第六幕 033話 神ならぬ者からの贈りもの
「……何を遊んでいるんでしょう。あの男は」
見下ろして、息を吐いた。
急いでいるのではなかったのかと。
既に一日を余計に過ごした。
混じりものとして不完全なのか、傷口から溢れようとする黒い粘液。
ダァバの体から分離しようとしているのだろうか。
混じりもの。
トワも関心がないではない。ティアッテで試してうまくいったが、あれは怨魔石ではなかった。
魔物の方が力を貸してくれた。
ダァバの術は当然トワより深いはず。
トワが今以上の力を求めるのなら、この男から得られる知識はできることなら引き出しておきたい。
混じりものか。
仮に千年級の魔物の混じりものになったとして、寿命はどうなるのだろう。
ダァバは濁塑滔の混じりもの。このまま千年を生きるということも出来るのだとすれば。確かに神のごとき力。
千年、あるいは遥か悠久に。
ルゥナを捕えて、トワの慰みに出来るのなら。ああ。
悪くない。何を裏切っても悪くない。
トワは何も悪くない。欲しいものを欲しいと言うだけ。
しかし、それにしても。
「案外、あれも役には立たないですね」
溜息を、もう一度。
落胆の色を漏らした。
体に馴染まない濁塑滔の力。
そんな状態でよく復讐に来たと思えば、そうではなかったらしい。
ダァバがそう呼ぶ混じりものの術は成功していたのだと。
ならばなぜ?
エトセンに近くなってから、不意に異変が起きた。
眠っていたはずの魔物が急に目覚めたような。
アヴィの母が目覚めた時と重なる。
ほんのわずかな時間だったが、あれがダァバの体を変調させた。
順序が逆かもしれない。
濁塑滔の力を宿したダァバが近づいたことで、アヴィの母親が呼応して目覚めた。
長い間、生き物の反応などまるでなかった耳飾りから一時的でも復活したのは、きっとこういう理由だったのだろう。
アヴィの母が消え、変調は収まった。
しかし違和感は残ったまま。そこにルゥナ達の攻撃を受けて、溢れた体液がきちんと戻らない。
役に立たないとは言ったが、こういう事例もあるのかと参考にはなる。
魔物の意思に飲み込まれる者もいる。
確固たる意思のない魔物でも、特殊な例もある。
失敗も糧になるものだ。
むしろ失敗から得られるものの方が多い。特にこんな前例のないことなら。
それで痛手を被るのがトワでないのなら猶更いい。
飛行船を止めてトワの血を試した。
ダァバの異変。噛み合わなくなってしまった濁塑滔とダァバを、トワの血で馴染ませることができないかと。
休息で少しだけ火を使う。
この飛行船の中ではあまり火を使いたくないのだとか。理由があるのだろう。
ダァバとパッシオが操作する飛行船を見て覚えた。それほど難しい仕組みではない。
トワの力は彼らに遠く及ばない。空を飛ぶ船の中でトワが何をしようにも、パッシオがいる限り脅威にはなり得ない。
警戒するに値しない存在と見做してくれた。素直に血を供与してみせたのもよかったのだろう。
翌朝には、ダァバの体は良くなっていた。
見た目にはわからないが、ダァバがそう言う。
もっと適した血。ダァバの血をもっと濃く継ぐ者か、それにまつわる処女童貞。
そういうものがあれば完全に収まる。馴染む。
ならば急ごうという所で、血の探査が妙な反応をしているのを知る。
方角は、少し外れるがレカンの町に近い。
行きがけの駄賃とか言っていた。もののついでに確認していくと。
「……あの女は、確か」
ダァバがやり取りしている相手。
見覚えがある。アウロワルリスの断崖に向かう途中、襲ってきた冒険者。
なぜあれが血の探査に反応したのか。
「知った顔でしたか」
ルゥナと関りがあった冒険者。
まさかとは思う。
あの冒険者どもは、ルゥナを奴隷としていた頃に何をしていたのだろう。
逆らえないルゥナに、無際限に淫猥な行為を強要していたとか。
己の足指を使わせルゥナに自慰を強要したり、体の割れ目の隅々までルゥナの舌で清めさせたり。
あぁ、ああ!
――いいなぁ。
トワもしたい。
今、こうして連中を見下ろすように。
ルゥナを見下ろして、涙ぐむ瞳で恥じらいながらトワの命令に従うルゥナ。あぁ。
呪術が使えたら。
トワに呪術が使えたら出来るのに。
必要なのだと言う。
特殊な、世界を呪う姉神の遺物が。
サジュでは声を発するものを使っていたそうだが、失われた。
この大陸にいるダァバの弟子が、瞳にまつわる遺物を持っているはずだという。
知っている。トワはそれを知っている。
レカンの町か近くにいるはず。呪術師ガヌーザ。
あれが持っていた杖があれば、トワにも呪術が使えるのか。
ほしい。ほしい。
欲しくて欲する。絶対的な力を。
しかし、ダァバを出し抜いてあれを手に入れられるだろうか。
ダァバだけではない。むしろ厄介なのは鷹鴟梟パッシオ。あれは強すぎる。
何よりも速く、自在に空が飛べる。
飛行船にトワを残していったのも、信用してなどという愚かな理由ではない。
仮にトワがこれを盗んで逃げたとしても意味がない。あっという間に追い付かれてしまう。
血縁だからと甘い対応をしてくれる様子でもなかった。
期待してもいないけれど。
油断などしていないだろう。
トワはダァバの味方などではない。そんなことは承知の上。
油断していない。
それが既に間違いだ。心を許していないから裏切っても平気だと、高を括って。
トワは知っている。
好機など何度も訪れない。今が唯一の好機だと思えば迷う必要がない。
たとえば、飛行船を繋いでいる綱を浮いているように誤魔化したりだとか。
たとえば、近付いてくる何かの気配を、ダァバ達から誤魔化したりだとか。
「これは、あれでしょう。きっと」
トワの手で飛行船を操る。
連中が下に気取られている間に先行してレカンに向かう。
「神は何もくれない。けれど、祖父や祖母は孫娘に贈り物を下さるものだと言いますから」
トワが幸せを掴むために、この飛行船をくれたのだと。
そう思えば何の不思議もない。不可思議な奇跡だとかそんなことじゃない。
当たり前のトワの権利。
「そう、それでもパッシオ。お前は強すぎますから、ね」
魔術杖を下に向けた。
トワが抵抗しなかったから奪われなかった魔術杖。
持っていても大したことは出来ない。まず大抵の攻撃魔法など、ダァバとパッシオどちらにも効果は見込めない。
トワは良かった。
直接攻撃する魔法などより、ちょっとだけ風変わりな魔法が得意で。
それももしかしたらダァバから受け継いだ力なのだろうか。だとすれば感謝を込めて残していこう。
「
先日学んだ。
トワが扱いきれないほど大きな力、存在感を有する者は、転移の魔法で扱うにも重すぎる。
密かに練習した時、大岩を動かせなかったように。
けれど。
手元の空気の塊なら、ぎゅうっとまとめて転移させることだって出来る。
存在の大きすぎるダァバやパッシオ、そのものを動かすことは出来ないけれど。
「揺らげ
鷹鴟梟はさぞ感覚が鋭敏だろう。
耳元に突如、膨大な空気の塊が出現して弾けたりすればどうだろうか。
「では、さようなら。お爺様とやら」
礼を言うことはないだろう。祖父がずっと放置していた孫娘に飛行船をくれたことくらい。
だけど、別れの言葉くらいは残して飛行船を進めた。
レカンの町に向けて。
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