第六幕 045話 雨の交差点
追ってくる鷹鴟梟の気配は感じなかった。
イリアが感じ取れる距離なら、相手にも当然感知されてしまう。
影陋族……いや、もうやめよう。清廊族の女たちの助けのお陰でマルセナと共に逃げ込めた。
城門に向かう必要はない。ディニの翼で城壁を飛び越えた。
エトセンほど高い壁でもない。水源を兼ねている堀もまとめて越える。
「は、あ……っ」
「ごめん、マルセナ」
全力疾走だった。
裸馬にマルセナと共に跨った。不安定な状態で、ディニが飛びやすいよう身を小さくしての全力疾走。
ただ走るよりもずっと疲れた。息も上がる。
「いえ……だい、じょうぶ……です」
「……まだ追ってきてない。一度休もう」
建物の壁を背に、マルセナと並びへたり込む。
ディニもまた、翼を休めて身を隠すように。
相変わらずの小雨。通りの人通りは少なく、町外れの路地裏など誰もいない。
「ガヌーザを……」
「うん……休んでから」
この町にいるはず。
イリアはあれを好きではないが、味方とすれば心強い。
探さなければならないが、すぐに動くには息が乱れてしまっている。
イリア達より後ろを、空を行く塊が追ってきていた。
鷹鴟梟と清廊族の男は、あれに乗っていたようだ。まだ他にも誰かいたのだろうが。
イリアは見たことのない乗り物。空飛ぶ船、なのか。
「何者だろう」
唐突過ぎて考えていられなかったが、思い返して不思議に思う。
マルセナを凌ぐ魔法使い。
西部戦線に、清廊族の守護者などと言われる女戦士がいると聞いたことはあった。
氷乙女と呼ばれるとか。
若い女だと聞いている。清廊族の英雄級の戦士は女ばかりだという話も。
魔神が、男に力を持たせることを嫌ったとか。
伝説に理由などあるのか知らないが、噂を聞く限り本当に清廊族を率いる戦士は女らしい。
女の、並外れて強い清廊族。
記憶がある。トゴールトに行く前にマルセナと渡り合った女。
あれは確かに勇者級、英雄級の使い手のようだった。
しかし今回の相手は男だ。
人間でもあり得ないような力を持つ清廊族の男。
伝説の魔物まで従えて。
菫獅子騎士団の幹部も強敵ではあったが、混迷する戦況がイリア達を助けてくれた。
逆に、この敵にはイリア達が翻弄された。
余裕をみせて鷹鴟梟に手を出させなかった上でこの有様では、正面から戦っても勝ち筋が見えない。
「あいつの氷の魔法はやばい。あんなの見たことない」
「わたくしは……」
さっきはマルセナの魔法で吹き飛ばしたけれど、凍った樹木があっという間に崩れ落ちるような冷気。
人間でも一瞬で命を失う。
「わたくしなら……」
「ん?」
「……いえ」
隣に座っていたマルセナが何度か言い淀むのを聞き、顔色を窺う。
いつも通り可愛い。ただ疲れているのか、少し寂しそうな笑みを返した。
「いえ……わたくしなら、あれを焼き払えますわ」
「そうね」
先ほどもマルセナの魔法で打ち払った。
無敵の力ではない。強力ではあっても、あくまで氷雪系の魔法。清廊族が得意とする。
マルセナの炎は十分に通じていた。あの男に直撃させられれば倒せるはず。
「……疲れてる?」
「そこそこに、ですわね」
一刻以上ディニの背中にしがみついて飛び続けたのだから、そういう疲れは当然ある。
それでも腰を下ろし息を整えれば、それなりに体力は戻ってくる。
魔法を使いすぎた後よりはマシ。イリアとしても、戦闘していた時間は長くなかったので、体力の回復も早い。
「疲れたと、言ってもいられないでしょう」
「だ、ね」
立ち上がるついでにマルセナを抱き寄せた。
頬を寄せ、雨に濡れた肌を合わせる。
あんなのに追われるなんて、マルセナが何をしたと言うのか。
それは確かに、やってきた所業を考えたら……決して清廉潔白とは程遠い。非道なこともしてきたけれど。
トゴールトの住人を虐殺した。
港町マステスでも。
エトセンを相手にした時は戦争だったにしても、違うこともある。戦いに無縁な者も殺した。
なぜ?
マルセナの復讐心。それはきっとエトセンに対してだけでなく、他の人間に対しても。
一番の仇がエトセン騎士団だっただけで、マルセナは人間全体が嫌いだったのだと思う。
イリアのことは別。
クロエやノエミにしても、マルセナに優しい相手には慈愛を見せる。
そうでない人間全体のことは嫌い。エトセン騎士団ほどではないが、嫌い。
その辺りもマルセナの過去に起因するのだろうが。
聞けない。
マルセナから話してくれるまで、イリアから問い質すことはない。
「……連中の気配ですわ」
「うん」
城壁を飛び越え町に入ったものの、まだ町の隅。
外から異様な気配が近づいてくるのを感じた。
風に乗って微かに聞こえる泣き声は、エトセンからの難民だろう。
ただの難民でも関係ない。道の邪魔ならば殺す。
飢えた魔物より性質が悪い。飢えているだけなら食べる分しか殺さないのに。
たまたまそこにいて、進む邪魔だから殺す。
あるいはただの手慰み。遊び半分。
恨み憎しみで殺すよりも非道な行い。
「マルセナ、伏せて」
「ん」
さらに近付く重い気配に、マルセナを抱えて身を小さくした。
――ガァァァァッ!
轟音と地響きがレカンの町を震わせた。
飛行船が町に落ちる。
鷹鴟梟らの攻撃を受けてなのか、そうではないのか。
建物を何十も薙ぎ倒し、爆炎を上げながら。
「ぎゃああぁ!」
「な、なんだよこりゃあ!?」
「この町は安全だって……」
町の者からすれば、エトセンで起きている戦争が飛び火したように映ったのかもしれない。
あるいは、春に
とにかく理解できない。突然、空から降ってきた災厄。
それ以上の悪いものが、すぐ城壁の外まで迫ってきているのだが。
目の前のことにしか気づかない。無理もないことだけれど。
「……イリア」
「わかってる」
気づかないだろう。普通の人間なら。
その飛行船が建物にぶつかる直前、ふわりと落ちてきた小柄な影のことなど。
イリア達のいる場所から少し離れた屋根に降り立った。
灰銀色の髪の小柄な少女。
絶世の、と言ってもいい美しさ。
雨粒の温度が急に下がったように感じるほど。
「あれは」
屋根の上の少女が、ちらりと一瞥した。
イリアとマルセナを。向こうもこちらに気が付いている。
「……不快ですけど、協力できるのかもしれません」
彼女が先ほど鷹鴟梟を攻撃したのか。
空飛ぶ船から。
しかしそれは、決してイリア達を助けようとしたわけではない。そうではなくて。
「ダァバとパッシオを出し抜きたい私と、追われている貴女達」
少女の方から、すぅと、指を向けた。
降り立った屋根の上から、まるで救いの手を差し伸べるように。
「協力、しましょうか」
「……」
その手は、繋いでいいのだろうか。
雨の雫が指先から落ちる。
銀糸のような髪の先からも。
イリアにはわからない。この娘は清廊族のはずで、でも清廊族はさっきイリア達を助けてくれて。
迷うイリアの隣でマルセナは、雨の中瞬きすらせずに少女を見上げていた。
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