第六幕 067話 夢の残香



 杖に響く。

 ダァバの力が流れ込む。


 ダァバの作る約定の枷。呪いの環を嵌める力が溢れる。


 呪いを上書きする。

 ここでようやく理解した。先のサジュでの失敗を。



 女神の軸椎オエスアクシス。あれで上書きできぬ呪いが既にあったのか。

 同等の力。この翳る瞳孔ププラルーガにより、既に枷が掛けられていた。だからうまく呪いがかからず、弾かれた力が返された。跳ね返った力で軸椎が砕けた。


 並の呪術師ではない。ガヌーザが先に呪術の枷をかけていた。

 呪術の一芸においてはダァバを上回るガヌーザだ。そこは素直に負けを認めよう。どうせもう死んだ男だ。



 しかし、この娘は違う。

 架された呪いの枠は当たり前のもの。特別なものではない。呪術を極めたダァバには感じ取ることができた。

 上書きできる。今のダァバになら十分に。



 翳る瞳孔がダァバの力を受け、赤黒く輝いた。

 鈍い輝きと共に、頭痛が増す。やはり相性が悪い。残った連中は叩き潰すとしよう。

 ダァバの愛奴となった女と共に。


 想像すれば実に、気分がいい。

 頭痛が少し和らぐ程度には。



「女神が見入る」



 唱える。

 既に翳る瞳孔に囚われ、荒れ地の真ん中で動きを止めた女に。


「ルゥナ!」


 遅い。もう遅い。

 詠唱の隙を計算できぬほど未熟な呪術師ではない。


「女神が見入る。衷心の腑底に根差す無私無極の愛寵を――」



 杖に響くダァバの力。

 残響のように震える声。



「――?」



 響く。

 勝手に。


 ダァバの意思と無関係に、繰り返すように。

 残った声。詠唱。


「これは……っ!?」



 呪術の至高が先触れと言うのであれば。

 外法。下法。

 未熟な呪い士がやる失敗。


 意図せぬ形で、意図せぬ時に過去に使った呪術が発動する事故。

 残響。残滓。残り香。



「食べ滓……っ!」


 そんな風に呼ばれる、名前すらない下らぬ現象。

 なぜ今ここで。



 ダァバではない。

 そんな稚拙な失敗をするわけがない。

 だとすれば。


「が、ぬーざぁぁ‼」



 灼爛の飛沫も、偏頭痛の呪術も。

 全てこの仕掛けを誤魔化すために。


 ガヌーザが仕掛けていた。呪術の失道と呼ぶべき食べ滓を。



 死んだガヌーザに力はない。死んだ者は死んだ者。

 だからダァバの力を吸って発動するように。

 ダァバの言葉で発動するように。


 意図せず発動し、術者に返るような仕掛けを翳る瞳孔に仕掛けていた。


 清廊族の女を捉えた濁る赤い宝珠は、その反対側にダァバを映している。

 一度放った呪術を、残響として、もう一度力を込めた時に発動させた。意図と逆に。


「ぐ、あぁぁぁっ!」



 懺睨の眸子。



 先ほど勇者に切り裂かれた呪術が、自分自身の力で自分に降りかかる。

 ダァバ自身の力だ。半端な力であるわけもない。


 先ほど勇者は切り払ったが、ダァバは完全に無防備だった。

 杖から手が離れない。赤黒い輝きがダァバ自身を包み――


「あのくそガキぃぃ‼」



 打ち払った。

 歯軋りをしながら、走っている途中で生やした左手で胸を掻き毟り。


 ちくりとした痛みが首に。

 短剣使いの女を殺した時だ。最後に投げつけられた短剣が首を掠めた。


 痛みがあるということは、あれも何か特殊な力があったのかもしれない。掠っただけで助かった。


 そうだ、ダァバはやはり不運ではない。

 これだけ邪魔は入っているが、それも世界を制する為の障害。終局戦のようなもの。

 永遠の神になるまでの最後の難関。それに立ち向かうだけの資格が自分にはある。




「お、まえら……なんか、に」


 息が荒い。

 自分の呪術に嵌まりかけた。

 消耗もひどいが、なんとか枷を破った。ダァバもまた神に並ぶだけの実力者の証。


 ガヌーザは見誤ったのだ。

 ダァバの器量を。




「大丈夫、ルゥナ?」

「平気です、アヴィ」


 並び立つ女戦士たち。

 ダァバに強い敵意の視線を向ける。

 荒い息で睨み返すダァバだが、動くのも億劫だ。その様子を受けて互いの視線を交わした。



「アヴィ……アヴィ、私は……」

「……」


「マルセナを……あの子を、助けて下さい」


 逡巡。

 頼む方も、頼まれた方も。息を飲んだ。



「あ……ご、めんなさ――」


 静かに。アヴィと呼ばれた女が唇を重ねた。


「……いいの」


 許す、と。

 何の茶番を見せられているのか。

 ひどく消耗して、頭痛と眩暈に苛まれるダァバの前で。



「……あの勇者は、私が殺す」

「ダァバは妾が討つ。ルゥナのことは任せよ」


 逡巡はわずかだった。

 頷き合い、長い黒髪をたなびかせて女は駆け出した。


 ダァバの横を抜け、さらに北西に。




 舐められたものだ。

 確かにひどくダメージを受けた。半分以上自爆だが。

 それでも、この期に及んでさらに戦力を分けるなどと。


「本当に……馬鹿な連中だな、お前たちは」

「お前ごとき、アヴィが相手にするまでもありません」

「本来なら妾だけでやるべきことじゃ。腐った裏切り者の始末なぞ」


 本当に、愚か者め。

 勘違いをしている。



 先ほどは確かに呪術を失敗した。

 しかし、呪術を失ったわけではない。


 サジュの時のように砕けたわけではないのだ。この翳る瞳孔は。

 ダァバが自らにかかった呪いを自力で振り切っただけ。

 

 一度、失敗をしたのなら。

 今度は確認する。


 翳る瞳孔に仕掛けられた罠。ガヌーザの下法。

 食べ滓はもうない。今度は正しく発動する。

 息を整えれば、何も問題はない。



 この二匹の女。両方を愛の奴隷として、先に進んだ女に見せてやったらどうだろうか。

 泣き喚く姿を想像する。


 その前に、あの実力では勇者とやらに返り討ちになるのも間違いないが。



 至極残念。

 まあ仕方がない。何もかもを手に入れようとして、これ以上の醜態を晒すのも嫌だ。


 息を吐いた。

 溜息を。


 そして、息を吸う。



「女神は見入る――」


 駆けてくる女ども。

 中々の速度で、小振りな魔術杖をダァバに振り下ろそうと。


 並の呪術師であれば、双対のその攻撃に対処できなかっただろうが。

 ダァバは違う。肉弾戦でも英雄を上回る技量の戦士。

 十分に対処して――



「?」


 何かを投げつけた。

 小さな拳ほどの袋。


 見覚えがある。

 転がった翳る瞳孔をトワと奪い合った時に、破裂した袋と似ている。


 なるほど。


 爆発する風でダァバの詠唱を止めようという作戦だったのか。

 ダァバが杖を取りこぼすほどの風圧だった。確かに魔法使いの詠唱を止めることも可能だろう。



「衷心の腑底に根差す、無私無極の愛寵を――」


 このタイミングだろう。

 ここで息を継ぐのを、風で防ごうと。



 運がない女どもだ。

 知っていれば、わかっていれば。どうということもない。

 さっきトワが無駄なことをしなければ、これを知らぬダァバは驚き戸惑っただろうに。


 確かに、先ほどからのダメージのせいで息が切れ切れのダァバは吸い込む。

 最後の発露をさせる為の言葉。それを紡ぐ為に。

 そこに合わせて見事な仕掛け。



 可愛いものだ。

 こんな手でダァバを止められると思っている幼稚な手管。


 愚かな蛮族の、年若い娘たちの頑張り。

 それらがダァバに屈する未来が、瞳の奥に浮かび上がった。焼き付くように。最後の言葉を紡ぐ為に息を継ぐ。



「――――っ‼」



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