第六幕 066話 至高の外法



 まずい。

 まずい。


 この反応を知っている。メメトハは見知っている。

 つい先日、同じ症状を見たから。

 エトセンの町で。



 人間の男を目にして、心を喪失した目で顎を震わせていた。

 あの時はアヴィが。

 今は、ルゥナが。



 ダァバのことはもちろん最優先で殺さねばならないが、この状況はまずい。

 エトセンでこの状態になったアヴィは、人間の言葉に従いメメトハ達を薙ぎ倒した。

 ルゥナがそれでは戦いにならない。



 勇者シフィーク。


 突然現れ、鷹鴟梟に一撃を加えた男。

 その力の底も知れない。鷹鴟梟と渡り合える力がある人間など。


 メメトハとアヴィがルゥナの両脇に立ったのは、心配したこともあるが、彼女の行動を制する為だ。

 隷従の呪術。白い呪枷を外れたルゥナでも、首に刻まれた呪いの効力は生きている。その相手がこの勇者ということだとすれば、言葉一つでルゥナが敵となる。


 こんな時に。

 他の、エシュメノ、ニーレ、ミアデとセサーカも身動きが取れなかった。

 何をどうすればいい。ダァバと鷹鴟梟以上に新たに現れた人間の脅威が高すぎる。



 トワは、見えていなかったのだろう。

 真っ先に動き出して杖を確保しようとして、危うくダァバに殺されるところだった。見知らぬ清廊族の男に助けられたが。


 逃げ去る翔翼馬。

 ダァバと戦っていた炎の魔法使いのはずだが、それを庇って身代わりになった女戦士に向けて紡いだのは清廊の魔法。


 全ての状況が混沌としすぎて、指示を下してほしいルゥナが自失している。


 アヴィも決めかねている様子だった。

 真っ先にダァバに向かうか、勇者を倒すべきか。




「ちょうどいい」



 勇者がルゥナを一瞥して言った。

 ちょうどいい道具がここにあったとでも言うのか。



「僕はマルセナを追うから、お前はこの呪術師の相手をしておいてくれ」


 人間の命令などに従わせたくない。

 苛立ちもあるが、都合のいい命令。


「任せたよ」


 ダァバと戦えと。他の言葉を吐かれるよりずっとよかった。



 助かった。

 走り去る勇者を見送り、息が抜ける。

 これまで何度となく最悪な場面はあったが、中でも一番の危地だった。あの勇者の言葉一つで全滅も有り得たほど。



「ちっ、僕らも追うぞ!」


 続けて駆けだすダァバ。

 先ほどの会話からすれば当然だ。ダァバの狙いは魔法使いの娘。

 清廊族と人間の合いの子。


 駆け出すダァバと、それに続こうとする鷹鴟梟と――



 弾かれたように駆けだしたルゥナ。

 勇者の言葉に従い、呪術師ダァバの相手をしようとして。


「アヴィ!」

「わかってる!」


 選択の余地がない。

 どちらにしてもダァバは倒さねばならない。何をするのかは定かでなくとも、ダァバにあの混血児を渡すわけにはいかない。


 ルゥナが追うのならメメトハも。ダァバに有効な武器はメメトハとルゥナが手にする魔術杖だけ。

 作戦も何もなかった。流れのままだが、メメトハ達の目的とずれているわけでもない。



「任せる、パッシオ」


 命じられた鷹鴟梟の雄叫びが、吹雪く空を震わせた。

 思わず足が止まりそうになったが――



「行け!」


 ニーレが怒鳴った。


「鳥は私たちが倒す! ダァバを追え!」

「……頼む!」


 問答している暇はない。

 格上の魔物を引き受けるというニーレの言葉に、駆け抜ける。



「セサーカ!」


 アヴィが叫んだ。


「私の代わりにここをお願い!」

「承りました、アヴィ様」


 言われなければセサーカはアヴィに追従したはず。

 戦力の分散になるが、アヴィはここにセサーカを残すことを選んだ。メメトハもそれが正しいと見る。

 魔法を得手とするメメトハ、ルゥナがダァバに向かう。代わりにセサーカにここを頼む。



「あるじノじゃマを!」

「やあぁっ!」

「たぁ!」


 メメトハ達に向かおうとした鷹鴟梟にエシュメノが飛び掛かり、短槍を躱した翼をミアデの蹴りが捕らえた。


「お前の相手はエシュメノ!」

「アヴィ様の邪魔はさせない!」



 その隙に、一気に抜けた。

 先行する勇者の背中はもう見えない。

 ダァバの姿も遠い。勇者の命令に従い猛然と走るルゥナを追って。


 空は飛べなくとも、メメトハとアヴィの駆ける足も常識を超えている。

 追い付けるか。

 相手も同等以上の速度で走っているわけだが……



「?」


 ルゥナの進行方向は、わずかにダァバの背中より左に寄っている。

 見失っているのかと思ったが、先行するダァバもまた進路を変えた。

 左。レカンの町から見てやや北西に。


 まるで進む方角がわかっていたかのように。距離が詰まる。



「なんじゃ……?」

黒涎山こくせんざん


 あっという間に山脈が近づいてくる。

 町の周辺にはなかった樹木が増えて、林から森林地帯に。

 しかしルゥナは迷わない。途切れ途切れになるはずのダァバの進行方向を着実に把握して。


「黒涎山があった方角よ」

「そうか」


 魔境黒涎山。

 アヴィとルゥナが出会った場所。

 どうにも、因縁はそこに繋がっていくものらしい。



 アヴィの表情も硬い。戦いの緊張などとは別に。

 つらい過去のある場所だと聞いている。無理もないか。



「っ、開けるぞ!」

「廃村だわ」


 普通の足なら数日かかるだろう道程を、二刻程度で駆け抜けた。天候が悪くわかりにくいが、夕刻に差し掛かるくらいか。

 ルゥナが真っ直ぐに目指していることもあるのだろうが、一心不乱に走って。



 木々が途切れ、開けた場所。

 廃村。

 人間が拓いた村だったのだろう。生活の気配はない。


 だん、だんっと屋根を蹴り飛び越えていくルゥナを追う。

 慣れている様子。前にもやったことがあるような。



 追うことに集中しすぎていたのだろう。

 開けた場所で、ここで一気に詰めてダァバを逃がすまいと。



 村の外れ。

 広く開けた場所は、畑か何かだったのだろうか。

 特に何があるわけでもない荒れ地に成り果てていたけれど。




「いい加減、邪魔だ」


 開けた場所なのだから、当然視界は良い。

 先行していた者が待ち構えるにも都合が良かっただろう。もう少しで追い付くというのは、ダァバの方も追い付かれると察知できる。



「君には、呪術が効くみたいだからね」


 勇者により隷従の呪いを受けているルゥナ。

 呪術の効果は及ぶだろうと、走りながら見当をつけていた。


 サジュで、アヴィとエシュメノは呪術を跳ねのけた。

 ルゥナは違う。ルゥナは呪術の影響を受けて勇者の命令に従っている。効果がある。



「その呪い、上書きしてあげよう。僕の愛奴として」

「しまっ――」


 ダァバの持つ杖は、既に光を放っていた。

 先触れ。呪術の至高だということをメメトハは知らない。

 捻じれた杖の中心にはめ込まれた赤い宝珠が、どろりとした質感と共にさらに鈍い輝きを放つ。



女神レセナが見入る」



 それはもう、既に。

 完全にルゥナの姿を捉えていた。



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