第六幕 053話 翳る瞳
ガヌーザが凍り付いた。
澱んだ外套に包まれた気味の悪い呪術師。
子供のような夢を追う純粋な男。
戦う敵が清廊族だと知っていたのだと思う。
それに備えて待ち構えていた。鷹鴟梟と戦っていた清廊族もガヌーザが手配したのか。
鷹鴟梟を追うマルセナの視界に、軽く横に掲げた手はまるで別れの挨拶のように映った。
澱んだ男が真っ白く凍り付き、ぐしゃりと崩れた。
「ガヌーザが」
「イリア、杖を渡しては駄目です!」
直感だが、ガヌーザはあえて杖を示したように見えた。死ぬ直前に。
イリアとマルセナの位置は遠い。間近でガヌーザに死の魔法を唱えたダァバは近い。
このままでは間に合わない。
「だぁばサマ‼」
「ちょうどいい、パッシオ」
歩く。
一歩、二歩。
砕けたガヌーザの残骸から零れ落ちた杖に向かって。
「その馬鹿な女どもに試してみよう」
拾い上げようと、手を伸ばした。
マルセナの手はとても届かない。まして間には鷹鴟梟もいる。
「
後ろから聞こえた詠唱。
露の雫に映る上下あべこべな世界を紡いだ魔法。
ダァバが手にしようとしていたガヌーザの杖が、するりと消えた。
「これがあれば」
「そう何度も」
底冷えする声。
散々、草木も生えぬほど世界を冷たくしておきながら、尚も。
足元のガヌーザだった氷が、その周辺の地面ごと弾け散った。
鷹鴟梟でさえ反応が遅れるほどの速度でダァバが跳ぶ。
マルセナとイリアの横をすり抜け、その後ろで杖を掠め取った灰色の娘の目の前に。
「僕を出し抜けると思ったのか、トワ」
「っ!?」
杖を掴むダァバとトワ。
マルセナは振り返り、イリアは振り返らない。
「鳥は私が!」
「ええ!」
ダァバの動きに合わせ反転した鷹鴟梟に向かうイリア。
彼女の手は、背中にあったもう一本の柄を握り締めている。
「どケ!」
「魔物なんかに邪魔させない!」
「冒険者風情――」
イリアが抜いた剣を、鷹鴟梟は打ち払おうとしたのだろう。
刀身がない炎の短剣を。
「むおぁ!?」
「舐めてんのはあんたでしょうが!」
苦手だと言ってあまり使わなかった炎の短剣。
それがここで役に立った。
マルセナの背中で、炎に怯んだ鷹鴟梟にもう一本の短剣を突き刺し、ついで蹴り飛ばすイリア。
「魔物退治が仕事なのよ、こっちは!」
頼もしいイリアの活躍を背中に感じて、マルセナも負けてはいられない。
「離さないなら死ね、トワ」
「く」
ガヌーザの杖を片手で奪い取ろうとするダァバと、魔術杖を投げ出し両手でそれに抗う灰色の娘。トワ。
力が違いすぎる。が――
「っ!?」
弾けた。
トワの手から猛烈な空気が弾け飛ぶ。
杖を掴む直前に何かを握り込んで、ぼんっと膨れ上がった空気が両者の周囲の冷気ごと吹き飛ばした。
「なんだっ?」
「しまっ」
直前の異質な魔法が布石になっている。物を入れ替える特殊な魔法だった。
また妙な手管なのかと警戒したのだろう。
直前に戦っていたガヌーザも搦め手を得意としていた。
何かを耐えるように眉間の皺を深くしている表情。ガヌーザとの戦いのダメージも残っているのか、トワの手から溢れた突風にわずかに怯む。
弾けた空気に、互いの手が杖から離れた。取りこぼした。
すぐさま転がる杖を取りに行こうとするが、そうはさせない。
「始樹の底より――」
一番得意な魔法。
母から直に教わったこれは、単体相手なら他の魔法よりずっと使い勝手がいい。
「穿て灼熔の輝槍!」
「何度も邪魔するな!」
「くぁっ!?」
ダァバが空いた手を振り抜いた。
諦めず両手に包丁を構えたトワにその衝撃がぶつかって、弾き飛ばす。
「
直前の攻防が暴風だったからなのかもしれない。
咄嗟にダァバが紡いだ魔法は、凝縮された空気の塊。
ニアミカルム山脈の岩肌を貫く穴があると。前触れもなく地中から噴き出す風の
間欠泉に似ているとか。ただ、岩をも噛み砕く猛烈な圧を持つそれに巻き込まれれば命はない。
マルセナが放った灼熱の槍が、その中心にぶつかり散る。
散らした勢いのままマルセナを飲み込もうと――
「母様なら!」
災厄級――覇者級と同格と呼ばれた母なら。
負けない。母の魔法は絶対に負けない。
「はあぁっ!」
連打。
赤く燃える槍が、マルセナを咬み潰そうと迫る風の暴牙の中心を打つ。
ひとつ、ふたつみつ……九つで砕け散った。凶悪な顎が。
そして十。
砕けた顎の中心を貫き、憎々し気なダァバを打つ。
続けて魔法を唱えようとしたダァバだったが、その左腕に深々と刺さっているのは。包丁。
衝撃で薙ぎ払われたトワが、包丁を投げつけていた。
マルセナに魔法を放ったダァバの腕に。これだけの力がある割に肉体が柔らかいのは、それも濁塑滔の影響なのかもしれない。
「ええい!」
包丁を抜こうと――
違う。
口元がにやりと歪んだのをマルセナは見逃さなかった。
抜いたのは包丁ではなく、腕。
「!」
自分の腕を、まるで木の根でも抜くように抜いて、投げつけた。
最後の灼熔の輝槍に。
まるで。
そう、見たことがある。
黒涎山の洞窟で、濁塑滔がそうしたのを。
イリアが投げつけた神洙草に向けて、自分の体の一部を切り捨てて盾とした。
まるでそれと同じように、自分の腕を投げつける。槍を打ち払う為に。
それに続けて踏み出した。
必殺の魔法を放った後のマルセナ。勝ったと確信しただろうマルセナに、今度こそ必殺の魔法を返そうと。
ダァバは負けず嫌いなのだと思う。
魔法に拘らずマルセナを叩き潰した方が早かった。絶対に。
しかし魔法使いとして自分が上だと示す為に、敢えて魔法での決着に拘った。
誤算。
過去にマルセナが、濁塑滔のその行動を見ていたから。
有り得ない対応に硬直することはなかった。
それでも一手遅れる。
ダァバの魔法の方が早い。けれど――
「
マルセナの胸元に突き付けられる魔術杖。
こちらを片付けて、すぐさまガヌーザの杖を手に入れようという算段だろう。
「咲け! 忌禍の
まだ他に、誤算が、なければ。
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