第六幕 013話 火を呪う風



 灰色の娘が連れ去られる。

 遠目に見えたその光景に感じたのは、戦慄か絶望か。


 守ろうとしたオルガーラだったが、ダァバとパッシオに打ち払われ、耐え切れずに吹き飛ばされる。近くの建物に叩きつけられ、瓦礫と粉塵の中に消える。


 どうにもならない。氷乙女オルガーラだとしても。

 アヴィでも一対一では勝てないだろう敵。それを二体同時に相手にしては。



 ルゥナとメメトハの攻撃で苦痛に喘いだダァバとて、あれが致命傷ではない。


 あの時、心臓を貫いたり頭を砕いていたなら。

 体から溢れた粘液で防御姿勢を取られたのだから、表面しか打てなかった。


 響き合った二本のラーナタレアが思った以上の痛みを与えたものの、命にまでは届かない。


 そもそも、頭や心臓を打ったとして、それが致命傷になったのか。



 ただでさえ厄介だったパッシオが、伝説の魔物鷹鴟梟おうしきょうの力を解放してさらに上の極みに。

 急激に増した力で襲われたら、誰かが死んでいたかもしれない。


 ダァバを庇い撤退してくれたのは助かったとも言える。だけど――




「オルガーラ!」

「何度も邪魔してくれるね。君らの相手は後だ」


 追い付いてきたルゥナ達を見下ろし、トワを捕らえ飛行船に向かうダァバの苦い声。


 城壁を飛び越え真っ直ぐに進む飛行船に追い付くのが遅れた。

 ルゥナ達の出足が遅れたこともあるが、小型のせいかこの飛行船は足が速い。サジュで見た飛行船の速度だったら追い付けたのに。



「いや、もう会うこともないか」

「待ちなさい! 卑怯者!」

「神に対する言葉じゃないよね。天罰をあげよう」


 ルゥナの手は届かない。

 パッシオに掴まり、北の空に流れていく飛行船へと乗りこむダァバに届くのは言葉だけ。


 ダァバとしても、もう近付きたくなかったのだろう。

 前回は呪術を打ち破られた。

 今回は、清廊族に対して無敵と信じた濁塑滔の特性がまた破られる。



 ダァバと言う男はやはり性根が腐っている。

 己が絶対に優位と見ると、その優越感に浸りたがる性分。

 自分が上だと誇示せずにいられない。


 それが付け入る隙になった。

 仮にダァバが最初から問答無用で殺しに来ていたのなら、パッシオとダァバだけでまず大抵の相手なら殺せたはず。


 余裕があったから、百数十年の間逆恨みしつづけた清廊族に対する当て擦りをしてやろうと、直接対峙した。

 愚かな男。


 だがその隙に倒しきれなかったルゥナ達の痛恨の手抜かり。

 口惜しい。



 しかしそうは言っても、人間どもとの激しい戦いの直後の襲来。

 ダァバの力の底も知れぬ状態で臨んだのだ。あの場で誰も死ななかったことを幸いと――


 思えるはずがない。

 その下劣な男が今捕らえているのは、汚い手に抱えているのは、ルゥナの大切な。




「トワを返しなさい! 殺す! 殺しますダァバ‼」

「ルゥナ様、落ち着いて!」


 建物の屋根に飛び上がり、さらに飛ぼうとしたルゥナの肩をミアデが掴んだ。



「邪魔をしないでミアデ! トワを――」

「無理だよ! 届かない」


 ミアデの言う通りだ。エシュメノでも届かないだろう上空。

 相手は空の王たる魔物を従えている。

 飛び跳ねたところでこれでは。



「魔法を――」


 激昂して判断を誤った。

 魔法でダァバを打てば。


 いや、それではトワも巻き込む。

 下を見れば、やはりセサーカの魔術杖を手にしたアヴィも、なにを紡ごうか判断しきれない顔。


 凶悪な破壊力の魔法が直撃すれば、ダァバ達より先にトワが死ぬ。

 かといって半端な魔法が通用する相手ではない。



 撃てない。

 打つ手がない。


 こんなことなら嫌がるトワを無理にでも一緒に連れていけば。

 南門でオルガーラも一緒だったなら、ダァバ達を倒し切ることだって出来たのかもしれない。


 後悔する

 今さら後悔する。ルゥナはなぜあの時、トワの手を振り切ったのか。



「まずい!」


 唇を噛み俯きそうになったところで、ニーレの叫び声に我に返る。

 はっと上を見上げた。



「死の呪術だ!」

「っ!?」




 もう会うことはない、と。

 ダァバの捨て台詞。


 二度にわたり絶対優位なはずのダァバを邪魔してきたルゥナ達だ。

 敵側から見れば不気味で厄介な集団ということになる。

 力の根源が濁塑滔に由来すると判明した。もう聞くこともない。



 ここで始末しようと。

 乗り込んだ飛行船から落とされたのは、サジュでユウラの命を奪ったのと似た球。


 中に詰まっているのは、あの時は爆裂の魔法だった。

 今回は――



「逃げてっ!」


 辺り一帯に死を振り撒く呪い。

 先ほど、音もなく人間の軍を壊滅させたのを見た。

 見えなかった。何があったのか全く見えなかった。


 ただここにいれば死ぬ。

 あれの効果の及ぶ場所にいれば死ぬ。


 既に見ていた攻撃だったはずなのに、頭に血が上り判断を誤った。

 今なら倒せると深追いしすぎた。

 手の届かぬ先でトワを奪われ、闇雲に追いすぎた。



 ルゥナ達の頭上で弾ける球。


 逃げられない。

 もはや逃れる術はない。不可視の力で死が振り撒かれるのを、ただ……




「真白き清廊より、来たれ冬の風鳴」



 建物より高く飛び上がりながらアヴィが唱えたのは、冷たい風の魔法。

 絶禍の嵐よりは広範囲に、しかし氷雪の力は弱い魔法を。


 燃え盛るエトセンの北区。その方角に抜けていく飛行船に向けて冷たい風を。

 追い風のように。



「……」


 そんな魔法であの忌まわしい呪術に対抗できるわけがない。


 ルゥナは何もできない。

 トワを取り戻すことも出来ず、卑劣な裏切り者を倒すことも。




「……?」


 ふっと。


 火が消えた。


 アヴィの紡いだ風雪の魔法が、いくらアヴィの力だとは言っても。

 町に燃え盛る炎が、広い範囲に渡って。


 ふっと。


 灯りを吹き消すように。

 命を吹き消すように、そっと。




「あ……アヴィ……?」

「……ごめんなさい」


 飛び上がったアヴィがルゥナのいる屋根に降りてくる。

 謝罪の言葉と共に。


 何を謝るのかわからないけれど。



「……あいつを逃がした」

「いえ……死の呪い……どうして……?」


 死んでいない。生きている。

 あの球が破裂した場所からさほど遠くない場所にいるのに。



「……火が、死んだの。見たでしょう?」


 エトセンの町を燃やしていた火が掻き消えた。

 全てではないが、アヴィの吹かせた風と共に。かなりの猛火だったと思うのに。

 あれは命の火だけでなく、実際に燃えている火も消す呪いだったのか。


 熱が残っているせいか、まだ燻りの煙を上げている。

 燃えるものがあれば、また火が着くだろう。やはりアヴィの魔法の冷風で消えたわけではない。



「……ごめんなさい」

「アヴィ?」


 苦く唇を噛むアヴィの様子が少しおかしい。自責のような。

 ダァバが濁塑滔の力を取り込んでいたことを、自分の責任と感じているのだろうか。



「貴女のせいでは……」

「ルゥナ様、あいつ東に向かっていくよ!」


 かなりの速度で進む飛行船は、そうこうしている間に影を小さくしていた。

 ニーレがその進路を見て指差す。


 北東側に。

 理由があるのか、大した理由はないのか。

 どちらにしても追うしかない。



 町を燃やす火を吹き消した死の呪術。

 どうやらあれは風で吹き飛ばせるらしい。近くで破裂してもそれなら対応できる。


 アヴィは、なぜだかそれを知っていたようだけれど。

 南門で見ていたから、その時に理解したのか。

 最初から知っていたわけではない。あんな呪術のことを。


 ――知っていたのだろうか? アヴィは、何か。


 微かな疑問を感じながら、屋根から下に降りた。



 トワを奪われたことに気を取られ過ぎていた。

 共に屋根を降りるアヴィが、まだ己を責めるような表情で唇を噛んでいたのを見ていなかった。


 まだ言い出せない悩みを抱えているのだと、見ればすぐに気づいただろうに。



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