第六幕 031話 祝い、呪い_2
「何か血の探査に反応したんだ。道中ついでに確認したいだけなのに、君が攻撃したら死んじゃうだろう」
「オユルシヲ、ワガアルジ」
ディニとダロスが怯えるほどの魔物に、主と呼ばせる何か。
喋ったか。
喋る魔物などというのは伝説の存在。およそ目にすることなどないと言われる。
「……
「あんなのただの噂でしょ?」
「よく知っているね。壱角の子が知っていたのはともかく……ああ、この翔翼馬もそうなのか」
マルセナの漏らした言葉を肯定しつつ、勝手に納得しながら地面に降りた。
上の黒い塊から伸びていた縄から手を離して。
着地はやや重く感じる動作。潰れるように沈み込む。
森の地面は、昨日から丸一日ほど続いた小雨で湿っていた。柔らかい地面に膝を曲げて、手は着かない。
仕掛けられる隙かといえば、そうでもない。
近付けば死ぬ。
パッシオと呼ばれた鷹鴟梟の動きも読めないが、そうではなくて。
この男の雰囲気は、今まで見てきた何者とも違う。
強者とか凶悪とかではなく、異質。歪でズレた存在。
「そうそう、えらいよ。神に対する人間ってのはそういう態度が本当だよね」
「……」
襲い掛からなかったことを褒める。
よくできたと言うように。
別にこの男の意を汲んだなんてことじゃない。気持ち悪くて近付きたくないだけ。
年齢にそぐわない喋り方。
いや、そもそも見た目と雰囲気がまた合わない。
老人なのか、壮年なのか。ただ喋り方は成人前の少年のよう。
時折子供が大人びた話し方をして鼻につくことがあるが、それを反転してもっとひどくすればこうだろうか。
体と心がズレている。何を考えているのかわからない。
鷹鴟梟の魔物も中身と外側に歪さを感じさせた。喋る魔物など見たことがないから、人間が中に入り込んだように見えるのかも。
「……何かに、憑りつかれているみたい」
「ですわね」
怪談話だ。
死んだ者の魂だとかが人を操るとかそういう。
現実にはないことだけれど、
そう信じ込み、普段の己とはまるで違う行動に走るものがいる。
錯乱とは違う。
この男の場合は、さっき言っていた。己を神だと思い込んでいるのだろう。
「アルジ、オカラダわ?」
微妙な抑揚で質問したパッシオに、男は軽く手を上げて、それから肩を回した。
確かめるように。
「悪くない。トワの血で少しは馴染んだかな」
「……」
馴染んだ。
己の体ではないものだとでも言うのだろうか。
「もっと濃い血か、処女の血でもあれば完全になりそうだ」
「ナニヨリデゴザイマス」
変わった魔物だと思う。
敬語を使う。それもこの男が教え仕込んだのだろうか。
「それとも、濁塑滔を全部取り込めば――」
「っ!」
短剣を抜いた。
この男の狙いはマルセナだ。濁塑滔の力を持つマルセナ。
そうとわかれば選択肢はない。殺す以外に。
「キサマ」
「だから待てって。君らも、そう怯えなくったっていいよ」
目当ての女に対する男の顔で、変に低く抑えた声で話す。
欲望の下品な臭いを垂れ流しながら。
「トワも美しいんだけど、孫だと知ればちょっとね。君なら」
「……」
「若い頃のあれに少し似ている。うん、神の妻にしてあげてよう」
「黙れ!」
言うに事欠いて、マルセナを妻になどと。
許せない。戯れでも言って許されることではない。女神であるマルセナを。
「イリア」
マルセナの木の杖がわずかに揺れ、男を指示した。
よく見るように、と。
その濁った赤い瞳を。
「清廊族です」
「せい……?」
確かに、異常な気配にばかり気を取られていたが、赤い瞳。
年齢のせいか髪は白く色が抜けているが、その特徴からすれば人間ではない。
「あはは、清廊族か。僕はもうそういうのは超越したんだけど」
「……」
「町の実験でうまくいかなかったら、君に僕の子を産ませてあげよう。血の濃さも純潔もそれで解決する」
身勝手で、極めて卑俗な、下劣なことを言い出した。
マルセナに子を産ませるなど。
馬鹿なのか。何が解決するのか知らないが、そんなことを許すわけはない。
「あんた……」
怒りで、咄嗟に言葉が出てこなかった。
マルセナは何も言わない。イリア以上に怒りと不快感を覚えているに違いない。
「人間と子供作れるわけないでしょ。ばっかじゃないの」
非常識なことを言い出した男に、とりあえずその頭の悪さを突きつけようと。
切っ先と共に言葉を刺した。
明確な間違い。不見識。
愚にもつかないことを言い出した男を謗る。
「だいたい、あんたみたいな……誰にも、マルセナに指一本触れさせたりしない」
「キサマ、カミニタイシテ」
「いいって、パッシオ」
鷹揚に。
己が上であると示すことがとにかく楽しいらしい。
浅い自尊心。執拗にこびりついた垢のような。
「そりゃあ人間にはね」
「……」
マルセナがわずかに下がった。
小柄な体が、さらに少し縮む。
ディニやダロスと同じく、怯えるように。
「人間にはわからないものさ。清廊族の間抜け共も」
「……?」
同族まで罵って、何が言いたいのか。
マルセナは何を怯えているのだろう。
「神たる僕に、出来ないことなんてない」
「……」
「濁塑滔の特性なら、人間でも清廊族でも無関係に孕ませるくらいできるさ」
マルセナに溶けた濁塑滔の力。
同じものをこの男も身に宿していて、相手がなんであれ子を作れるというのか。
「幸いだろう?」
気持ち悪い。
この男は、イリアとマルセナの嫌悪など意にも介さず、心からそれが幸せなことだろうと言う。
「神の子を産めるなんて。素晴らしい祝福で、まさに神の恩寵さ」
何が恩寵だ。
忌み嫌う相手の子を産むなど。
そんなものを呼ぶとすれば、それは呪いというに違いない。
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