第六幕 047話 恥じる男、恥ずべき男_1



 レカンの町にも兵士はいた。

 常ならば三千の兵が。


 今年の春先、東のトゴールトから押し寄せた魔物との戦いで犠牲が出た。

 戦死者の数はそこまで多くはなかったが、ここ数十年では一番多い。逃げ出すように軍を抜ける者も続く。


 夏の終わりに、菫獅子騎士団が現れた。


 エトセン公に叛意ありと。レカンの町を治める長程度では本国正騎士団であり大貴族ラドバーグ侯爵に物を言うことも難しい。

 食料など必需品の輸送に兵を取られてしまう。


 近隣の村々にも声をかけ、冒険者なども集めてエトセンに向かった。

 勝ち馬に乗る冒険者も少なくない。荒事に慣れた数百以上の人間が抜けて、この町を守る戦力は激減。



 常ならば、問題なかった。

 東のトゴールトは壊滅し、レカンの町を襲うような勢力もない。

 町の治安の悪化は心配だが、この一年足らずの間の情勢で既にだいぶ不安定になっていて、今さら。


 ここに至り一番問題を起こしそうな冒険者連中の大半はエトセンに向かったので、この上で多少のことなら起きても仕方がない。割り切ろうと。

 割り切れない事態があるなど、誰も考えなかった。


 子供が根拠もなく、山から恐ろしい魔物が襲ってきたらなどと言うことはあっても、そんな事件は百年ほど前に一度あったきり。

 いや、灼爛のことが今年あったのだから、百年間で二度だ。そうそう続くはずもない。


 だが、漠然とした不安は広がっていた。

 一度あったのなら、またあるのではないか。



 町に災厄が落ちてきた。

 小雨の空から落ちてきたそれは、町の西門近くの建物を薙ぎ倒して燃え上がった。


 降っていた雨のおかげで火の手は広がらない。

 それにしても爆音と共に炎が上がれば、当然混乱は招く。

 また灼爛のような魔物が襲って来たのかと、想像以上の混乱が。


 とにかく西から離れようと駆け出す住民。

 兵士たちはそうもいかない。何が起きているのか確認しなければ。


 西門の警備兵は何をやっているのか。人数は足りていないが、一人二人ではない。

 問題が発生したのなら報告に走る役割もいるはず。なのに連絡を寄越す様子もない。



 レカンの西門から大通りに雪崩のように流れ込んでくるのは、住民だけではなくなっていた。

 難民。エトセンやその近郊から逃げてきた余所者。

 入り混じり、町の奥に逃げ込もうと。


 西門に向かおうとしていた兵士たちにも見えてくる。

 秋の小雨のはずが、西門側だけ真冬の嵐のように吹き荒れていた。



 去年の噂話。

 影陋族の女が開拓村を襲い、そこの住民を皆殺しにしたとか。


 今年に入ってからの噂話。

 影陋族が大規模な反攻作戦でイスフィロセとアトレ・ケノスを壊滅させたとか。



 下らない出まかせ。不安からくる妄想をくっつけた取るに足らないただの噂。

 そんな与太話ではなかった。

 西門に迫る季節外れの凍嵐は、明らかな影陋族の攻撃ではないか。


 遠目にもわかるほどの猛威。

 白い殺意。

 長くこのカナンラダ大陸で辛酸をなめてきた影陋族が、本気で攻めてきた。



 一般人は影陋族の魔法などみたことがない。氷雪に強いとは聞いていても。

 厳しすぎる冬の嵐に当たると、種族の特性になぞらえて言うのだ。


 影陋族の恨みが、人々にカナンラダから出て行けと吹雪を吹かせている。などと。


 まさしくそれ。

 レカンの町の西門から広がる凄まじいまでの冷気。

 比喩ではなく空気が凍る。

 近付くだけで肌が裂けるように痛んだ。



「なん、だ……」


 明るい。

 曇天から漏れるわずかな灯りが、西門に照り返されて。


 エトセンほどではないにしても、それなりの大きさのレカンの西正門。

 ただの石造りのはずの城門が輝きを放つように明るく見えた。

 日が沈むこの時に、逆から昇る日の出のごとき凶兆。


 レカンの西門は巨大な氷塊に代わっていた。

 西門の守備兵はその氷の中に閉ざされたのだろう。連絡も応戦も出来るはずがない。


 空から落ちてきた爆炎に続けて町に訪れた異様な事態。気味が悪いほど透き通った氷が、前触れもなくはじけ飛んだ。

 粉々に砕け散った。



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