第六幕 088話 悪業の秤



「トワを守ると誓ったのではないのですか!」


 叱責と共にルゥナの魔術杖がオルガーラに振り下ろされる。

 裂帛の気合と共に、凄まじい速度。力。

 昨年までのオルガーラなら、対処できないまでではなくとも手こずっただろう。


 今は違う。

 アヴィの恩寵とやらで、戦うたびに強くなった。

 元々の資質に加えて、屍の山を築いて掴んだ成長。今のオルガーラに勝てる者などいるわけがない。千年級の伝説の魔物でもなければ。



「ボクが守るのわぁ」


 体より大きな大楯で、ルゥナを杖ごと押し飛ばす。

 彼女が左右に交わせば鎌で捕らえるだけ。それでもルゥナを切り裂くわけにはいかないから柄の部分で。


「清廊族だよ! みぃんな!」

「くぬぅ!」


 押し返されたルゥナ。

 セサーカも油断はしていない。ルゥナはどちらかを振り切って先に進もうとしている。



「なら、トワを守りなさい!」

「ボクのいないところで死んじゃうのは、ボクのせいじゃないでしょ」

「この裏切り者!」


 後ろに飛びながらルゥナが杖を構えた。


「谿峡の境間より、咬薙げ亡空の哭風!」

「それはダメでしょお!」



 セサーカを狙った殺意。

 大木を数十穿つような暴圧の風を大鎌で切り裂き、余波から大楯で自分とセサーカを守る。


「これじゃキミの方が裏切りも――」


「極光の斑列より、鳴り渡れ双対なる星振の響叉‼」



 まずい。

 余裕をかましていられる相手ではなかった。


 セサーカを庇って足を止めたオルガーラに向けられたのは、楯では防ぎきれない烈震の魔法。

 攻め方が一朝一夕ではない。

 オルガーラが戦って力をつける中、ルゥナはオルガーラへの対抗策を常に考えていたのかもしれない。



「清廊の溢境いっきょう幽寒ゆうがん虚宿とみてのほしに、奪え亡骸もうがい渇夢かわきゆめ


 だが、二対一だ。

 ルゥナの唱えた必殺の魔法。オルガーラの大楯に届く直前にぷつりと消え去った。



「油断しすぎです、オルガーラ」

「へへ、ごめぇん」


 なんでもティアッテが認めたのだとか。ルゥナも氷乙女に呼ばれるに足ると。

 適当な判断でそんなことをする性格ではない。

 実際に確かに氷乙女と呼ばれていいだけの力があった。



「でもさぁ、だめじゃん。当たったら本当にボクやセサーカ死んじゃってたかも」

「退きなさい、オルガーラ」


 怒りに目を吊り上げて魔術杖を向けるルゥナ。

 その瞳は同族に向けるような色ではない。



「キミがそんな目をするから」

「……」

「ボクとしちゃあ、セサーカを絶対に守らないと。ボクの前で清廊族は死なせないってね」

「貴女は」


 ちらりと、後ろを気にした。

 倒れているミアデとニーレ。受け身を取ったミアデは意識があるが、すぐ戦えるような状態ではない。



「もう誰も死なせない。ボクは清廊族の守り手だからね」

「オルガーラさん……」


 ニーレを膝に介抱するイバが訊ねる。

 どうして、と。


「トワ姉様が……トワ姉様を助けないといけないのに」

「だぁいじょうぶ、この先には清廊族しかいなかったもの」



 確認してきた。

 送り届けてきた。


 木々が途切れた先。

 黒涎山の中腹だったのだろう辺りは、地面が崩れ崖になっていた。

 その崖の端で、膝を抱えて空を見上げていた背中を見つけた。


 アヴィ。

 特異な力を持つ清廊族。



 ――私が右手から回ります。


 トワはそう言って頷いた。

 だからオルガーラもしっかりと頷いた。


 ――わかったよ、トワさま。



 オルガーラは左手に、というつもりだったのかもしれないけれど。

 でも、なんで?

 清廊族の守り手であるオルガーラが、清廊族のアヴィを襲う理由なんてない。

 どうしてトワは、オルガーラがわかった・・・・と思ったのだろう。



 オルガーラの力が借りられると信じた。誤認した。

 後はトワの勝手。

 勝手にしたいのなら、勝手にすればいい。


 でも、その場にオルガーラがいたら。

 止めることになってしまうじゃないか。清廊族同士の殺し合いだなんて見過ごせない。




「自殺とか事故死までは、ボクもわからないんだよ。イバ」

「惚けた物言いはやめなさい、オルガーラ!」


 ルゥナが激昂する。

 もちろんオルガーラだって、あのままトワとアヴィが仲良く山を下りてくるなんて思っているわけではない。

 そんなこと、あってはならない。



「あんなにトワ姉様のことを……」

「あは、そうだった。あれ結構可愛かったからねぇ」


 サジュで助けられてから、トワに従った。

 家畜のように。

 そうしなければならなかったから。


 一番の下僕だと思ってもらうよう振舞った。

 媚びて、媚びて。

 トワの機嫌を損ねないように。




「ルゥナ様。貴女に出来ることなどありません」


 オルガーラと共に道を閉ざすセサーカ。

 彼女に見抜かれた。


 ――トワに従わなければならない理由があるのですか?


 オルガーラの虚をつく質問。

 上手に馬鹿を演じていたつもりだったのに。



 ――答えなくていいですよ。


 セサーカはオルガーラよりずっと上手だった。

 人間の奴隷だったという。時に応じて色々な顔を作って生きてきたのだと思う。


 ――私たちは、協力できるかもしれません。


 オルガーラの棘を抜く手伝いを。

 セサーカは多くの言葉を必要としなかった。



「ね、ルゥナ様」

「……」

「私の方が貴女より上。私の方がアヴィ様のお役に立てる」

「そのアヴィを傷つけようとしているのは貴女です、セサーカ!」


 ぎり、と。

 歯軋りして睨むルゥナだが、セサーカの顔色は変わらない。


「トワの暴挙は、誰のせいですか?」

「それを止めようと」

「今は、もしかしたら間に合うかもしれない。でも違う場面で、またトワがアヴィ様に害を為そうとしたら?」

「させません」

「出来ない」


 首を振り、睨み返した。

 横にいるオルガーラでも背筋が寒くなるような目で。


「出来ませんよ、ルゥナ様。貴女には」

「私をどれだけ見下してもいい。今はとにかく」

「今は、今だけは……そうやって」


 セサーカが一歩前に。

 その圧にルゥナが半歩下がる。


「貴女の甘さがトワを増長させた」

「それを否定はしません。ですが……」

「次がある、と? その次にはアヴィ様が本当に死んでしまわれるかもしれないのに」



 さらにセサーカが一歩踏む。

 足の震えが怒りを表す。


「もう次はない。ここで終わり。トワは勝手に死に、これからアヴィ様は私が支える」

「セサーカ……」

「何でもほしがり、傲慢で貪欲な貴女は」


 杖を構えるセサーカの隣にオルガーラも並んだ。

 トワには、死んでもらわないといけない。あれが生きているのは都合が悪い。


 アヴィの手によるものでもいい。

 仮にアヴィを殺せたとしても、ルゥナかセサーカが始末をつけるだろう。

 どちらにしてもオルガーラの足裏に刺さった棘はなくなる。



「何もかも失ってから嘆きなさい。ルゥナ様」

「ちがう……じゃん、セサーカ……」



 セサーカの動きが止まる。

 夜風が、セサーカの裾を揺らす音まで聞こえるような静寂。


「そういう、の……らしく、ないじゃんか……」


 ミアデが、打たれた腹を片手で押さえ、反対の手を地面に着きながらセサーカを見上げる。

 幼馴染だったか。


「……」

「何も出来ないなんて……そういうの、きらいじゃん」

「……」

「自分がつらくても、我慢して……周りに優しくするくせに」

「……」



 答えない。

 冷たい沈黙。

 幼馴染で深い仲だったはず。

 そんなミアデの言葉に答えようとしない。


「今、だって……っ!」


 地面に着いた手を握り締めた。

 強く振るえる拳。


「そんな苦しそうな顔で、ルゥナ様に……なに、言ってんだよセサーカ!」

「っ」


 息を飲んだのは、ルゥナだ。

 目を瞬かせてセサーカの顔を見直す。

 焦りに曇っていた目を。



「……ミアデ」

「自分が恨まれてもいいなんて、そういうのやめてよ。違うじゃんそんなの!」

「私は」


 セサーカが口を開いた。

 けれどその身は半歩後ろに下がっている。



「私が間違っているとしても、ルゥナ様より悪いことなんてない」

「そんなの関係ないじゃん!」


 怒鳴る。


「ルゥナ様よりとか、セサーカの方がとか! どっちが悪いなんて関係ないじゃんか!」

「関係なくありません。私の方がアヴィ様に相応しい」

「だったら言うよ! 今のセサーカなんてアヴィ様に相応しくない‼」



 セサーカの口が開いた。

 けれど、言葉が出てこない。


 セサーカの願いを打ち砕く言葉。

 ルゥナはアヴィに相応しくない。だからセサーカが代わる。

 取り返しのつかない傷痕でルゥナに思い知らせて、傷ついたアヴィを支えるのは自分だと。


 そのはずが。

 ミアデの言葉が突き刺さった。



「自分の為に、アヴィ様を傷つけるなんて……」

「ちが……違う。違います。私はアヴィ様の為だけに尽くす」


 迷う言葉。

 時間がかかるのは、オルガーラとすれば問題はない。

 こんな問答で無駄に時間が過ぎるのならそれでもいいが。


「私は、何でもアヴィ様に捧げる。アヴィ様のことしか大切にしない。ルゥナ様とは違います」

「アヴィが一度でも、貴女にそんなことを望みましたか?」


 迷うセサーカにたたみかけるルゥナ。

 この流れは、オルガーラにとって面白くないかもしれない。



 ミアデ。

 大して頭は良さそうではないのに、理知的なセサーカの隙間を突くことを言い当てた。

 明らかに動揺するセサーカ。ここで折れられても困る。



「アヴィがどうとか、そういうのボクはどうでもいいんだけど」


 オルガーラは守らなければならない。

 清廊族と、清廊族である自分を。


「同族を殺そうとするなんて、どっちにしても許しておけないよねぇ」

「それを止める為に」


「他にも」



 オルガーラの続けた言葉に、ルゥナの表情が強張った。

 心当たりがあるなら都合がいい。


「他にも、許しちゃいけない悪いこと、してるんじゃあないの?」

「……」

「それはさぁ、清廊族の守り手としてのボクが、許していいことなのかな?」


 ルゥナの顔が不安に支配される。

 言葉を失ったルゥナの不安がミアデにも波を伝え、セサーカは冷静さを取り戻そうと頭を振った。



「それでも私は……」

「ルゥナ、気をつけなよ」


 どうやら同族殺しよりも隠したい悪事。凶事。

 ルゥナは考えすぎだ。適当に言ったオルガーラに対して、知られていると勘違いした。


「発言次第じゃ、キミも裏切り者。清廊族に背くと見做されるかも。キミの仲間たちもまとめて」

「……私は」

「ボクは清廊族の守り手。絶防のオルガーラ。清廊族に仇為す誰かなら容赦なく――」




「ずいぶんと」



 涼やかな声が遮った。


「立派なことを囀るようになったものです」


 水色の長い髪は、森林を走ってきたのに乱れた様子がない。そういえば彼女はいつも身嗜みが整っている。



「ティア」


 オルガーラと双対を為す氷乙女。

 希望のティアッテ。

 凛とした姿は、氷乙女の理想像と誰もが認める立ち振る舞いの。



  ※   ※   ※ 

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