第六幕 087話 生きる望み。生きた証



 戦い続けて、戦い続けて。

 やっとわかった。

 理解した。


 何もない。

 やはりトワには何もなかった。


 希望はなく、ただ絶望だけ。

 おかしくなってくる。

 いや、もうとっくにおかしかったのだろうけれど。産まれた時から、トワはおかしかったのだろうけれど。



「もうやめなさい」

「は、はは」


 虚しい。

 一番殺してやりたい相手からの同情の言葉なんて、笑える。


「貴女では出来ない。私が一緒にルゥナに謝るから」

「はっ」


 本当に笑える。

 もう引き返せないトワに、一緒に帰ろうだなんていうのがこの女だとは。

 お前のせいで引き返せないのに。



 出来ると思った。

 トワだけでは、どれだけ殺したくてもアヴィに勝てないかもしれない。

 気持ちだけでは出来ないことがあるなんて、トワだってわかっている。


 ずっと昔、一度だけ聞いたことがあった。

 トワの父親。あれは北部の生まれで、人間の支配から清廊族を助けようと戦い、囚われたらしいと。


 気持ちだけでは届かない。

 力も必要。そして何より巡り合わせも重要。


 清廊族にアヴィという特異な存在が現れたこと。

 絶望的だった清廊族の反攻の時に、ちょうど人間同士が相争う時が重なったこと。


 時運。巡り合わせ。

 自分の力や想いだけではどうにもならないこと。



 サジュでオルガーラを拾った時、これは利用できるかもしれないと思った。

 同じくティアッテも手駒にしたかったが、あちらはトワの手に余る。オルガーラほど単純ではない。


 ルゥナの心がどうあってもトワの手に入らないと知り、何もかもどうでもよくなった。

 アヴィを殺す。出来なくても……


 そう思った時に現れたオルガーラを、トワの天運が招いた巡り合わせだと思った。錯覚した。


 ――これならアヴィを殺せる。



 オルガーラは裏切った。

 トワが気を引く隙に後ろからアヴィを殺すはずだったのに。


 現れない。

 このままではトワが死ぬのに。


 死ぬことが怖いわけではない。

 覚悟していたことなのだから、今さら。

 けれど、手が届くと思って挑んだ希望が零れ落ちる絶望は、これはひどい。笑える。


 ルゥナに呪いをかけた時もそう。

 やっぱりトワには何にもない。トワの手は何にも届かなかった。




「トワ、死ぬ必要なんてないわ」

「決めつけないで。トワじゃないくせに」


 何度でも斬りつける。

 届かなくても、命がある限りトワの刃は止まらない。

 全力でアヴィを殺す為だけに振るう。文字通り死力を振り絞って。


 うっかり何かのはずみで殺せてしまえるかもしれない。そんな希望も馬鹿々々しいけれど。



「貴女が死んだらルゥナは」

「黙りなさい!」


 殺し合いの最中に相手の心配なんて、バカにしている。

 トワのことを見下している。


「だったら死ねばいいんですよ、お前が!」


 掠った。

 切っ先がアヴィの胸の上を掠めた。


 届くのかもしれない。

 そう思ったのは錯覚。少し身を斬らせてでもトワの手から刃を取り上げようと、手刀で短剣の根元を払う。


 くるりと回った。

 トワの手首でくるりと。



「そんなものがあるから!」

「ええ」


 やはりアヴィにも余裕がない。焦っている。

 はたかれたのではない。トワが手首を返して逆手に持ち替えたのだ。


「これがあるから、お前を殺せる!」

「っ!?」


 逆手に持った短剣で下からアヴィを斬りつけようとした。

 そのトワの手を上から掴む。

 反対の左手で喉を突こうとして、そちらもまた手首を掴まれた。



「く……の」

「聞きなさいトワ」


 両手首を掴むアヴィと睨み合う。

 目の前にアヴィの顔。

 右手首を痺れるほど強く握られ、トワの手から短剣が零れ落ちた。



「っ……」


 落ちた剣を遠くに蹴り飛ばし、そのままトワも転ばせて地面に押し付ける。

 無理やり乱暴されているみたい。

 していたのはトワだけれど。



「ルゥナには貴女が必要なの、トワ」

「決めるのはお前じゃない!」


 右手の掴みは甘かった。

 無理やり抜いて目の前の頬を張る。


「私を殺したらルゥナは貴女を許せなくなる!」


 逆に頬を張られた。

 また手首を掴まれ、今度こそ離さない力で押さえつけた。



「お願いだから聞いて、トワ」

「いやです!」


 噛みつこうとしたが避けられた。

 けれど続ける。目の前の喉笛を食い千切ってでも殺す。



「私は消えるから!」

「――?」


 止まった。

 何を言われたのか思考が止まり、動きも止まる。



 消えるから?



「戦いが終われば私は消える。一緒にはいられない」

「なに……を、言って?」

「聞きなさい、トワ」


 月光に照らされたアヴィの顔。

 争っているうちに、崩れた崖面近くに転がってきていた。

 風がアヴィの長い髪を泳がせる。



「私は、皆と一緒にはいられない」

「……」

「私は……私は人間なの。人間なのよ」



 何を、言って?

 わけのわからないことを。

 冗談にもならないような妄言を、寂し気に、真剣な瞳で。


「戦いが終わったら私は消える。みんなと一緒にはいられない」


 それは、そうだろう。

 人間なら、人間を消し去る為にこうして戦っているのだから。

 共に暮らすなど有り得ない。



「私は一緒には生きられない。一緒にいられないの、トワ」

「……馬鹿なことを」

「だからトワ」


 嘘をついている顔ではない。

 でも、有り得ない。

 生まれながらにトワがおかしかったというのなら、この女も狂っている。魔物に育てられたせいか。


「貴女にしか出来ない。貴女がルゥナを支えて……共に生きて」

「……」


 アヴィがいなくなるから。

 そうしたらルゥナの隣が空くから、トワはそこで生きて、と。



 なるほど。

 トワの願う形。

 それを用意するから争うのを止めようと言う。


 嘘ではないのだろう。

 本当に、人間との戦いが終わればアヴィは姿を消すつもり。

 人間との戦いの終わりも見え始めている。絵空事ではない確かな未来の景色かもしれない。



 月明かりの下。

 初めてルゥナと会った時も、こんな風に見上げていた。

 転がされ擦り傷だらけで押さえつけられたりはしていなかったけれど。


「ふ、ふふ……」


 笑いが漏れた。


「はは……あは、はっ……」


 本当に、どいつもこいつも。

 トワじゃないから仕方がない。

 トワじゃない者が、トワの心を理解するなんて有り得ない。



「トワの生き方を、お前が決めないで」

「トワ……」

「お前の代わりなんてもうたくさん」



 嗤いが堪えられない。

 やはり持っているものにはわからない。

 自分にはいらないから譲ってあげるだなんて、どれほど馬鹿にしているのか。


「結局、そうしたら……永遠にお前が一番でしょう」

「そんなことは」

「未来永劫、消えたお前を想い続けるルゥナ様の傍に? ははっ、笑える……ええ、本当に笑えない」


 アヴィの代わりにルゥナを慰め続けろとか、なんてひどい拷問を考えられるのだろう。

 人間だというのも、あながち嘘ではないのかも。



「トワは、ルゥナ様の一番になりたいのに……」


 望みを閉ざして、それで我慢しろだなんて。

 ひどい。

 ひどすぎる。


「トワの体でルゥナ様を慰めれば? ルゥナ様の体で満足すれば? それでいいって」

「違う、そうじゃ……」

「違わない。お前が言っているのはそうだもの」



 得たと思った呪いの力を失って。

 味方だと思ったオルガーラに裏切られて。

 その上で、憎んだ女から垂らされた希望の糸が、永遠の苦行。諦めの未来。


「奴隷と、人間みたい」

「トワ、私は……」

「だぁれも、トワの気持ちなんてわかってくれない」



 やっぱりこんな世界、腐っている。

 いらない。何もいらない。


「トワ!」

「はは、あはははっ!」


 溢れ出す嗤い声と。

 熱の無い力。何もかも凍てついてしまえばいい。止まってしまえばいい。



「やめなさい、トワ!」


 アヴィの両手に霜が這う。

 トワの全身にも。



「あははははっ! もういい。死に方くらい自分で選ぶもの!」


 トワがトワらしく生きることも、トワの望みに向かうことも許されないのなら。

 せめて死に時と死に方くらい勝手にさせてもらう。

 自由にさせてもらう。



「トワ、やめなさい!」

「哀れと思うのなら、そうですね」


 トワがいない世界。

 もうどうでもいいけれど。


「トワと一緒に死んで下さいね」



 魔術杖もなく、詠唱もなく。

 ただ嗤い声だけで魔法の力を使う。

 眩暈がするほどの脱力感。続ければすぐに命が尽きるのがわかる。



「死んで下さい。ね、アヴィ様」



 完全に凍り付く前にトワの手を離せばいい。

 そうすれば、きっと。


 アヴィの心に死ぬより深い傷を残せる。

 ルゥナとの間に、埋められぬ溝を残すことができる。


 爪痕。

 トワの生きた証は、そんなものくらいしか望めないのだろう。



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