第六幕 089話 誤りの乙女



 遅れてきたのは当然のこと。

 移動中の戦士団から離れたオルガーラを追ったとしても、その足では。


「どれだけ教えても聞かなかったあなたが、氷乙女めいた物言いを」

「ティア」


 片足を半端な氷柱で補った乙女。

 オルガーラと肩を並べて戦った戦士で、今でもその姿には頼もしさを感じる。

 しかしそれは記憶からの錯覚。今の状態ではオルガーラに及ぶべくもない。



「ティアッテ……」

「そんな顔で俯くのではありません、ルゥナ」


 バランスが悪い。

 傾いた歩き方で、しかし堂々と。


「つらく苦しい時こそ胸を張り顔を上げなさい。清廊族の守り手たる氷乙女らしく」

「……はいっ」



 ミアデの前に、ルゥナの隣に立った。

 オルガーラと相対する形で。


「そっちでいいの、ティア?」

「ミアデのいる方が私の立ち位置です」


 ああ、その子はお気に入りだったか。

 活発な印象の少女。胸も小さい。

 オルガーラと似た雰囲気のミアデを気に入っていたことを思い出した。



「そんな足でボクとやるの? そんな体で、武器もないのに?」

「命あれば戦うのが氷乙女です」

「いや、ボクら仲間でしょ」


 返答は実にティアッテらしい。

 久しぶりにまともに彼女と話してみて、なんだか嬉しくなる。



「そうそう、ボクが自由になったらさ。またティアと一緒に寝てもよくなるんだよ。前と同じで」

「……」

「前とは違うか。ティア、そんな体だもん。今度はボクがティアをリードしてあげてもいいし」


 オルガーラの代わりにミアデなんかを可愛がらなくても、トワのことが片付けば元通り。

 氷乙女同士、他に理解者もいない伴侶としての関係に戻れる。



「どうせそんな弱っちいのじゃボクの代わりになんないでしょ」

「……本当に、馬鹿さ加減が嫌になりますね。自分の」


 オルガーラのことを馬鹿にしたのかと思ったら違った。

 自分のこと。ティアッテ自身の。


「長老も、私も。芸を仕込むことは出来ても品性は無理でしたか」

「?」


 深い溜息。

 やれやれと、疲れ果てたように。



「ルゥナ、オルガーラは私が受けます。そちらは何とかなさい」

「ありがとうございます、ティアッテ」


 少し離れるルゥナに、迷いながらも行く手を遮ろうと合わせて動くセサーカ。

 簡単に抜かれることはないと思うが、どうだろう。

 オルガーラとすれば、トワが死ぬまでの時間を稼げればいいだけだが。


 ティアッテは万全ではない。

 今のオルガーラと正面から戦えるほどの力はない。

 隙を見てルゥナにも体当たりして、しばらく動けないようにすればいいか。




「ボクはティアと戦う理由なんてないんだけど。これ以上、怪我もさせたくないんだよ」


 これは本当だ。

 他の邪魔者とは違いティアッテとは長く関係を築いてきた。彼女の温もりもよく知っている。

 時間稼ぎだとしても、弱った彼女をさらに痛めつけるなんてしたくない。



「私に怪我を……ですか」

「ボクはほら、皆の喧嘩を止めているだけ。氷乙女として当然のことじゃん」


 ティアッテは状況がわかっていない。

 追いかけてきて、清廊族同士が争っている場所に辿り着いたところ。

 ただミアデを庇う方に立っただけで事情は把握できていない。



「相変わらず勘違いしているようですが」

「なにを?」

「お前が愚かで軽挙なことなど、お前以外の皆が知っています。オルガーラ」


 ひどい侮辱だ。

 オルガーラは馬鹿ではない。短慮でもない。

 雰囲気でそう見せているだけで実は知恵者だ。トワだってうまく騙した。



「トワのことでしょう。助けられたと聞きました」

「……」

「責め苦に耐えられず清廊族を裏切り辱める言葉でも聞かれ、隠したくてトワに従う家畜のような振る舞いをしていたのだと」


 なんで?

 見ても聞いてもいないのに、なんで知っている。



「お前の急変。不自然なまでのトワへの傾倒」

「な……」

「以前のお前を知っている者なら皆、想像はついたはずです。口にはしなくとも」



 嘘だ。

 オルガーラはうまく演技していたはず。

 人間に囚われたオルガーラが、助けてくれたトワに懐いたのだと。


 トワは騙された。

 ルゥナ達も、不思議には思ったようだが受け入れていた。


 だけど、そう。彼女らはそれ以前のオルガーラを知らない。

 知っているティアッテ達は、わかっていたのだと。



「オルガーラ、お前は単純で……まあ、純粋なところがあります」

「ぼ、ぼくは……」

「清廊族を守る使命を心の柱に生きてきたお前が、それを裏切る言葉を口にして気に病むのは仕方がない。ひどく己を責めて歪んでしまった。それについては私たちにも責任があるでしょう」



 ですが、と。

 一歩踏み出した。氷で出来た仮初の足を。


「……お前の愚かさは、私のせいではありませんね」

「ティア……?」

「多少、野卑な姿を見せてしまうかもしれませんが……ミアデ」


 背中のミアデに声を掛ける。

 心配するなと言うように。


「貴女の笑顔を守る為になら、私は何にでもなりましょう」

「……うん」



 踏み出した氷の足が、砕けた。


 ぞわり、と。


 ティアッテの右足の切り口からぞわりと、無数の細長い管のようなものが伸びる。

 無数……数百の細かな虫の足のような。



「そんな足でとお前が言うものですから、おかげで気持ちの整理がつきました」

「ティア……え、っと……?」

「こんな体で、武器も無く? なんでしたか……そうそう、トワと引き合わされた時にも色々と言ってくれました」


 微笑む。

 ぞわぞわと蠢く足で進みながら。


「一緒に寝てあげてもいい? 私の匂いがどうとか、私がお前に勝てないみたいにも言っていましたね」

「い、いや……あの、ティア……」



 がしりと、掴まれた。


 楯の縁を掴まれた。

 おかしい。まだ手が届く距離じゃなかったはずなのに、一瞬で目の前に。

 踏み込むタイミングがわからなかった。数百の虫の足なのだから当たり前かもしれないけれど。



「あ、あぁっ!?」

「考えなしに小娘が」


 慌てて振った大鎌だが、目測がズレてティアッテの頭に突き刺さりそうになる。

 が、ティアッテの尻尾――なぜあるのか――が大鎌の柄に巻き付いて止めた。


 大楯の上縁を持ったティアッテの手が引っ張る。

 抗おうとして力を込めたところで、逆に下からまくり上げる力で引っぺがされた。


 転がるオルガーラの手から、楯も鎌も取り上げられてしまう。

 それを放るティアッテの微笑みは変わらない。



「この私に対して、そうそう。胸に小水を引っ掛けてくれたりもしてましたね」

「そ、それはボクじゃ――」

「私は間違えません」


 頬をぶたれた。

 尻尾の先で。



「お前が手を貸してやらせたのです。お前がやったことと変わりません」

「ご、ごべ……ごめんなさ」

「謝るのはまだです」

「ぶぇっ」


 反対からもう一度。

 謝罪の言葉を止められる。


「私の気が済むまで、謝らなくていいのですよ。オルガーラ」

「ひ、ぃ……」

「ミアデがお前の代わりなどと言いましたね」


 本気で怒っている。

 膝が震えてうまく立てない。



 手を着いて逃げようとするオルガーラの足を掴まれた。

 うぞうぞと。


「う、ひぃっ!? やだ、ごめんなさいティア! それだめ」

「謝るなと言ったはずです。この馬鹿娘」

「ひぁっ!」


 平手で尻を叩かれた。

 ばしぃんと、大きな音が静かな夜に響き渡る。


「言ってもわからないのは知っていますが」


 もう一度。

 四つん這いで逃げようとしたオルガーラの尻を叩く。



「お前への教育は、私の責任の範囲でしょう」

「くぁっ!? わ、わかった! ボクが間違っ」

「お前が間違っていることなどわかっていて当然です!」


 三度。

 ティアッテの平手だ。

 衝撃で簡単に服は破けて、突き出した姿勢のままオルガーラの尻が晒される。



「お前が、私を、リードするだとか」


 突き出した尻を踏まれた。

 さっきまでなかった方の足で。

 上から押さえつけるように、尻を高く、顔は地面に。


「お前が何もわかっていないことを、私もよくわかりました。オルガーラ」

「あ……いや、ティア……そ、れ……」

「反省しました。私を反省させたのですよ、オルガーラ」



 無数の細い虫の足のようなものが、踏みつけられたオルガーラの尻に。

 ぞわり、ぞわりと。


「や……ティア、だめ……ほんとにそれ、わ……」

「褒美をあげましょう」



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