第六幕 048話 恥じる男、恥ずべき男_2



 泣く女を抱いたことがあるか。

 見世物にされ、嘆き悲しむ女を抱いたことがあるか。


 ヤヤニルはある。

 幾度も、幾度も。覚えていられぬほど。忘れることさえ許されぬほど。



 氷巫女パニケヤの子として産まれた。

 メディザという双子の妹と共に。


 パニケヤやカチナは隠していたが、嫌でも耳に入ってくることもある。

 清廊族の裏切り者ダァバ。母たちに陰惨な傷痕を残していった最悪な男。

 陰口というまでではないが、可能性として、あるいは憐憫も交えて耳に入る。ダァバの子ではないか、と。


 ヤヤニルがまだ幼い頃に、南部で人間の侵略が始まり、瞬く間に戦禍を広げていった。

 南部、西部から逃れてきた清廊族の嘆き。

 それらを聞き、自分の手で救わなければ戦場に立つことを決意した。

 忌まわしい血の宿業を振り切る為に。



 妹にはクジャに残り母を助けるよう伝え、まだ少年と呼ばれる年齢で戦いに臨む。

 幸いにして生まれながらに優秀な戦士の資質があった。

 氷乙女までではないが、それに次ぐ程度には。




 気持ちばかりが逸り過ぎたのだろう。

 敵中に取り残された仲間を助け、孤立した。

 逃げ道を失い人間の勢力下に。


 怪我をして森に潜んでいたところを、冒険者に捕らえられた。

 冒険者が連れていた清廊族の戦士に捕らえられた。



 当時は恨んだものだ。

 なぜ同族が、と。


 自分も隷従の呪いを受けて思い知る。

 逆らうことが許されない力。唾棄すべき人間の吐き気を催すような命令に従わされる屈辱を。


 死だ。

 死ぬに等しい。

 いや、死ぬよりまだ悪い。言い表す言葉が見つからない。



 清廊族を蔑む言葉を吐けと強要された。

 寝台で、まだ年若かったヤヤニルに淫奔を強いた人間の女に。


 その女を愛し慕う言葉を吐けと。

 清廊族をなじり、裏切れと。


 ――命令には逆らえなかった。


 心を引き裂かれた。

 なぜ自分はこんなことをさせられているのか。



 その後、どういう経緯かだったかもう忘れたが、牧場に売られた。

 珍しい見た目のヤヤニル。


 やはり人間の女にも求められることもあった。

 子を成すわけでもない。ただ少し珍しい遊び道具として。


 繁殖の為にと、囚われの清廊族の女と……何一つ心も交えないまま、互いに嘆きと汚辱の中で。

 あろうことか、それさえ見世物として楽しむのだ。人間どもは。


 死にたかった。

 早く死にたいと願っていた。ずっと。


 母や、クジャの皆に合わせる顔がない。

 生まれ、売られていく子たちに、詫びる言葉も残されていない。ただ死を待つ肉の塊。



 よもや再び剣を握り戦える日が来るとは夢にも思わなかった・・・・・・・・・

 その場を用意してくれたのが、忌まわしい呪術師だということも。


 ヤヤニルの子や、他の囚われの清廊族。

 それらを襲う者が来るだろうと言われて、戦うかと問われた。

 否やはない。



 何ということなのだろうか。

 その敵が、ダァバ。

 凄まじい氷雪魔法を使う年老いた男の清廊族。魔物を従えて。


 事情など何もわからない。

 目の前に現れたそれがダァバと呼ばれた。


 こちらは何度も夢に見た。何度となく夢に見た。

 清廊族を踏み躙り、真なる清廊の魔法を破った裏切り者。生きているのならこの手で殺してやりたいと。




「は!」

「ムウウ!」


 どこにこんな力が眠っていたのか。

 剣などずっと握っていなかった。奴隷に武器など持たせるわけもない。

 けれど今は、最前線で戦っていた頃と同等以上に体が動く。


 この時だけは呪術師に感謝をしなければならない。死力を振り絞り戦えと命じた言葉は確かにヤヤニルの体を動かしてくれた。

 ダァバと戦い死ぬのなら、後悔しかないこの生の果てとすれば何よりの花道。


 そのダァバを斬りたくとも、守る魔物がそれを許すまい。

 忌まわしい呪術師がダァバと師弟だったと言うのなら、何かしら策があるとも考えられる。逸る気持ちを抑えダァバを呪術師に任せ、まず邪魔な魔物から片付ける。




「ふっ!」

「ナメるナァ!」


 魔物のくせに、話す言葉は随分と男くさい。

 本来ならヤヤニルよりずっと格上のはず。これはもしや鷹鴟梟か。

 幼い頃、ニアミカルムの空を飛ぶ姿を見たものと似ている。一緒にいた次期長老のボパンに教えてもらった。


 当時のヤヤニルの瞳には勇壮な姿と映ったが、今見ればなんと矮小な。

 ダァバに従わされ、魔物としての本分を失ったか。

 斬ってやるのも手向けだろう。



「くっ」

「チィィ!」


 ゼッテスの屋敷にあった中では特に高価な宝剣。使いもしないのに集めてしまうのは人間の悪癖のらしいが、今はヤヤニルの役に立つ。

 鷹鴟梟の鋼のような羽にも折れないが、鷹鴟梟が速すぎて刃が弾かれて通らない。



「きさまナドにィ‼」


 速い。

 生き物としての造りが違いすぎる。

 最初は不意打ちで驚かせたが、二合、三合と交わせば慣れる。


 慣れた。

 呼吸を掴まれた。


 鷹鴟梟が本来の魔物として戦ったのなら違っただろうに。

 妙なところが、人間や清廊族の戦士に近いから。

 呼吸に慣れたのはヤヤニルも同じ。



「――っ‼」


 見えた。

 その軌道が描く未来がヤヤニルの目に。



「グ」


 すれ違いざまにヤヤニルの肩を切り裂きながら、しかしその片翼の端に刃が通った。

 傷口から赤い血と散った羽が舞う。



「お、ノ、れェぇエ!」



 激怒した。

 激震した。

 ぐるりと旋回したかと思えば、旋風と共に土を巻き上げながらヤヤニルに突進する。


 形振り構わない暴風の塊。重さすら伴う空気の猛圧。

 凍り付いたレカンの町の西門ごと打ち砕く力が叩きつけられた。



  ※   ※   ※ 

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