第六幕 037話 呪われし者たち
もう少しだ。
あともう少しでできる。
薄暗い部屋の中で、どれくらいの時間が過ぎたのか。
わからない。
もう少しというのも、実際にどれだけの時間のことかわからない。
時折、差し出される飲み物。
火傷するほどではない温かさの、腹の中を優しく溶かす温度のそれを口にして、再び。
何度も何度もかき混ぜる。
浸して、ほぐして、溶け合わせて。
薄闇の部屋の中、黒く染まった指先に、ぐにゃりとした感触を覚えながら。
ずっと、ずっと繰り返していた。
自分の血と汗と涎と涙を、黒ずむすり鉢の中でこね回して。
なぜこんなことをしているのだろう。
どうしてか、わからない。
ただ気が付いたら無心でそれに没頭していた。とにかく作らなければならないと。
外が騒がしいような気もするけれど、その喧噪もどこか遠く響くだけ。
雨だっただろうか。もう降り止んだだろうか。昼なのか夜なのかも忘れていた。
「……出来た」
出来たと確信する。
これで良いと、頭の中で誰かが言う。自分だろうか。
ずるりと、すり鉢から引き抜いた指から垂れ下がる黒い紐のような布切れ。
どこまでも暗い色に染められた、触れることも躊躇わせるだけの禍々しさ。
これでいい。
これならいい。
「出来た」
もう一度言葉にすると、確かになった。
これを作る為にここに来たのだ。自分は。
「……それを、どうなさるのおつもりですか?」
震える声で訊ねるのは、わかっているからだろう。
わかっていて訊ねるのは、受け入れてくれるからだろう?
「ツァリセ……様」
「スーリリャ」
指から垂れるそれを、彼女の目の前に垂らした。
ずっとすり鉢で捏ねていたせいだろう。手先が痙攣して黒い紐が震える。それとも揺れているのは自分の心だろうか。
「君が、着けるんだ」
「……ツァリセ様、私は」
「着けるんだ」
問答はしない。
何のために作ったと思っているのか。
いや、その理由はもうツァリセにもよくわからないけれど。
「……ご命令でしたら」
「……」
スーリリャは頷いた。
受け入れた。
両腕を首に沿えて、髪をかき上げて。
傷痕が残る細い首を晒す。
「……」
「……」
動かない。
動けない。
ツァリセはただ黒い紐を垂らしたまま。スーリリャは首を晒したまま。
「……そんなに、まで」
つ、と。
抜き取る。
スーリリャが動いて、震えるツァリセの手から黒い紐を抜き取った。
「そんなに怯えておいて。あなたがされることじゃありません」
「……」
首に巻き付けた。
まるで恋人からの贈り物を纏うかのように、黒い紐を首に巻き付けた。
「僕は……」
「……」
何もしないと、何もできないと。
そう思われているのか。そんな風に、まるで何でもないように。
それは確かに、ツァリセはどこかの英雄のように強くはないけれど。
でも、何でもないような存在じゃない。
今のツァリセは絶対者だ。スーリリャにとっては神にも等しいだけの。
「僕は、僕だって……僕が、一番……」
「ツァリセ様……」
「僕は!」
震えていた手を握り締め怒鳴る。
喚く。
「僕はお前の主だ! 今は、僕が!」
細い腕を掴んだ。
これで抵抗も出来ない。逃げられもしない。
誰も邪魔なんてしないし文句も言わない。
「私は……」
「うるさい! 僕だって……」
なぜこんなことをしているのか。
どうしようもない、先行きも見えないこんな場所で、時間も忘れて黒いすり鉢を捏ね回していたのか。
それが唯一、ツァリセが望んだ時間だったから。
自分の為だけに欲した時間だったから。誰を裏切ってでも。
「僕を受け入れろ!」
「……」
「お前は……僕を受け入れて、僕の子を産めばいいんだ! スーリリャ‼」
ああ、もう。
引き返せないのなら、取り戻せないのなら。いいじゃないか。
一方的に、言い訳もできないくらい身勝手に、自分の気持ちにだけ正直に突き進めば。
だって、どうせスーリリャは。
「……はい」
哀れな奴隷は、頷くことしか出来ないのだから。
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