第六幕 051話 気まぐれな女と一途な男_1



愁優しゅうゆう高空たかそらより、木漏れよ指窓ゆびまど窈窕ようちょう


 マルセナの謡う声が温かくイリアを包む。

 やわらかく、優しい。



「マルセナ、寒くない?」

「これでしばらくは持つでしょうが、イリア」


 案じたイリアに対して少しズレた返事をしたのは緊張しているからか。

 視線を外したままのマルセナの表情は硬い。


 輝く息吹のような吹雪。飲まれればあっという間に命を失いかねない。

 そんな中に向かっていかなければならないのだから。



「わたくしのことは心配いりません。あの男を何としても仕留めます」

「うん」


 頷いてはみるが、心配するななど無理な話。

 ダァバという男がどれほど危険なのかは身に染みている。ここで仕留めなければならないこともわかる。



「この様子だと、よほどガヌーザに手を焼いているのでしょう」

「みたいね」


 レカン西門の戦いの気配と、見境の無い範囲攻撃。

 正面切っての力比べならイリアはガヌーザに負けないつもりだが、そもそもガヌーザはそういうタイプではない。

 様々な手管で相手を引っ掻き回す。


 元の実力もさることながら、あの呪術師を相手にするのはさぞ苛立つだろう。

 腹立ちまぎれにとにかく全部を氷漬けにしようとした。まんまと術中に嵌まっているのではないか。




「……」

「放っておいてかまいません。あれ清廊族、この寒さでも簡単には死なないでしょう」


 イリア達を追って屋根を駆けてきた灰色の娘に、マルセナは首を振った。

 あの娘もダァバとは対立しているようだ。今は相手にしている場合ではない。



「いきま――」

「マルセナ!」


 進もうとした瞬間に、猛圧を感じた。

 凍り付いた西門が迫ってくるような。



「っ!」


 砕け散る。

 凄まじい速度で巨石でもぶつかったのかという破壊力。

 凍り付いた西門が砕け散り、降り注ぐ氷や岩の破片からマルセナを守った。


「はあぁぁ!」


 弾き返す。

 西門に近すぎて避けていられない。マルセナを背中に庇ってぶつかる破片を短剣と拳で打ち払った。



「ぐうぅ!」

「しネえィ!」


 降り注ぐ瓦礫の中、猛禽の爪を剣で受け止める男が吹っ飛んできた。

 鷹鴟梟と、清廊族の奴隷の男。壮年から初老の。

 受け止めきれない爪を肩に食い込ませながら、右手を振り上げるのが見えた。


 さらに食い込む爪。

 それと刺し違えるように、振り上げた右掌底を鷹鴟梟の横頭に叩きつけた。



「ブえ、あアぁなめルなアァァ!」

「が、はっ」


 深く、爪が突き刺さった。

 命に届くだけの深さ。しかし――



「――っ!」


 名前など知らないが、男が鷹鴟梟に一撃を食らわせた。

 それを殺そうと意識が向いている今ならば。


 イリアの一閃。

 エトセンで拾った短剣。クロエの命を奪った短剣が、届かない。


 横頭を殴られた衝撃からか、あるいは一度離れて止めを刺し直そうということだったのか。

 壮年の清廊族を離したことが鷹鴟梟にとっては幸い。イリアにとっては痛恨。



「貴様ラ!」

「勘のいい!」


 どさりと男を投げ出して空に逃れる鷹鴟梟に舌打ちするが。


「極光の斑列より、鳴れ星振の響叉」


 ふらついた。

 左頭を強く殴られた直後、イリアの斬撃を避け飛んだところで別の衝撃を受けてわずかにバランスを崩した。

 イリアとマルセナの存在に気を取られた次の瞬間に、凍てつく空気が爆ぜるように震えて鷹鴟梟を打つ。



 灰色の娘。協力を約束したわけではないが、いいタイミングだ。

 鷹鴟梟と戦っていた男はかなりの深手だがまだ命はある。


「チぃ! おまえラなど、に」


 左頭から黒く濁った何かが少しだけ垂れていた。

 頭を振り、忌々し気に見下ろしてから背を向けて飛び去る。


 この清廊族の男を片付け、ダァバを支援するつもりだったのだろう。

 憤りに任せてイリア達に構っているより、主であるダァバの安全を優先しなければと判断したのか。



「逃がさない!」


 ダメージを負わせたのなら、今が攻め時。

 伝説の魔物相手にそうそう好機など訪れない。態勢を整え直す時間など与えない。

 それでなくとも、イリアもガヌーザと合流するつもりだったのだから、即座に追う。



血道ちみち疵口しこうに、ふる偲悶しもん痍莎いさ

「愁優の高空より、木漏れよ指窓の窈窕」



 意外。

 というか、意表を突かれた。


 マルセナと、灰色の娘。

 深い傷を負った男に、ほとんど同時に治癒の――たぶん治癒の魔法を紡いで。



「……」


 灰色の娘は呻く男には一瞥もしない。

 ただマルセナとは一瞬だけ視線を交わして、すぐに駆け出した。


 イリアにはわからないが、なんだか嫌な感じだ。マルセナがイリアとは別の誰かと心を通わせたようで。



「マルセナ?」

「ただの、気まぐれですわ」


 ただの?

 今まで、ただの一度だって、そんな風に見知らぬ誰かに優しさを分け与えたりしただろうか。



「……」


 こんな時なのに、イリアの知らないマルセナの姿が、やけにイリアを不安にさせる。


 だから。

 だったら、猶更。

 マルセナのことをしっかり掴まえておかなければ。イリアに出来るのはそれだけなのだから。



  ※   ※   ※ 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る