第六幕 038話 天嶮より降る希望_1
人間もただ死んだ者ばかりではない。
信じがたい巨躯の見たこともない化け物に対して、それでも精一杯の抵抗をした兵士もいる。
結局は死んだのだが。
化け物の体のあちこちに投擲された槍が突き刺さったまま。矢や剣も見える。
無数、百を数えるほど。
化け物から伸びた千の手足は、熟練の強戦士を上回るほどの速さで動いていた。
それを突き破るだけの力と統率力。
人間どもの軍隊はそれだけの戦力だったのか。相手が悪かっただけで。
化け物。
長く生きてきたパニケヤも他に表現しにくい。
黒く濁った泥の塊に人間の顔が浮かび、手足やよくわからないものが突き出し、蠢いている。
手足は素肌のままの色。だから余計に気味が悪い。
人間の中にも強力な魔法使いがいた。
左腹……と言っていいのか、その辺りが大きく抉れているのは炎の魔法で焼き貫かれたから。
それでも死なない化け物から伸びた腕が、返礼のように魔法使いの腹を貫き、そして食らった。
「……あれを、本当に?」
「皆を後ろに。多く集まっている所に向かってきます」
カチナとリィラが、残っている清廊族をパニケヤの後ろの木々の中へと誘導した。
直線的に来てもらう方が助かる。知能はほとんどない様子。
「ボクはぁ?」
「すみませんが、私の前であれを防いでください」
「無理だってば大長老」
人間を追うのをやめ、こちらに動き出した巨大な塊。
クジャの城壁のような高さで、厚みはそれよりずっとある。止められる重さではない。
「大雪崩を止めろって言ってるみたいなもんだよ。それにあいつ、手もあるんだから」
「あの巨体は構いません。伸びてくる手だけ、貴女の盾と鎌で防いでくれれば結構です」
パニケヤだってわかっている。いくらオルガーラでも出来ないこともある。
出来ないことをさせるつもりはない。
「清廊族の守り手、絶防のオルガーラ。貴女なら、出来るでしょう」
「……ま、手だけだったら少しは出来ると思うけど」
「私たちも手伝います」
カチナを筆頭に、いくらか戦士たちが共に立った。
少し年齢は高いが、確かな技量の者たちだ。
「腕一本ずつ。それくらいは私たちでも」
「ボクが正面に立ってあげるから、横は任せるね」
オルガーラがやけに子供っぽい。昔からそんな性格ではあるが、以前にも増して。
しかし、清廊族を守るという意思に関してだけは異常な執着を見せる。それも昔から。
その性格だったから、氷乙女としての号を絶防のオルガーラ。希望のティアッテの対として。
清廊族を守る、絶対に守ると。視野が狭くなりがちな部分もあるけれど。
しかし信頼できる。パニケヤを守るのにオルガーラより頼れる誰かはいない。
「あの巨体は私が止めます」
「……」
「これ以上、あの裏切り者に我らの故郷を荒らさせるわけにはいきません」
近付いてくる巨体に向かい、目を閉じた。
地響きが離れていても足に伝わる。
しかし、怖れはしない。むしろその地響きから、あの化け物の怯えが伝わってくるかのよう。
「姉神よ。ニアミカルムに連なる大地、貴女の願いに生きる全ての命を繋ぎ、ここに真なる清廊の扉を開かれんことを」
集中した。
山のような巨体の突進を止めるなど、パニケヤの力だけで成せることではない。
氷巫女として、元は真なる清廊の魔法を接ぐ為に使っていた力。
他の何かと繋がり、自分以外の命と通じる能力。共感の能力の限界を解き放つ。
森と大地と空の意思が混じり合い、パニケヤの頭の中を掻き回し激しい眩暈を起こすが、耐えて。
「眩鏡の蒼穹を――」
迫ってくる暴虐の気配。
戦士たちが息を飲む。オルガーラとカチナでさえ、足を踏み直した。
「――貫け、白光の氷尖」
――ギィンッ!
雨の後で良かった。大地に十分な水分があったから。
湖の氷が裂けるような音と共に、パニケヤが集めた力が一気に立ち上った。
「ぎゅえあぁぁぁうぇえぇぇっ!?」
絶叫と共に、
――ヅガアァ‼
激震が走った。
立っているのも困難なほどの激震。
「うぁっ!?」
「く、なんという……っ!」
「オルガーラ! カチナ!」
パニケヤ達の所まで数十歩と迫っていた化け物の巨体が、大地から立ち上がった数十の氷の塔に貫かれていた。
大地に繋ぎ留められた化け物。
「びゅああぁぁぁっっ!」
「なんでぇぇ!?」
「どぶじでぇえぇぇ!」
「うぇぇええぇっひぃっひぃやぁぁ‼」
叫びながら、嘆きながら、嗤いながら。
左右の大地を思い切り殴りつけた。命への恨みを叩きつけるように。
大地が裂ける。
凄まじい力で地面を叩きつけて、己を繋ぐ氷の戒めを打ち破ろうと。
「なん、て……」
「だいちょーろう! 下がれってば!」
百歩以上は離れていたのに、手が伸びてきた。
魔法を放ったパニケヤを叩き潰そうとした手を、オルガーラが大楯で払い除ける。
「パニケヤ! 危険です!」
「我らがお守りします」
さらに伸びてくる手をカチナが切り払い、オルガーラが打ち払った手を他の戦士が切り捨て。
それでもなお地割れは広がり、伸びてくる手の数は増える。
凄まじい怨讐。とにかく殺し食らおうと。
「……いえ、あれは」
「パニケヤ!」
「カチナ、嘆いているのは清廊族の子です!」
近付いたから見えた。
声を上げる顔は、浮き出ている数百のそれらとは別。
頭の位置にあるのだろう四つの顔。子供らしい顔が三つと、一つの老婆の顔。
中央の子供は、何かを握り締め顔を覆っていた。
人間の死体……二つ、年若い娘の死体を。縋るように顔に押し付けて。
その左右にある子供の顔は、嘆く清廊族の子。
「ダァバ……あの、下衆は……っ!」
怒りが漏れた。
パニケヤより年下だ。ダァバは。昔から周囲を小馬鹿にするいけすかない小僧だった。
人間と清廊族の混じりものを作り、放っていったのか。
放っていったのか、あるいは手に負えず捨てていったのか。どちらにせよ。
許せない。許すことなど出来るはずがない。
おそらく母体となった人間の子は、数十万の人間を合わせたほどの器量があったのだと思う。
だから無際限にものを食らい、有り得ないほど膨張した。切り分けられた末端にもまだ意思と力が残されるように蠢くほどの貪欲な生命力。
あの清廊族は混じりものを作る材料として。生贄として。黒い泥のような魔物と、異様な才の人間の子を繋ぎ合わせる為に使われた。
老婆の方はわからないが。何にしろ碌なことではない。
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