第六幕 061話 厄災_1



「もうおやめ下さい、ひい様」


 訴える。

 最後の訴え。最後のチャンス。



「こんな……貧しい者を巻き込んでのひい様の妄言は、国家への反逆だと言われています」

「違うわ、正当な主張よ」


 すっかり年を取った。互いに。

 あれから十一年になる。

 二人で魔境に行ってから。


 すっかり変わってしまった。ティシャの知るアンではない。

 魔物に憑りつかれて。



「ティシャは申しました。何年たっても姿を変えぬあれは人の子ではないと」

「私も言ったはずだわ。だから何なの、って」


 平行線。

 何度も話し合い、すれ違い、ぶつかり合った。

 ティシャが強く言えば言うほど、アンは頑なにそれを否定する。拒絶する。



「私たちの……女神の子マルセナは私の子よ」

「違います! あれはひい様を惑わす魔物です!」

「ティシャ‼」


 強く握りしめる。愛用の魔術杖を。

 かつてなら、その叱責に身を縮めただろう。

 けれど今は違う。今は真正面からそれを受け止める。そうでなければアンを救えない。



「お願いです、ひい様。聞き分けてください」

「何を聞き分けろと言うの? 私は間違っていないわ」

「間違っています。大旦那様……御父君は、ひい様の籍さえ消してしまわれました」


 アンの生家は、国の重役でもないのに、カナンラダ大陸では特に強い影響力を持っている。

 領主を上回るほど。

 その当主たるアンの父が、アンの戸籍を抹消してしまった。裏切り者として。



「それを受けてエトセンのヨラルド団長も、ヘズ……いえ、アトレ・ケノスも、ひい様に軍を差し向けているのです。わかって下さい」

「ヨラルドの小僧。私の前に顔も出せない小心者が、笑わせないでほしいわ」

「今なら間に合います。大旦那様に謝って籍を戻していただければ、ルラバダールといえども簡単にひい様に手出しは」

「それは私の生き方ではないわ、ティシャ」




 平行線。

 わかってはいたけれど、どこまで行っても。


「今さらお父様も許してはくれないでしょう。許してもらうつもりもない」


 きっぱりと断つ。

 最初から絶たれていたのかもしれない。



「よほど困るのでしょうね。富を得た支配者たちには気に食わないのだわ」


 嘲る。

 その富のおかえでティシャは生きる道を得たのに、それを与えてくれたアンは嗤う。




「清廊族は人間と変わらないのよ。奴隷などにしてはいけない、解放されるべきよ。私は間違っていない」


「ひい様が影陋族などに」

「清廊族よ、ティシャ」



 アンを惑わせた魔物。

 金髪の魔性の子。

 アンは狂ってしまった。あの魔物のせいで。



「彼らのことを知れば知るほど、あれだけ純粋な生き物なんていない。彼らを奴隷として踏み躙る人間こそ悪なのよ」

「ひい様がそう仰ったところで、何も変わりません」

「変えるのよ」

「変えられません」


 アン一人で何ができるのか。

 酔っているだけだ。

 たまたま拾った魔物の子に魅了され、その魔物を偉大な何かだと錯覚している。


 ロッザロンドの歴史にもある。

 港町の領主夫人が猫を愛しすぎて、猫を庇護する法を作らせ、町中が混乱に陥ったと。

 果ては猫の類の魔物まで傷つけることを禁じようとして国に処罰されたとか。



 アンがやっていることはもっと悪い。

 声高に影陋族の庇護を訴え、奴隷の恩恵を受けていない貧民を扇動した。


 反逆罪。

 上流階級や経済界は影陋族の奴隷の使役、奴隷の売買で富を築いている。

 貧しい人々を扇動しこれを覆そうとするアンの行いを見過ごせるわけもない。


 これでアンが大した力もない一個人だったのなら問題にはならなかった。

 そうではない。


 アンは英雄と呼ばれる冒険者で、エトセンの前騎士団長で、皮肉なことにミルガーハの直系。

 彼女が思っている以上に影響が強い。大きすぎる。



「私でなければ変えられない。私なら変えられるの、ティシャ」


 違う。

 全てわかっていてやっているのだ。アンは。自分という存在の影響力を利用して。


 下手をすれば、間違えれば本当に世界がひっくり返るかもしれない。アンは目的を果たしかねない力がある。

 それが何より救えない。



「出来ません……お願いです、ひい様。どうか……ティシャの願いを聞いて下さい」


 死なせたくない。

 たとえアンの思う通りでなくて、彼女にとっては泥水を啜るような生き様だとしても。


 ただ生きていてほしい。死んでほしくない。生きていてくれればそれでいい。



 ミルガーハ当主に頭を下げ、どこかに幽閉されるような余生でもいいじゃないか。

 ティシャも付き合う。大恩あるアンの余生に付き添えるのなら本望だ。


 子も既に独り立ちした。戦士としての才はなく騎士にはなれなかったが、エトセン近郊の村の警備兵長として。

 じきに孫まで産まれるというのだ。ティシャの幸せはもう十分。


 アンと、アンの生家に恩を返せるのなら、どれだけアンに恨まれてもいい。




「っ!?」」


 どれだけ恨まれても。

 どんな卑劣な手を使ってでも、アンを狂わせた魔物を駆除しよう。



 アンが背中に庇っていた小屋。

 エトセンとヘズの中間から北に、山脈に向かう途中に建てられていた。


 彼女が、魔物と共に暮らし、魔物に物語や言い伝えを話し聞かせた家。



 最初はわからなかった。ただの人の子だと思って育てた。

 途中で気付いたはず。人間ではないと。

 そこで捨ててくれればよかったのに。アンの行動は真逆で、間違った方向に。


 影陋族の生態、習慣を学び、影陋族を尊ぶような言動を始めた。


 悪魔の子だ。

 忌まわしい魔神の恩寵を受けた生き物。それがアンを狂わせた。



 なら、それがいなくなれば――



「ティシャ……まさかっ!?」


 小屋に駆けるアンの背中に、ティシャは頭を振って涙を流す。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい、と。


 そんなものがいるから狂ってしまうのだ。

 いなければいい。




 血塗れの小さな体を抱きしめて出てくるアンの姿に、もう一度謝る。


 言葉は出てこない。

 出来るわけもない。

 ティシャは間違っていない。アンが間違っていないと言うのなら、ティシャだって間違っていない。


「これで……もう、ひい様が――」


 無理を通す理由なんてない。

 全ての元凶であるそれが死ねば、もう争う理由なんてないのに。

 



「九天の環涯より――」

「ティシャ殿、下がって!」

「繚れ紅炎の蓮華」



 劫炎が、周囲を薙ぎ払った。

 左右に伏せていたエトセンの精鋭たちが、必死でそれを防ぐ。


 ティシャを庇った若騎士モデストが手にする武具。濡牙槍マウリスクレスが、炎の大蛇を打ち払う。


 打ち払った瞬間に、太いその刀身が鳴り響いた。

 ぐわんぐわんと、終わりの始まりを告げる角笛のように。



「大英雄――いや、対災厄級魔女戦! 心してかかれ!」

「こんな世界なんて、全て焼き尽くされればいいのよ!」




 ティシャには何も出来なかった。

 美しく恐ろしい炎の魔法を繰り出すアンと、それを殺そうと必死で戦う騎士たちとの戦い。

 ただ見ているしか出来なかった。



 最後はどうだったのか。

 焼け落ちる小屋の中、死んだ魔物の亡骸を抱きしめて共に灰となるアン。

 その炎がティシャの頬を照らすのを、ただ膝を着いて眺めていた。



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