第六幕 018話 騎士夜行



「光河の若造が大将気取りで……」

「よい。やらせておけ」


 鼻息の荒い臣下に、馬上から鷹揚に応じる。

 馬を使っての移動。

 正直、本当に急ぐ場合であれば、精鋭部隊だけなら徒歩の方が速い。


 それでも馬を使う。

 わざわざ大陸を渡してまで。

 慣れない船旅のせいで、到着して一日は馬を休ませねばならなかったが。


「功を焦るような真似は必要あるまい」

「もちろんではありますが、大公殿下」

「先遣の露払いをやりたいと言うのだ。生まれ故郷だとも言っていたか」


 禊萩守騎士団アルビスタ大公。

 王家に連なる一族であり、騎士団団長などという肩書で動くことなど過去になかった。



 わざわざ荒海を渡り辺境にまで出向く理由。

 ラドバーグ侯爵の抑えとしては、光河騎士団の若者などでは話にならない。

 エトセン公ワットマからしても、王位継承権を有する大公家の当主が赴けば、何を最優先にしなければならないか明確になる。


 出遅れたものの、ラドバーグ侯爵が完全にこの地を掌握する前ならば、権威が通用する。

 戦力としても、禊萩守、光河、橋楼騎士団の混成軍となれば菫獅子騎士団だけで対抗はできない。


 頭としてアルビスタ大公自らがいるとなれば、権威でも実力でもねじ伏せられる。

 正面からやり合うほど馬鹿でもないだろうが。



 と、思ってきたが。

 それ以前の問題だ。

 対峙する前に敗れるなどとは。全く拍子抜けにもほどがある。



 ルラバダールの四騎士団にとっては、これは完全に内戦だった。

 他に対抗できる勢力など、アトレ・ケノス共和国軍くらいのもの。

 こちらに渡ってきてみれば、そのアトレ・ケノスの主要都市も影陋族の攻撃で無視できない被害があったとか。


 アルビスタ大公の気が抜けるのも仕方がない。

 一大事と腹を括って遠路はるばる来たというのに、到着前に敵となるものが自滅しているのだから。


 残っている菫獅子の残党は逆らうだけの気概もない。

 まして影陋族など。


 伝令の報告では、東門でカルレド・ガルドーバ率いる一軍を相手に防戦しているらしいが、それも手一杯の様子だとか。

 反対に回る手勢にまでは手が足りない。気付いたところで。



「光河騎士団が囮をやってくれるのならば、悠々と町に入ればよい。埃に塗れることもあるまい」

「まさに、殿下の御為に道を清めているようなものですな」


 菫獅子騎士団が壊滅して、近臣たちも気が抜けている。

 あるいは、別のものを敵視しようということか。

 先陣を買って出た生意気な小僧め、と。



 焦る必要など何もない。

 小僧が戦功を立てたところで相手は影陋族。

 そんなもの功績と呼べるものでもない。仮に功績だとしても、こちらの権威が揺らぐようなものにはならない。


 エトセンも壊滅したというのなら、この地は誰が治めるのか。

 今、ここにいる最高権威者は紛れもなくアルビスタ大公になる。他に誰もいない。


 禊萩守騎士団はその性質から少数精鋭。

 広大な領地を持つこともなかった。王家に近いアルビスタ大公家が広大な領地まで有すれば、王家が脅かされるのだから。


 しかし、その関係もここまでか。

 歴史が変わる節目。

 この地を治め、権威だけでなく実勢力としても大きなものを得れば。



 百数十年前に、このカナンラダ大陸を新興貴族のクルス家に任せた当時の宰相の裁量は先見性があった。

 王領として、他の勢力に属さない者に実権を託した。


 当時はカナンラダ大陸が全くの未開の土地だったこともあり、先行きが見えなかった。本国で手の届く場所にある目先の利益に目を奪われがちな古い貴族社会と切り離すことになる。


 外敵の脅威が減り、内輪の不協和音が強くなってきて。

 そうしてようやく、辺境のここを自勢力に有利に運べないかと。

 海を渡った人間が開拓し、人口も増えた。土地資源も十分にあるとわかった。



「焦らずとも、全て余のものとなろう」

「まさしく、女神よりの賜りものでございますな」


 夜遅くを馬で行かねばならないのも慣れないことだが、船に比べれば随分といい。

 いや、自身も少しは高揚している。

 既に勝利の約束された道だと思えば、夜行も苦ではない。



「女神の祝福の地か。我らの新たな歴史に――」



 言いかけて、足を止めた。

 足を止めたのはアルビスタ大公ではない。騎乗している馬だが。


 付き従う臣下たちも同様に。

 月明かりは薄い雲に遮られ、周囲はかなり暗い。

 宵闇に慣れてきても、影陋族ほど夜目が利くわけでもない。



「……殿下?」

「……」


 側近が訊ねてきたのは、なぜ止まったか、ではなさそうだ。

 馬が足を止めるのを、なぜだかアルビスタ大公も自然なことのように感じた。


 止まるべき。

 理屈ではなく直感がそう告げてくる。

 禊萩守の正騎士たちも同じように感じて、なぜそう感じたのかと。



「……」



 緩やかな丘陵。

 エトセンの南を迂回して西門に出るように。

 影陋族の目につかぬよう灯りは点していない。迂回していても連中の目には届いてしまうかと考えて。


「……殿下」


 今度は、疑問とは違う。

 警戒を促す声。

 蹄鉄から響いてくる振動は、錯覚ではない。



「何か……」

「来るぞ!」


 馬が暴れようとするのを足で締めた。

 怯え、竦む。獣なのだから仕方がないが。


「馬を降りよ! 邪魔であれば放て!」


 アルビスタ大公は愚鈍ではない。異常事態とわかれば即座に判断する。

 手間を掛け、金もかかる騎馬だと言っても、自身の命より優先するものではないと。

 言うことを聞かない馬など役立たずどころか邪魔なだけ。


 どうせエトセンの南西門まではもうすぐだ。馬が必要なわけでもない。



「噂にあった影陋族の使役する魔物だ! 総員、構えよ!」

「ははっ!」


 夜の闇の中、町を南に迂回した禊萩守騎士団よりさらに南から。

 大地を震わせながら、現れる。それは――



「光を放て!」


 正体不明の敵を相手にするのだ。影陋族に感知されるもなにも、既に敵はこちらに向かってきている。

 そう思っての指示だったが。



 結果的にはそれが間違いだったと。

 後悔している時間はなかった。



「ば……」


 誰かが言葉を失った。

 アルビスタ大公本人だったかもしれない。

 失わなかった者もいた。



「ば、化け物……」



 夜の闇の中から浮かび上がったそれを、他に何と呼べばいいのか。

 でかくて、たくさんの。


 大きすぎて一個の塊だとは気づかなかったほど。

 王家の伝承にもあった。

 伝説の濁塑滔は巨大なブラックウーズのようで、あまりの大きさに一つの生き物だと認識できなかったなどとも言うが。



「化け物だ」

「なんだこの化け物!」

「これは……殿下、これは何ですか殿下ぁ!?」


 知るか。

 知るはずがない。


 カナンラダ大陸にこんな化け物がいるなど、どの報告書にも書いていなかった。



 闇の中、光に照らされたそれのことなど。

 巨大な塊から、人間のものに見える数千の手と足を生やした化け物。


 手足の生えていないところには、埋め込まれるように顔が。

 やはり数百、数千と。数えきれないほど。



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