第六幕 029話 孫の背_2
「トワが攫われたという話ですが。トワの親はどこにいるか知っていますか?」
パニケヤの口からは聞けなかった。
長老として、我が子の話題を優先など出来ない。
カチナからの質問に、やや面食らったようにメメトハが目を瞬かせる。
急にトワの親の話など何事か。
しかしメメトハの方も、その話をしなければと首肯する。
「それじゃ、大叔母。ニーレが言うには東の町に」
「町じゃあないんだ。町から外れた牧場……隔離施設で囚われているはず」
氷弓皎冽を手にしたニーレの答えを受け、カチナの視線がパニケヤに刺さる。
一番聞きたいこと。
だから、自分から聞けないことを、カチナが訊ねた。
「彼の名前は、知っていますか? ニーレ」
「え?」
「トワとユウラの父親の名です」
ユウラの名に、ニーレの眉間が僅かに歪む。
失われた大切な家族の名。トワとユウラの共通の親。
「私は、ほとんど話したことがなくて……すごく薄い金色、銀灰色みたいな髪をした……たしか」
「……ヤヤニル」
「あ……」
パニケヤの口から漏れた名に、曖昧な記憶の中を泳いでいたニーレが顔を上げ、口を開きかけて。
止まる。
「そう……そうだった、はず」
「……大長老?」
「婆様? どうしたのじゃ」
もうずっと、失ったと思っていた名前。
ルゥナとメメトハの問いに答えられず、胸を抑えた。
そう、メメトハには聞かせたことはなかったのか。この子が生まれるよりだいぶ前に死んだ伯父の名は。存在さえ知らなかったかもしれない。
苦しい。息が出来ない。
とうの昔に枯れ果てたと思った涙が込み上げてしまいそうで、言葉が出てこない。
死んだと思った息子が生きている。
人間の虜囚となり、ずっと苦しい想いをしながら生きていたのか。
そして、クジャに辿り着いたトワとユウラは、知らぬこととはいえ……
「……パニケヤ、貴女もすぐに東へ」
カチナの、公私を弁えぬ思いやり。
この場はまだ収まらぬというのに、息子を助けに行けと言う。
彼女とて息子夫婦を失っているのだ。人間との戦いの中で。
「……いいえ、カチナ」
息子が、ヤヤニルが生きていると言うのならば。
誰よりも深く傷ついているはず。責任感の強い子だった。
人間の虜囚となり、望まぬ形で更に不幸な清廊族の子らを作ってしまったと。
「私は氷巫女。クジャの大長老です」
ただ母として迎えに行たところで、ヤヤニルは己を許せる性分ではない。
多くの同胞を泣かせた自分がなぜ母に救われるのかと、さらに自身を責め苛むに違いない。
「息子だから助けると言うのでは、あの子も受け入れられないでしょう」
「む、す……」
「強情を言っている場合では」
「あの子の為に!」
正しくあらねばならない。
清廊族の代表として、正しい姿勢でなければ息子を救えない。
息子だから特別にではないと、特別だからこそ意地を通す。
「ダァバが、今なお私たちの敵としてこの大地に害成すというのであれば、それを阻むのが大長老たる私の役目」
きつと睨んだ。
散り散りに逃げた人間どもを追わず、次の標的を探す巨大な化け物を。
「あれもまたダァバの残した災禍。そして、無垢なる清廊族の魂が囚われています」
「……そうでしょうが、あれは」
「あれは生き物ではありません。森も生き物も枯れ果てるまで食らい尽くす忌まわしい存在……あの様子で大きくなれば身動き出来るかも怪しいですが」
あまりにも歪な形。肥大化しすぎた巨体。
食い続けなければ死ぬ。
大きくなり続けても死ぬと思われるが。
「……切り離された部位も蠢いています。尋常な生き物ではありませんから、さらに分裂して広がるかもしれません。全てを食らい尽くすまで」
放っておけば、この大地全てが死に絶え、あれも滅びるだろう。
救われぬ魂と共に。
「どちらにしろ、多くの生き物がある方に寄せられるようです」
散り散りに逃げていく人間たちに対して、この森の外れに集まった清廊族の戦士たち。
全ての数なら人間の方が多いが、まとまっているのはこちらが多い。
このまま皆で東を目指せば、追ってくると考えらえる
こちらを追うか、山を目指した戦えぬ者たちを追うか。どちらにせよ被害は避けられない。
「ちょっとあれは無理じゃないかな、ボクでも?」
「私もやる。食い止める」
誰かが対処しなければならない。食い止めなければまた多くの同胞が死ぬ。
この大地を食い荒らし、さらなる悲嘆を振り撒く。そんなことはさせない。
「アヴィ、メメトハ。貴女達は東に向かいなさい」
「婆様、いくらなんでも」
誰がやるべきか。
若者たちがダァバを倒すというのなら、パニケヤの担う役目はここだ。
「ダァバを倒す手立てがあると言いましたね」
先ほどはカチナが恰好をつけた。
今度はパニケヤの番。
「ならば私にも、氷巫女として出来ることがあります」
「……」
「母として。東の町にいるという息子を……ヤヤニルを、貴女達に。助けてほしいと言うのは、いけませんか?」
意地を張る。
それだけで納得してくれるほど甘い子たちではないけれど、母としてパニケヤが頼むのなら、聞いてくれるだろうと思った。
「……出来るのですね、大長老?」
「だから言っています。オルガーラの力は借ります」
死ぬつもりなどない。
あの化け物を防ぎ、忌まわしい術に使われただろう清廊族を解放する。
「カチナが氷乙女としての矜持を見せました。今度は私が、この巡りにある氷巫女としての役目を果たす時です」
カチナがダァバに勝ったことがあるというのなら、今ここでパニケヤも越えよう。卑劣な裏切り者を。
「アヴィ、メメトハ。向かいましょう」
「……婆様よ」
「メメトハ」
巨体が、こちらに向かって動き始めた。
時間はない。
少数精鋭の彼女らにはダァバを追ってもらう。あの化け物はパニケヤがどうにかする。そう決まった。
「ヤヤニルを……あなたの伯父を、お願いします」
「……しかと、任されよう」
メメトハは本当に成長したものだ。わずかな間に、こんなにも。
背丈は前と変わらないのに、その背中はずっと大きく、頼もしく。
「妾が確かに、婆様を息子と会わせてやる。ゆるりと追ってくるがいい」
「……わかりました」
一刻の猶予もない。
そんな中だから目にした孫娘の成長は、パニケヤを何よりも勇気づけてくれた。
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