第六幕 062話 厄災_2



「ティシャ殿」


 モデストが背中から声をかけた。

 エトセン騎士団の有望株。若くして濡牙槍マウリスクレスを託され、極めて困難な任務の中心を任されるだけの実力者。


「申し訳ない……とても、手加減など出来る方ではなかった……」


 若き英雄と称されるモデストの顔は暗い。

 頬には火傷と裂傷。額は煤け着ている服もボロボロだ。


 見た目も酷いが、心中も劣らぬほど消耗している様子。

 先代団長のアンは彼の憧れだったと言う。ティシャだけではない、この一件で言葉に出来ぬ深い傷を背負ったのは。



 エトセン騎士団の精鋭を揃えて尚、死者多数。

 わかっている。アンがどれほどの力を有していたのかなんて、ティシャが一番よく知っている。


 本気で、全力で、世界を焼き尽くそうとした。

 彼女がここでエトセン騎士団の精鋭を全滅させていたら、本当にこの大陸全てを焼き尽くしてでも自分の主張を貫こうとしていたかもしれない。



 美しい言葉だった。

 虚しい言葉だった。

 叶うわけのない夢のような願いを抱いて。



「自分も、濡牙槍がなければ死んでいました。情けない」

「……」


 アンの業火の魔法を何度も打ち払った女神の遺物。濡牙槍マウリスクレス。

 英雄、勇者を揃えてこの有様だ。

 まさに災厄級の魔女。アンの名はそうして伝わるのだろう。いや、失われるのか。


 エトセンの恥部として。

 ミルガーハの暗部として。

 二度とアンの思想を受け継ぐ者が現れないよう、徹底的に排除されるのだ。


 今の騎士団団長はひどくアンを怖れていたし、エトセン公にとっても残したい話題ではない。何よりミルガーハ本家が、アンの言葉などひとかけらも残すことを許すまい。




 小屋もすっかり焼き尽くされ、何もかもが灰になり。

 負傷したエトセンの騎士たちがティシャを置いて去ってから、一人の男が姿を現した。



「今までで最低の仕事だったぜ」

「……」


 汚れ仕事。

 騎士団がアンと対峙する中、密かに近付き幼い魔物を殺せと。


 アンの知らない者を使ったから、だから成功した。騎士団の誰かであれば不可能だったに違いない。


 けれど。

 あの魔物の子がいなくなっても、アンは正気に戻ってくれなかった。


 ティシャの手を取ってくれなかった。

 ほんの少しの期待――いや、正直に言えば自信があった。幼い頃から姉妹のように育ったアンとティシャの絆に。


 アンを惑わすあの魔物さえいなくなれば、ティシャの下に帰ってきてくれると。信じていた、なのに……っ!



「……何にも、拾えなかったな」

「……」


 拾いたかったものはたった一つ。

 アンの命だけだったのに。

 全て灰となり、風に散っていく。



「……それは」

「ああ、わりい……つい、な」


 男が手にしている物。

 細身の片刃剣。刀身に黒く銘が焼き付けられていることを知っている。


「冒険者の性ってやつだ。っても報酬外だ、形見にあんたが持ちたいなら」

「いいえ」


 首を振った。

 残したくない。少しでも優しい思い出を残せば、その重みで潰れてしまう。

 ティシャが潰れてしまう。


 剣の他にも何か手にしているかもしれないが、何もいらない。好きにすればいい。



「ブラスヘレヴ……影剣ブラスヘレヴ。光剣トゥルルクスと対を為す剣だと」

「へえ」

「ひい様が……剣は使わないのに、刃が気に入ったからと言って」


 アンが銘を調べて話していたことを思い出す。

 彼女の言葉、笑顔、その温もりが忘れられない。


 狂ってしまいそうだ。

 アンの思い出に触れていたらティシャが壊れてしまう。

 耐えられない。



「……じゃあ、もらっとくぜ。息子にでもやるさ」


 この男にしても、重すぎるのだろう。

 事情を知らないだろう誰かに渡るのなら、武器とすればそれでいい。



「子供が、いるのですか」

「……ああ」


 質問のつもりはなかった。

 先に依頼する時にも聞いていたことだ。彼もまた同じ話を繰り返すことになるが、沈黙よりは何か話題があるのならと思ったのだろう。


 改めて、子供のいる男にまるで幼気いたいけな子供のように見える魔物を殺せなどと、酷なことをさせた。

 そう思って口にしただけ。



「俺よりよほど見込みがある。まだ四歳にもなってねえけどな」

「……」

「あんたは……」


 言葉は途絶えた。

 少しでも気を紛らわそうと話を振ろうとして、場にそぐわぬ話だとやめた。

 不器用な男だが、不器用なりの気遣い。



「私の子はもう成人です。じき孫も生まれます」

「……名前、つけてやるのか?」



 気にしたのだろう。

 もし女の子が生まれたのなら。


 これだけ泣いて、これだけ想う誰かの名をつけるのではないかと。

 そんなわけがない。その名前をつければ、騎士団から反逆者と見なされるに決まっている。


 そうでなくても。

 そんな重く、尊い名を。孫に背負わせるなんてできない。ティシャには出来ない。



「息子たちが決めています」


 祖母だからとか、孫の名に口出ししようなどと思っていない。

 そういうのは……アンと、拾った子の名前を話し合った時だけで、もう十分すぎる。


 女神が授けてくれた子。だから――と。



「男の子だったら、ツァ――」



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