第六幕 021話 禊萩の誓い_2



 気を持ち直した部下たちの攻撃で化け物の勢いが弱まる。

 王城の守護者たる選ばれた騎士たちだ。敵が千年級の魔物だろうが、いざ戦うとなれば敗れることはない。


 未開の蛮地。深夜。見たことも無い巨体に人間の手足と顔を生やした化け物。

 こんな悪条件が重ならなければ、簡単に取り乱すような弱卒ではない。


 アルビスタの奮戦が、禊萩守みそはぎもりの騎士たちに本来の戦い方を取り戻した。力だけで大公の冠を戴いているわけではないのだ。



「化け物風情が!」


 手数の減った攻撃を打ち払い、息を入れる。

 一瞬で納刀した朔月に手を添えて、化け物を弾いた反動も利用して呻く顔を斬る力を込める。


 足を斬ったがあまり手応えはなかった。痛みはあったようだが。

 あの少年の顔ならば。



「滅せよ!」


 化け物風情。

 それは侮りだったのだろう。

 知能なくただ暴れるだけの化け物と。


 伸びてくる手の速度、力強さは英雄級のそれに近いが、アルビスタ大公にはまだ届かない。

 そう見切っての攻撃。


 まさか化け物の方がその動きを予測して、逆に見切っての対応をするなどとは。

 考えもしなかった。



「っ!?」


 抜刀できない。

 抜こうとしたところを、下から伸びた化け物の手が押さえつけた。


 下から――?


「な――」


 巨体の下部を切り裂き、転がした。足を止めた。

 この愛刀でやったのだから間違いない。


 なのに、そういえば。

 地響きがまだ続いていた。



「殿下の支援を!」

「我が主君を汚らわしい手でゅぶぁぁっ!?」

「ぶわあぁっ!」


 アルビスタの側近、双翼の騎士が空に舞い上がった。

 双翼とは比喩で、決して翼があるわけではないというのに。



「地中かだば!?」


 続けて十数名の騎士が、地面を突き破って蹴り上げる素足を受けて宙を舞う。

 不意打ちの一撃で死んだと見える者も、どうにか防いだ者も。



「地面に、足を――」


 下部を斬り転がして、動きを止めたと思った。

 違う。

 この化け物は手を伸ばすのと同様に足も伸びる。


 数十の足を地中に埋め込ませて、強引に地中を突き進んだ。騎士たちの足元に向けて。

 地響きが止まなかったのはそのせいか。



 アルビスタの剣を抜かせまいと伸ばした腕も、地中を這わせて。

 日中なら地割れなどで見切れたかもしれないが、運悪く夜のこと。巨体の起こす地響きのせいで気付くこともできなかった。


「ちぃっ!」


 知能がある。

 少なくとも人間を相手に狩りをする程度の知恵が。



「犠牲者は構うな! 焼き尽くせ!」


 こうなってしまえば、後はいかに早くこの化け物を殺すか。

 もう一度戦線を立て直すのは不可能だ。炎の魔法は十分に有効なのだから、全力で焼き殺す。

 剣の柄を抑え込む手を剥ぎ取りながら命じた。


「底府の割窩よ――」


 魔法使いが唱えようとしたところで、惨劇が降り注いだ。



「なんだとぉ!?」

「うあああぁぁっ! 熱いぃぃ!」


 先ほど放たれた魔法。撃砕の隕星。

 空から降り注ぐ豪火球を、腕が焼けるのも構わず打ち返した。

 それを放った魔法使いたちに向けて、自らの腕を犠牲にしながら。


 肉の焼ける音と臭いを撒き散らしながら、集団撃滅魔法を叩き返す。

 人間なら――というか、およそ生き物なら考えられない反撃方法。


 撒き散らされる豪火球の力は分散するが、炎に強い生き物などそうはいない。人間も同じく。

 炎と煙で咳き込めば魔法の詠唱など出来ない。剣士だって呼吸が乱れれば存分に戦えない。



「ぬどぅあぁぁ!」

「リフ卿!」


 空に蹴り上げられた片翼の騎士。リフの野太い声。

 集まってきた手の群れに包まれ、泥団子でも握るように固められて。


「っ!」


 そして、叩きつけられた。

 まだ集団を保っていた魔法使いの所に、猛速の肉塊が。

 リフだった塊が激突して、まとめて爆散した。




「えぇいっ!」


 忌々しい。

 なんということだ。


 アルビスタの部下、精鋭たる禊萩守の軍が壊滅。

 どれだけ生き残っているのか、半数もいないのではないか。


 菫獅子騎士団という邪魔者も消え、現実にこの地を手中に収めるところに来ていたというのに、こんな化け物のせいで。



「もうぇぇええぇっ‼」


 無傷ではない。化け物にも魔法は届いていて、悲鳴を上げている。

 駄々をこねる子供のような意味のない喚き声と共に、体を燃やされながらアルビスタ大公を見る。



 少年の顔が目の前に。


「あ……」


 伸ばしていた手足に気を取られていたが、本体が迫っていた。目の前に。



 少年の顔と、左右に年の近いやはり少年らしい顔が二つ。

 その下に、満ち足りた悦びの笑顔を浮かべる老婆の顔も、やけにはっきりと。


 がぶりと。

 掴んだ果実を齧るように、伸びてきた手がアルビスタ大公を少年の顔近くに運び、歯を立てられた。



「ぐ、のぉぉぉっ!」


 全力を振り絞る。

 英雄級の力を持つ無数の手を引き千切り、肩口にかぶりついた歯を跳ね返そうと。


 大英雄アルビスタ大公なればこそ。

 化け物の歯にも負けぬ強靱さで防ぎ、己を捕らえる手を強引に振り切る。



「らあぁぁ‼」


 形振り構わず自分を掴む腕を千切ると、赤黒い血が流れだす。

 汚い。

 しかしそうも言っていられない。


「不敬な輩が!」


 噛みつく顔の横を殴りつけると、離れた。

 殴った勢いで、化け物がやや後ろに下がり、アルビスタ大公も反対に。



「で、殿下!」

「御無事でございますか!?」


 ――馬鹿なことを言っていないであれを殺せ。


 体についているのは返り血だ。

 噛みつかれた程度で傷つけられるほど柔ではない。


 指示を出そうとして、声が出なかった。



「……な、に」


 食い千切られていた。

 肩から胸元まで。


 防いだはず。受けた歯の硬度からすれば、十分に防げたはずだ。

 押さえつけていた無数の手を、強引に振りほどいた時の自分の力。無理やりな力加減で筋を痛めたかもしれない。そうは思ったが。



 しかし違う。

 肩から胸に歯型と、肉を食い千切られた痕。


 気づいて、猛烈な痛みが首筋から脳天を突き抜けた。



「ぐぅぅっ!」


 焼けるような痛み。傷痕が焼けるように。

 触れたものを腐食させる強力な唾液。煌銀より硬いアルビスタの肌を貫き肉を食い千切るとは。



 痛みなど久しく感じたこともない。

 膝をついてしまった。

 国王に対してさえ膝を着かないアルビスタ大公が、苦痛に耐えかねて膝を地に。



 はっと、顔を上げた時にはもう遅い。

 一度は殴り返した化け物が、無事な手足をばたつかせて迫る。間髪入れずに。


「余が、こんな――」





 化け物は、逃げ惑う騎士たちを飲み込みながら、エトセンの南西門に突進していった。

 城壁に並ぶほどの巨体を、駆けてきたままの猛烈な勢いで白い城壁にぶつけた。



  ※   ※   ※ 

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