第六幕 023話 宵の終り、明の脊梁



 夜が明ける前に、町を出ようと。

 ルゥナの決断が間違いだとは思わない。メメトハにも他に案がないのだから。


 血路を開いたとは言えない。敵味方が入り混じる中、同族を走らせる。

 女子供もいる。だがとにかく走れと。

 隣の誰かが敵の刃に倒れても、止まらずに走れ。たとえそれが親兄弟だろうと。


 全員を守り切ることは出来ない。町に残しておくことも出来ない。

 少しでも多くの清廊族をこの町から逃がして、ニアミカルムの麓に向かうよう。



「天嶮より降れ、零銀なる垂氷!」


 乱戦の為、強力な魔法よりも小さな魔法を小刻みに放ち支援する。

 敵の誘いであることはわかっていたが、町に入り込んだ化け物が近づいてくる気配もあった。

 選択肢がない。



 最初から手数が違いすぎるのだ。

 ルゥナがどれだけ知恵を絞り、アヴィ達がどれだけ奮戦しても。

 それだけでどうにかなるのであれば、そもそも清廊族がこの地を追いやられることはなかった。


 犠牲を承知で決断しなければならない。

 主な犠牲は、どうしても力弱い女子供になりやすい。

 少しでも安全に逃がしてやりたいと思ったが、それが許されない戦力差。



 口惜しい。

 だが、一つでも多くの仲間の命を救う為に戦う。


「どけい! 谿峡けいきょう境間きょうけんより、咬薙かじなげ亡空の哭風‼」


 立ちはだかろうとする敵の一団。

 そこに、猛圧と真空の入り混じった空気の塊を叩きつけた。


「うぼぁ!?」

「ぶびゅびっ!」


 ラーナタレアから放たれたそれは、岩をも粉々に噛み砕くような凶悪な力で人間どもを薙ぎ払う。

 逃げる清廊族を襲おうとする憎い敵を。

 しかしまた湧いて出る。忌々しい。



「ええい!」

「メメトハ様、私たちより――」

「やかましい‼ 喋らず走らんか!」


 余計なことを言うなと大喝した。


 わかっている。誰も自分の為に誰かが犠牲になってほしくない。

 メメトハも同じだと言わせるな。



「貴様ら人間は、我らの生きる自由を邪魔ばかりしおって!」

「おわ!?」


 盾を構えた敵兵を、ラーナタレアで打ち据えた。

 魔法使いだと舐めるな。力押しでもそこらの敵兵に負けるメメトハではない。

 この魔術杖も、小振りな枝のように見えても女神の遺物。煌銀でもひしゃげる強度。



「真白き清廊――」


 盾持ちを打ち払い、押し込まれた敵の集団に向けて。


九仞くじんかたに、至れ!」


 頭が真っ白になるほどの怒り。

 それでも、メメトハは紡がない。トワやセサーカが使う忌むべき物語は。


 清廊族の大長老、その孫として。

 皆に道を示すべきメメトハが、そんな物語を紡いでどうするか。



三稜さんりょう鏡玻璃かがはり!」



 神と清廊族を結んだと言われる真白き清廊。果てしなく長い回廊。

 その果てを見る為、姉神は三角の玻璃を重ねた鏡を覗いたのだとか。

 三稜鏡から飛び出した光は、瞬く間に神とこの大地を繋いだと言われる。


 メメトハが向けたラーナタレアから放たれた無数の光刃。

 その光の筋が、固まっていた敵を次々に貫いた。



「……」

「すごい魔法だね」


 ニーレの声に我に返った。

 怒りに任せて強力な魔法を使ってしまい、わずかに集中が途切れた。


 しかし、敵の方がメメトハの魔法に圧倒されている。避けることも適わぬ魔法。

 竦んだ敵を正確にニーレの氷弓が射抜いた。



「妾でも連発は出来ぬ」

「そうだろうさ」


 咄嗟に、初めて使う魔法を。

 思ったより体力を消耗した。疲れを感じる瞼を、雨雫を拭うついでに開かせる。


「遅れずに東へ行け。皆じゃ!」

「はいっ」



 南部で囚われている清廊族を助け、この地を取り戻す。

 この地だけでは駄目なのだ。取り戻したいのは、清廊族が清廊族らしく生きる大地。誰もいない土地を取り戻したいわけではない。


 ルゥナが願い、全ての清廊族が望んだ未来。

 ここで失わせてなるものか。



「誰も失わせはせん!」


 長く――ひどく長い時を、人間の虜囚とされてきただろう清廊族たち。

 助け出した彼らを、一日もしないうちに死なせるなど。


 あまりではないか。

 生きた時間がそれでは、あまりに救われない。

 清廊族に生まれてこなければ良かった。そんな風に思わせたくない。誰にも。



「このまま敵の包囲を抜ければ――」


 抜けられる。

 逃げ切れる。


 そう思わせることが、人間の作戦だったのだろう。




「……」


 東門から出て、北の森に。

 そしてニアミカルム山脈の麓に。


 こちらとすれば当然の行動。

 敵が読んでいた可能性がないとは言わない。だが。



「……すみません、メメトハ。私が」

「言うでないルゥナ。ここに待ち伏せなど……」


 想定したとは言っても、この敵は海を渡ってきたというロッザロンド大陸の軍隊。

 逃げる経路を、こうも正確に潰されるとは思わなかった。



 森の入り口で、少なくない敵の気配に足を止めた。

 止めるしかなかった。敵の集団が茂みに潜み、こちらを待ち構えているのだから。



「残念だったなぁ、影陋族」

「……」


 忌々しい。

 若い男が短めの剣を手に出てきて嘲笑う。

 夜の間も何度かオルガーラなどと切り結んだ男。相当な達人。



「このカルレド・ガルドーバがいたのがお前らの不幸ってやつだ」

「お前なんか知らない」

「俺は知ってんだよ。この辺りのことなら、勝手知ったる故郷ってな」


 土地勘のある男が指揮をしていた、と。

 わざと道を開け、ここに誘導するように仕向けた。

 足が向きやすい場所を知っていて、前もって軍を伏せた。数の多さをここでも活かして。



「頃合いだ」


 夜が明ける。

 清廊族有利な暗がりではなく、日が差す。

 薄く雨を降らす雲は南から。東の空の雲の切れ間から。


 朝日が昇ってきた。

 北に見えるニアミカルムの峰を、光の筋が、新しい日の幕開けと言うように照らして。



「光河騎士団カルレド・ガルドーバの夜明けだ!」



 手を高く掲げた。

 後ろから迫る敵軍と、正面の森から姿を現す敵兵。


「人間様に逆らう影陋族どもに、身の程を教えてやれ!」


「「おおぉぉ!」」

「「はあぁぁっ!」」



 低く響いた雄叫びと。


 高く、澄んだ鬨の声が。

 小雨の降る朝の森を貫いた。



「やあぁっ!」

「人間どもから同胞を救え!」

「今こそ、我らの戦いの時ぞ!」



「……」


 ニアミカルムの山。その稜線を照らす光を背に。

 無数の、無数の清廊族が、山から。



「精兵と言えども、凍えれば満足に戦えないでしょう」


 その声は、メメトハの耳にはひどく懐かしく聞こえる。



「冷厳たる大地より、渡れ永劫の白霜」


 森全てを飲み込むように、見る間に白い霜が大地を渡っていった。

 小雨と相まってかなりの冷気。



「……敵を倒せていませんが」

「本気でやっては森が死にます。敵の動きを止めるには十分でしょう」


 間違いなかった。

 ここまでかと足を止め、全てを救うことを諦めかけたメメトハ達の下に。



「婆様に、大叔母か!」


 想像もしない、だが何より頼もしい援軍が届く。

 ニアミカルムの峰を越えて、古い光がここにようやく届けられた。



  ※   ※   ※ 

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