第六幕 020話 禊萩の誓い_1



「て、撤退だ! 総員撤退! いや、町に向かえ!」


 緩やかな丘陵地帯なのが悪かった。

 光の魔法で照らしだした化け物、その圧倒的な巨体と蠢く姿がはっきりと見えてしまう。もっと見通しが悪ければ全貌は見えなかっただろうに。


 馬と共に算を乱して逃げ出す禊萩守の精鋭たち。

 普通なら厳しく叱責するところだが、それどころではない。



 化け物。


 黒い塊から、無数の……数千の顔と手足を生やした小山のような塊。

 数百の人間のような手をばたつかせて、地響きを起こしながら迫ってくるそれを見て平静でいられる人間などいない。大公たるアルビスタでさえ。


 塊の上の方の手は何かを掴もうと蠢き、いくらか見える足はびくびくと激しい痙攣をしながら。

 本体に浮かぶ顔はどれも、眼窩から黒い涙を溢れさせながら呻き声を上げていた。



「火を! 魔法使いは火を放て!」

「ほ、炎よ!」


 逃げながら、主君の命に従い魔法を放つ者もいるが。

 焦りと混乱でまともに詠唱を紡げない。


 夜中というのも良くなかった。

 見知らぬ辺境の土地というのと合わせて、非常に悪い。

 さらに言えば、半端に人間らしい部位が見えるのも。


 他で見たことも聞いたこともないが、明らかに人間を食う化け物だ。

 この大陸にはこんな異様な生き物がいると言うのか。


 走る速度は馬よりも速い。

 走ると言っていいのか、じたばた転がっているような無様な形。

 体から伸びた妙に白く見える腕で、地面を叩くように追ってくる。




「う゛もぉおぉぉ‼」


 唸り声をあげた。

 低く響くような声で、上の方の顔が。

 続けて他のへばりついた顔どもも同じように。


「ひぁっ」

「く、食われる! 俺たちも」


 馬鹿者が。

 誰かが口にしたせいで余計に混乱がひどくなった。



 食われる。

 誰でも一番避けたい死に方だろう。貪り食われるなど。

 悪い条件が重なったところに最悪な末路を思い浮かべては、精鋭騎士でも満足な力は発揮できない。恐慌状態だ。

 


 海の魔物でなら、山ほどの巨体という伝説も残っている。しかし陸地でこれほどの重量など有り得るのか。大きすぎて有効な攻撃手段が思いつかない。


 先ほど放った小さな炎の魔法など意に介した様子はない。

 総員で力押しで全て削れば倒せるかもしれない。簡易詠唱などではなく、まともな魔法をまとめてぶつけなければ。



「ええい、静まれぇ!」


 怒鳴った。

 城門は見えてきた。決して小さな門ではないが、この化け物が通れるほどの大きさではない。

 開きっぱなしになっているのはどういう理由なのか。都合は悪くないが。


 しかし間に合わない。

 このままでは城門に辿り着く前に飲み込まれる。

 アルビスタや一部の英雄級の臣下ならば逃げ切れるが、騎士の半分は飲み込まれてしまいそうだ。



 逃げながら、少しは頭が冷えた。

 また、ルラバダール国王に次ぐ権力者である自分が、化け物などに追われて情けない敗走などと、苛立ちも感じた。


「余が化け物の足を断つ!」

「殿下!」

「足を止めたら魔法を叩き込め! よいな‼」


 大きく、動きは遅くはないが。

 アルビスタ大公が戦えない相手ではない。人類最強の大英雄の一人。

 度肝を抜かれて自分も混乱してしまったが、少し冷静に観察してみれば。



「これが、影陋族どもの反攻の要か」


 化け物。異様な魔物。

 人間を食らい、さらに人間を追う。

 この巨体でぶつかれば、城壁でも崩れるだろう。家屋などかるく潰されるに違いない。


 こんなものを持ち出してまでの反攻作戦など、蛮族といえど度し難い。

 おそらく制御もできていない。

 ただ人間の町を襲わせて食わせるだけの暴挙。


 食い止めねばならない。

 化け物の正体が何であろうと、この地を治める為には。



「よいな!」


 もう一度、号を放ってから。

 全員ではなくとも幾人かは理解しただろう。

 足を止めて、魔法を叩き込む。攻撃が利くとわかれば他の者も冷静さを取り戻すはず。



「余の大地を汚す不埒な化け物め! 浄化の火に焼かれるがよいわ‼」


 くるりと反転した。

 振り返り、追ってくる小山のような巨体を見据えて。



「はっ」


 剣を抜く。

 禊萩守騎士団団長にして、大公家当主の剣ともなればもちろん二つとない名品。


 朔月さくつき。移ろわぬ女神の心。女神の遺物。

 女神の重ね心とも呼ばれる名剣で、鍔のない細身の刃。

 新月を意味すると言われる。


 重ね心というのがどういう意味なのか。

 ただ、重なり合う為に見えぬのだと言われていて、事実アルビスタ大公がこの刃を抜いたのを目にした者はいない。


 瞬速の抜刀術。

 極めて細い刀身が、鳥の目にさえ留まらぬほどの速さで走り抜けると。



 数百の人間の手が大地を掻きむしる化け物。それの足首に位置する部分に振り抜いた。

 おそらく人が数千人で手を繋ぎ輪を作れば、これくらいの大きさになるだろうと。そんな太さ。


 鋭い剣閃が軽々と、化け物が大地に接している辺りを切り裂き、抜けた。

 見た目からは絶対に届かないだろう太さを、一振りで。



「っ!?」


 手応えがなさすぎた。

 ぬるりと、まるで水を切ったような。


「ぶむえぇぇぇぇっ‼」


 悲鳴を上げて、ごろりと。

 斬り抜いた感触に戸惑うアルビスタ大公の方に転がった。


「むっ」


 飛びずさる。

 むざむざ押しつぶされるような間抜けではない。



「なにぃ!?」


 伸びた。

 転がりながら、化け物の体全体から生えた手の中の数本が、後ろに飛んだ大公を掴もうと。

 凄まじい速度で。


「この速さは、英雄級だと言うか!」

「大公殿下! 皆、あの化け物を討て!」


「「始樹の底より、穿て灼熔の輝槍!」」

「「原初の海より、来たれ始まりの劫炎!」」



 放たれる魔法だが、直撃ではない。

 間にアルビスタ大公が挟まれる格好になり、巨大な化け物の外周部を焼いた。

 しかし致命打ではない。



「ぶまあぁぁっ!」

「余に唾を吐くとは!」


 耳障りな悲鳴を上げる化け物の顔。

 はっきりと声を出すのは一つだけだ。少年のような。


「あれか!」


 弱点に違いない。

 掴もうと飛んでくる手を打ち払い、嘆く顔を斬る為に飛び込みたいが、巨体を斬ったアルビスタを叩き潰そうと化け物からの攻撃が凄まじい。


 重く速い叩きつけ。英雄級と評したが、打ち払いながら否定する。

 力だけはそうかもしれないが、闇雲な攻撃。勇者級の戦士が力任せに攻撃するような一撃だが、その一撃が百を超える。



「余を誰と心得るか‼」


 英雄を越える英雄。大英雄と呼ばれる世界最強の一角。

 数百の攻城弓の雨の中だろうと突き進む。およそ人の限界を超えた存在。


「アルビスタ公ラベグア・コルピッセロである!」


 化け物に名乗ったわけではない。うろたえる部下に聞こえるよう大音声で夜の大地に響かせた。

 この化け物の地響きに負けぬ声量で。


「ルラバダールに仇為す化け物ならばここで討つまで‼」

「お、おおぉ!」

「殿下に続けぇ!」



 アルビスタに斬られ足を止めた化け物と、降り注ぐ猛撃を足を止め切り払うアルビスタ。

 その攻防に、禊萩守の騎士たちもようやく肝が据わったようだ。


 数は多くないが、ルラバダール王国最強の騎士たち。

 アルビスタの双翼は、英雄級の剣士であり勇者級の魔法の使い手と、英雄級の魔法使いでありながら勇者級の武術家がいる。


「千年級の魔物と思え!」

「禊萩守の誓約! 一歩たりとも敵を我が国に入れるな!」


 予定では菫獅子騎士団や影陋族との戦いだったが、魔物がこちらの事情を考慮するわけもない。

 ルラバダール領エトセンを侵そうとする未知の危険な魔物。その討伐だと切り替える。息は乱れているが、向きは変わった。



「防げぇ!」


 足を止めた騎士たちに伸びた腕を、大楯持ちが前に出て防ぐ。押し込まれ大きく地面を削るが、数名掛かりで抑え込む。

 続けて――


「「原初の海より来たれ始まりの劫炎」」

「びゃあああぁぁっ!?」


 先ほどとは違い、アルビスタに降り注ごうとする手に狙いを集中して爆炎で薙ぎ払った。

 爆風がアルビスタにも届くが、気にしている場合でもない。


 地鳴りと共に悲鳴を上げた化け物。わずかばかりだが攻勢が弱まる。


「「緋焔ひえん豪天ごうてんより、撃砕げきさい隕星いんぜい」」


 無軌道に振り回される長い腕の攻撃を前衛が防ぐ中、勇者級十名以上で紡ぐ集団撃滅魔法。燃え盛る岩塊のような豪火球が数十、空から化け物に向けて降り注ぐ。



 それでいい。

 アルビスタが体を張ることになるとは思わなかったが、これでいい。


 明らかに炎は効果がある。焼かれて平気な魔物などほとんどいない。火を吐くドラゴンや灼爛やけただらくらいだろう。


 足が止まり、手数が減れば。

 喚いている中心の顔を切り裂いて終わりだ。終わらなければ終わるまで刻む。


 ルラバダール最強の禊萩守騎士団。

 これだけの魔物との戦いで領土を守るとなれば、それは武人の誉れとして確かなものになるだろう。


 城壁より巨大な化け物がのたうつ地響きの中、足を踏み直して滅茶苦茶に叩きつけてくる手を全て切り払った。



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