第六幕 024話 結ぶ大地_1



「私たちにはさほどの寒さでもありませんが、人間は冷えると動きが鈍るという話ですから」


 不満げなカチナの視線を促すパニケヤ。

 言う通り、敵は明らかに動きが鈍っている。そして動揺も見て取れる。



 リィラは人間を知らない。

 クジャを襲った人間――魔物との混じりものは、人間でも異質だったと聞く。


 初めて見る人間。

 想像していたより姿形は清廊族に近い。ぱっと見ただけでは、少し毛深いのと肌の赤みが強いくらいしか特徴がわからない。

 清廊族にもそんな特徴の者もいる。


 長老たちは案外、過去の戦場や捕虜とした人間を見ていたのかもしれない。

 だとしても、それほど多く見てきたはずはない。

 なのに迷う様子はなかった。同族と近い姿形の生き物に対して躊躇せず攻撃した。


 きっと、ずっと考えてきたのだろう。数の多い人間と戦う時のことを。

 クジャの町で、前線に出ることはなくとも、いつかこうして戦う日があるのなら、と。


 頭の中に思い描いてきたことだから、迷わず実行できる。パニケヤ達の態度が他の戦士たちにも伝わり、迷いが消えた。




 ニアミカルムを越え、人間の重要拠点である岩山の町を目指すと言ったのは夏の終わり頃。季節的にもこれより後では山越えは不可能になる。


 おそらくメメトハ達も、順調にいけばこの町に来るはずだから。大地の要石カヌン・ラドを切り出した町。

 他に目印になるものがなかったこともある。


 ニアミカルムの峰を越えて進んできて、雨が降り出す前に煙が見えた。暗がりでも見える清廊族だから、だけれど。

 戦いの気配を感じると同時に、正確な方角も知る。


 クジャに集まった有志達と共に辿り着けば、まさに人間が潜む背中に出た。

 南にばかり気を向けていて、北から近付いたリィラ達に気付かなかった。


 待ち構えている。何を?


 その人間の部隊の向こうから聞こえてきた戦いの音。

 そして、凛と響くメメトハの詠唱。

 リィラ達は間に合ったのだ。




「力押しだけでは勝てませんよ、カチナ。敵の数は多く、こちらはこうした戦いに不慣れな者が多い」

「今はそういうことにしておきましょう。リィラ!」

「はい、おばあさま!」


「長老と呼びなさいと言っています」

「はいっ、おばあさま!」


 カチナの機嫌はいい。最高だ。

 積年の、長く重ねてきた自身への苛立ち。それを果たす機会を得たと。


 祖母の性格は知っている。

 誰より真っ先に前線に立ちたかっただろう。しかしカチナより冷静に、時に非情な決断を出来る者がいなかった。

 長老としての指導に努めてきた。熱い牙を胸の内に抑えて。


「クジャの戦士として同胞を救う。貴女も死なない。わかりましたか?」

「はい、おばあさま!」



 急な寒気で体の縮こまった人間どもに、北部の戦士たちと共に突撃した。

 先頭はカチナ。清廊族最高の剣士を筆頭に。



「大叔母たちか!」

「長老に、大長老まで……っ!」


 メメトハの歓喜と、ルゥナの震える声。

 足を止めかけたところに援軍だ。彼女らの心をどれだけ勇気づけられたか。


 ルゥナに対してリィラは負い目がある。苦手意識も。苦難を乗り越えてクジャまで辿り着いた彼女に、リィラが取った態度は恥ずべきものだった。


 レニャが死んだ時、彼女に八つ当たりをぶつけた。やり返されて、返す言葉がなかった。

 彼女との関係は良好だったとは言えない。


 だけど、今ここで借りを返せるのなら。胸を張ってルゥナと正面から向き合える。

 過去の負い目を拭って、彼女に謝れると思う。

 間に合って良かった。これも姉神の巡り合わせに違いない。




「今です! 全員、北に抜ける道を!」

「ルゥナ、私は南の敵を倒すわ」

「東はエシュメノが」

「ネネランも行きますから! ニーレさん、援護をお願いします!」



 混戦になった。

 森の外れで、清廊族を挟撃しようとしていた人間の部隊を、逆に挟撃する形で。


 少し幸いなのは、人間どもの武装、装飾がだいたい似通っていること。

 清廊族の衣類とは明らかに違う。文化の違い。裕福さの違いも現れて。

 これなら誤って同士討ちすることはなさそうだ。



「くそっ! なんで後ろから……とにかく、そいつらを通すな! 逃がすな!」


 敵の司令官らしい男の指示。

 先ほど生意気なことを言っていた時、息を潜めながらカチナの眉が痙攣していたのをリィラは見た。



「南から本隊が来るまで抑えとけば――」

「ボックがいっちばぁーん!」


 敵の前衛というか、リィラのいる場所から見れば反対側。向こう側。

 そこにいた十名ほどの敵兵がまとめて、小雨の降る空に吹き飛ばされた。

 東の雲間から差し込む光に追われるように、西の森に。


「清廊族を守るのがボクの役目だからね!」

「ちっ、蛮族が!」


 氷乙女、絶防のオルガーラ。

 カチナから直接指導を受け、清廊族を守ることを叩き込まれた最強の戦士。

 助け出したことは聞いていたが、実際に戦っているのを見れば実に心強い。



「弱っちいの、ボクの後についてきなよ!」

「オルガーラに続きなさい! 左はミアデ、任せます!」

「任せてルゥナ様!」


 戦えない者。解放した清廊族を守りながら、彼女らが北を目指す。

 かつて断崖アウロワルリスを目指したという時も、こんな形だったのだろうか。

 今は、そこにリィラ達が手を差し伸べられる。



「こちらからも道を開きます! 今こそ!」

「長老に続け!」

「人間どもに、これ以上やらせるか!」


 数百の清廊族の戦士たち。数が多いとは言えない。

 人間は、待ち伏せの部隊だけでもその数倍はいる。

 南から迫ってくる気配は、さらにその数倍。あるいはもっと。東にも部隊を伏せていたとすれば本当にどれだけいるのか。


 しかも一兵ずつがかなり強い。熟練の戦士のよう。

 最初のパニケヤの冷気でいくらか動作が鈍り、挟撃されたことで混乱も影響してくれた。

 だから戦える。リィラでも十分に。



「はぁっ!」


 祖母から仕込まれた剣技で、敵兵の喉を貫いた。続けざまに三人。

 それだけで息が上がってしまうのも情けない。戦いとはこういうものか。

 体力ではなく、清廊族と似た生き物を殺す忌避感が心を疲れさせる。


 敵を倒す。けれど自分も死なない。

 祖母に言われたことを思い返して、一度足を止め息を入れ直した。



「落ち着け! 影陋族なんざ大した数じゃない!」

「よく見ろ、こちらの半分もいない連中だ。本隊ももう来る!」


 指揮官連中の言う通りだ。確かに数は少ない。

 いくらか戦況を有利に導いても、ひっくり返せるほどの戦力差ではない。

 それでも、力弱い同胞を逃がすことが出来れば。



「うぅっ!?」

「エシュメノ様!」


 東から爆炎が上がった。

 見れば、灼爬爪虫しゃっかそうちゅう――ラッケルタの腹辺りに敵の魔法がぶつけられたらしい。

 いや、ラッケルタが庇ったのか。



「敵が多い! エシュメノ少し退がれ!」

「だけど!」


「一気に押し込め! グィタードラゴンを倒せば勲章ものだぞ!」

「おおぉ‼」


 数が少なすぎて防ぎきれない。

 東側から崩されれば、まだ逃げきれていない清廊族にどれだけの被害が出るか。


 急に清廊族の数が増えることはない。

 当たり前だけれど。

 出来ることと、出来ないことが――




 ――QiiiE‼


 朝の森に、甲高い声が響き渡った。


 ――GaWuuuuu!


 続けて、太い咆哮が。



「う、なんだぁっ!?」

「魔物! こんな時に!?」


 人間どもから戸惑いと焦燥の声が上がった。

 ニアミカルムの山を越え、森から溢れ出てきた魔物の姿に。


「いや……なんだ、この数は!」

「隊長! どうしうわぁぁぁっ!?」


 飲み込まれていく。

 溢れ出した数十、百を超える魔物に。人間どもの部隊が。



「ハミウサ! ハミウサだ! ラッケルタ、攻撃しちゃだめ!」

「岩狼の群れもいる! エシュメノ、離れろ!」


 山を越えたのは清廊族だけではない。

 クジャ近くに住んでいた魔物も、何か感じるところがあったのかもしれない。


 針髪兎はりがみうさぎ

 大して強力な魔物ではないが、とにかく数が多い。

 鋭い棘のような体毛で、混戦の中足元に突撃されてしまえば。



「うぁぁ! 助け――」

「こんな魔物程度に、うおっ!」


 足を削る針髪兎のせいで転がり、飲み込まれる人間。

 足元を警戒して、飛び込んできた岩狼に喉を食い破られる人間。


 エシュメノ。壱角いづのの彼女がクジャで友誼を結んだという、壱角の針髪兎。ハミウサとか。

 リィラたちの動きを察知して、彼ら……なのか彼女らなのか、とにかく一緒に救援に来てくれたらしい。



「魔物を使役すると聞いていただろう! うろたえるな!」


 人間どもの言い分は的外れだ。

 使役などしていない。ただ、壱角だけでなく清廊族がずっと尊んできたものがここに集まっているだけ。

 一つ一つは大きな力ではなくとも、共にこの地に生きる何かを助けようと。



 結ばれた。

 手が届いた。

 皆が作ってくれた時間が、北と南の清廊族を繋ぐ道を作った。



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