第六幕 028話 孫の背_1



 カチナが拘った理由は、強情ばかりではないとわかっている。

 意地もあったにせよ戦局を見てのこと。


 指揮官であり強者でもある男を倒せば、当然ながら組織が崩れる。

 指導力のある者を残しておけば、後に体勢を整え直して挑まれた時にこちらが不利になるのだから、倒せる時に倒すのも当然。


 使い慣れた得意な武器と手にしておらず、また状況の変化に動揺も大きかった。

 カチナは口にしないが、急な冷気や凍った足場で動きもいくらか悪い。その好機を逃さず強敵を倒す。

 指揮官を失った軍は指示が混乱する。不要な被害も出しながら四散していった。



「メメトハ、ルゥナ。皆を退かせなさい」

「はい、大長老」


 逃げていく人間を追う戦士もいる。

 ここで深追いは必要ない。やっている場合でもない。

 多くの人間が集まっていた敵本隊は、異様な巨体が暴れ回り壊滅状態。敵とはいえ悲惨な有様だ。


 たくさんいる場所に向けて突進。体から伸びた手でそれらを掴んで食う。

 応戦する人間もいて、それで体表がいくらか傷つきこそぎ取られても、またその下から手足が生えてくる。

 化け物としか言いようがない。




「あれは、ダメだ」


 壱角の娘が戻り、首を振る。

 見れば、東から溢れてきた魔物の群れは森の茂みに集まり身を潜めていた。

 およそ自然に存在してはならない化け物の気配に怯えて。


「あんなの生き物じゃない」

「その通りです」


 大量の生き物を貪り荒れ狂うだけの存在。

 ひどく歪つなもの。


「あれもダァバの仕業ですね」

「下衆め。あの男は今度こそ私が斬ってやりましょう」


 カチナの気持ちはパニケヤも同じだ。

 あれを今の時代まで生かしてしまったことこそパニケヤ達の責任。この手で始末を。



「無理じゃ、大叔母よ」

「私があれに劣るとでも――」

「違う、大叔母の腕ではない。あやつは」

濁塑滔だくそとうの混じりものになっています。斬っても叩いても死にません」


 カチナを侮っての言葉ではなく、そもそも効果がないのだと。

 濁塑滔。粘液状の伝説の魔物の特性を身に宿しているとは。


「斬っても……あの卑怯者が」

「倒す算段はある。だが何にしろ奴を追わねばならん」


 東に逃げたダァバを追い、倒す手段がある。メメトハが見慣れぬ小振りの魔術杖を握り訴える。

 一手間違えたかと悔やむが、今さら仕方がない。



神洙草しんじゅそう。あれはこちらに持ってくるべきでしたか」

「あるのですか!?」


 驚きの声を上げるルゥナに、苦く首を振る。


「そう伝わる一片の葉が、ずっと昔に南部から届けられたと。クジャの紡紗廟ほうさびょうの宝物として氷漬けのまま納められていました」

「永くそのままだった氷が融けていたのです。私たちが旅立つ前に」


 戦える戦士たちを集めて山を越えようという前に、少しでも使えるものがあればと蔵を覗いた。

 蔵の奥に忘れられていた神洙草と伝えられる氷漬けの葉。それが入った小瓶には、薄っすらと光る水だけが。



「かつての南部の清廊族が……」

「ええ、ですがあなた達の助けになればと、サジュに送ったのです」


 魔物を払い、あらゆる傷や病を癒すと伝わる神洙草の露。ここでもたらされたのも何かの理由があるはず。

 苦しい戦いを続けるメメトハ達を思い、サジュから彼女らに届けようと。



「サジュに……逆じゃったか」

「元よりなかったものです、メメトハ。ダァバに効果があるかもわかりません」


 山脈を挟んでどう動くのが正しかったのか。

 連絡を取り合うことはできず、最善と思った選択がここにきて間違いとは。


 今さら悔やんでも仕方がないとルゥナが促し、メメトハも頷いた。

 彼女らは少ない手数でどうにか進んできた。ここまで。

 ないものを願っても仕方がないと。



「大長老たちも、今後ダァバと相対しても決して近付かないで下さい」


 今ここで会えた機会にと、ルゥナがパニケヤに真剣な瞳を向けた。

 近付くな、とはまた妙な助言。忠告。



「他にまだ濁塑滔の力が?」

「それも危険なのですが、別の理由です。あれに近付いた戦士が音もなく死にましたから」

「音もなく……近付いただけで、ですか?」

「あ奴の呪術は得体が知れません。隙に見えたとしても不用意に近付いてはどうなるか」


 音もなく、近付けば死ぬ。

 カチナがどれだけの腕だろうが、それでは戦いにもならない。その上で斬っても死なないというのでは。




「あれは風で飛ばせる」

「アヴィ」


 南で敵を防いでいたアヴィも戻ってきた。

 クジャで見た時と雰囲気が違う。


 血塗られた戦地で、より殺伐としていても不思議はない。

 しかしそうではなかった。


 なぜだか以前よりも柔らかく、優しい包容力。と同時に、年齢の割に幼さも感じた。悪い意味ではなくて、拒絶の壁が消えたように。



「死の呪術は風で飛ばせる。強風なら使えない。はず」

「ええ、昨日と同様ということですね」

「みんな、破夜蛙わやかわずの空気袋は持ってる?」



 破夜蛙。喉の袋で爆音を立てる小型の魔物。

 ルゥナもメメトハも懐にその喉袋があると示すと、アヴィの表情がまた少し和らいだ。


「それでいい。忘れないで・・・・・

「ええ、港町でウヤルカを助けてくれたのもこれのお陰でしたから」


 懐に入れた破夜蛙の喉袋。

 小さなそれに膨大な空気が詰め込まれているのだろう。破裂すれば相当な衝撃があるはず。

 アヴィの言いつけに対して、ルゥナは強い信頼を示して応じた。


 良い関係だ。

 クジャで過ごした時よりもずっと強く絆が結ばれている。

 メメトハも、彼女らと距離が近くなっているようで。それもパニケヤの心を温かくしてくれた。



 我が子の出生について負い目のあったパニケヤは、産んだ双子をしっかりと愛せたとは言えない。深く後悔している。

 その反動でメメトハには甘くしすぎたという自覚もあった。


 クジャにいる短い時間、パニケヤの態度は行き過ぎた甘さだっただろう。目付け役のカチナは、入れ替わりで真なる清廊にいて誰も諫める者がいない中、メメトハを溺愛した。


 パニケヤの孫として特別な扱いをされて育ったメメトハ。皆から大事にされて当たり前の育ち方をしたメメトハの性格に歪みが現れたのもパニケヤの責任。

 そのメメトハが、確かな友を得て成長した姿を見せてくれる。



 心のつかえがまたひとつ解れた。

 ルゥナ達がクジャに来てくれたのは、やはり姉神が紡いでくれた良い出会いだった。


 閊えが取れれば、また別の懊悩が胸に広がる。

 孫よりも先に、本来ならパニケヤが責任と愛を持って接しなければならなかった者のことが。



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