第六幕 032話 雨の宿り場



 降り出す前に町に辿り着いた。

 だが程なく雨に降られる。小さな雨粒がツァリセと連れを濡らす。

 濡れた服は体温を奪うし、肌に張り付いて不快だ。


 さっさと宿を探して入ってしまえばよかったのだろう。

 ただ、何となく。

 小雨と共に込み上げる感情。誤魔化すのにも雨粒は都合がいい。

 雨の中を歩いた。


 当てもなく。あてどなく。

 付き従うスーリリャにしても、雨は都合が良かったのだろう。

 ただ黙々と。



 雨が降り出したのが夕方。

 レカンの町の西門から入って、気が付けば日も暮れ東門が近い。


 春先の灼爛やけただらの襲撃で、東側は大きな被害を出していた。

 あれは厄介な魔物だった。なかなか有効な攻撃が出来ず、触れたものが高熱で焼けて火事になってしまう。


 燃えた建物もあれば破壊されたものも。

 あの騒動が半年前。まだ継ぎ接ぎ程度の復旧しかされていない建物も多い。


「あ」

「……」


 こんな荒れた区画に来たら、いくら城門近くでも泊まれる宿もないだろう。

 スーリリャは寒さに強いとはいえ、濡れたままにしておくわけにもいかない。

 引き返さなければと立ち止った。



「荒れていますね、この辺りは」

「そうですね」


 思い出す。

 苦悶の声を上げながら暴れていた灼爛を倒したのは、ちょうどこの辺り。


 遅れて到着したボルドがシフィークを連れてきて。

 シフィークの剣が輝きを放ち、灼爛を打ち倒した。ツァリセはそれを見ていた。

 勇者、英雄と呼ばれる者の異質な力を改めて実感したものだ。




「どこかに、宿を」

「……」


 振り返ったのは失敗だったか。

 濡れてぴったりと張り付いたスーリリャの胸元に、目を逸らす。

 視線を下げた先、裾から滴る雫まで毒だ。今のツァリセには。



「……」


 ツァリセは、勇者でも英雄でもない。

 色々なことが人並み以上に出来るだけの、小器用な男。

 剣も、魔法も。それ以外の雑事も。


 光り輝く剣を掲げる勇者などではない。

 この手にはいつも、半端なものばかり。十分ではない、半端もの。




「……どこかに、宿を」

「ひゃ、ひゃっ」


 日の暮れた町、小雨の降る中。

 こんなに湿った世界に、乾いた枯れ木を擦るような嗤い声を。



 顔を上げた。

 東門に近い横道。その道が続く先には大きめの屋敷が。

 金持ちの屋敷だろう。門に近いということは、貴族ではなく商家。


「……お前は」

「なるほどしかり、ひひゃ」

「う……」


 スーリリャが身を固くする。

 灰褐色の澱んだ外套に身を包み、歪な形の杖を持つ男。

 呪術師。


「ガヌーザ……とか」

「げに、呪術の才……一見いちげんで知れる、か」



 襲い掛かってくる様子ではない。

 そのつもりなら、わざわざ声を上げることもなかっただろう。

 戦う理由もない。


 そうだ。

 戦う理由なんて最初からなかったのかもしれない。

 何の為に争い、何を望んで傷つくのか。


 国だとか、騎士だとか。

 そういった枠組みの中で生きているのだけれど、その線引きだって今となれば大した意味があったとは思えない。


 この呪術師は、この町に灼爛を放ち大きな被害を出した張本人のくせに、何を気にした風でもなくここにいる。

 ツァリセは、仲間だったチャナタや二番隊隊長ヴィルップの仇であるはずの彼を前に、剣を抜くわけでもない。



 ただ雨の町で再開した知った顔。

 関係は極めて悪かったが、エトセンを離れた今では命を賭けて戦う理由もない。


「呪術の才が、ある」

「……らしいですね」


 エトセン騎士団の呪術師ナドニメにも言われた。

 ツァリセには、何でも器用にこなせるツァリセには、呪術の才能もあるらしい。

 それがあれば……何かが出来るのだろうか。

 半端ではない何かが。



「ひゃ……間に合わぬ、か」

「?」

「……師の知識、その源。我の想像は及ばぬ。既にエトセンに着くとは」


 杖を持つ手とは別に、何か球体の水玉を手にしていた。

 その中に浮かぶ赤い血が、西を指すように流れる。それを見て。



「……女神の為、あの花たちも散ろう」

「何を……」

「ぬしは」


 ガヌーザの杖がツァリセを指し示す。

 そして、示す先が屋敷の裏に。


「部屋を、使うがよい……必要で、あろ」

「僕に……?」

「花が散る。枯れる世界、ゆえ」



 言っていることが曖昧で、あちこちに散らばり過ぎて理解できない。

 ガヌーザは彼なりの理屈でそう言っているようだが。

 何か、失望しているようにも見える。諦めているというか。



 彼の師がエトセンに到着するのが早すぎて、花が散る。世界が枯れる。

 だからガヌーザにはもう必要ない部屋。

 必要とするだろうツァリセに譲ると言っているらしい。



「……一晩なら、借りましょうか」

「ひゃひゃ……好きに、せよ。好きに生きよ」


 そう言い残して、ガヌーザは背中を向けた。

 西門に向かう道に、引き摺るようにずるりと足を進めた。


 途中、暗がりの中でも目立つ銀髪――薄い金色だろうか――の男がガヌーザの横に並び、そのまま共に。

 年齢はツァリセよりだいぶ上に見える。

 というか――



「清廊族、です」

「……そうは見えないですが」


 嘘だ。

 確かに外見特徴は全く違うけれど、人間とは思えなかった。

 離れていてよく見えなかったが、首に何か巻かれていたように思う。呪枷だったのだとすれば納得だ。




「……」

「知り合い、でしたか?」


 ガヌーザと共に去っていく男の背を見送るスーリリャの様子に、どこか懐かしむような空気を感じた。

 けれど勘違いだったらしい。

 スーリリャは無言で首を振る。


「いえ、そうでは……知らない方です」

「……あの呪術師の言葉に従うのもなんですが」


 味方ではない。

 けれど、敵なのかと聞かれてもわからない。

 敵とか味方とか、どこで見分ければいいのか。


 目の色が赤ければ種族はわかるけれど、そうでない特徴の者もいる。それに、色や種族がわかったところで腹の中まで見えるわけでもない。

 疑う気力も湧いてこない。ガヌーザが何を思っていたのか知らないが、ツァリセ達に宿が必要だというのは見ればわかるか。



「あの男の言う部屋を使わせてもらいましょう」

「……」

「濡れたままでは、よくないですから」


 そんな理由を並べるのは、どこか裏切りのような気がした。

 行く当てのない女を連れ込み宿に引き込む男の言葉。言い訳。


 ここでツァリセが覚えた罪悪感など、些末で幼稚なものに過ぎなかった。

 現実は、もっと救いがない、救いようがない現実が待っているとも知らずに。


「……はい、ツァリセ様」



  ※   ※   ※ 

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