第六幕 054話 色の無い世界



 死体が道を作る。

 順序が違う。道沿いに大量の死体が転がっているだけだ。

 エトセンからレカンの町に向かう街道沿いに人間の死体が。


 戦火を逃れようと、エトセンや周辺の町から東を目指したのだろう。

 大きな荷物を背負った者が目立つ。

 老若男女入り混じり、幼子もいれば母に抱えられた赤子も。



 以前のルゥナなら、この光景をなんとも思わなかったと思う。

 人間などただ憎い敵の死骸だと、踏みつけて進んだかもしれない。


 今は、ほんの少しだけ躊躇う気持ちがなくもない。

 相容れぬ敵であることに変わりはないが、憐れなものだと。

 命を奪う吹雪から我が子を庇おうと抱える母の死体など、踏みつけたいと思うわけがない。



 去年、アヴィと初めて人間の村を襲った頃は、心に何も余裕がなかった。

 清廊族より遥かに数多く、絶対的な脅威の対象。恐怖の対象。

 だから容赦なく殺した。殺さねば殺されると思ってただ殺した。


 怖かったのだ。恐ろしかったのだ。

 人間がいれば酷いことが繰り返される。もっと悪いことがあるかもしれないと。


 今は、力を手にして勝利の道が見えてきたから、違う見方も生まれる。

 なぜこんな結末しかなかったのか。

 言葉が通じる生き物なのに。



「ルゥナ」


 足元を気にするルゥナに気付いていたのだろう。

 子供の死体から目を逸らすことに、だったかもしれない。


「貴女が守りたいものを間違えないで」

「……はい」


 走りながら横目にルゥナの気持ちを察して、アヴィが釘を刺した。

 彼女は表情を浮かべない。

 目を逸らすこともしない。

 ただ骸の道を駆ける。



「……この手では、救えないものもある。全部は出来ない」


 母さんが言っていた。

 エトセンで最期に会えた時に、ちょうどこの方角を見ながら。



 ――もうひとつ、救ってやれればよかったが。全部は出来ないか。


 全てがうまく出来ないことを自嘲するように。

 あの言葉の真意はわからなかったけれど、今のルゥナも同じだ。


 人間の子を憐れんだところで何も出来ない。

 せめて苦しまぬよう殺してやるくらいしか。



 いずれこの死体もニアミカルムに帰る。

 エシュメノの言葉。


 魔物の子と同じだ。

 危険な魔物を駆除して、獣の子が残った時にどうするか。

 同情して逃がしたりすれば、獣はこちらの手管や臭いを覚えてさらに厄介な存在になってしまう。


 清廊族と人間は、もうそういう間柄にしかなり得ない。

 百五十年。

 ルゥナの感傷的な気持ち一つで変えられるほど軽くない。広く長く続き過ぎた。



「わかっています」

「なら、いい」


 人間との戦いは危険な外来の魔物の駆除と同じ。

 ためらいは、次の世代の清廊族を苦しめることになる。


 ずっと昔。狩りの際に、ルゥナは小さな獲物に止めを刺せなかったことが思い出された。あの時は付き添ったベィタが仕留めてくれたが、彼女も嬉々としてやったわけではないはず。

 誰かにやらせるのではない。ルゥナはもう幼子ではないのだから。



「さっきの子たちは……」


 心配すべき相手は違う。アヴィが呟く。

 人間の死体の群れに当たる前に見かけた同胞のことを。



「止血と簡単な手当はしました。後ろから長老たちも追ってきてくれるはずです」

「うん」


 清廊族の少女が数名、重傷を負って倒れていた。

 翔翼馬にしがみついた彼女らは鳥の魔物と戦ったと言う。

 詳しい事情まで確認できなかったが、パニケヤ達とは別口の援軍だったのか。どこから?


 深い傷を負いながらも鳥の魔物――鷹鴟梟おうしきょうパッシオと、それを使役する清廊族の男を追おうとしていた。

 それだけ聞き、手当てをして後を引き継いだ。


 ダァバが向かったのはこの方角で間違いない。人間の骸で葬列の道を作っていった。

 大した理由もなく、凶悪な吹雪で殺しながら。



 清廊族の裏切り者ダァバ。

 あれだけは、魔物駆除とは全く違う。

 憎悪と怨嗟を持って殺す。この世界から消し去らねばならない。


 しかし、どうすればいい。

 絶大な力を有し、精廊族なのに呪いの術まで使う異常者で、伝説の魔物まで従えていて。

 その上で口惜しいことに母さんの強みまで身につけた今のダァバを、どうしたら……

 ルゥナとメメトハが持つ魔術杖は有効だが、それだけで倒し切れるのか。



「ラッケルタが頼りですが……」


 氷雪に強い体の上、殴っても斬っても効果がない。

 火炎は有効なはずだが、ルゥナ達の仲間ではラッケルタ以上の手がない。


 後方。

 ラッケルタの速度は少し遅い。強く成長した今は馬が駆けるより速いが、アヴィやルゥナの足よりは遅い。

 ネネランと並走して頑張ってくれてはいるけれど、かなり後ろに置き去りになってしまっている。


 足は緩めていられない。

 トワが連れ去られていて、さらにダァバは自身を混じりものとして完成させる為にレカンの町に向かっている。

 無垢な、トワの弟妹の血を求めている。

 一刻の猶予もない。



「鷹鴟梟は、私たちでどうにかする」

「死なないで下さい、ニーレ」

「……ああ」


 ダァバに対する有効な攻撃手段が少ない。

 ルゥナ達が集中する為にも、鷹鴟梟パッシオは他の者で食い止めてもらわなければ。

 とはいえ、あまりに分が悪い勝負。


 伝説の魔物といえば、ソーシャや湖のレジッサ。

 今の全戦力でも、彼女らと正面から戦って勝利できるかと言われても自信がない。

 半分の戦力でそれに当たれと言わなければならないのだ。

 ダァバとてそれを見過ごすわけでもないだろう。伝説の魔物二体を同時に相手にするようなもの。



(不利な戦いは、最初からそうでしたね)


 勝てる見込みなどいつも見当たらなかった。

 アウロワルリスで敵軍に襲われた時も。

 サジュを失い、沼地と二正面になった時も。


 それでも戦い抜いてきた。

 運は味方もしてくれたし敵にもなった。けれど、とにかく戦い抜いてきた。

 今日この時、今一度。




「見えて……きた!」


 まだ秋のはずなのに、真冬の特に激しい嵐のような白い輝きに覆われた町。

 レカン。


 黒涎山に向かう前、ルゥナもこの辺りから見た記憶がある。今とはまるで違うそこを。


 あの時は、憎んでも憎み切れない勇者シフィークがルゥナの前を歩いていた。

 その横にマルセナがいて、少し遅れてラザムとイリアが。

 今は愛するアヴィがルゥナの前を駆ける。



「あそこ!」

「何か……戦って、る?」



 町の手前。

 いや、あれは既に町の敷地内か。

 無思慮に振り撒いたのだろうダァバの凍嵐で視界が悪い。砕け散った城門の残骸のせいもあってよくわからなかった。


 大気がひどく不安定。

 この辺り一帯の天候を歪めて、冷たい氷雨と雪の粒が入り混じっていた。

 町だけでなく、この周辺一帯に影響が。

 信じがたい力だ。ダァバ生来のものもあれば、濁塑滔から得た力もあるのだろう。


 歪む。

 戦っている辺りの空間に歪みが。

 ルゥナの記憶にある。あればトワの使う魔法の歪み。


 続けて、氷雨の中を切り裂くような赤熱した槍が撃ち出された。

 何度も、何度も。何かにぶつかるたびに辺りに輝きを散らして。

 強烈な炎の魔法。人間の魔法使いがダァバと?




「邪魔なのよ! あんた‼」


 強く輝く魔法に目を奪われ、気づくのが遅れた。

 魔法を打ち合う場所よりやや手前で、鷹鴟梟が蹴り飛ばされた。



「イリア――?」


 鮮烈な印象の赤毛。

 優秀な冒険者だった彼女が、まさか鷹鴟梟とここで渡り合っているとは。


「コの程度でェ!」

「通れ! 皎冽!」

「っ!?」


 ニーレの矢が、イリアに蹴り飛ばされた鷹鴟梟の翼を突き抜け、いくらか羽を散らす。


「ナ――」

「あんたたち……っ」


 イリアの方も遅れて気づく。鷹鴟梟と戦っていて彼女も周りが見えていなかった。


「エシュメノが!」

「私も!」


 エシュメノとアヴィが飛びかかる。

 態勢を崩した鷹鴟梟に。

 経緯はまるでわからないけれど、今はイリアを利用してでも鷹鴟梟を━━




「――任せたわ、清廊族・・・



 今度はこちらが驚かされた。

 イリアの口から発せられたのは、まるで友に背中でも預けるような言葉で。


 ルゥナが疑う間もなく、イリアは背を向けた。

 無防備な背中をルゥナ達に晒して、魔法がぶつかり合う方向に。




苧環おだまき臍芯せいしんより――」



 ダァバの口から漏れる忌まわしい魔法。

 セサーカが使ったのをルゥナは後で叱責した。

 忌み花の魔法。清廊族として、こんな物語を紡ぐべきではないと。


 ダァバならもちろん躊躇などしないだろう。

 禁忌だろうが卑劣な手段だろうが、あの男には関係ない。


 マルセナに向けた魔術杖。

 その直前の攻防で強く力を込めた魔法を放ったマルセナは、躱せない。



 突き付けられた魔術杖に対して、マルセナは絶望の顔を――していなかった。

 ひどく冷静に。あるいは勇者シフィークを罠に嵌めた時の瞳と似ているようにも感じたけれど。



「咲け、忌禍きか氷花ひいか!」



 マルセナを討つ忌まわしい氷花の魔法。

 それを受け止める中で、けれど絶望した色はなく。



「マルセナぁ‼」



 抱きしめた。

 マルセナの小さな身を、鷹鴟梟との攻防から離れたイリアの体が。

 本来ならマルセナを庇っている余裕などなかったはずなのに。


「え――」



 イリアの背中に、ダァバの魔法が花を咲かせる。

 命を奪う氷の花を。


「どう、し……て」

「あ……」



 色が、染まった。


 マルセナの顔を染めた。

 色の無い、絶望の色が染め上げる。

 世界を。



「ああ、また邪魔が入――?」


 イリアに死の魔法を放った後、マルセナの反撃から身を引いたダァバでさえ言葉を失う。



「色無き真なる清廊より、終の帷を――」



 ルゥナが見ている前でマルセナの唇が紡いだ物語は、



  ※   ※   ※ 

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