第六幕 027話 刃の乙女の時_2
ただごとではない様子に、戦っていた皆が互いから少し離れ、ちらりと南に目をやる。
カチナとカルレドも同じく。
「な……ん、だ?」
「……っ!」
カチナの歯軋りが聞こえた気がした。
今の場所、森の外れから南東に見える白い城壁の町。
遠目にもわかる。崖のように高い城壁に囲まれた広大な町だと。
地響きの理由は、町とここの中間辺りに土煙が上がっている。
崩れた城壁の残骸らしいもの。その大きな塊が投げつけられて。
近くで見上げれば首が痛くなるほど高いだろう城壁の上に、巨大な何かがうねるように乗りかかっていた。
うぞうぞと、全身から生えた無数の小さな――この場所から見れば小さく見える――触手を蠢かせて、唸っているようでもある。
「ばけも……え、影陋族の扱う魔物か!?」
「……」
敵兵に動揺が走る。
動揺しているのはこちらも同じだが、指揮官がそんなことを口にすれば従う兵たちの心境はどうなのか。
「で、出て来るぞ!」
「隊長! 化け物がこっちに!?」
ずるりと。
崩れかけた城壁を滑るように乗り越えてきた巨大な塊。
そのまま、触手を蠢かせて、一番多くの人間が固まる敵の本陣に向かい走り出す。
「速い!」
見かけの大きさから鈍重なのかと思ったが、そうでもない。
おそらく獣が駆けるほどの速度。
普通の者が全力疾走でいくらも続かないくらいの速さで、遠目には大地を滑るように人間どもに向かっていく。
人間どもから放たれる炎の魔法がさらにそれを怒らせ、表面の触手をいくらか吹き飛ばしながら進んだ。
さながら雪崩のような勢いで。
「カルレド将軍! 本隊を……」
「わかってる! っても」
こちらも戦闘中。
退くにしても近すぎる。
区切りをつけなければならない。
ここでただ逃げるのなら、パニケヤ達に追うほどの余裕はないのだが。
しかし戦士というのはどうも、自分と伍する敵とみると簡単に退けないと思ってしまうらしい。
完全に勝てない相手ならともかく、勝てる相手に背中を向けたくないと。
「
「影陋族の婆さんごときが、調子に乗ってんじゃねえぞ」
負けず嫌いはカチナも負けてはいないが。
わざわざ挑発して逃がすまいと。
本当に子供のような。長老としての自覚がどうとか、普段の自分の言動と違うではないか。
それだけ鬱憤を溜めていたとは思っても。
「そんなに早死にしたいなら送ってやるぜ!」
「来なさい」
再び、破裂音と共に両者がぶつかり、衝突の余波がパニケヤ達を叩いた。
この攻防で倒すという意思と共に振るわれるカルレドの剣は、先ほどまでとは覚悟が違う。
踏み込んだ大地が大きく窪み、小規模の地震を起こすほど。
剣と剣が重なる瞬間にも、また空まで震えるほどの振動。
木々が震え、少し離れているパニケヤ達の耳も痛い。
凄まじい男だ。氷乙女として熟達の域にあるカチナと同等以上の力。
若いはず。パニケヤの半分の半分ほども生きていないだろうに。
人間は成長が早いことは知っているけれど、短い時間でこれだけの力を持つのだと実感すれば、清廊族が追いやられた理由も納得する。
受け流そうとして、押し込まれた。
強撃。猛撃。
二合で、カチナの踵が水を吸い柔らかくなった森の土に食い込む。
「うらぁ!」
「くっ!」
三合目。受けた剣ごと後ろに吹き飛ばされた。
茂みの中に。
力負けする。守りを捨てて攻勢にでたカルレドに押し負けたカチナ。
「婆さんなんかに俺が――」
カルレドの視線が追ったのは、カチナではない。
同じく高齢でこの場に立ち、カチナと共に清廊族を導いてきたパニケヤを。
一歩下がった。
その程度しか出来ない。速さも力も上回る敵に対して。
森の外れ、その木々の間に身を隠そうと。
「こっちからだ!」
カルレドの踏み込みは強く、その剣でパニケヤを叩き潰すように斬ろうと迫る。
魔術杖で防ごうとするが、力尽くで潰そうという勢い。
「お前の相手は私です、小僧!」
カチナが飛び出してきた。
その速度はカルレドを上回る。だが。
「はっ!」
そう来るだろうという誘いだ。この場で最強のカチナをまず殺す為の。
飛び込み剣を振りかぶるカチナに対して、パニケヤの直前で止まり振り向くカルレド。
がら空きのカチナの胴。
振りかざすカチナの剣は、昔から愛用しているクジャの宝剣。細身だが折れぬ美しい刃。
少し刀身が長い。
パニケヤが身を隠そうと下がった為に、大木の幹がそこに邪魔をする。
カチナの剣の軌道には大樹が。
力比べでカルレドに劣ったカチナでは、振り抜く前の剣筋に幹が掛かれば当然減速する。カチナが敵の力を推し量ったように、敵もまた見切った。
カルレドの剣は短く、その一拍の差がカチナの腹を裂く。
「――」
声にならない声。
鈴が一振りなるような。空気を斬るような音と共に。
カチナの剣が、冴えと速度を増して振り抜かれた。
「あ……え?」
「……」
幹に引っ掛かった瞬間に、その引っ掛かりさえ加速に利用したかのように見えたが。
周りを破壊しながら戦うカルレドとは逆に、カチナの剣はそれが描く軌道だけを切り裂いた。微塵の無駄もなく。
「……下らない浅知恵を」
木々を利用して戦いを有利にとか。パニケヤを狙うことで隙を作ろうだとか。
カルレドの取った選択に一言だけ残し、剣を収める。
どさりと、体を斜めに断ち切られて崩れた。
肩から脇腹を断たれ、ぱくぱくと泡を吹く男の上に、カチナが断ち切った大樹がどざぁっと被さる。
ぶぇと、潰れた声だけが最後に聞こえた。
「か、カルレドさんが……」
「にげ……逃げろ! こいつらも化け物だ!」
「だから俺はこんな辺境に――」
口々に喚きながら逃げていく敵兵。
いくらかは清廊族の戦士たちに討ち取られ、武器を投げ出し逃げていくものも。
「おばあ様!」
剣を収めた姿勢で動かないカチナ。
首を見れば汗が浮いている。年甲斐もなく無理をしすぎて呼吸がつらいのだろうが、表に出すまいと。
本当に負けず嫌いなのだ。
「……見ていましたか、リィラ」
「はい、おばあさま!」
「そう……」
ぴくりと、右の耳が震えた。
何かを堪えるように。
「……戦場です。長老と呼びなさい」
「はい……はい、おばあさま」
どこまでも強情な。
孫娘に恰好の良いところを見せられてひどく嬉しいくせに、表に出すまいと堪えている。
「どっちが若造なんでしょうね」
本当に、昔と何もかわらない子供のような様子。
ダァバの裏切りがなければ、たくさんカチナと喧嘩をしたのだろう。
失われた時間は決して取り戻せない寂しさと、だからこそ大切だったのだとパニケヤに確かに教えてくれた。
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