかりません」
「……」
「いつか、きっと……言います。だから」
「許さぬぞ」
メメトハはトワから目を逸らさずに断言する。
はっきりと。
「もし再びあのようにルゥナを泣かせてみよ。その時は決して許さぬぞ」
「はい……はい、メメトハ様」
顔を少しだけメメトハの方に向けて、視線は足元のまま、頭をわずかに下げた。
メメトハの唇の端が僅かに上がり、彼女の満足を教えてくれる。
アヴィ以外ともあちこちで波風を立てていたのはトワらしい。
「……なんじゃ、アヴィ。その目は」
「なんでもない」
アヴィの視線に警戒する姿勢。初めの頃、不意打ちでキスをされたことを思い出して体を庇うように。
メメトハは、成長した。
初めて会った時とは見違えるよう。
相変わらず背は低く胸は平坦なままだけれど、清廊族の代表者としての威厳というか風格というか。
メメトハ本来の気質もあるのだろうし、そうした教育を受けてきたこともある。
戦いの旅を通じて彼女の器を広げた。
心配はない。
ルゥナがいて、メメトハがいて。
きっと彼女らの未来は明るい方向に進んでいく。
肩にゲイルを乗せ、空を見上げた。
朝の空に煌めく白い鱗。ユキリンだ。飛ぶ姿は優雅で切羽詰まった雰囲気ではない。
アヴィ達の様子を見に来てくれたらしい。ウヤルカは乗っていないけれど、どうやらここにいない仲間たちも無事のようだ。
やっと片付いた。
全てではないけれど、多くの問題が片付いたのだと。
明るくなっていく空をゲイルと共に見上げて、心も晴れていく。
「でも、聞いてください。ルゥナ様」
しかし、光が差せば影も差す。
緩みかけた空気の中、それらを締め直すような声音で。
「何をですか、トワ」
指をアヴィに向けて。
あいつ、と。
「本当の裏切り者は、あいつです」
それを今、言うだろうか。
こういう雰囲気の中、普通それを言うのだろうか。
トワに普通を求めるのがおかしいのだとしても。
「トワ、やめなさ――」
「ルゥナ様、トワがルゥナ様を信じるから、ルゥナ様も聞いてください」
真剣な声で。
切羽詰まった顔で訴えられたルゥナが、トワとアヴィを見比べる。
見ていなかった時に何があったのか、ルゥナにはわからない。わからないから知りたいとも思うのも当然。
「アヴィは――」
「……」
「アヴィは、自分が人間だって――」
普通は、言わないのではないか。
そんな期待をしていた自分がおかしくて、つい笑みが零れた。
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