第六幕 052話 気まぐれな女と一途な男_2
極みとはこういうものなのだろう。
ガヌーザは一つ充足を知った。
ダァバは不世出の魔法使いだ。歴史上、これより上は存在しない。
世界の果てを知る者。ガヌーザの望むものとは違っても、極みを知る者を知ることにある種の楽しさを覚える。
武の道を進む人間が、武の極みの技を見て心を震わせるように。
ガヌーザもまた、ダァバの容赦のない魔法を目にして似た感動を覚えた。
炎の魔法であればマルセナのそれも美しい。
敵味方の立場は違っても、ただ優れた技を見て喜びを感じる。
呪術の道では他の誰も見せてくれないもの。世界の果て。
「なんで生きてる?」
ダァバが顔を
人間なら確実に凍え死んでいるはずの氷雪の中で笑うガヌーザに。
「師が言われた、ゆえ」
「?」
「にひゃく、ねんを生きる、と」
記憶にあった。
ダァバの知識がどこから来るのかという質問に対して、戯れのように答えていたことを。
「なれば人、ではなし……人でなくば、氷の魔法がある、かと」
「それで備えていたっていうのか。全く」
呪術の薬で、極寒に耐え体を温めるものがある。
トゴールトに遠征した際のエトセン騎士団も使っていた。
飲むことと合わせて首や脇に塗り込むことで体温を維持してくれる薬。
二百年を生きる人間などいない。清廊族なら有り得る。
ダァバが清廊族ならば氷雪の魔法を使うかもしれない。
尋常なものではあるまい。瞬く間に凍死する天災のような魔法だろう。
呪術の技であれば、ガヌーザは誰より卓絶している。
それを用いて備えただけのこと。
「真なる呪術の扉を開くは愛なくばならぬ」
すらりと、口にして。
「ひゃ、ひゃ」
おかしかった。
考えてみるまでもなく、最初からおかしかったのだ。
ダァバが呪術の扉を開いたのはなぜなのか。
「女神……姉神は清廊族で、あり」
「ああ」
「清廊族……憐れでか弱きそれへの愛、に、気づいたものだけ……が、呪術師となり」
呪術の素質。
女神を愛し慕うことで呪術の素養が芽生えると言うが、それだけなら多くの人間が有することになる。
けれど実際に呪術を扱える人間は多くない。
人間以外を愛する性質。
一部、獣を愛欲の対象とする者がいるように。
自覚のあるなしは関係なくそこが始点。
呪術見習いとなり、道を進むうちに気付く者がいる。
女神は清廊族なのだと。
カナンラダ大陸発見前から神話で伝わっていた。清廊族という種族の名は。
清廊族の実在を知る以前に呪術師として開眼した者は、本当に希少な存在だったのだろう。
あるいは妄想の中の存在にしか愛を抱けないような種類の奇人だったか。
ガヌーザが、夢想と思える花園の世界を夢見たように。
人間でありながら、人間ではない清廊族への愛を持つ者。
情愛、性愛、友愛、偏愛、妄愛。なんでも構わない。
それこそが呪いの道になる。
だとしても、ダァバが誰かに愛など抱くだろうか?
己以外に興味のないこの男が?
なんのことはない。
自己愛だ。ダァバは自分以外の何も愛してなどいない。それがたまたま清廊族というだけ。
長寿な種族特性については、実際に愛を感じていたのかもしれない。
わからないのは、ダァバは清廊族のはずなのにその魂は人間と見做されていること。だから制限はあっても呪術を使える。
清廊族から離反したようでもあるから、その辺りが理由なのか。それはガヌーザにもわからない。
「話していても仕方がない。素直に僕にその杖を渡さないのなら」
「なら、ば……?」
今さら何を。
この杖が必要だと言うのなら、必死で守ってみせよう。
ガヌーザがそうすればするだけ欲するのだろうから。
翳る瞳孔。ププラルーガ。
ダァバは言っていた。見たくないものを見せると。
ガヌーザは、見ることができた。見たいものを。
見たかった世界を。
マルセナの存在が見せてくれた。ガヌーザの望んだ世界。
どうやらそれは届かないようだが、しかし。
もうひとつ、その世界に届く道筋があるらしい。ガヌーザには見えていた。
「花だけ、でよい……花が花を産む、世界に……」
花を摘み、貪るものなどいらない。
ガヌーザが望んだのは、ただ美しい花たちが美しく咲くだけの花園。
そんな世界は有り得ないと諦め、枯れて、しかし今はその為に力を尽くす。
「師よ……必要ないの、だ……この世界にぬし、は」
「僕がこの世界の主だ。僕が決めることだ」
ぎろりと、濁った赤目がガヌーザを捕らえた。
頬がひくついている。よほど癇に障ったらしい。
「ひゃ」
それでいい。
出来るだけ強く濁るといい。都合がいい。
ダァバの杖が激烈な怒気と共にガヌーザに向けられた。
「至天の究み、命花の封疆を破れ、色無しの死令」
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